寺の後継者である相馬康夫・顕子夫妻に担当してもらって、住職などよりずっと若い世代の意見を出して、世相を考えるページを設けました。お読みになって、現代の生き方を見つめる機会になれば幸いです。
⑮ トドの命はどうでもよいものか
今年の関東の夏は暑かったとのですが、12月になって寒い日も増えてきました。夏の間は、これで本当に寒い冬が来るのかと思いましたが、ゆるやかであっても確実に季節は進んでいきますね。人の思惑とは関係なく、自然は自然の法則にそって動いていくということでしょう。
先日、漁業被害を減らすために、トドを撃って駆除する、という話をテレビで観ました。そのトド漁師の方の、自分が生き物の命を奪っていることに対して真摯に向き合っている姿勢に、考えさせられることがありました。私は1日三食の食事をしていますが、その中には、動物の肉が含まれることも多くあります。これは、誰かが生きている動物の命を終わらせ、食品としての肉にしてくれたということです。またこれは、動物に関わらず植物であっても同じことで、その命をもらって私の食事としていることは間違いありません。もし、誰かの命をもらってまで生きていくことはできないと考えるなら、私は食べることができず、この世で生きていくことはできません。ところがすでに、私は生まれてから今まで何十年も生きてきていますから、色々な命の上に私という人間が成り立っているということが現実です。そしてまた今日も、これまで通り、私はいろんな命をいただいているのですが、そんな中で、自分がもらっている命というものについて、もっと向き合う必要があるのかもしれないと思いました。
また、少し前に知人が、狩猟免許を取ろうかなと言い出しました。その人は、自分が口にするものを自分自身で取ってみたいという希望があり、「自分が奪った命が自分の食べ物になっていることに自覚的になりたいと思っている」というようなことを言っていました。その人が言うように、私たちは食べずには生きていけないけれど、そんな自分を省みる時間も必要なのではないかと思います。先のトド漁師の方に対しては、「いくら漁業被害があるからと言ってトドを撃ち殺すなんて・・・。」といった批判もあったようです。しかし、自分がどれほどのことができているかを見つめ直してみれば、簡単にそのようなことは言えないかなあと思いました。このトド漁師の方は、そんな批判は百も承知、自分でもしたくてしていることではないが、それでも自分のしたことには責任を持つ、そんな姿勢があったように感じました。自分の生活をかけてトドを駆除していることは止められないが、トドを撃つ時には無用の苦しみは与えないように、また、撃ったトドは余すところなくありがたく使い切る、それを実践できるのは、自分の罪やどうしようもないことから目をそらすことなく向き合っているからではないかと思いました。
ひるがえって自分は、どこまで自分の罪深さ・恥ずべきことに向き合っているだろうか、と考えます。仕方がないからと言って、見えないふりをしていないだろうか。答えが出ないことだからと言って、考えることを止めてしまっていないだろうか。自分の手の中で、命が終わっていくことを感じた時、ヒトは多かれ少なかれ何かを感じるのではないかと思っています。自分が喜んで食べているものが、自分のこの手で奪った命だと思っていれば、そのありがたさや、日々の自分を省みることができるのかもしれません。現代の日本で、私たちが皆、自分の食糧を自分で取るようになるべきだ、とはなかなか言えないとは思います。しかしながら、ここに自分が存在しているということはどういうことの積み重ねなのか、また、自分の行ないが決して自慢できるものではないと思えば、殺生するものでも分け隔てなく救うという浄土真宗の教えのありがたさにも気づくように思いました。「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と法然上人がおっしゃい、それを伝えてくださっている宗祖・親鸞聖人ということを考えた年末となりました。(2024.12.17 相馬顕子)
⑭ 街の変化から思うこと
ここ数年、街の様子が大きく変わっています。地方では中心都市の歴史あるデパートが閉店し、県にデパートが一つもなくなったというニュースを目にします。東京近郊では駅前のデパートや大型スーパーが撤退し、その跡地にマンションが建つという風景が多く見られます。
私の実家近くのターミナル駅でも、大型スーパーがこの秋に閉店となります。地域の顔として親しまれてきたので地元でも大きなニュースとなりました。人口減少、ネットでの買い物が増えたこと、競合店の影響などいろいろな原因がありますが、私も子どもの頃から何度も通った、思い出のお店がなくなるのは寂しいですね。
そう思う一方で、振り返ると大人になってからはそのスーパーに通うことも少なくなっていました。閉店が決まってから寂しがるのは、我ながら勝手な感情だとも思います。そのように街の風景が変わっていくのも、経済活動の中では自然の流れかもしれません。
仏教には「縁起」という考えがあります。世の中のあらゆる現象は、構成するものすべてが関連し影響を与え合っているという世界観です。
経済活動も似たところがあると思います。需要と供給のバランスで価格が決まり、需要がなければ商品の価値はなくなり、供給が多くなれば価格は安くなります。そこに、政治や社会、流行の影響もありますが、それも含め、少なくとも世界の主流である資本主義、自由経済の下ではいろいろな事柄が影響しあって経済が動いています。あるいは経済活動も世の中全体の「縁起」の中で動いているとも言えましょう。もちろん私たち一人ひとりも消費者として、その経済活動を構成する一員です。(あるいは仕事として生産や流通に関わる場合もあります。)
需要がなくなりお金が流れなければ、商品やお店、それを生み出す産業自体も価値がなくなってしまいます。気づいた時には無くなったというのは寂しく、また一度無くなったものがもとに戻るのはとても難しいです。それに対して消費者ができることはあるでしょうか。
お気に入りの商品や今後も通いたいお店や応援したい産業があれば優先して買う、できれば定価で買うことで、そこで使ったお金が動いて生産や流通する過程で何かしらの力となります。最近は物価高が続いて財布の紐も堅いですが、代わりに無駄遣いをなくせば、経済活動の中で良い「縁起」となると思います。
我が家では能登半島の被災地や、地方の応援したい企業の商品は機会があれば購入するようにしています。都内にある各地のアンテナショップを巡って買い物することもあります。地域を応援すると同時に、ご当地の産業や名物を知ることができるのでおすすめです。
⑬ 欲望の満足は幸福にはつながらない
このところ、人の欲ということを考えます。例えば、仕事をするにあたり「好奇心を持って色々なことに挑戦し、モチベーションを高く保って、精力的に仕事に取り組んでいます」というと好印象でしょうか。私たちが今過ごしている環境では、成長すること、今より更に良くするということが、まだまだ重要な気がします。一方で、「今よりもっと」と求める心は、私たちの苦しみの元にもなっていると思います。
仏教徒がよりどころとする「仏の教え」には、私たちがこの世の命を終えた時、往く先のお浄土の様子も描かれています。お浄土の見た目は金銀宝石できらびやかに出来ており、暑くもなく寒くもない、おなかが減って困ることもない、そんな夢のような場所と示されています。それを聞くと、見たことはなくても、ああ良いところだなあという印象を持ちます。 浄土真宗では、阿弥陀仏が私たち人間を必ずそのお浄土に連れて行ってくれるから、そのことを疑わず、まずはこの世での生活を日々穏やかに過ごしましょう、といわれます。もし今自分が、暑くってもうどうしようもない!どうにか涼しいところに行きたい!と思っていれば、暑くも寒くもなく快適なお浄土は、とても魅力的に感じるでしょう。おなかが空いてたまらない時には、食べるものに困らないお浄土は魅力的だと思うでしょう。実感を伴って想像できますよね。
私が育ってきた時代は、成長することが当たり前、できることをどんどん増やそう、経済的にも豊かになる方向を目指すべきだ、という考え方だったように思います。ですが、この頑張りには際限がない。以前より、おいしい物がたくさん食べられるようになって、それで満足、もう何も要らない、となるでしょうか。いや、もう少しだけおいしい物を、もう少しだけ多く、などと考えませんか。先に述べたように、仕事をしている人が、今よりもう少しいいものを、いい状況を、と求めるならば、それは、ほめられることかもしれません。しかし、それが、他人の持ち物を奪い取って自分の持ち物を増やすことだったら?自国民を守るために、他国を攻撃したり領土を広げることはどうでしょう。あるいは、「昨年度の経済の成長率はこんなに低かったです」と言われて、それは良かった!とはならないですよね。この、「もっともっと」から私たちは離れられるでしょうか。そしてそれを求め続ける心は、一見いいことのように思えたことでも、徐々に私を蝕んでいくようにも感じています。欲があるということは、実は喜ぶべきことではないのかもしれないと思うのです。
求め続けても満足できないという現実は、それ自体が私たちを苦しめる側面を持っています。成績であれ、ご飯であれ、あるいは、人間関係であれ、思い通りにならないことは多いものです。そしてそんな現象を引き起こしているのは、私たちが手放せない煩悩をもっているからです。前向きに生き生きと理想を追い求めている間はいいことをしているように思えるかもしれませんが、「もっと欲しい」を満たし続けていくことは、それ自体が呪縛ではないかと思います。お浄土とは、その呪縛、すなわち煩悩から解放される境地と考えると、金銀宝石から成るキラキラした場所であることや、おなかが減って困るようなことがないということより、わくわくすることだと感じています。どうにもならないことを思う時、阿弥陀さまを信じる心でもってみんながそんなお浄土に往けるのだといわれれば、とてもありがたいことだとしみじみ思うこの頃です。この世がそんなお浄土に少しでも近づけばいいのになあ。カリカリ・ギスギスした日々が、もっとまろやかに感じられるように変わっていくのではないかと思うところです。
(2024.06.29 相馬 顕子)
⑫ ハラスメントから考える
今年は年明けから能登半島地震が発生するなど、大きな災害や事故が相次ぎました。また本格的な春を前に、例年以上に寒暖差の大きい日が続いています。気候変動が進み、今年の夏も暑くなるのでしょうか。
2月には、「東京都が“カスハラ防止条例”制定の方針を固める」とのニュースを目にしました。「カスハラ=カスタマーハラスメント」とは、顧客(カスタマー)が企業に対して不必要なクレームや理不尽に絡む事で、企業側の人が精神的な不快感を受け、業務に支障が出てしまう問題です。
「お客様は神様です」という言葉を、お金を払っているから何を言っても許されると自分勝手に解釈し、過度な要求がエスカレート、また暴言や嫌がらせもあると聞きます。具体的にどのような条例になるのかは分かりませんが、東京都などの自治体が「カスハラ」から企業を守ろうというのは、とても良い動きだと思います。
ところで「カスハラ」に限らず、以前からの「セクハラ」「パワハラ」に加えて、「マタハラ」「モラハラ」「アカハラ」‥‥と、「〇〇ハラ」が世の中に溢れています。ハラスメントとは、嫌がらせ、いじめの意味で、「〇〇ハラ」に共通するのは、立場が上の人、強い人が、立場が下の人や弱い人に対して(特に言葉によって)一方的に不快感や威圧感を与えてしまう行為です。最近でも、芸能人や各界の著名人がハラスメントを告発されるというニュースを、毎日のように聞きます。
そもそも全ての人が、日々思いやりを持って過ごしていれば、ハラスメントという言葉も生まれなかったと思います。しかし、社会の中で生きていれば、その場の感情で他人を傷つけることも、地位やお金への欲求が、思いやりを上回ることがあって当然です。私も他人に不快感を与えるような言動をしてこなかったとは言い切れません。自分では無意識で気づかないことも含めれば、誰でもあることだと思います。
今までは、不快感や威圧感を受けているのに、言葉では表現できないという状態では、中々言い出せずに心に傷を負い、生きる希望を失った人も多くいたでしょう。それがハラスメントという言葉に置き換えることで、気持ちを表現しやすくなったと思います。
その場限りの言動で終わるのかハラスメントとされるのか線引きはとても難しいですが、弱い立場の人が声を上げやすくなったのも事実です。また逆に、意図せずハラスメント「する方」も、これはハラスメントではないか?と自分に言い聞かす、言動に移す前に思いとどまる、きっかけになるかも知れません。
誰でも色々な欲求は持ち合わせ、その場の感情で動いてしまうものです。この世で生きる限り、誰でもハラスメントの当事者(与える方、受ける方)にもなる可能性はあると思います。地位や立場関係なく、一人でも多くの人が平穏に暮らし、前向きに生きられる世の中になるよう、社会の変化に応じて知恵を絞っていくことも大切です。
(2024.03.12 相馬 康夫)
⑪ 日常は当たり前にこれからも続いていくとは限らない
12月になってやっと、「寒い!」という言葉が出てくるようになりました。今年は11月になっても暑かったという印象です。「暑さ寒さも彼岸まで」などという言葉はもう過去のものでしょうか。特にこの11月は、真夏日あり、例年通りの気温ありと、なかなか落ち着かない秋となりました。
そんな11月でしたが、例年通り、この西光寺も、また築地本願寺でも、「報恩講」が営まれました。報恩講とは、皆さまご存じの通り、浄土真宗を開かれた親鸞聖人の御命日をご縁として、ご門徒が集まり勤めるご法要です。ご本山である京都の西本願寺では毎年1月に行われ、全国から多くのご門徒がお参りされる、1年で一番大きな行事です。
(築地本願寺の今年の報恩講、精進お弁当の一例です)
さて、このところ、どんどん戦争が身近になってきている気がしています。のんびり、安穏と、お寺にお参りできる時間がこれから先も続くだろうかと思ってしまいます。その日、生き延びられるかどうかという時に、皆様はお寺に足が向くでしょうか。もちろん、自分の力ではどうにもならないと思ったとき、人は「神頼み(仏頼み?)」になることもあるでしょう。しかしながら、仏の教えは、私たちが望んだ勝利や食糧や快適な家を、願えば与えてくれるというものではありません。となると、仏の教えは何の支えになるというのか?でも私は、仏教が何の支えにもならないとは思っていません。
例えば、私が周りの人に非難されたり怒られたりしたら、自分を正当化しようとしたり、相手の非を探したりするでしょう。「私は間違っていない」「私もおかしいかもしれないけれど、あなたもここが良くないじゃないか」と。しかし、このように、他人と自分とを別物と考え、比べて論じるところに、争いが生まれるのではないでしょうか。浄土真宗は、他人を批判して自分を高めようとする教えではないと思っています。他人がどうこうではなく、自分を深く見つめ直すことを教えているのではないか。他人のできていないところを責めるのではなく、自分のできていないところを見つめ、そして、自分ができることを精一杯行なう。その一つ一つの積み重ねが自分の人生を支えてくれるのではないかと感じています。
もし今、私が命の危険にさらされ、本能的に「死にたくない」と感じているとしたら、悠長なことを思い起こしている暇はないですね。だからこそ、切羽詰まっていない時にこそ、じっくりと、どう人生を過ごしていくかを考えておく必要があるのだと思います。毎年決まって迎えられる「報恩講」も、何となく過ぎていく日々の一部ではなく、自分を振り返り考えるきっかけとできればいいなと思います。嬉しくはないことかもしれませんが、コロナ禍があり、戦争が少しずつ身近になり、天災もなくならず、私たちの日常は当たり前にこれからも続いていくとは限らないと気づきました。普段から自分を見つめながら歩いていくことが、有事の自分の力になるように思います。皆様も、きっかけをつかんでお寺にもお参りいただけたら幸いです。
(2023.12.06 相馬 顕子)
⑩ 親鸞聖人の足跡を訪ねて(京都編)
今年の夏は全国的に記録的な猛暑となりました。外へ出るだけでも一苦労という方も多いのではないでしょうか。これからの季節、秋らしい秋になればと願っていますが、予報ではしばらく厳しい残暑が続きそうです。夏の疲れもたまる時季ですので、今後もどうかご自愛ください。
ところでこの夏、私は所用のため京都へ出かけました。京都は盆地という地形ゆえ、独特のじっとりと身に応えるような暑さでした。
そんな猛暑の中ではありましたが、用事の合間を縫って親鸞聖人ゆかりの地を歩いて巡りました。今回は聖人の少年期~青年期に大きな転機を迎えた二つの場所を紹介します。
<青蓮院>
親鸞聖人が9歳の春、慈円僧正の下で得度し仏道の修行に入った天台宗のお寺です。聖人が伯父に連れられてこの青蓮院を訪れた時は日没間近だったため、翌日に得度を延期しようとしたところ、聖人は「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」(桜は明日見ればいいと思う気持ちが仇となり、夜の嵐で桜が散ってしまうかもしれません)と歌い、その日のうちに得度したと伝わっています。
境内には少年時代の聖人の像や、聖人が剃髪した髪を祀る「植髪堂」が建っています。
<安養寺>
親鸞聖人が、後の師である法然上人と出会ったと伝わる「吉水の草庵」の跡地です。青蓮院で得度の後、聖人は比叡山で20年間、厳しい修行に入ります。しかし、修行と煩悩の間で矛盾を感じていた聖人は29歳の頃、比叡山を下りることを決断。その後、吉水の地で念仏の教えを広めていた法然上人を訪ねます。そこで専修念仏の教えに出会い、感銘を受けた聖人は100日間通い続け、法然上人の弟子になりました。その後、『選択本願念仏集』の書写を許されるなど、浄土真宗の教えの基が生まれた地とも言える由緒ある場所です。
今回は京都の東山にある二つのお寺を巡りました。多くの人で賑わう八坂神社や円山公園などの観光地、四条河原町や祇園などの繁華街からも徒歩圏内ですが、青蓮院も安養寺も喧噪を忘れるような静かな場所でした。
京都をはじめ、親鸞聖人が長年過ごされた茨城県内にも、聖人や浄土真宗ゆかりの地が多くあります。有名な観光地となっている場所は少ないですが、その分、ゆっくりと味わい深い旅ができると思います。
(2023/09/04 相馬康夫)
⑨ 真理を伝える言葉や手段
今年2023年、京都の西本願寺では「親鸞聖人御誕生(しんらんしょうにんごたんじょう)850年・立教開宗(りっきょうかいしゅう)800年慶讃法要(きょうさんほうよう)」が行なわれました。浄土真宗の開祖である親鸞聖人がお生まれになって850年と、浄土真宗の根幹の教えが親鸞聖人によってまとめられて800年になるのを記念する、50年に一度の大きな法要でした。
京都の西本願寺は、皆様がご存じの通り、浄土真宗本願寺派の本山であり、大きく立派で歴史のあるお寺です。法要が営まれた御堂も伝統的な浄土真宗寺院の形を取っています。そんな西本願寺の中に入ると、その広いお堂を支えるたくさんの柱には、たくさんのモニター画面が取り付けられていました。その画面の役割ですが、今回の法要では、法要が始まるまでの時間、今回の法要の解説や親鸞聖人の一生のこと、お供物のことなど、たくさんの情報が見られるようになっていました。また、法話の時間には布教使の方の映像が、法要の時間には法要の映像が拡大されて映ります。おかげで、遠くて見えない中の方の様子も見えるようになり、更に言えば、現地にいなくてもインターネットを通じて法要に参拝することができる状態でした。
コロナ禍といわれたこの数年、私たちの行動が制限されたこともあり、体は動かさずに情報だけが動くという状況が進んだように思います。遠く離れて実際に出向くことが難しいとき、インターネットにつなげば情報が得られる社会はとても便利です。スマホを日常的に使用されている方も多いでしょう。物理的な距離のことを気にして経験できなかったあれやこれやが、距離に関係なくリアルタイムで経験できるよう、色々な物事が整備されていきました。京都に行くことがかなわない人でも、この度の法要を経験することができた、という方も多かったのではないでしょうか。
その一方で、現地では、「直接京都に行って、本山に参拝する」ということの喜びが溢れていたようにも見受けられました。少し前であれば「密を避けてください!」と言われたであろう、ぎゅうぎゅうに参拝者が入った御堂も、そこでしか味わえない熱気があったように思います。このような熱気は、インターネットを通じた参拝では、感じることが難しかったかもしれませんね。
仏教で示される真理は、どんな時代でもどんな立場の人が見ても変わらないものです。時代や見る立場によって、意味が変わっていくというものではありません。しかしながら、その真理を伝える言葉や手段は、時代や立場に沿って変化していくべきだといわれます。知りたいと思ったときに瞬時に情報を得られる今の時代だからこそ、伝わりやすいということもあるでしょう。今まで続いてきた方法が、伝えやすい方法とも限りません。古くからずっと人を集め続けた御堂と、その中に設置されたモニター画面とを見ながら、今の世の中で、自分の知りたいこと・伝えたいことは何か、時代に即した言葉や手段を掘り下げて向き合っていきたいと思うことでした。浄土真宗の教えが、それを必要とする人のもとに届くようにと考えさせられた慶讃法要参拝となった気がします。
(2023/06/15 相馬顕子)
⑧ 区切りの年に思うこと
西光寺境内の掲示板でもご案内しておりますが、今年の3〜5月に京都の西本願寺にて、「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が開催されます。今年2023年は、親鸞聖人のご誕生から850年、来年2024年は、浄土真宗が開かれた年(立教開宗)から800年となり、それを記念して執り行われる法要です。
親鸞聖人は1173年(承安3年)に京都でお生まれになりました。1224年(元仁元年)には在住されていた稲田の草庵(今の笠間市)において、浄土真宗の根本聖典『顕浄土真実教行証文類』(教行信証)を著されました。それで、浄土真宗ではその年を立教開宗の年と定めています。
その立教開宗の年は鎌倉時代に当たりますが、では鎌倉時代の始まりは何年でしょう?私が小学生の頃は、鎌倉時代の始まりは源頼朝が幕府を開いた1192年と教わりました。いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府─語呂合わせでも有名ですね。ところが、最近は1192年とは教わらないようです。
源頼朝によって政治の中心が鎌倉に移されたのは史実ですが、政治の中心=幕府という仕組みは後年に考えられたものです。そのため、鎌倉時代の始まりの年を決めようとすると、源頼朝が朝廷から関東の統治を認められた年、征夷大将軍に任命された年など、十数年ほどの幅があると考えられています。
また、明治時代の始まりは1868年(明治元年)と年は明確ですが、その年を境に時代が変わったとは言い切れません。一般的には、1867年の大政奉還によって江戸時代が幕を閉じ、そこが近代日本の出発点とされています。しかし、その15年ほど前の黒船来航、開国、倒幕を経て近代化へと時代が大きく変わった一方、明治時代後半になっても地方や庶民の間では江戸時代と変わらない生活も残っていました。
時代はグラデーションのように、当時の人たちが気づかないうちに徐々に変わり、後年になって変化が分かるのだと思います。それでも多くの場合、大きな出来事がきっかけとなり歴史は変わってきました。歴史的事実やその年代を覚え、前後関係を意識することで歴史の流れを理解できます。また、〇〇周年と注目されることで歴史を思い出すきっかけにもなりますね。
親鸞聖人がご生涯を送られた平安時代末期から鎌倉時代は、災害や飢饉、争いが絶えない激動の時代です。それから800年もの長きにわたって受け継がれてきた親鸞聖人の教えを、区切りの年だからこそ、その年月や時代背景にも思いを馳せ、学びに繋げたいと思います。
2023/03/06 相馬康夫
⑦ 「報恩講」っておもしろい
11月は、この西光寺も、私が今ご縁をいただいている築地本願寺でも、「報恩講」という行事が営まれます。これは、浄土真宗を開かれた親鸞聖人のご命日をご縁とし、お念仏の教えに出あわせていただいたご恩に感謝する集まりと言われ、毎年欠かさず行われます。しかしながら、先の2年間は、新型コロナ感染症の流行が収まらず、かなり規模を縮小せざるを得なかったという現実がありました。今年2022年は、西光寺も築地本願寺も、おおよそ例年に近い状態で開催することができました。
この「報恩講」、一体何が大事なの?、それって参加した方がいいの? ということを感じられる方も多いかもしれません。知り合いでもない親鸞聖人のご命日と言われてもねえ。お念仏へのご恩ったって、お念仏となえたから私の希望が通るというものでもなし。いや、まず参拝する時間がないよ。そう思う方もおられると思いますが、私のことを申しあげれば、仕事の合間をぬって、今年の築地本願寺の報恩講に「オンライン参拝」をしたところ、とても楽しい時間だった、ということです。
お経の時間があり、僧侶のお話の時間があり、その時だけ味わえる精進料理というものもありますし、「お経の時間」と言っても、毎回違います。まず出てくる僧侶の数が普段とは段違いに多い。そして、雅楽が聞こえます。中盤も、リズムが単調なものもあれば、旋律があるものだったり、僧侶が座りっぱなしのもあれば、立ったり座ったりという時間もあります。そして、何よりお飾りが華やかで、見ているだけでも時間が経ちます。築地本願寺ですと、11月の11日午後から16日午前中の数日間と期間が長いため、16日の午前だけとか、土曜日の午後だけ、といったお参りもできます。
私たちは普段、笑ったり怒ったり、文句を言ったり、何だかんだで生活しているわけですが、「報恩講」というのは、そこで楽しんだ後、しみじみと自分が今生きているということを考えるものかなあと思いました。このようにお参りできる時間や機会は、これからも必ずあるという保証はありません。また、西光寺や築地本願寺との「ご縁」がなければ、その存在すら知らずに一生を終えたかもしれません。そう考えると、ぜひ、年に1回の機会をとらえてお参りするのは大事だと思いました。昨今は、直接参拝に行けなくても、オンライン参拝ができるところも増えてきました。直接行かないと「食べる」のは無理ですが、自分のスマホですぐにお参りができる、というのもありがたいところです。
ちなみに、年が明けて1月には、本山である西本願寺(京都)で「御正忌報恩講」があります。こちらもコロナ禍と相談にはなってしまいますが、何らかのお参りができればいいなと思っているところです。皆様もご興味がありましたらぜひお参りください。
2022/12/18 相馬顕子
⑥ 「教える」機会を大切に
今年の夏は早くから猛暑が続き、とても長く感じました。ようやく涼しくなり、早くも10月です。今年も4分の3が過ぎました。私は一般企業に勤めていますので、10月は年度の半年という区切りの月でもあります。
新卒の社員も4月の入社から半年経ち、表情にも余裕が出てきました。毎年新入社員を見ていますと、入社して半年くらいが一番大変なようです。学生気分が抜けず、環境にも慣れないうちに5月の連休が明け、覚える仕事も増えて季節は梅雨へ。暑い夏には体力的にも疲れが溜まりますね。その大変な時期を乗り越えた自信が、表情に現れるのが秋口なのかもしれません。教える側としても、半年間の成長は嬉しいものです。
そこで、ふと自分を見つめなおすと、この半年で自身も少し成長しているのに気がつきます。しっかり教えようとしますと事前に準備しなければならず、そこでマニュアルを見返すと、手順を忘れて、勘違いして覚えていることが多いです。質問があると、それを解決するために復習する必要があり、また数年前に覚えた事柄も更新されていて、新たに学ぶ内容もあります。
新入社員に「教える」機会がなければ、手順を見直したり、新しく覚えることもありませんでした。まさに「教える」ことで自分自身もこの半年間で成長しています。
ところで私は今、働きながらお寺を継ぐために勉強しています。その中に「伝道」という科目がありますが、そこでの学びを通じて、仕事で「教える」こととの共通点を見つけました。
仏の教えを人々に「伝道」するために、学び、伝えていきます。さらにそこからが大切です。学んだ内容を、実際に「伝道」の場で自分の声に乗せ、それが最初に音として入るのは自分の耳です。人に教えようとする時、同時に自分が教わっているのです。「伝道」の機会を通じて、自分自身にも仏の教えを聞かせ、深めていくことが理想です。
学校や職場など、教える、教わる場では「上下関係」という言葉で表されるように、教える側(先生や先輩)の立場が上になると、一方的に「教えてあげる」という関係になりがちです。もちろん立場が上の人を敬い、謙虚に教えを受けることは大切でしょう。時には厳しい指導も必要かも知れません。
しかし、度が過ぎて本来の「教える」目的からそれてしまうとそこでは体罰やパワハラなど、歪んだ問題が発生していまいます。
中国の故事成語に「教学相長ず(きょうがくあいちょうず)」という言葉があります。人に教えることで、相手と同じように自分自身も成長していく、という意味です。
これからも「教える」時も謙虚に、その機会を大切にしていきたいと思います。
2022/09/25 相馬康夫
⑤ こわいことはいやだから、こわくない平和を大切に
6月23日、沖縄県の慰霊の日に合わせて発表された「平和の詩」があります。今年の詩は「こわいをしって、へいわがわかった」というものでした。朗読は聞いていないのですが、この詩を新聞で読んで、そうだなあとしみじみ思いました。小学校2年生の詩ですから難しい言葉はなく、そのままが私にとってはとても心に響くものでした。
自分が経験していないことについて実感を持つことはなかなか難しい、と私は思っています。人の痛みに共感しているつもりでも、それぐらいのこと、と思ってしまうこともあります。実際その立場になってみて、初めて分かることは多いのです。その中で、この詩は、自分がこれまで経験したことがある情景で構成されており、とても想像しやすく、実感しやすかったというのが、心に響いた理由の1つかもしれません。
このところ、ロシアとウクライナとの関係を日々の報道で目にしながら、戦争って何だっけ、平和って何だっけ、と思っています。こんな世界の現状を理由に、軍備増強を進めようとする空気も感じます。そこには、各国の都合があり、それぞれの思惑があって、物事は一筋縄ではいかないと感じさせられます。そんな状態に、正直、話すべき言葉が見つからない、と感じていました。でも、きっと、大事なことはこの詩にあるように、ごくシンプルなこと。こわいことはいやだから、こわくない平和を大切に持っておきたい。それが自然な欲求であって、難しく考えたり、双方の立場がどうとか考える次元の問題ではないのだと気づかされました。
人間というものはわがままで、自分の思い通りにならないと不機嫌になったりストレスを抱えたりします。ほとんどの人は、自分の思い通りにしたい、という気持ちから離れられません。少なくとも、2500年前に仏教の興った時から、人間とはそういうものだと言われてきました。ですから、戦争が起こるのも、自分を正当化するのも、仕方のないことなのだというあきらめの気持ちもあります。
しかし、あきらめておしまいにしてはいけないのだと思いました。自分にとっての幸せが、別の人の幸せと同じとは限りませんが、自分の幸せを侵されたくないように、別のその人も同じく、幸せを奪われたくはないでしょう。みんなの幸せを最大限実現していこうとすれば、平和を求めていくことになるのではないかと思いました。日本の夏は、過去の戦争に思いを馳せることが多い時期です。自分の幸せを守るためにも、他人の幸せを守る、そんな生き方ができればいいなと思っています。
2022/07/04 相馬顕子
コゲラ
④ 身近な自然に見る「多様性」
私たち夫婦は普段は東京に住んでいますが、1・2ヶ月おきに筑西へ帰省し、自然豊かな空気にリフレッシュしています。最近は、お寺の境内や周辺にやってくる野鳥を見ることも楽しみの一つとなっています。
先日、境内を歩いていると、イチョウの辺りでコゲラとシジュウカラを見つけ、観察していますと興味深い光景が見られました。コゲラが高いところで「ギィーギィー」と鳴き、バサバサと飛び立った後を追って、シジュウカラの群れも飛んでいきました。コゲラもシジュウカラも都会の住宅地でも見ることができ、特に珍しい鳥ではありませんが、2種類の鳥が一緒に行動するのは初めて見ました。
共にスズメくらいの大きさで、小さな虫や果実などを食べる雑食性の鳥です。このような小型の野鳥には、種類の違う鳥と一緒に行動する「混群」という習性があり、種の枠を超えて協力することで、餌を見つけたり、天敵を警戒したりと、お互いにとってメリットがあるそうです。
この時はみんなで餌取りの真っ最中、高い位置でコゲラがカラス等の天敵を見つけ、シジュウカラも含めた仲間たちに知らせていたのでしょうか?
想像するのも楽しいですね。
ところで、私たちの社会でも各々の能力を補って助け合い、みんなが幸せを享受すること、いわゆる「多様性」は大きなテーマとなっています。人種、国籍、性別、障がい、思想…等々に関係なく、それぞれの個性を尊重し合って生きることは大切です。いろいろな個性が力を発揮することで、より豊かな社会になるという考えです。はやりの言葉だと「ダイバーシティ」「SDGs」と言ったところでしょうか。
昨今の悲惨な戦争報道を目にし、国家や民族の違いで他を傷つけることの愚かさを痛感しています。戦争において、多様性を尊重するどころか、権力者が、国家や民族、思想等の違いを争いの口実にしているところが悲しいところです。
小さな野鳥達は私たちより先に、進んだ意識を持ってますね。と、野鳥たちに言ったら「別にダイバーシティやSDGsとかに関係なく、私たちも生きるために必死なんですよ」と言われそうですが。
お寺にお越しの際はぜひ境内で野鳥を見つけてみてください。
2022/04/23 相馬康夫
シジュウカラ
③ 迷いの世界のものさし
先日、ある人とお話する機会がありました。その方がおっしゃるには、一生懸命お祈りすれば自分の願いが叶う、ということでした。そして、願いが叶わなかったのはお祈りの一生懸命さが足りないからだ、ともおっしゃっていました。それを聞いて、私はふと疑問に思いました。一生懸命さというのはどのようにしたら測れるものだろうか。例えば、自分が癌になっていて、癌を治したいと願っているとします。そんな時、「南無阿弥陀仏」と口に出して、10回となえれば、癌細胞がひとつ消滅する、ということでしたなら、測りやすいように思います。癌細胞は100個あるから、10回×100個分として1,000回となえれば全ての癌が消えるのだな、と期待できるからです。
しかしながら、「一生懸命に」と言われるだけですと、「一生懸命お祈りしたから癌が消えた」ということと、「一生懸命さが足りないお祈りだったから癌は消滅しなかった」ということとの境目が分からないのです。人によって一生懸命の程度や回数は異なるでしょうし、同じ人でも、その時の状況によって、どの状態を一生懸命といえるかは変わると思うのです。「消したい癌が消滅した」という結果でもって、「私が行なったお祈りは一生懸命だった」と判断するということにしかならず、どこまでやれば、一生懸命であるから願いが叶うのだ、という判別ができません。
また別の例として、今般のコロナ禍は、正しい宗教が広まっていないからだ、という話もありました。しかし、そのことを、事実であるかどうか証明するものは何でしょうか。正しい宗教が広まっている世界が別にあって、そこでは、その「宗教」についての1点のみ、私たちが今存在している世界とは異なっている、そしてその「正しい宗教」の世界ではコロナ禍は存在しない、ということが示されれば、「正しい宗教が広まっていればコロナ禍はなかったはずだ」という説明の根拠となるでしょう。しかし、そのような実例が示せないのであれば、何が真実かという問題ではなく、もはや、私がそれを信じているかどうかという問題になってしまっている気がします。
私たち人間は、どんなに避けようとしても、自分の見たいものを見て、自分の聞きたいものを聞いて、自分の信じたいものを信じてしまうものだと思います。同じ景色を見ていても、田んぼを見ていたり、鳥を見ていたり、風を感じていたり、人それぞれでしょう。信じるものがあることは、生きる励みにもなりますが、一方で、自分と同じように皆が考えているとは限らない。そう省みながら、周りの人の気持ちを想像して、押しつけることなく話を聞いていきたいと思った出会いでした。
2022/02/10 相馬顕子
② 今も昔も「立ち止まって考える」ことが大事です
「西光寺だより」でもご挨拶いたしましたが、一昨年、長女顕子と結婚しました康夫と申します。将来は西光寺を継ぐため、今は東京で一般企業で働きながら、お坊さんになるための勉強をしています。まだまだ未熟ですが、お寺、仏教、普段の生活や地域に関して思うことを当欄に書き記したいと思います。
「天狗党」をご存知でしょうか? 幕末、水戸藩の尊王攘夷派の人々らで組織された勢力で、昨年の大河ドラマ「青天を衝け」でも主人公・渋沢栄一の青年期に関わる存在として取り上げられました。私も興味を持ち、小説を読んだり、天狗党について調べてみました。
天狗党は水戸藩内の勢力争いを発端として常陸を中心に騒動を起こし、庶民も過激な行動に巻き込まれます。さらに幕府による攘夷(異人排除などの思想)決行を、当時京都で幕府の役職についていた一橋慶喜(のちの徳川慶喜)に直訴しようと京都へ向かいます。しかしその目的、思想とは逆に、幕府は天狗党を抵抗勢力として排除にかかります。それでも天狗党はひたすら京都へ中山道を西へと進み、美濃の深い山を越えて進み、最後は冬の越前敦賀で力尽き、幕府方に捉えられます。水戸に残された小さい子供を含む党の幹部の家族も処刑され、悲惨な結末を迎えました。
当時は今に比べると情報も桁違いに少ない幕末でした。一旦過激な思想を持つと、それを押し通そうと、時勢が読めずに突っ走り、最後は武力に頼るしか無くなり、逆に力によって抑えつけられてしまいます。
現代の日本では、誰でも政治に参加でき、表現の自由も保障されています。SNSを用いれば、誰でも自由に発言できます。自分の意志を表したり、発言する機会があるだけでも、今は恵まれてますね。ただ自由が行き過ぎ、ネット上の誹謗中傷、それに影響された事件など、新たな問題も生まれています。
昔と今、組織と個人、表現の不自由、自由に違いはあっても、共通するのは周りが見えない、自分の立ち位置が分からないことが、偏った考えや行動のきっかけとなります。誰かの一言で、立ち止まり考えを改めることができれば、悲しい事件も減るかも知れません。お寺も、相談者の置かれた状況を理解し、一緒に立ち止まって考えることで、少しでもお役に立ちたいと思っています。
なお、天狗党を描いた小説『天狗騒乱』(吉村昭)では、下妻、下館、海老ヶ島、小貝川など、なじみ深い地名も出てきます。もしかしたら幕末、西光寺も何かしら関わったかも知れませんね。
2022/01/12 相馬康夫
① アニマルウェルフェア、動物の福祉(?)
先日、「アニマルウェルフェア」という言葉を耳にしました。今はまだそれほど聞く機会は多くない言葉かと思います。「動物の福祉」という表現をされることもありますが、私が聞いた際には、「畜産動物が快適に過ごせるようにする」という話でした。いずれ私たち人間が口にする肉や卵ですが、生きている間は、できるだけストレスがかからないように、その動物があるべき姿で過ごせるように配慮した環境のもとで飼育するべきだ、という考え方のようです。私たちが、ストレスなく快適に過ごしたいと思っているのと同様に、自分以外の人でも、あるいは畜産動物でも、尊重され快適な生活を送るべきだという考え方には私もうなずけます。しかしながら、「アニマルウェルフェアを心がけていること」が、単に企業イメージを上げるために使われたり投資の対象になる、という現状も同時に耳にすることとなり、そこには少し違和感も感じました。
もちろん、人間を含めた全ての動物が、より快適に幸せに過ごせるようにと考えることは非常に大事なことだと思います。けれども、アニマルウェルフェアを知らない・対応できない畜産現場が無闇に批判されてはいけないし、アニマルウェルフェアに対応しているという話題性だけで畜産物の価格が上がり、必要とする人の元に届けられないのではいけないのではないか。家畜の快適さは大事にするが、価格が高くなって食べ物を買えない人のことは考えない、ということだと、何か違うなと感じたのです。
そもそも、私たちが生きていくということは、他のものの命を自分の都合で取り上げて食べていく、ということと同じだと思っています。そうでなければ、今私は、生きていないでしょう。自分がそのような存在であることを考えながら、日々、食べていくことは、「アニマルウェルフェア」という言葉や考え方を知っているか、そしてまたそれを実践に移しているかどうかに関わらず、大切なことなのだろうと感じています。自分が今生きているという現実には、他の命との関わりが必ずあるということです。「アニマルウェルフェア」といったような新しい考え方、耳慣れない言葉は、知っていることが一つの自慢・自分の満足になることもありますが、そこにとどまらず、自分を省みるきっかけにしたいと思ったひと時でした。
2021/12/12 相馬顕子
西光寺駐車場から西(東京方面)を望んだ夕景