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展覧会の紹介

林 亨 展 2004年5月1−31日
ギャラリーどらーる(中央区北4西17、HOTEL DORAL) 地図D

 はりきって初日に見に行ったのに、そのうち書こうと思っていたらもう最終日が目前である。
 じぶんの怠慢にわれながらあきれてしまう。
 筆者は、まとまった林亨論を書くつもりでいたが、力不足と時間不足により、断念せざ林亨展の会場風景るをえない。
 ただ、はっきりしているのは、この作者が、ミニマルアート以後(というか、フォルマリズム以後)、絵画が、現代美術の中で行き詰っているといわれている現状を認識しながら制作していることである。
 そして、その認識は、当然多くの人が持っていると思われがちなのに、じつは、ほとんどが無自覚なままに絵筆を執っているのである。
 ただし、そのこと自体を、筆者は責めようとは思わない。

 筆者のような、もともと業界外の人間から単純にみると、フォルマリズムの考え方というのは、つまらないと思う。
 絵画が、挿絵ではなく、それ自体として価値を持つという考え方は、ちょっときくとまっとうに思えるし、絵画の価値水準をひきあげるのに一定の効果があったことは否定しない。
 でも、絵画が自立してしまえば、それはわたしたちがふだん暮らしている日常世界と切り離されてしまう。
林亨展の会場風景 そうなると、一般の人には、絵なんてどうでもよくなっちゃうんだな。たぶん。

 さいきん、「中・高校生のための現代美術入門 ●▲■の美しさって何?」(本江邦夫著、平凡社ライブラリー)という本を読んだ。
 書名には「現代美術」とあるけれど、じっさいには、「抽象画入門」とでもいうべき本で、おそらく日本でいちばん易しい抽象画の概説書だと思う。
 どうして抽象画が生まれてきたか、カンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチの3人をおもな柱に据えて、誕生の経緯をのべている。
 そこであらためて思ったのは、3人とも、純粋な絵画的美をもとめていただけではなくて、それぞれ深遠な哲学を持っていたということ。
 20世紀の合理主義におさまりきれない一種の神秘思想の反映としての絵画なのだ。
 また、後記印象主義−キュビスムという20世紀絵画史の本流に影響を受けたのはこの3人のうちモンドリアンだけである。
 しかし、筆者の印象では、キュビスム−米国の抽象表現主義という美術史のラインを引いた段階で、そうした神秘思想の部分などは捨象されてしまい、絵画の純粋性だけが強調されてしまうような気がするのだ。
 「ニューヨーク美術史観」では、マレーヴィチなどのロシアアヴァンギャルドはどうもうまく1本の線にあてはめられないので、あまり高く評価されていないのではないか(ドイツ表現主義などもおなじではないか)。そして、その史観の延長線上では、フランク・ステラのように立体的なものに走るか、あるいはポップアートやスーパーリアリズムのようにそうとうひねったスタイルとまわりくどい方法論によって「わしゃ、外部の具象物をかいてるんじゃないもんねえ」と開き直るか、それぐらいしかブレイクスルーの道はないのではないか。
 ふたたび、画面の外の世界との結びつきをつくりだすこと。それが、絵画復権へのいちばんまっとうな道だと思う。筆者の、これも開き直りかもしれないけれど。

 しかし、林さんはその開き直りの道をすすまない。
 イリュージョンが死滅したその地点でイリュージョンの再興を図ろうとしているように見える。
 そして、たとえばジャクソン・ポロックがいちばん高い水準で実現したオールオーヴァー性を、現代絵画のもっとも重要な本質として、維持しようとしているようにも見受けられる。
 なお、絵画であろうとすることの志。そこが、筆者の解明しなくてはならないところなのだと思う。

■第3回しかおいウィンドウアート(03年8月)
■02年の個展(画像あり)
■00年の個展(画像あり)
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