レトロな町並み73−谷根千


[2023年4月更新]
 41日から根津神社つつじ祭りが開催されています。4月中旬には、つつじが満開となり、平日も多くの人で賑わっています。境内には、つつじの鉢植え販売や衣料品他の露店が並んていました。散歩で足繁く訪れていますが、6時30分の境内ラジオ体操の終わった朝の時間帯や、本殿が閉門した夜の時間帯が静かに散策するにはお薦めの時間帯です。つつじ園自体のライトアップはありませんが、境内の照明が間接的につつじを照らして浮かび上がる光景は幽玄な雰囲気です。

 別の日に根津神社の近く、日医大病院前の和カフェ&ダイニング
「つつじ屋」に立ち寄りました。元々お蕎麦屋から珈琲店を経てリニューアルされた古民家風の店内では、焼き魚や数々の美味しいおかずの付いた御膳や、ビーフシチュー等、様々な美味しいランチを味わうことができます。
根津神社のつつじ
夜のつつじ つつじ屋


[2022年11月更新]
 11月8日の夜、442年に1回という皆既月食と天王星食を夜の
根津神社吉祥寺で見ました。天王星は肉眼で見れませんが、月食をはっきり見ることができました。夜の境内の月は神秘的で幽玄な感じでした。境内や住宅街等、老若男女多くの人が月を見て、写真撮影していました。
根津神社と月食 吉祥寺と月食
根津神社紅葉 吉祥寺紅葉
 
吉祥寺紅葉

 また、別日に紅葉の根津神社と吉祥寺を散策しました。静かに紅葉を眺めながら参拝しました。以下初めて訪ねたスポットも紹介いたします。

【朝倉彫塑館】
谷中にある朝倉彫塑館を訪ねました。日本近代彫塑界の最高峰と言われている朝倉文夫が住宅兼アトリエとして使用していた建物です。敷地全体が旧朝倉文夫氏庭園として国名勝に指定され、建物は国の登録有形文化財に指定されています。「墓守」「大隈重信候像」「仔猫の群」「時の流れ」など、朝倉文夫の彫塑作品を展示しています。朝倉文夫は東京美術学校を卒業した後、谷中にアトリエと住居を構え、現在の建物は1935年(昭和10年)に建てられたと言われています。コンクリート造りの高い天井の建物と展示室、屋上庭園や、奥にある和風木造建築と中庭の池のある庭園、昔ながらの館内はとても風情があります。

【下町風俗資料館付設展示場(旧吉田屋酒店)
1910年(明治43年)に建てられた旧吉田屋酒店の建物は、谷中で営業していた建物を移築したと言われています。言問通りの交差点の角、カヤバコーヒー店の向かいにあります。店内には酒類の販売に使う道具や資料が展示されています。

【根津カレー】
地下鉄根津駅近くの不忍池通り沿いにある根津カレーラッキーに立ち寄りました。台湾の魯肉飯とカレーを半分づつ盛った、あいがけカレーをいただきました。魯肉飯、スパイシーなカレーとも美味しくいただきました。店内には美大生や画家、漫画家の作品が展示されています。東京芸大や上野に近い谷根千エリアとあって、地域に根ざしたお店と感じました。
  
朝倉彫塑館
旧吉田屋酒店 根津カレーラッキー


[2022年4月更新]
 コロナ禍で中止されていた、根津神社つつじまつりが3年ぶりに開催され、4月初旬から始まりました。根津神社のつつじは、18世紀に5代将軍徳川綱吉が根津神社の社殿を造営した際、当時この場所にあった綱吉の兄・綱重の下屋敷につつじを移植したことが、始まりと言われています。その後戦災で被災した丘に新たにつつじを造営し、約50年前から毎年つつじまつりが開催されています。
 平日午後に外出の帰路立ち寄りましたが、普段閑散としている境内は混雑しており、参拝にも行列ができていました。近隣につき、夜また立ち寄りましたが、夜はいつもどおり閑散としていて、夜のつつじをゆっくり眺めました(ただし、神社本殿は17:00に閉門、本殿外の境内は夜も出入りできます)


 連休前半の週末、外出途中に再度立ち寄ったところ、境内は大混雑していました。参拝の列もつつじ見学の列も長蛇になっていました。ゆっくり見学・参拝するには平日の早朝、夕方等のほうが良さそうです。
根津神社のつつじ
夜のつつじ 夜の根津神社境内


[2022年3月更新]
 根津・千駄木にある夏目漱石旧居跡旧安田楠雄邸庭園の近辺を散策しました。
旧安田楠雄邸庭園  夏目漱石旧居跡

【旧安田楠雄邸庭園】
 森鴎外記念館にも近い、千駄木の高台にあります。このあたりは、かつて学者、実業家、文化人が多く住んだと言われています。邸宅と庭園は、「豊島園」創始者の実業家、藤田好三郎によって大正8年(1919年)に造られ、関東大震災後、旧安田財閥の創始者・安田善次郎の女婿、安田善四郎が買い取ったと言われています。大正・昭和期の山の手住宅の庭園、創建当時の邸宅が、残されています。

【夏目漱石旧居跡】
 
根津神社や日医大病院に近い場所にあります。現在は碑が立っているのみです。夏目漱石は、イギリスから帰国後の明治36年から3年間この場所に住んだと言われています。この間、東京大学・第一高等学校の講師として活躍する一方、処女作「我輩は猫である」を執筆し、その舞台となったと言われています。その後、「倫敦塔」「坊ちゃん」「草枕」等を次々に執筆しています。旧居家屋自体は「明治村」に移築され公開されています。


谷根千とは、台東区の谷中、文京区の根津・千駄木を指し、山の手の一角でありながら、昔ながらの下町の風情を残すエリアです。関東大震災や戦災の被害を免れたエリアも多く、昔ながらの建物が多く残っています。雑誌『谷中・根津・千駄木』が発行され、雑誌を置くお店の皆さんが雑誌を略称して「やねせん」と呼んだことから、この言葉が生まれたと言われています。自宅から徒歩圏内にある、このエリアを駒込・根津ページで何度も紹介していますが、改めて一周歩いて廻ってみました。

谷中には、徳川慶喜や横山大観など、多くの著名人が眠っている谷中霊園があります。桜の名所としても知られています。日暮里駅北口から谷中銀座へ向かう途中にある階段は、夕やけだんだんと呼ばれており、夕日や谷中銀座を望むことができます。谷中銀座は、狭い路地に様々なお店が並ぶ、昔ながらの商店街です。大正時代建築の町家に昭和初期創業したカヤバ珈琲店(創業者様がご逝去され閉店の後、有志により復活再開)は、谷中のシンボルとして賑わっています。
 また、寺院が多くあり、観音寺境内の南面にある、江戸時代に築造された土塀の
築地塀は、江戸時代にタイムスリップしたような風情があります。谷中銀座に近い、へび道は、かつて川のあったところが生活路地になっていて、くねくね曲がる道沿いの町並みは風情があります。

根津には、東京十社の一つに数えられる根津神社があり、つつじの名所としても知られています。コロナ禍で中止になっていますが、毎年つつじまつりが開催されていました。権現造(本殿、幣殿、拝殿を一体に作る構造)の社殿は、国の重要文化財に指定されています。
根津エリアには、1910年建築の石蔵を使用したうどん店「釜竹」や、明治時代の木造3階建て建築の串揚げ店「はん亭」等、趣ある食事処があります。

千駄木は、夏目漱石、森鴎外など、多くの文人が住んでいたことで知られており、森鴎外の旧居跡に森鴎外記念館があります。

根津神社  釜竹 はん亭  
へび道  築地塀 谷中銀座  ゆうやけだんだん カヤバ珈琲



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