2005年7月
7月28日(木)
あーいそがしい。
新聞記者みたいだ。
ひさびさに「あーとだいありー」を更新しました。
本郷新賞の発表です。
7月25日(月)
くもり。
夕方まで支局にこもって原稿書きなど。夕方、体育館や公民館などで取材。
12時間ほど労働。これくらいだと、それほど疲れてもいず、まずまず働いたなあと感ずる。
さいきん突発的な事件や事故がないのも助かる。
ひさしぶりに時事的な話題を書く。
郵政法案が政局になりそうだ。
「政局になる」というのは、衆院解散・総選挙だとか、政治情勢がうごく、っていうことである。
郵政民営化をいまいそいでやる必要性は、小泉さんがやりたいという以外に見当たらないから、個人的には民営化にあまり賛成できないが、さりとて民営化法案が参議院で否決されて、総選挙になるのも忙しくなるからめんどくさいのがほんとのところ。
新聞記者が「選挙の取材、面倒くさい」と言ってはいけないと思うが、八雲町はこの秋、合併と同時に町長選、町議選があるので、べつに衆院選がなくても筆者の仕事はじゅうぶんあるんだってば。
郵政法案の陰に隠れたかっこうで、「障害者自立支援法案」が衆院を通過した。
障碍者に、サービスの「1割負担」を求めるというのが内容らしい。
なんか、「日本は先進国です」っていうのが恥ずかしくなるというか。
くわしくは、swan_slabさんのblogに載っているので参照してください。
筆者は勉強不足で、たいしたことはいえないが、高齢者福祉と障碍者福祉の「応分の負担」は、絶対に違うというのはわかる。
高齢者は、高齢者になる前にお金をためている人がけっこういるので、応分の負担を求めても大丈夫なことがある。
障碍者は、どだいいまのせちがらい社会で、障碍を持たない人とおなじペースで金をかせぐのはむずかしいワケで、授産施設とかで必死に働いているところから何千円とか何万円とか国がまきあげていくということ自体、もう信じられない暴挙としか、筆者には思えない。
当の障碍者の間では「障害者自立阻害法案」とよばれているらしい。
話題三つめ。
日テレが放送をネット配信するとか。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20050719&j=0029&k=200507191601
日本テレビ放送網は19日、番組をパソコン向けにインターネットで有料配信する会員制サービス「第二日本テレビ(仮称)」を、10月をめどに始めると発表した。会員数は100万人を当面の目標とし、ネット専用番組を制作するなど映像コンテンツ(情報の内容)の充実を図る方針だ。入会金は無料。日テレのホームページを通じて第二日本テレビの画面に入り、好みの番組を選んで視聴する仕組みで、当初はバラエティーやニュースなどを取りそろえる。1番組当たり3−15分に設定し、価格は「100円をめどに幅を持たせたい」(幹部)という。広告付きの配信もする。
しかし、この記事、著作権のクリアについて、なにも書いとらんなあ。
よーするに、ホリエモンが言ってた「放送と通信の融合」が、そうカンタンには実現しない要因は、べつにテレビ局が時代遅れだとかそういうのではなくて、著作権なんだよな。
昔、ドラマに出た俳優や、演出家や脚本家は、もちろんドラマがネットで配信されると思ってなかったから、もし配信されてテレビ局がもうけたら
「取り分よこせ」
って話になるわな。
その調整って、じつにめんどくさい。
さいきんの映画だったら、2次使用権まで考えてカネのやりとりしてるから大丈夫なわけだが。
もうひとつ、さいきんのテレビ局には「HDDショック」ってのがあって、ハードディスクつきのテレビが増えてるんだけど、そのテレビで番組を見てる人って、半分以上の人がコマーシャルをとばしてるということが最近の調査でわかった。
民放にとって、いうまでもなくコマーシャルは収益の最大の柱だ。
われわれがタダでテレビを見られるのは、トヨタ自動車(以下、大企業名は任意)や資生堂などが電通や博報堂を通してテレビ局に年間何億円というお金を出しているからだ。それは、松下電機産業や武田薬品が、テレビコマーシャルは効果がある、と考えているからである。
ところが、じつはかなりの人がコマーシャルをとばしてたってことがばれたら、麒麟麦酒や富士フイルムは、テレビではなく、もっと対象を絞り込めるメディアに広告を出すようになるだろう。
民放、とくにキー局が、すごくむつかしいところにきていると思うのは、もうひとつ理由がある。
地上波デジタルへの切り替えだ。
業界では「地デジ」なんて言ってるけど、いちおう2011年にはいまのテレビはうつらなくなるっていうスケジュールになってる。
ムリだって。
いまのテレビは、老人一人暮らし世帯などでも必需品といっていい。
そういうばあちゃん、じいちゃんが、いきなり6年以内にテレビを買い換えて、ややこしいリモコン操作に習熟するか。
全国の地方局が、津々浦々の難視聴地域に、6年以内に地上波デジタルをきれいに見られる設備投資をするか。
ありえない。
最初は、テレビ発展の図式を描いてたんだろうけど、むしろ今では、切り替えと同時に大規模な「テレビ離れ」(少なくても「地上波テレビ離れ」)が起きちゃうんじゃないかという気さえする。
で、21日に発表されたのが、地上波デジタルのコンテンツ(番組)を、インターネットで、難視聴地域などに配信しようって構想だ。
ただちにわきおこる疑問その1。
ネットで配信できるんなら、わざわざ放送設備の更新なんてしなくても、全国でそうしちゃえばいいんじゃないの?
疑問その2。
ADSLなどの高速ネット環境が未整備なところとテレビの難視聴地域って、すっごく重なってないか?
おっと、すごい長文になったので、つづきはいずれ。
7月24日(日)
ひええ。更新、9日ぶりかあ。
ちょっとさぼりすぎた。すいません。
表紙とスケジュール表の更新だけで3時間半もかかってしまった。ためこんでいたせいだと思う。
ごく手短に書く。
16日は多忙。
17・18日は体調悪く、仕事はサボる。
19日は夕方まで仕事。それから、会社の労働組合の定期大会に出席のため札幌へ。
夜、Sさんと雑談。
20・21日が組合の大会。
空いた時間でギャラリーまわり。
21日夜の特急で八雲に戻る。
22日から再び仕事。
胸の動悸がおさまるかわりに、微熱が復活。23日夜は37度。
23、24日とも、八雲にはめずらしい好天。
家族サービスしたり取材したり、会社の書類の片づけをしたり、しかし、なかなか原稿はすすまない。
7月15日(金)
きょうのきょうまで、ライジングサンロックフェスティバルが8月12、13日だと思い込んでいた筆者。_| ̄|○
夏休みの予定がたたないぞ。
それにしても、昨年の夏はわれながらよく働いていたと、スクラップを見ながら思う。
2度の大型交通死亡事故、颱風、五輪(八雲出身の選手が出場)などなど。もうあんなに仕事できないんじゃないかと思ったりする。
7月14日(木)
午後から動悸がして、仕事にならん。
ので、話題ひとつだけ。
googleが地図サービスと、ローカルサービス(下記リンク)の試験運用を始めた。
http://local.google.co.jp/lochp?promo=JP-HP1-local
いまのところ、「札幌市」と「ギャラリー」で検索しても、なんだか意味のよくわからない結果しか出てこないが、そのうち精度が上がってくるのだろうか。
それにしてもgoogleの拡張ぶりはすごい。
このままでは、人力によるディレクトリ型の検索サイトの大半は、よほどがんばらないと、駆逐・淘汰されてしまうのではないか。
もうひとつだけ。
いま、うちのせがれがテレビで「劇場版ポケットモンスターアドバンスジェネレーション・裂空の訪問者 デオキシス」(2004年)というのを見ているのだが、デオキシスの腕といい、爆発の煙の一瞬のタメといい、電力をめぐる挿話といい、あまりにエヴァっぽいと思うのは筆者だけでしょうかね。
7月13日(水)
以前にも書いたかもしれないが、見出しをつけるのは、記事を書いた記者ではない。
専門の人が、札幌の本社にいるのだ。
けさの「渡島・桧山」版の、筆者が書いた「記者日記」に、こんな見出しがつけられていた。
やりきれぬ事故
…。
夕べ、ファクスで刷りがきたので、筆者は
「『やりきれぬ』は、やめてほしい」
と、デスクに言っておいた。
「やりきれぬ」という日本語はないはずだ。
そしたら、デスクが
「やりきれぬ」って、国語辞典に出てるよ
と言う。
誰だ、そんな辞典書いたやつ。
「走る」「考える」
の否定形が
「走らない」「考えない」
である。
むつかしい言い方をすれば、「走る」「考える」という形容詞に「ない」という助動詞がくっついている。だから、「走らず」「考えぬ」といってもおなじことである。
しかし、「やりきれない」は、「やりきれる」+「ない」ではない。
「やりきれる」ということばはそもそも存在しない。
だから「やりきれぬ」などとはいわない。
「やりきれず」「やりきれば」がないのとおなじことだ。
同じように、「危ない」は「アブる」の否定ではないから、「危ぬ」ということばはない。
「きたない」を「きたぬ」とはいわない。
「はしたない」を「はしたぬ」とはしない。
「とんでもない」を「とんでもぬ」とは言い換えない。
「きた」+「ない」、「はした」+「ない」、「とんでも」+「ない」ではなく、単に、形容詞の末尾が「ない」というだけの話だからだ。
ワタシは、新聞記者としてはだめな記者だけど、ことばにはうるさくありたいと思う。
7月11日(月)
7月に入って、20度を超えた日が1日しかないって、どういうことだ。
7日はストーブをたいていた。
7−11日の5日間、1日もきちんとやすんでないかわり、馬車馬のような働きもしていない。
ここにいると、オンとオフの境がほんとにないんだよな。
7日は、休もう休もうと思っていたが、無駄な抵抗だった。
電話とか来て、けっきょく仕事の日に。
札幌からアサノさんが来て、しばし歓談。●●はじつは▲▲だったとか、■■が××した理由は〓〓だったとか、札幌事情をいろいろうかがう。
多少まじめに働いたのが8日。
八雲でいちばん有名なレストラン「ハーベスター・八雲」を経営するジェーシー・コムサの会長にインタビュー。つまり、ケンタッキー・フライド・チキンの1号店をひらいた人です。
あ、この日はわりと天気がよかったんだっけ。
9日。
雨。
上のインタビュー原稿を書いた後、雑用。
「吉田一穂詩集」(岩波文庫)読了。詩はいいけど、この本、難しい漢字にルビ振らなさ過ぎ。
2ページの長さの詩が、右ページから始まって、めくって、左ページで終わる編輯にもイライラ。見開きにおさめんかい。
白鳥
1
掌(て)に消える北斗の印。
……然(け)れども開かねばならない、この内部の生は。
背後(うしろ)で漏沙(すなどけい)が零れる。
2
燈(ラムプ)を点ける、竟には己れへ還るしかない孤独に。
野鴨が渡る。
水上(みなかみ)はいまだ凍つてゐた。
(以下略)
これは、かなり読みやすいほう。
10日。
雨。
1時間かけて静狩まで、静狩神社祭の海中みこしを見に行ったら、午後だという。時間をきき間違えたらしい。
住んでいる人が何百人もいる集落に対して、都会人の旅情をおしつけるのは抵抗があるけれど、でも、静狩はさびしいところだという印象がある。
あたらしい家もあるが、四囲の壁がトタンの家も多い。
つめたい雨交じりの風に、赤いちょうしんが揺れる。
海沿いの原野には、オオウバユリの白い花がひょろひょろとゆれている。
アイヌ民族がむかし、根を食用にしたという。
それにしても、これ、正午ごろです。暗い…
7月6日(水)
文章の順番が前後しまくっているが…。
7月1、2日にもどる。
「八雲山車行列」というのは、地元の青年たちが23年前に始めたあんどん行列が発端。
いまや、30台以上の山車行列に成長し、北海道三大あんどんまつりの一つといわれているらしい(こういうのって誰が言い始めるんでしょう)。
この二日間は、いったい17000人のこの町のどこにこんなに人がいたんだ、と思われるぐらい、沿道はにぎわう。
もっともジモティーによると、昨年から八雲神社例大祭と日程を分離した結果(例大祭が平日になると、山車行列への子どもの参加がむつかしくなるため日程を離した)、これでも、だいぶ人出はすくなくなったという。
夏、というには、かなーり肌寒いが、祭りらしい気分はじゅうぶん味わった。
で、駅前でフィナーレが終わった後、がらがらと山車を引っぱり、住宅地の中にある保管庫にしまって
「お疲れさまでした〜」
と、三々五々、解散したあと…
道に迷った。
目の前に5階建ての団地が2棟見える。
なんだか札幌みたいな風景。
こんなところ、八雲にあったっけ。
はっぴを着て暗い住宅地をひとりウロウロしてるのって、すごくヘンだと思う。
3日。
晴れ。
午前4時に目がさめる。
美術雑誌「LRリターンズ」の原稿を3時間半で仕上げる。原稿用紙約10枚。われながら天才だと思うが、こういうテンションになることがめったにない点ではアホだとも思う。
休めればいいのに、こんどはおしゃまんべ毛がにまつり。
八雲は、知名度はイマイチだが、長万部は、毛がに、かにめしが特産品として有名である。そのかにをPRしようという、商工会などがやっているイベントである。
こちらで毛がに早食い競争とか、地面の上で船をひっぱる競走とかにいちいち参加していたら身が持たないので、写真撮影に徹する。
その後、長万部の街中で半世紀つづいてきたおもちゃ屋が近く閉店するというので、おもちゃをどっさり買ってきた。
家人は「アメリカ横断ウルトラクイズ」のボードゲームを購入した(なぜ、こんなものがいまだに置いてあるのか)。ほかに、スーファミのソフトとか、ファーストガンダムのSDプラモとか、車のプラモで「日産レパード」とか、年代ものがあるんで、お好きな方はどうぞ。
あ、シャア専用の赤いザクのガンプラはもう筆者の家にありますから〜。残念。
さーて帰ろう。
と思ったら、娘が長万部公園に行こうと言いだし、車の進路を変えて、園内でいっしょに遊ぶ。
この日は、会社からの電話が多く、仕事でも休みでも家族サービスでもない、へんな一日だった。
4日。
雨。
下記の通り。
5日。
強い雨。
まだ疲れが取れない。
しかし、休みも取れない。
長万部で取材。ついでに、某サイトのホームページビルダーの操作手伝い。
6日。
曇りときどき雨。
朝早く起きれた。原稿の残りを書く。
きょうこそ休みにしようと思い、支局に閉じこもるが、電話や来客、雑用多数発生につき断念。
あー、ぜんぜん仕事のことを考えなくていい日が1日くらいほしいなあ。
マイちゃんのヨーロッパ滞在記をひさびさに更新。
ことしの3月分だけど、いままでいちばんおもしろい。彼女の強運が、読んでいるみなさんに伝染すればいいなーと思う。
2日も3日も動き回っていて、いいかげんつかれたので、休もうかと思ったが、世間はこちらを休ませてくれない。
電話はくるし、火事は起きるし、とにかくくたびれてます。
7月3日(日)
6月29日。
くもり時々晴れ。
長万部で「戦禍の記憶」の取材などなど。
以前、動労の支部か何かだったという建物が、運転区の近くで朽ち果てていた。
夕方から柔道スポーツ少年団の取材。
指導者の五段の人に話を聞こうとするが、稽古の密度が濃く、なかなか声をかけるタイミングがない。
小中学生に教えている合間には、高校生と真剣に投げ合っている。
こういう体力と気合の塊のような監督が43歳だというからおどろく。
これでは、筆者の体力年齢なんぞ60代ではないか。
そういうわけで八雲に戻ってきたのが夜8時半。
30日。
くもり。
たまっている原稿を片付けようとするがなかなかすすまない。
7月1日。
くもりのち霧。
さすがにつかれてきた。
森林組合の合併協議会などの取材のあと、いよいよ八雲山車行列。
八雲でもいちばん大きな催しである。2日まで。
2日。
朝方雨が降ったらしいが、眠っていたのでぜんぜん気がつかなかった。
山車行列のほうは、仕事はきのうで終えて、この晩はビデオ係や、山車を倉庫にしまう手伝いなど。
駅前でのフィナーレを終えて、山車が倉庫に帰っていく様子は、なかなか哀愁を帯びていると思う。
そして、じぶんがこのまちに越してきて1年になるという実感があらためてわいてくる。
昨年の山車行列は、或る意味でとても奇妙な体験だった。
沿道で写真を撮ったけれど、山車をひいている大勢の人にも、沿道のたくさんの見物人の中にも、ただのひとりも知り合いがいなかったからだ。
支社や支局で大きな催しの取材をしていて、そういう体験はめったにできない。
大きなあんどん山車の上に大きな太鼓が乗り、その上に少女が乗っかって、長いばちで太鼓をたたいているのも、おもしろかった。うまく言えないのだが、北原白秋の詩集を読んでいて、はっと顔を上げたときのような、ふしぎな非現実感を感じた(ほんとにうまく言えないな)。
ことしは、1年たっているので、行列の中も外も知っている人が多い。
去年、ぼーっと見てた幼稚園のお遊戯のなかに、こんどはじぶんの娘がまじって、けんめいにおどっている。それを、じぶんがビデオに撮っている。
これまた、ふしぎな感覚である。
よく見ると、缶ビールを飲みながら、山車を引っ張っている人が相当いる。缶は、山車のへりに置いているのだ。
ワイルドな行列である。
筆者を見かけると
「ほら、支局長も飲まなきゃだめだって」
と言って、ビールを分けてくれる。あのう、仕事中なんですけど。
(以下翌日)
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