レトロな町並み1−野外博物館 (明治村、北海道開拓の村、門司港レトロ)レトロな食事処13−明治村(文明開化の味を訪ねて)


 明治浪漫漂うレトロな町並みが再現されている北海道・東海・九州の見どころ を紹介いたします。

【明治村】 [NEW]
 愛知県犬山市の郊外にあり、1965年に開園しています。名古屋鉄道の犬山駅 からバスが出ています。全国各地にあるレトロな野外博物館の走りとも言えるもの です。やはり、恵まれた自然を活かして造られており、ハイキングを兼ねて楽しく 散策できます。明治期に建築された日本全国の貴重な建物が移設復元されています。夏のお盆シーズンには、「宵の明治村」として夜間も公開され、JAZZフェスティバルやビヤガーデン、花火等のイベントが開催されています。また、通年、各教会では結婚式を挙げることができるのも特徴です。

[2014年10月更新]
 約10年ぶりに明治村を訪れました。夏季期間中は「宵の明治村」というイベントが催され、一部エリアを除き、夜まで時間延長営業されています。また、その開催日は昼夜、男女問わず、浴衣着用だと1人500円で入場できます。 駐車場から「名古屋駅」まで歩き、SL牽引の列車で「東京駅」へ移動し、京都市電に乗り継いで正門近くまで移動しました。

 今回初めて、
大井牛肉店を訪れ、文明開化の味を楽しみました。正門からすぐの場所にある、大井牛肉店は明治20年(1887年)頃に神戸で開業したと言われているお店で、文明開化により日本に入ってきた牛肉料理を往年の姿で味わうことができます。昔ながらの2階建ての西洋建築の建物の2階の板の間で、美味しい牛鍋をいただきました。その後、村内を散策しました。

 SL列車、京都市電、バス乗り放題の乗車券を購入すると、村内を容易に何回も移動でき、とても便利です。最後は、駐車場に近い場所にある旧帝国ホテル正面玄関の2階にある喫茶室で、ゆっくり休憩して帰りました。

 
 SL列車  京都市電   大井牛肉店と牛鍋
 
 西郷従道邸  聖ヨハネ教会  三重県庁舎  三重県尋常
師範学校
     
 札幌電話交換局 千早赤坂
小学校講堂 
 北里研究所
本館・医学館
 品川灯台・菅島
灯台付属官舎
 森鴎外・夏目
漱石住宅
 西園寺公望別邸  呉服座  宇治山田郵便局
聖ザビエル天主堂 金沢監獄中央
看守所・監房
 帝国ホテル
中央玄関

(大井牛肉店)
岸田伊之助が明治20年(1887)頃、牛肉販売と牛鍋の店として神戸に建てたと言われています。洋風のデザインですが、和風建築も併用されているとのことです。玄関で靴を脱いで、和風の急な階段を上った2階が食事処になっており、現在も営業しています。昔ながらの板敷きの洋間でいただく牛鍋(すき焼き)は、とても美味しく、文明開化の雰囲気が味わうことができます。

(西郷従道邸)
フランス人・レスカスにより、明治10年代に建てられたと言われています。木造2階建て銅板葺で、館内には鹿鳴館や赤坂離宮で使用されたと言われる調度品が展示されています。

(聖ヨハネ教会堂)
宣教師でもあるアメリカ人建築家ガーディナーにより、日本聖公会京都五条教会として1907年(明治40年)に建てられたと言われています。

(三重県庁舎)
1879年(明治12年)の建築と言われています。  

(三重県尋常師範学校・蔵持小学校)
明治21年(1888)に三重県の尋常師範学校本館として建てられ、昭和3年(1928)に同県名張市の蔵持村に売却・移築され、蔵持小学校として使われていたと言われています。

(札幌電話交換局)
1898年(明治31年)に建てられたと言われています。防火の観点から石造で建てられ、1階はアーチ窓、二階は?窓を採用しているとのことです。

(千早赤阪小学校講堂)
1階が雨天体操場、2階が講堂となっているこの建物は、明治30年(1897)頃、大阪市北区の堀川尋常小学校に建てられ、昭和4年(1929)南河内郡千早赤阪村の小学校に移築されたと言われています。

(東山梨郡役所)
1885年(明治18年)に日下部村小原西(現山梨市)に建設された、山梨県初代知事・藤村紫朗の推進した「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風建築の1つと言われています。

(北里研究所本館・医学館)
八角尖塔のある木造2階建ての建物は、北里柴三郎が大正4年(1915)に東京の芝白金三光町に建てた研究所の本館と言われています。北里自身が学んだドイツの研究所にならい、ドイツバロック風を基調に新時代の様式を加味した建物とのことです。

(神戸山手西洋人住居)
木造総2階建の主屋と付属屋からなる住宅で、明治20年代(18871896)に神戸に建てられたものと推定されています。

(長崎居留地二十五番館)
日本の造船業の発展に寄与した、スコットランド出身のコルダーが居住していたと言われる洋館で、明治22年(1889)に造船所のある飽の浦を見下ろす高台の南山手に居を構えたとのことです。

(品川灯台)
フランス人技師レオンス・ヴェルニーらの設計により、明治3年に点灯されたと言われています。現存する洋式灯台では日本最古とのことです。

(菅島灯台付属官舎)
イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンらの設計により、明治6年に建てられたと言われています。灯台守の宿舎として使われ、三重県鳥羽市の菅島より移築されたとのことです。

(森鴎外・夏目漱石住宅)
明治20年(1887)頃に東京の千駄木に建てられ、空家になっていた住宅を、明治23年森鴎外が借家、1年余りを過ごしたと言われています。また、明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が借りて住んでいたと言われています。鴎外は、ここに移り住む年の1月、小説「舞姫」を発表、この家では「文づかひ」等の小説を執筆したと言われています。漱石は、この家で「吾輩は猫である」を発表したと言われ、文中に描写された家の様子は、この家の姿を写しているとのことです。

(西園寺公望別邸「坐漁荘」)
伊藤博文のあとを受け、政友会を率いて内閣を組織した西園寺公望が政治の第一線から退いた後、大正9年(1920)に静岡の興津の海岸に建てた別邸と言われています。「坐漁荘」の名は"なにもせず、のんびり坐って魚をとって過ごす"という意味がこめられていましたが、実際には最後の元老として政治的影響力を持っていた西園寺の別邸には、しばしば政治家が訪問していたとのことです。

(呉服座)(くれはざ)
1892年(明治25年)に大阪府池田市に建てられた、木造2階建杉皮葺きの芝居小屋です。歌舞伎や芝居の他、演説会場としても使われたとのことで、現在も公演等イベントが開催されています。

(宇治山田郵便局)
1909年(明治42年)建設の木造平屋建銅板葺の郵便局舎です。三重県伊勢市(旧 宇治山田市)の伊勢神宮外宮前にあったもので、現存する唯一の明治時代の木造郵便局舎と言われています。明治村内の簡易郵便局として営業しています。

(名古屋衛戍病院)
明治11年(1878)に建てられた洋式大病院の典型的な形式で、かつては6棟の病棟が中庭を囲んで配置されていたと言われています。現在明治村には病棟1棟と管理棟が保存されています。

(聖ザビエル天主堂)
かつてザビエルがいたことのある京都に、明治23年(1890)に建てられたカトリックの教会堂で、レンガ造と木造との併用で造られています。

(金沢監獄正門・中央看守所・監房)
明治40年(1907)に建てられた洋式舎房と言われ、八角形の中央看守所を中心に、左右及び正面奥と左右斜め奥に5つの舎房が放射状に配されていたと言われています。正門と中央看守所、第5舎房の一部だけが保存されています。

(帝国ホテル中央玄関)
フランク・ロイド・ライトの代表的作品(関東大震災と同年の1923年竣工)として知られています。1967年に取り壊され、1985年に移築再建されたと言われています。館内には喫茶室があります。




聖ヨハネ教会堂

学習院長官舎

西郷従道邸

西園寺公望別邸

宇治山田郵便局

帝国ホテル中央玄関

蒸気機関車

京都市電

(聖ヨハネ教会堂)
 明治40年、京都の河原町通りに建てられた教会で、中世ヨーロッパのロマネスク様式を基調に、ゴシックのデザインを交えた外観になっています。1階がレンガ造り、2階が木造で造られています。
(学習院長官舎)
 明治42年に建てられたもので、洋館と和館とをつなぎ合わせた形式になっています。公的な場では洋式が採用され、私的な生活には和式が採用されたという当時の文化を象徴するものとなっています。
(西郷従道邸)
 西郷隆盛の弟、従道の邸宅として、明治10年代に建てられたもので、本格的な洋館建築となっています。
(西園寺公望別邸)
 西園寺公望が政治の第1線を退いた後、大正9年に静岡県の興津の海岸に建てた、木造和風建築の別邸です。
(宇治山田郵便局)
 明治42年に建てられた木造建築で、中央の円錐ドームの屋根と、左右の小ドームの載る角塔が印象的です。
(帝国ホテル中央玄関)
 大正12年にアメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトによって建てられた、レンガ型枠鉄筋コンクリート造りの建物です。

この他、村内には、明治時代の京都市電と、蒸気機関車・木造客車が保存され走っており、観光客の足としても活躍しています。


【北海道開拓の村】
 札幌市の東の郊外、野幌森林公園にある野外博物館で、1983年に開園して います。JR函館本線の森林公園駅からバスが出ています。54ヘクタールの広大 な自然の中に、明治・大正時代に建築された北海道の建物が移設復元されています。 市街地・農村・漁村・山村の各エリアに、北海道開拓時代の町並みが自然とともに 配置され、レトロな雰囲気満点です。原生林の中、ハイキングを兼ねて楽しく散策 することができます。入門ゲートのある旧札幌駅停車場から入り、旅館・写真館・ 商店・新聞社等があり、道路を馬車鉄道(写真)が走る、市街地を歩いていると、明治初期の北海道へタイムスリ ップした気分になります。


北海道開拓の村


【門司港レトロ】
 北九州市にある、JR鹿児島本線の門司港駅周辺は、「門司港レトロ」と呼ばれ、 明治大正期の貴重な洋館建築が立ち並ぶエリアとなっています。北海道開拓の村や 明治村のような野外博物館にはなっていないので、入場料はいらず、自然な町並み を気軽に散策できるのが特徴です。門司港は明治22年に開港し、昭和17年に 関門トンネルが開通するまでは、九州の玄関口、または大陸貿易の拠点として 大変栄えました。その玄関であるJR門司港駅の駅舎(写真)は、1914年に建築された 木造駅舎であり、ヨーロッパの駅舎をモデルにしたルネサンス様式の建物です。 何といっても「現役駅舎」であることが他の野外博物館やレトロ建築と異なり、 非常に貴重な存在です。駅自体が日本では珍しいターミナル(行き止まり)駅 となっているため、レトロなヨーロッパのターミナル駅の雰囲気が随所に現れて おり大変魅力的です。   →門司港レトロの詳細紹介ページはこちら


門司港レトロ

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