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9月26日(月)
25日にやっとまる1日休日をとることができた。
20代のころはべつに10日や20日、休まなくても平気だったけど、さすがに最近はそうも言っていられなくなった。
リンク集をちょこちょこ手直し・追加。
追記:とくに深い理由もありませんが、いちばんトップの絵を、八雲で撮った写真に変えました。
9月24日(土)
なんだよこの忙しさ。
生まれてからいままでで、いちばんつかれたような気がする。
12日から18日までの1週間で全道版原稿を4本も書かされた。
通夜も13日と20日に行った。
たとえば13日は、朝、長万部町議会に行き、昼間は八雲から20キロ山奥にある温泉旅館の落成式に出かけ、午後に公民館をのぞいた後、夕方ふたたび長万部の図書館で、古書展などの取材。
14日。
午前中八雲町議会を傍聴、予想に反して昼前に終わらず、午後も傍聴して、議員全員の顔写真を撮り、役場で「くらしの便利帳」の取材をしてから、午後3時に長万部の道路公団事務所でアスファルトプラントの話を聞き、とんぼがえりで、4時から「日曜トーク」用に85歳男性へのインタビューを行い、5時分から議員、町職員との懇親会である。車を走らせている間中、胸がごんごんと痛む。
15日。
朝8時半から落部のみこし海上渡御。漁協の専務が
「船に乗ってってよ支局長」
と言うので、遠慮せず漁船に乗り込む。すばらしい晴天。駒ケ岳も羊蹄山もくっきり見える。海の上は最高に気持ちよい。
宮沢賢治じゃないけど「ああいいな、せいせいするな」の気分。海上にいる間だけは心臓も痛まない。
船の上から組合長らが酒や米を撒く。
落部は八雲町の一地区だが、半世紀前まで「落部村」で、八雲町とは別の自治体だったので、いまでもこと漁業に関してはライバル関係にある。
おもしろいのは、どちらも、若い後継者がたくさんいること。じぶんが乗った船の船主も10代だ。過疎化、後継者不足という、道内の漁村でもよくあることばはここではほとんどきかれない。
17日は土曜。
少し休めるかと思ったが、交通事故が起き、しかも道議が辞職の意向をしめして補選になることが確定的になったのでその取材。
18日は入院中だった現職の八雲町長が死去し、その死亡記事と関連記事の取材と執筆。その合間に空手大会を取材し、講演会を聴きに行く。
19日。
休み(敬老の日)だったが、父親が手術、入院したので札幌まで車を飛ばして見舞いに行った(ハッキリ言って筆者より元気だった)。
札幌では美術展を見られなかった。
倶知安の小川原脩記念美術館でひらかれた野外彫刻展に立ち寄った。彫刻家の加藤宏子さん(札幌)が
「ヤナイさん、げんきないんじゃないですか。もう会えないかと思ってた」
と言う。そうか、それほど体調悪そうにみえるのかな。
地元の陶芸家の林さんはおげんきそうだった。
展覧会は「あーとだいありー」参照を。
15日途中からと16日、20−22日、詳細略。
夜も取材があり、原稿を書いている時間がないので、早く起きて執筆する。
23日。秋分の日。
午前中は八雲町立浜松小学校の100周年記念式典(式辞、祝辞などあいさつ合計7本。子どもたちはだまーって聞いてたけど)を取材した後は、ひたすら爆睡。ついでに腹下す。まあ、事実上14日ぶりの休日となった。
24日もいけばな展の取材あり。
昼ごろ、70歳女性が踏切で特急にはねられ死亡する事故発生。ぎりぎりで夕刊に突っ込む。
ともあれ、24日夕方になって、やっと新聞を読んだり、プロバイダのサポートセンターに電話する時間ができた。メール開通。ご迷惑をおかけしました。
9月16日(金)
週明けから仕事のあらし。
きょうは朝5時から原稿を書いているが、まだ処理しきれてない。
あすもあさっても仕事。
加藤D輔くんのサイト(写真)が閉鎖になった。
mariさんのサイト(絵画の感想・データなど)はBBSが休止したまま。
洞内麻希さんのサイト(絵画)はどこへいっちゃんたんだろう。
なんというか、諸行無常である。
14日の午後からメールがとどかない状態がつづいている。サーバのエラーとか表示されるが、いったいなんなんだろう。
ご迷惑をおかけします。
9月12日(月)追記
ホワイトバンド、祭りになりそうな予感。
まあ、あんなもん、ちょっと考えれば偽善だってわかりそうなもんだけど。
9月12日(月)
更新さぼりまくり。すいません。
あーとだいありーを更新しました。
11日投開票の総選挙は、自民党の歴史的な勝利に終わった。
一言だけ感想を書いておくと、やはり小選挙区は欠陥の多い制度だな、と思う。
NHKの出口調査によると、無党派層のうち、実際にどの党の候補に入れたかという質問については、前回の衆院選も今回も、民主党が最も多かったという。
ただし、今回は、自民党に入れた人が、前回を10ポイントほど上回って、民主党に近づいたのだという。
いくら無党派層が多いとはいえ、全体の半分程度だろう。その中の10ポイントほどの動きが、かくも大きな変動につながるというのは、どんなものか。
11日は、創建200年を迎えた町内山越地区の由追(ゆい)稲荷神社で、松前神楽を2時間半も見ていた。
こんなにじっくり神楽を見たのは初めて。
北海道は明治になってから開拓が本格化したので、神社でも市町村でもせいぜい120年程度しかたっていない場合が多い。
「200年」と聞いただけで、なんだかすごい歴史だなと思ってしまう。
9月6日(火)
あーとだいありーを更新しました。
8月13日に見た展覧会の感想の一部です。
4日のつづき。
この日は八雲町立図書館で「図書館ひろば」がひらかれていたので、古本市をのぞいてきた。
昨年も書いたが、八雲と長万部の図書館の古本市は無料である。
河出書房新社が出していた「カラー版世界文学全集」のうち「世界名詩集」「バルザック」「カフカ・サルトル」と、小学館の出していた日本古典文学全集のうち「万葉集」全4冊、「古事記・上代歌謡」「歌論集」「夜の寝覚」をいただいてきた。
上記のうち「バルザック」は「姉妹ベット」と「金色の眼の娘」から成っており、いずれも文庫本では入手不可能か入手困難な作品なので、ちょっと得した気分。
もっとも、いまは藤原書店から立派なバルザック作品集が出ているので、読むことじたいはさほどむずかしくない。
バルザックは19世紀なかばに活躍したフランスの文豪で…と書くと、なにやら硬そうだが、読んでみるとじつにおもしろい。とくに「ゴリオ爺さん」は、小説を愛するすべての人に自信を持ってすすめられる。岩波文庫と新潮文庫に入っている。
ところで、1960年代から70年代にかけて、日本人は熱心に文学全集のたぐいを購入したものだ。
もちろん、「買った」からといって「読んだ」とはかぎらない。どうやら、居間のインテリアとかんちがいしていた向きも多かったようで、筆者が図書館からもらってきた本も、まったく読まれた形跡がないのだが、ともあれ、くだらない本ばかりがベストセラーのリストにならび、活字離れがさけばれる昨今から見ると、読まずに買っておいただけでも、かつての日本人はえらかったものだと、かびくさいページを剥がしながらしみじみ思う。
以前にもかいたけれど、これらの全集類は、古本屋でもまったく売れないらしい。
「カラー版世界文学全集」の出た1969年当時は、好評につき12冊を続巻として発売したほどだったのだが。(38プラス12+別巻2の、全52巻だった)
それにしても「世界文学全集」の帯には「世界ではじめてのカラー版」とうたっているのだが、挿絵をカラーにすることに、なにか意味でもあるのだろうか。
9月4日(日)
おくれましたが、「スケジュール表」を、9月のものに更新しました。
新聞各紙が、衆院選の選挙戦最終盤の輿論(よろん)調査を掲載。いずれも自民党の大勝を予想。北海道新聞と毎日は、当地にくばられる版ではまったくおなじ主見出しだった、いわく「自民 単独過半数の勢い」。
9月1日(木)
暑い日がつづく。
ときおり雨もふるが、かならず夜間なので、筆者は8月9日以来傘を差していない。
8月31日の北海道新聞によると、丸善札幌南一条店が10月半ばで店を閉め、苗穂駅裏に建設中のショッピングセンターに11月から移転するとのことである。
以前、パルコブックセンター冨貴堂の閉店のときにも書いたが、この附近はかつて、札幌の一大文化ゾーンであった。
丸善自体、福澤諭吉のすすめで明治時代に洋品輸入店として出発し、近代の日本人にとって店の存在そのものが西洋とか欧風を感じさせるものであったことは、梶井基次郎「檸檬」などにも明らかだが、そのことはきっと多くの人が指摘しているだろうから、ここではこれ以上述べない。
ただ、札幌南一条店も、舶来のネクタイや洋服を扱うフロアが現在まであるのが丸善らしさだと思う。
かつて南1西4にあった維新堂も80年代半ばに閉店し、これで、大通地区に残るのは、維新堂がファッションビル「4丁目プラザ」内に移転したのとほぼ同時期に地下鉄大通駅と直結する形でオープンした「リーブルなにわ」のみになってしまう。
(※追記 すんません。PIVOTブックセンター、忘れてました)
筆者の丸善札幌南一条店のもっとも古い思い出は、1960年代末だと思うが、午後3時ごろだというのに職員がシャッターをがらがらと閉めている情景だ。
労働組合がストライキに突入したのだった。
報道にもあったように、細長いビルが書店経営にとってあつかいにくかったことは確かで、近年になっても、従来型の書店ではメーンのフロアにある文芸書を地下に下げ、1階を実用書や雑誌、文庫で埋めるという思い切った模様替えにとりくんでいた。
丸善札幌南一条店は昔から、洋書の美術書を多く取り扱ってきた。
同店は、80年代までフランス語の本をほとんど置いていなかったし(最大の理由は北大に仏文がなかったこと)、いまでも洋書の品ぞろえが十分とは言いがたい。
しかし、いくらアマゾンがのし上がってきたからといって、実物を手にとってえらべる洋書店がほとんどなくなってしまうのは、残念だ。
パルコのアートロゴスも洋書の美術書を多くあつかっていたが、すでにないし。
これは、かなり由々しき事態だと思う。
8月30日(火)
今回の衆議院選挙は、読みづらい。
手みじかに書くと、小泉首相の人気はけっこう高いみたいだ。 ただ、それが、個々の選挙区で、自民党候補の票につながるかどうかは、よくわからない。
民主党の選挙は、とくに都市部においては「アマチュア的」で、きちんと票を読んで投票日に臨むのではなく、浮動票頼みだとよくいわれてきた。
有権者の関心が低い補選でことごとく敗れているのがその証左だというのである。
今回の選挙は、各種輿論調査で「選挙に行く」とこたえる人が多い。浮動票が、これまでとことなり、自民党や、新党日本の候補に流れる可能性もある。しかし、浮動票とは、実は、政治的な意識のけっして低くない人の票であり、ワイドショー的な騒ぎに惑わされてなんとなく自民党に入れるとは限らない−という見方も成立しうる。
冷静に考えると、郵政民営化法案をめぐって自民が分裂した選挙区は、民主党に有利になっているのである。
また、小選挙区は、前職有利の傾向が強い。
そうやって議席を計算していくと、自民が前回より減らし、民主が増えるということになる。
しかし、小泉首相は、票が割れる目減り分をじぶんの人気と信念でじゅうぶんカバーできると思ってるんだろうし。
8月25日(木)
TOPICSや「スケジュール表」のほうはちょこちょこっと更新しているのですが、「つれづれ日録」は腰をすえて書く余裕がない。
八雲はここ3日ほどとても好天がつづいている。プリンをさかさまにしたような羊蹄山もはっきり見えている。
駒大苫小牧の話はあとからややこしくなってしまった。
それはそうと、24日のNHKニュース7でトップだったというのは、なんだかなあ。ほかにニュースないのか。
8月19日(金)
夏の高校野球大会の準決勝、駒大苫小牧対大阪桐蔭の試合を、テレビで途中から見た。
感想は、ひとことで言うと
これが高校生の試合かよ!
というものだ。
高校生の試合がこんなにレベルが高くていいのか。
大阪桐蔭の辻内投手がびしびしと140キロ台の速球を投げ込む。駒大の選手はその速さに驚きながらも、次にストレートが来た段階ではちゃんとファウルでカットしてしまう。そうしたら、桐蔭の捕手は、同じようなコースにカーブを放らせて、駒大の選手のタイミングをはずして三振を取る。
こういう水準の駆け引きが普通に行われていることに、筆者は驚いた。
負けじと駒大の田中投手も、140キロ台のストレートに加え、130キロ近いスライダーで相手を翻弄する。追い込んでから、あるいは3塁に走者がいても、平気でフォークで勝負する。ストライクとボールの区別がはっきりしたかと思えば三球三振を取る。これじゃ簡単には打てないよ。
めったやたらと速いのは投球だけではない。一般的に、おそらく高校生(やアマチュア)とプロの野球で最も違うのは打球のスピードではないかと筆者は常々思っているのだが、両校の打球はいずれも高校生離れしたスピードだった。九回の土壇場で五十嵐三塁手が強襲安打を許したのも、延長十回に駒大の選手が本塁で憤死したのも、打球が速かったのが背景にある。
この試合で「高校生らしさ」が見えたのは、おそらく二回の桐蔭の守備だけではなかったか。結果論だが、バント処理のミスと悪送球がなければ桐蔭は逆転勝ちしていたのだ。駒大苫小牧は、胆振地区の予選から南北海道大会を経てこの準決勝にいたるまで、失策が一つもない。これは、「守りが堅い」などと形容する段階をもはや超越して、驚異的としか言いようのないことだ。つーか、まじありえねー。ありきたりな結論だけど、この守りが、二校の明暗を分けたのではないか。
ほかにポイントを挙げれば、昨日3本塁打を放った4番の平田選手を完全に封じ込めたこと。また、駒大苫小牧に「休養日」があったのに対し、大阪桐蔭は連戦になったことだ。
辻内投手の立ち上がりが本調子でなかったのも、連投のためだろう。もっとも、投げ込むうちに球がどんどん走ってくるのだから、まさしく化けものだが。スタミナも化け物。
さすがに、この点では田中投手は辻内投手に一歩譲る。香田監督は田中投手を、ほんのちょっとだが、引っ張りすぎた感がある。もっとも香田監督は、「エースと心中」みたいな非合理的な采配は、ぜったいにしないわけで、そこが駒大苫小牧の強さであるのだが。
筆者は、第1試合はダイジェストでしか見ていないが、投球、打球の速度は、普通の甲子園レベルだった。
要するに、準決勝第2試合が、今大会の事実上の決勝戦だったわけだ。普通に行けば、駒大苫小牧の連覇は動かないだろう。もちろん、ここまで鉄壁の守りと勝負強い打撃という総合力でのりきってきた駒大ナインが、連覇を意識して浮き足立たないという保証はないし、何が起きるか分からないのが勝負の世界であるのだけれど。
最後に平田選手が打席に立った場面は、昨年の甲子園の最後の打者が、済美の鵜久森選手(現日本ハム)だったことを思い出させた。
鵜久森はセカンドフライだったが、平田選手は三振だった。
しかも、外角低めぎりぎりいっぱいの変化球に対して、中途半端に振って、ハーフスイングをとられたのだった。吉岡投手が、主審の判定を聞くまで笑顔を見せなかったところから判断すると、あれはボール球だったのだろう。
どうして平田選手は、持ち味のフルスイングをしなかったのだろう。おなじ三振なら、空振りのほうがずっと後味がいいのではないか。
しかし、おそらく、人生とはそういうものだろう。誰が責めなくても、平田選手はこの先ずっと自分を責め続けることになるだろう。空振り三振に終わった場合の何十倍もの強度と頻度で、あの瞬間を、苦い思いとともに振り返ることになるだろう。
コンマ秒単位で決断を迫られる世界は、残酷である。
だが、多かれ少なかれ、わたしたちも、そういう世界に生きている。
8月18日(木)
16日は、黒岩漁港で、灯篭流し。
そのあと、遊楽部川岸で、花火大会。主催の八雲観光協会長が「こんなに晴れた花火大会は珍しい」と話していた。
八雲の花火は2年に1度なのだ。
17日午後、函館で衆院選の打ち合わせ。
会社のテレビで、夏の高校野球・駒大苫小牧−鳴戸工戦を、7回から見た。
1−6とリードされていて、さすがにこれはだめだと思ったが、大逆転。林君が絶好の球を見逃した後、ツースリーから2塁打を打つわ、ぜんぜんタイミングの合ってない4番の打球がセンター前にぽとりと落ちるわ、相手のショートがタイムリーエラーをするわで、これほどツキも味方にして打ちまくったのは、すごかった。
ふと下を見ると、日付は15日だが、終戦60年目だというのに、なにもふれていないというのは、いかがなものかと、われながら思う。
しかし、あすは早いので寝る。
8月15日(月)
「絵画の場合」展のギャラリートークのため、13日から札幌へ。
昨年、異動と「場合」展がほとんど重なってしまい、やはり2年連続のドタキャンはまずいだろう、ということで。
じつは、13日は函館で選挙対策会議がひらかれていた上に、筆者の家族と父母は「ドラえもん海底列車」に乗りに行った。
筆者は、仕事も家族サービスも放棄して、ひとり札幌に乗り込んだのである。アホですかね。
父母の家に泊まったのだが、携帯を家に忘れてしまい(しかも、家には誰もいない)、まったく自分のアホさかげんに言葉もない。
帰ってきてみたら、八雲は30度突破。暑い…。
書きわすれていましたが、8月5日に、目次ページのアクセスが18万件に達しました。
みなさまのおかげです。ありがとうございます。
8月12日(金)
花火大会に写真を撮りに行ったら、曇りで16日に延期になってしまった。
8日のテキストは、新聞社の社員という立場上、選挙後まで封印しておきます。
8月9日(火)
先週は、大雨のため寝台特急が長万部町内でストップしたり、10月の合併時に八雲で町長選が行われることが決まったり(現職が病気で不出馬)、やたらといそがしかったような気がするのだが、さきほど勤務表でたしかめてみたら、1−7日の1週間の労働時間は計66時間にすぎないことがわかり、あらためて自らの体力のなさを痛感している。
しかし、いくら筆者の頭が悪くて、しかも行動力にとぼしいとはいえ、それを週66時間労働でおぎなわなくてはならないのか、と自問すると、もう41歳なんだからカンベンしてくれよ、ということばが口から出てきそうになってくる。
ほんとうはやらなければならない仕事は山のようにあるのだが、これ以上やっても集中力がつづかないし、きょうは切り上げようと思う。
しんじられないほどかんたんなことばが、思い出せそうで思い出せない。
きょうは「ハイブリッドエンジン」ということばが出てこなかった。
もうアルツハイマーですな。
8月8日(月)
ほんとは、こんな文章書いているヒマはないのだが、投票日が「9・11」なので一部で不謹慎な表現ながら「小泉自爆テロ解散」と呼ばれている今回の解散・総選挙が、歴史的な選挙になるかもしれないので、書きのこしておこう。(総選挙まで一時封印します)
というのは、1955年以来、細川・羽田政権のときをのぞいてほぼ一貫して政権の座にあった自民党が下野する可能性が出てきたからだ。
わたしが思うに、自民党というのは、なにか旗印があって、それに賛同する政治家と党員があつまっているのではなく、「与党である」というのがほとんど唯一の存在理由なのである。言い換えると、自民党に所属している代議士などは、党の方針に共鳴したからというよりもむしろ、自民党が与党であり、ずっと政権を担当してきているから所属しているのではないだろうか。
昔、選挙の取材をしたとき、自民候補の事務所に行くと、そこにたむろしているのは、だいたい土建業者のおやじであり、電話番として業者に勤めている女性がいたりした。自民党の政治家は、国家理念とか大きなプランに乗っ取って政策を立てるというよりも、業者間の利害調整のために存在するようであった。その調整の頂点に君臨してきたのが、田中派であった。
では、国家的な計画は誰が立てて実行するのかというと、官僚である。
ついでにいえば、社会党の候補の事務所にいるのは、かつての全林野の組合員とか、国労や北教組の活動家であった(自治労は、組合員数ではもっとも多いのだが、あまり熱心ではなかった)。この時点ですでに、炭労も国労も全林野もほとんど過去の存在だったから、社会党の行く先は見えていたようなものだった。
土建業者は仕事(=公共工事)がほしい。
だから、公共工事をたくさん持ってくる政治家が良い政治家であるとされた。
公共工事ではかなりの部分、談合が行われている。つまり、税金が余計に業者に支払われているわけであり、その余計な分は、献金とか、電話番の提供といったかたちで政治家に還流していた。
この図式だと、社会党など野党の入る余地がなさそうに見えるが、かつての国労のストや春闘などは、どこらへんで妥結するかを、労働団体と自民党のトップが密談して決めていた。また、国会においては、社会党などが欠席戦術をとっても、裏では国対(国会対策委員長)どうしが連絡をとって、妥協点をあらかじめ決めていたのである。
かつては、与党政治家は利害調整をもっぱらしていても大丈夫だったのかもしれないが、1990年代は、税収が増えないのに公共工事ばかり増やしたものだから、国も地方もあっという間に借金漬けになった。いま、地方公共団体の懐具合はたいへんなことになっている。これは、地方が勝手に大盤振る舞いしたためというよりも、国から「景気対策のために地方も借金をせよ」と迫られたためである。
本年度は、多くの町村で、自治体発注の工事がごくわずかになっている。無い袖は振れない。本州のように民需があるところはまだいいが、公共事業に依存してきた北海道の土建業には厳しい時代になった。
調整型の政治は終わりつつある。小泉首相と竹中氏は、利害を調節するのではない、もっと業者どうしが激しくぶつかり合うような荒々しい資本主義経済の復活を目指しているように見える。
また、自民党内にも、金丸−野中と続いてきた「影の調整役」が不在となり、誰に聞けば「落としどころ」の見当がつくのか、まったく分からなくなっている。
といっても、じゃあ民主党が、いままで延々とつづいてきた利権構造に代わる新たなプランを持っているかというと、正直なところ、よく分からない。
ひょっとすると民主党のほうが、弱者きり捨ての「合理的」な経済運営をしてくるかもしれないし。ちょっと予想はしづらいところだ。
霞が関の官僚は、「あうんの呼吸」で自分たちの意見を通してくれる自民党のほうがやりやすいだろう。
だいたい、民主党の選挙というのが、調整型時代の、一票単位まで票を読む選挙ではなく、「風」だのみ、「ムード」だのみの選挙なのである。一部週刊誌の大勝予測に浮かれていると、運動が上滑りして、思わぬ低投票率に泣くことになるだろう。前回と同様、投票率が低ければ低いほど、公明党の基礎票を持った与党側が有利になる。ただ、公明党がどこまで自民党に義理を尽くすかどうかも、いまの時点ではなんともいえない。
しかし、もし自民党が下野して民主党政権が一定の安定を見せるような事態にでもなれば、わたしが最初に提示した図式からして、自民党は、その存在意義をかなりの程度まで失うのである。
散漫な長文、失礼しました。
8月2日(火)
7月31日は、東川賞のパネルディスカッションなどを聴きに行くつもりだったが、どうも体調が悪く、断念。
熱を測ってみたら、37度4分。
やれやれ。
この日から3日間連続で、霧と雨の、陰鬱な空模様がつづいている。
きょうは最高気温が20度に達しなかった。
札幌では「絵画の場合」展が始まっただろう。
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