ダマコラム KOZUE AOU    2007.4〜8月 2007.9〜12月 2008.1〜4月 2008.5〜8月  →top

☆不味い。もう一杯!                    2008.12.30

 この3か月くらいおそらく自分史上最高の忙しさだったのが、ようやく並の忙しさ程度に戻りつつある。でかい単位の仕事が……あれもこれもスケジュールがずれて団子になり、そのうえライブもやけにこんでいる。我々を複数チーム動かしていたので、新曲もいるし練習もいる。9月の半ばごろ「こりゃしばらくえらいことになりそうだな」と思ったとき、とりあえず態度は余裕をぶっこきながら、できる限り超高速でことに臨もうと考えた。ものごとイメージングが大切だ。長丁場だから気合い一発では走り抜けない。だけど、実際問題、スピードは必要だ。平然と高速を保ちつつ、緩急をつける。その中でひとつ仕事やらライブが終わるごとに「終わったー」と落ち着いたりすまい、と考える。「落ち着いて、休んで、仕切り直す」時間の猶予はないからだ。むしろその「終わった」感を、次への燃料にして走らないと、破綻することがわかっている。

 ある夜中、その日もまた延々と原稿を書いているとき、ふと「なんなんだこの状態は」と素朴すぎる疑問が浮かんだが、その答えはすぐに見つかった。「すべては自分が望んで引き寄せていることだから」。と思うと、一瞬でふっきれた。要するに「ちょうどいい程度の忙しさ」なんてないってことだ。自分が納得できるペースで納得できるクオリティのものを提供できる「ちょうどよさ」なんて、ないのだ。結局、戦闘が好きだからこうなっているわけだ、と思い出すと俄然、血が沸く。私が望んでいるのは「毎日充実してます」とか笑って言えるような生活じゃない。いい悪いではなく、これは単なる性癖なのだ。

 これってドMなんだろうか。という話をしたら、Hさんが興味深いことを言っていた。彼女いわく「Mの人は自分を痛めつけたいSの要素を持っていて、Sの人もまた然り。つまり人はSかMかに分けられるのではなく、『SM』が濃いが薄いかなのだと思う」と。なるほどね。来年も、より自覚的に、一人SMでいきます。

 

☆馬鹿でかわいい子と馬鹿でかわいくない子とは           2008.12.22

 吉祥寺の駅ビル・ロンロンから先日、30年以上も根を張っていた弘栄堂書店が撤退した。それこそ子どものころから相当利用してきた店なのだが、呆れた不手際に何度か遭遇することがあったため、まったく惜しむ気持ちにならなかった。一番腹が立ったのは、注文した本が2か月たっても届かなかったときのことだ。まだネット注文が一般的ではないころのことね。待たされている間に何度か連絡をとって、在庫取り寄せが可能であることは確認できていた。ついに必要な期日ギリギリになったので責任者を出せ、と詰め寄ったら、出てきた御仁は「なんならうちはキャンセルして他のところで注文してもよい」と抜かすのである。注文時の基本ルールでは、本来お客側からのキャンセルはできないことになっているのに、この期に及んでそう来るか! 埼玉にある在庫センターにはあることがわかっているというから……「じゃあ、あなたが今日これから取りに行ってください」と言ったら、その通りにしたらしく、翌日入手できた。やればできんじゃん。手のかかる人だ。あとにはブックファーストが入り、ブクファ大好きの私としては万々歳。とはいえ、さして広くもないのに、最近ありがちな「売れセンの本を大量に積むレイアウト」を採用してるのにはガッカリ。

 しかし、書店はともかく同じ弘栄堂が経営している文具店も、やや時間差があって撤退するとわかったときには……こちらにはやや後ろ髪引かれたのである。事務用品ひととおり、いかにも子どもの学用品といった風情のもの、ご婦人好みなレターセット。定番人気のあるキャラクター文具よりも、どちらかというと文具メーカーが作る「今期のみのデザイン」ものが勝っている、洗練されてない品揃えが魅力の店。2割引きセールをやっているというから、閉店前日に行ってみたらもう棚はガランガランだった。愛用してるマルマンの楽譜ノートを、あるだけ買おうと思っていた。8冊。それからふせん。ふせんはいくらあってもすぐ足りなくなる。こないだも5000円分もふせんを買ったばっかりなんだが。あと、カードリングとスクラップブックを購入。のりとか修正液とかペンの替え芯も補充したかったが、こちらは売り切れ。ご婦人仕様の、クロス貼りのハードカバーの日記帳(定価は3000円くらいする)の背表紙に「風雪」とあるのが気に入って手に取るが、あまりにも今の自分とはギャップがある感じがしたので棚に戻す。いいなあ、風雪。いや、ある意味吹雪まくりな日々を送ってるのかもしれないが、雅に欠けるつーか、シャレにならないんだよな。NHKの朝ドラの原作になるような“とある一婦人の日記”……みたいなのが書けそうな方が購入するべきものである。そもそも縦書きの似合う字が書けないうちは買う資格がないな。

 そういえば吉祥寺のLAOXも年内で閉店するらしいから、一度行っておこうかな。もともとよく存続してるなあと思う店ではあったが、駅からの同一ルート上にでっかいヨドバシカメラができてはひとたまりもなかったというわけである。私はというとヨドバシにはあまり足を運ぶ気にならず(でかい店が苦手なのだ)、むしろLAOXを応援する態勢でいたつもりだ。この、愛すべきショボい店ってもののポイントは、とりあえず分相応なことである。利用する立場としては、もうちょっと店をどうにかする気力を見せてくれればいいのになあ……と素人ながらに思う。それでも応援してしまいたくなるのは、ショボさを自認しているところ。もちろんこれ、全然競争社会としては全然ダメなことなのだが(笑)。ショボいくせに大上段な店はむかつくが、こういう店には優しくしたくなってしまうんだ。くさった商店街でも、よくあるではないか。ホコリがかぶった、中味が劣化してることはまちがいないペンキなんかを堂々正価で売っている店。こんな店で、何か買ってやれないものかと思っては、見ている。

 

☆ただ、読みたいだけ2                2008.12.15

 活字好きの域を超えた中毒者は、常に新たな読み物を見つけてしまう。 先日、図書館の処分放出品で、持って帰りたくてたまらなかったのは、新聞の縮刷版である。各新聞社が出してる、1ページをA4サイズに縮小して1か月分の記事を1冊にまとめたやつ。連載記事とかまとめて読めるし便利。しかしその日はすでにものすごい重量の本を持っていたので、後ろ髪ひかれつつ断念。あ、ちなみに新聞1か月分の数倍くらいの値段です。でなければ買ってもいいんだが。なぜか1か月分まとまってるほうが、読む気がする。

 ふだんから出版目録を読むのが好きだ。それこそ小学生のころからよく本屋で文庫目録を収穫していたが…。そういや、(これはちゃんとした売り物)岩波文庫、ハヤカワポケミス、中公文庫の目録は持ってるしなあ。 今までのお気に入りは、大修館書店の目録。辞書がメインの会社ですからね…『辞典の辞典』なんてタイトルを見つけて思わず欲しくなったり。東京堂の目録も入手したいところ。あ、明石書店の目録も相当イイ。出版社名を挙げただけでわかる人にはわかるでショ?

 で、最近愛読してるのが、政府出版物刊行センターで入手した『政府刊行物等総合目録』。『ハム・ソーセージ年鑑』『ハイヤー・タクシー年鑑』『パチンコ参加実態調査』『日本スーパー名鑑』『レジャー白書』『全国伝統的工芸品総覧』『粉じん障害防止ハンドブック』『最低賃金決定要覧』『アンケート調査年鑑』などなど。タイトルを見てるだけでいろいろ想像を喚起されて楽しめ、 しかもこれは「本」と違って欲しくなるわけじゃないんで、安心して読める厚さ2cmの書物。そういや『心理図書総目録』ってのも持ってますが、これは逆に読書欲を刺激されてしまう危険なブツです。だから、本棚と天井のギリギリのところにささっているんだな。

 

☆朝の買い出し           2008.12.7

 どういうわけか6時半に目が覚めてしまい、もう一回寝ようとしたが眠れないので起きてみた。珍しいこともあるものだ。というよりも、寝る時間帯が決まってなさすぎ。たまたまこの時間に目が覚めただけなのだ。すでに「夜型」とかそういう言葉でくくれる範囲じゃないからな。今日は午前中に吉祥寺に行く用事がある。その前に何をするか、で、ひらめいたのが、ロヂャースの朝市に行くことである。ディスカウントショップの殿堂、ロヂャースは第1・第3日曜には朝8時半から朝市をやっている。ここのところ籠城続きで、我が家の長期保存対応食品(要するに乾麺や缶詰やお菓子)がめっちゃ減っているのが気になってしょうがなかったんでい! その後にでっかい荷物を取りに行くことになってるがかまわん。食品の買い出しだと思うとウキウキする。特大トートバッグをひっさげて出動。

 ロヂャースの朝市に来たのはそれこそ数年ぶりだが、うーん、みなさん、いいまとめ買いっぷりだ。ロヂャースのよいところは、食料品だけでなく、生活雑貨全般、文房具から衣料品までなんでもあるところだ。湯たんぽからスカジャンまで(笑)。スパゲティ、うどん、缶詰、コンソメスープとかクラッカーとか餅とかおやつをかごに入れる。6Pチーズが198円か、まあまあだな。6Pチーズ好きなんだよな、三角だから。だけど最近6Pチーズ食ってるときなんか薄いような気がすると思ったらさ、1個25gだったのを20gに変更したってパッケージに小さく書いてあるじゃんよ、などと考えていたら。となりに棒状のチーズがあった。ひさしく買ってないけど、お得感から言ったらコレだよね。なんの気なしに箱の裏を見ると、チーズを使ったレシピなんかが書いてある。これ、子どものころ懸命に読んでたなあ。「じゃがいものオーブン焼き」とは、これまた素朴な。……しかし、オーブン料理に「とろけるチーズ」じゃなくふつうのチーズ(しかもスライスチーズでもない)を使う懐かしさにグッときて、これを買うことに。あの、ナチュラルチーズが焼けてもとろけられずに膨張しまくっている姿が見たくなる。

 そばでは、レジに並んでなかったとか言っておじさんが奥さんに怒られているのも、ロヂャースらしくてまたよし。

 

☆宇宙の灯台守                2008.12.1

 空もすっかり明るくなってきたころに風呂に入ると、最近「惑星ソラリス」が頭に浮かぶのだ。観たのはずいぶん昔だし、具体的なことは言えないが。電気はつけなくていい程度の明るさ、安っぽい浴槽のアイボリーと白い壁。そして朝特有の《無音が聞こえてくる》感じがあいまって、それを思い出させるのか。

 今朝もまた、風呂でソラリスな気持ちに浸る。これが実にいい。私はタルコフスキーの何が好きかって、沈黙が好きなんである。ひとりでいるとき黙ってるのは普通のことだが、ソラリス的な気持ちになっていると沈黙の充実度がちがう。

 裏の公園から聞こえてくるとおぼしきオカリナののどかな調べで、その沈黙は破られた。頭の中のソラリス風残像が消え、木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾年月」に変わる。オカリナ吹きは、なぜか「ふるさと」を繰り返し練習しているのだ。他の曲に変わったり、静かになったり、気がつくとまた「ふるさと」にもどっていたり。

「惑星ソラリス」と「喜びも悲しみも幾年月」の間をさまよう私。あ、木下恵介も私は大好きですよ!

 

☆ポケットにまんじゅうを                    2008.11.23

 以前、気に入っていたキムラヤのチョコレートあんぱん(チョコクリームとあんが同居しているしろもの)を、出張かばんに入れたまま一日が経過し、翌日に思い出してホームでかばんの中から救出したところ、きれいにぺっちゃんこになっていた。中味がはみ出しているわけではなく実に均整のとれたつぶれっぷりのそれは、なんとおいしかったことか。というわけで、私は次からそのパンを食べるときにはよく踏んでから食べるようにしたのだが、あのときほどにうまくはないのだった。やはり、人工的なつぶし方では、あの自然に時間をかけて少しずつつぶされた絶妙な圧縮状態には至らないのかもしれない。

 本日、悲鳴のライブの前にN氏にまんじゅうをもらったので、それをポケットに入れておいた。それから数時間後。ポケットに手を入れると、さて、これまたいい具合につぶれたまんじゅうが完成されているわけである。

 そのあと悲鳴のガンディくんから大福をもらったのでジャケットのポケットに入れたが、家に帰るころにはすっかり忘れていて、危うくジャケットをそのままクローゼットにしまうところだった。そうだな、一日二和菓子ってのもどうかと思うので、つぶれたところをさらに寝かせて固くなったところを焼いて食べるのがいいかもしれない。万人にはお勧めしないが、なんでも収納するとおいしくなるの法則……って、あるかもしれない。

 

☆秘策           2008.11.17

 睡眠時間の少なさを眠りの深さで補っているせいか、目覚ましでも起きれない子ちゃんである。もっとも友人よると「起きられないのは、この時間に起きようという緊張感が足りないせい」で、そう言われれば確かにそんな気もする。本当に危ないと思うときは、いい大人なのに実家にモーニングコールを頼む始末。ただし、これも使いすぎるとやがて音に慣れて起きられなくなりそうなので、あまり使わないようにしている。

 さて、どうにも緊迫感の足りない性格を変えるのは難しいので、起きるための秘策を考えてみた。けっこう大きい音でも、その音に慣れるとすぐに聞こえなくなってしまうので、音量勝負のものにはもう期待しない。震動で起こされる装置はいいかもしれないが、まだ高いし邪魔そう。過去に試した「タイマーによるエアコンの熱風で起きる」というのは大成功だった。今の部屋ではエアコンの設置場所の都合上、それは無理なのだが……「不快さで寝苦しくなって起きる」というのはいいんじゃないか?

 そこで思い当たったのは、尿意で起きる方法なのだが。しかし、これは思ったより難しい。水分を摂取しすぎて起床予定時刻より早く起きだしてしまったら……スッキリしたあとはさぞまたよく眠れるだろうなあ。今、実用化に向けて本気でいろいろ試行錯誤中なのだが、まさかもらしてしまったら目も当てられないな。自分の緊張感のなさを思うと、それもないでもないような。

 

☆コーヒー色の輪っか                 2008.11.10

 ちょっと前に。ライブの前に「我々新聞」を作ろうと高円寺のコーヒー店に入ったとき。コマツ氏が、私の分のコーヒーもいっしょに乗せたトレイをテーブルに下ろしたとき、コーヒーが少し受け皿にこぼれてしまった。やけに何度も謝るのを、「それほどたくさんこぼれたわけでもないのになあ」と思う私。その後ダスターや紙ナプキンを使ってていねいにふき取っているのを見て、「あ、コーヒーの量が減ったことじゃなくて、食器が汚れたことを主に謝っていたんだな」とようやく気がついたのだった。

 私はそこらの反応が鈍い。家で、仕事机の上に置いたマグカップを倒してしまったことがある。コーヒーが半分ほど入っていた。あっ、と思ったときにはコーヒー、カップに帰らず。ここでするべきは、広がっていくのをせきとめることなんだろう。しかし、私は、なぜかあわてもせずに「そんなにいっぱい入ってたわけじゃないから、適当なところで止まるだろう」と思っている。というか、湖が拡大していくのがおもしろく見えるので、じっと見ている。ギリギリまで見ている構え。そろそろあの紙資料の入ったクリアファイルに達しそうだ、と思ったところでようやくふくものを取りにいく。もどってきてみると、もうファイルはコーヒーに侵されている。これが、人からの借り物だったりする場合は一応もっとあわてると思うのだが、私としては資料が茶色くなってもゴワゴワになっても差し支えない。

 コーヒーが流れていったと思われる範囲をふいたつもりが、雑なのでやっぱりふき残しがある。そこに置いたカップを、ノートの上に乗せたりするもんだから、茶色の輪っかがつく。これも、もちろん全然気にならないんだけどね。

 

☆髪型の発明                    2008.11.3

 あわただしいときに、あえて美容院に走った。これ以上放置しとくと髪がぐしゃぐしゃになり……くたびれきったときに鏡を見てがっかりすることになるのは、全方位的に得策でないからである。先手必勝。

 そして怪気炎の燃料となるのは、新しい髪型の企画である。電車に乗ってる途中で考えをまとめる。2か月くらい前から、前髪をななめにカットする形にしていたのだが、いまやアシメトリーもフツーだしな。もっと思い切った形にしたいものだ。

 と思って、できたのが「二重人格カット」である。右から見るとショートのようで、左から見るとロングのような。あしらいようによってはホラーマンガじみたり、一転さわやかになったり。美容師の腕のおかげで、今月もおもしろく新鮮な気持ちで暮らせるわけである。こうなってくると、髪というより盆栽いじりみたいな気もしてくるが。

 

☆本のために早起き           2008.10.26

 資料検索のため、図書館のホームページを見てたら、ついよけいな情報をキャッチしてしまった。寄贈図書の無料提供フェアってやつである。ときおり図書館で、処分本(図書館で貸し出してた本)の無料提供をやっているのにお目にかかるが、こちらは市民から寄贈された古本……ということらしい。外に出た日はほぼ全日、新刊書店・古書店・図書館のどれかに足を踏み入れるというのに、この手の情報にはよだれが止まらない。タダなのはうれしいが、ここで提供される本はさほどグレードの高いものじゃないことはわかりきってる。だけど、失礼ながらひなびた場所ならではのお宝……が1冊くらいあるのじゃないか? よし、30分遊んでこよう。

 というわけで、私としては早起きして開始時間9時半に合わせて乗りこんでみました。市内で一番小さい分館なので小規模だろう、と予想した通り。段ボール10数箱につめこまれた本を見てる人は、10人ちょっとくらい。これまた思った通り、ぱっと見のラインナップは古本屋の50円〜300円棚レベル。お約束の文学全集・思想哲学全集・美術全集のバラ本。ハンパに古い新書や文庫。昭和末期にそこそこ売れた単行本、福祉関係の専門書etc。いきなりひいたのは、黄色い表紙のチボー家5巻揃い。もうこれで、今日は帰ってもいいや、という気すらしたけど。一応ひと通り見るか。わっ、出た、出ましたよ! 桐山襲の『パルチザン伝説』の作品社版! 第三書館の「天皇アンソロジー(1)」(なんちゅうストレートな名前だろう)……の『パルチザン伝説』は持ってるんだけどね。作品社版には短編『亡命地にて』が収録されてんだよね。買い。じゃなくて、もーらい! しかも、さらに探してた『「パルチザン伝説」事件』(桐山襲/作品社)まであるじゃないの!

 あとは、リチャード・マシスンの短編集『激突!』、なんか小説で読みたくなった『ゴッド・ファーザー』(マリオ・プーヅォ)、丹羽文雄などつかんで終了。まだ在庫を出してくる様子ではあったが、長居は野暮だろ。

 こうした「寄贈」はどういうシステムで受けつけているのか訊いてみると。基本は、「一般人の趣味の本……ではなく、長年研究などテーマをもって本を収集してきた方」から、一定数以上で、ということになっているという。まあたしかに、10冊程度バラバラと、公共機関にふさわしくない本を投げこまれても困るし、対応が大変なんだろうね。とはいえ、別に専門的な収集家の方から放出された本、には見えなかったが。小説だってけっこう娯楽モノが多いし、どっから見てもふつうの古本屋の安売り棚(笑)。係の方いわく、「ぱっと見はふつうの古本に見えるかもしれませんが」(わっ、語るに落ちてる!)、「たとえば、編み物の先生が昔出された著書などをまとめて出してくださったりするわけです」(ああ。あの、微妙に古いデザインすぎて今はちょっと……っていう編み物本がごっそりあったのはそういうわけか)。入口、アカデミックにこだわってるわりには、出口は……(笑)。

 前に大阪で見た市民のリサイクルブック棚とか、地下鉄文庫とか(あれもよろしくない本をチェックする係は存在するのだろうが)、ああいうのがもっとそこらにあれば話は簡単、と思うんだけどね。

 

☆ただ、読みたいだけ                 2008.10.20

 飯食って打ち合わせ行って飯食って資料あさって飯食って原稿書いて飯食って、曲作って飯食ってリハーサルやって飯食ってライブやって飯食って原稿書いて。食いすぎでしょうか。

 とまあ、けっこうリアルなような気もする冗談はさておき、小刻みに一日をばらしながら立ち回っていると、もう本が読みたくてじりじりする。あるのは飯を食う時間と、寝る前の時間最近寝不足ですぐブラックアウトしがちだが)。『本棚探偵の冒険』(喜国雅彦/双葉文庫 ※続編は持ってたのだが肝心の一作目をようやく入手)と、連載が一冊にまとまるのを待ってた『できそこないの男たち』(福岡伸一/光文社新書 ※生物学のハナシ)と、『桶川ストーカー殺人事件−遺言』(清水潔/新潮文庫 ※もちろん何度目かの再読)と数冊のマンガを同時進行で、そのとき手にとったやつを読んでいる。「どれを読もうかな」と考える瞬間するもったいない! それにしても『本棚探偵〜』は、毒だ。古本屋に行きたくてたまらなくなる。たまらなくなったんで、ついフラフラと寄っちゃいましたけど。自分の中で「タイムリミット15分」と設定したわりには『モダンガールの恋 堀内敬三とわたし』(堀内文子/草思社)、『図説 不潔の歴史』(キャスリン・アシェンバーグ/原書房)、『日本の現代伝説 走るお婆さん』(白水社 ※このアンソロシリーズ集めてんだよね)、『子供たちの大正時代』(古島敏雄/平凡社)、『マラヴォリヤ家の人びと』(ジョヴァンニ・ヴェルガ/みすず書房)……けっこう買ったなあ。

 先日、スタジオに向かう際、ホントに直前までデモテープを作っていたので、譜面を書き直す時間がなく家を出た。このなぐり書きかつ修正だらけの譜面じゃなあ。清書しないと練習にならん。電車の中で書こうと思った。15分あればちょうど3曲分書けるはずと踏んだのに。人身事故があったとかで、車内はめちゃくちゃ混んでいる。とても書けない。

 こんなときに本を持ってないとは……! しかたないから、前に立ってるおばさんが握りしめてる漢クロの空いてるマスを解き、まだ時間があまったので、となりの娘っこが書いてるメールをのぞき見していた。いやはや、うっかりしてた。どんなときに読むチャンスがあるかもしれないって、わかっちゃいるのに。

【付記】読めないかもしれなくても本を持ち歩かないと不安。とちゅうで読み終わっちゃったときのために、次に読む本も持っていく……という方は、かなり多いのではないでしょうか。さらに考えてみると私の場合は、持ってないと不安なもの第1位は間違いなく、ペンです。ペン入れを忘れたとしても、カバンや服を振れば何か1本は出てくるはず。紙も大事ですが、まあいざとなれば何にでも書けるし。

 

☆今日の風向きを読む                    2008.10.13

 今、台所に置いてある、料理をしながら読む本は『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(内田樹/角川文庫)。裏表紙に書かれてある「疲れるのは健全の徴。病気になるのは生きている証」という言葉は、ともすると極端なポジティブ思考と誤解されかねないが、そういった本ではない。類型的なサクセスモデルへの幻想を棄て、疲れたら休むことの健全さを説いているのだが、かといっていわゆる「がんばらない」推奨本でも、もちろんない。この著者の本を、一冊でも読んだことのある方には言わずもがなだが。

 ときおり「どうやって生きたらいいか」的な相談が舞いこむのだが、そういうときに私が多く口にするのが「優先順位」という言葉である。相談してくる相手はたいがい、いろんなもの(やりたくないことけどやらなきゃならないこと、やらねばいけないような気がすること、やりたいこと、しかしできそうにないこと…)がごっちゃになっている。話をしながら整理していくうちに、「そうか、これが一番なのか」ということがまあまあわかってくるようである。驚くのは、けっこう「自分ではやりたいと思ってないのに、やらなきゃいけないという思っていたこと」に惑わされている人が多いことだ。これが、内田氏も言う「幻想のサクセスモデル」であり、「他の人が欲しがっている(ように見える?)から、自分も欲しい気がするもの」なのだが。かといって、「やりたいことをやればいいさ」では、話は現実的でない。いや、シンプルにいえば本当はそれでいいのだが、こう言い切ってしまうと「夢はかなう」的に誤解をする人が生じる。

(以下、『疲れすぎて眠れぬ夜のために』より引用)「人は夢と現実を同時に生きなければなりません。この匙加減がとても難しいのです。なのに、若い人たちは答えを単純化したがります。「私には無限の可能性があるのかないのか、どっちなんです?」と訊いてきます。そういうとき、ぼくはこう答えることにしています。「君の可能性は無限だし、同時に、有限である」自分の可能性を最大化するためには、自分の可能性には限界があることを知っておく必要があります。(中略)ぼくたちの可能性を殺すものがいるとすれば、それはほかの誰でもありません。その可能性にあまりに多くの期待を寄せるぼくたち自身なのです」

 内田氏は「可能性とは、自分でたいせつに育てるものだ」ということを言っている。

 まれに「(人にうるさいことを言われず)やりたいことだけをやって」暮らしていられれば幸せだろうとかんちがいする人に出会うが、そういう人はその中にも苦しみは生じることを想像できない。とことん自己評価が高いのだろう。だけど、そういう苦しみも慣れていけば耐久力が備わる。一方でそこを避けていれば、ただただひよわな人間になっていくだけだと思うのだ。

 毎日の中で、すごく小さいことでも「優先順位」は、ある。精神的な欲求、肉体的な欲求、それがほかに及ぼす効果などから、順位が変動する。内田氏は「身体から発信される信号を聴き取れ」と説くが、まさにそれ。午前4時。私、これから小松菜をゆでて、明日の朝ごはんを作りますけど、このポイントはすごく高いんだな。小松菜とにんじんとしいたけとネギのスープができていることによって、明日起きたときの世界の輝き度がまるで違うんだもの!

 

☆西村玲子、やっぱり偉大なり                 2008.10.6

 どうせその通りに作れるわけもないしお手本に習って何かを作るつもりもないので、「作り方の本」はめったに買わない。しかし、前にどこかの本屋でちらっと見た西村玲子の本が欲しくて、ハンドクラフト本コーナーの充実してそうな本屋に行ってみたが見つからない。しかし、最近の手芸本のあふれかえりっぷりったらすさまじいものがある。手作り人口ってそんなに多いのか? 近年増えてるように思うのが、家庭科の成績の悪かった人でも挑戦できそうな、ちょこっとした手芸の本。技術はなくてもセンス次第で味のあるかわいいものができますよ……みたいな。要するに最初から「プロにも劣らぬできばえ」は目指さず、「ちょっとゆがんでるくらいの味があるからかわいい」的世界を目指すものである。

 西村玲子氏は、にわかに増えだした「味」系手芸の先駆的な人物だと思う。イラストレーターであり、ファッション、雑貨、インテリアなどのイラストエッセイの本を……私の知る限り70年代からわんさか出している。当時はこの手の本って非常に少なかったように思う。西村玲子とクニエダヤスエと大橋歩くらいじゃなかったか。一見走りがきしたみたいに見える線、色鉛筆でザザッと塗った感じも独特で、似ている人が思い当たらない。いつのまにか手芸の本なども出すようになったのだが、作り方なんてくわしく書いてないのがかえって魅力。ときには着なくなった高価なブランドのコートを惜しげもなく適当にザクザク切りぬいてみたりと……発作的に思いつきを形にしていくさまが綴られていく。この人の場合、狙ってない本物の「適当さ」加減が絶妙。それでいて出来上がったものの写真はしっかりと、なぜかエレガントなんだよなあ。フリーハンド派の大ベテラン、西村玲子の本の情報量に比べたら、いまどきの雰囲気ほっこり本なんてたいがいぺらっぺらだ。心ある本屋の方よ、手芸棚には「西村玲子」のコーナーを設けてくれ! 「味」系全盛の今こそ、真に自在な創造力をもった西村玲子氏を再発見すべし。

 

☆モア!                 2008.9.29

 曲をつくるとき、たいがいは譜面にいきなり書いてみて、そこから切ったり貼ったり直したりの作業になる。最近はあえてギターを持って作ってみたりもする(自由に弾けない楽器なので、幸いまだ手グセがない)が、譜面に書いていくというやり方は同じ。そこで「完成」となった時点で、次はデモテープ作りである。一応完成したはずだが、この段階で迷うことが多々ある。このメロディー直したほうがいいんじゃないかとか、コードはこっちのほうがいいんじゃないかとか、さすがに不協和音すぎて歌いずらいなとか、このイントロすっごい自信満々で書いたけど客観的に聴くと意味不明すぎるなとか。

 キーボードを前に、長考にはいる。あーもう今日はここまでにしてマンガ読んで寝ちゃおっかな、という気持ちになるとき。よく弾くのが「モア」である。映画『世界残酷物語』のうつくしすぎるテーマ曲。だれもが耳にしたことのあるメロディーだと思うが、かくいう私も音源を手に入れて聴いたことがないので記憶だけで弾く。終わりのほうがうろ覚えなので、どこまで行ってもまた最初にもどってしまう。でも、どれだけくり返して弾いても心地よいので延々弾きまくり、だんだん白熱して自作のメロディーを乗っけたり別パートを挿入したり。そうしているうちに興奮は頂点に達し、音楽ってホントにいいもんですねえという気分を取りもどすのである。こういう時間帯に弾く……つまり無条件に昂揚する不滅の御三家が「モア」「茶色の小びん」、バッハの何か。眠眠打破より効くカンフル剤! その光り輝く存在感に敬意を表し、遅まきながらサントラ買いに行ってくるわ。

 

☆ゆめで、あいましょう                    2008.9.22

 浮き足だったファッション雑誌なら、なんでも楽しめる。ファッションの参考にしようというよりは、ただただ見て「なんだこりゃ!?」というおもしろさをくれる雑誌が好きだ。最近はB系の『WOOFIN' GIRL』が、もう表紙だけでもメチャやり切ってる感じで気に入っている。

 しばらくローティーン向けのファッション誌をチェックしていないなと思い売場をうろついてたら、『ニコ☆プチ』のタイトルが目に飛びこんだ。『ニコラ』(※小学生〜中学生向けの人気ファッション誌)の妹雑誌らしく、表紙にはメインターゲットが小学生であることをアピールした企画タイトルが踊る。「小学生の秋イベント&秋ブランド大特集」「主役になるっ!! 文化祭・修学旅行 秋の学校イベント2weeks 着回し物語」……なんといっても購入の決め手となったのは「気になる!! ランドセルの中身☆」。バッグやポーチの中を紹介するというのは女性誌では定番の企画だが、これが「ランドセル」だからグッとくるじゃありませんか。

 小4から小6の「おしゃれ読者代表」が公開するランドセルの中身はペンケース(もちろんカラーペンぎっしり、ペンケース2個持ち派も)、学校文具(ノートとかクリアファイルとか)、給食グッズ。化粧ポーチの中身はさすがにおさえめでリップクリーム、鏡、折りたたみブラシ、ヘアゴム、紙せっけん……しかし日焼け止めを持ってる子がけっこういるのに驚く。変わったところでは、せんす。下じきであおぐのは「男子っぽい」からだそうだ。すごいな。現代の小学生必携・防犯ブザーを派手にデコっているのが微笑ましい。

 もちろん、雑誌に登場する読者モデルのように経済的に余裕がある子は少数派であろう。そして巻頭企画の「文化祭」を題材にした着回しコーディネートの設定シチュエーションは「文化祭でバンドをやることになった」(!)というもので、実際の小学生には縁遠い話だろう。だけど、こうした雑誌のいいところは夢を見させるところだ。大人ともなると、雑誌のコーディネイトやあるいは店頭のマネキンのディスプレイをそのまま一式買ってしまうこともあるものだが、こうした「完成型をまるごと」の買い物は現実的ではあるがその分、買っても買っても充足できそうに思えない。お金のないローティーン読者は雑誌をなめるように見ては……現実的な落としどころはともかく「こうなれたらいいな」という部分を探し、当然コンセプトなんてものはなく支離滅裂にインプットしていくのだろう。そんな夢の見方が、好きである。

【余談】ファッション誌が「今シーズンの流行は○○」と威勢よくあおりたいがために、新語を作り出すのはよくあることだが、某誌の掲げる「ボヘッピー」っていうのはどうなんだろう。「ボヘミアン+プレッピー」の意味なのだが、この語感のマヌケさって……夢、見られますか? 

 

☆世界はまだ読んでない本に満ちている                 2008.9.15

「本を呼ぶ本」を読んでそこに紹介された本が読みたくなる……という甘美な構図の中に進んで飛びこむ私だが、書評本や古書愛を綴った類の本はそうとうある。何にでも手を伸ばしてはいられない。身の回りでも「この人の勧める本なら読もう」と思う友人が何人かおり、その数は多いほどいい。けれど、「たぶん私のスジとは違うな」とカンが働く場合があり……それは《本の内容に触れるのではない》……どちらかというと《本との関わりに触れる》ようなちょっとした表現から感じることもある。たとえば、こんなタイトルの本。『三度のメシより古本が好き』。本は本、飯は飯。私としちゃ本と飯は比べられない。どっちも大事だが。しかし、私は飯を我慢してでも本を買ったりはしないだろう。中を開いたらおもしろい本だとしても、装丁が気に入らないとか著者の名前が生理的にいやだとか、ちょっとしたところで切り捨てていかないと、きりがない。ご縁があったらいつか会うだろうよ。

 長田弘『本を愛しなさい』(みすず書房)は、スレスレのタイトルだと思った。長田弘が著者でなかったら「うるせーよ、別に本なんか愛してねーよ」とたてつきたくなりそうだが、静かなたたずまいにして力強い文章を書くかの長田弘の言葉だと思うとおとなしく頭を垂れてレジに持っていくことになる。

 本書は、10人の作家とその作品を取り上げたスケッチ的な小伝であるが、短編小説のように読める味わい。そして、作家の人生から抽出された思想の一滴が実に染みる。

 ヴァージニア・ウルフと夫が営んでいた小さい出版社の話『犬とリンゴと木と少年』より、以下引用。「いつかウルフ氏に言われた言葉を、少年はおぼえている。(略)人生で一番大切なことの一つは、とウルフ氏は言ったのだった。人生を派手にやるのでなく、わずかな元手でやるということだ。わずかな元手というのは、じぶんで、ということである。」「日々というのは、たくさんの瑣事でできている。そのどの一つも適当でいいんだと考えておろそかにしてしまえば、たちまちじぶんというわずかな元手を失くしてしまう。じぶんがなんという阿呆になってしまうのだ。なぜなら、モリスが言ったように、幸福の秘密は、日々のあらゆる瑣事に対して新鮮な関心をもってかかわるということのうちにあるからだ」

 

 

☆文学の久しく忘れられた醍醐味!                 2008.9.8

 美しくも退屈なグルーヴを延々と紡ぎ出す『晩夏』(ちくま文庫)を読んでから、シュティフターは私にとって「作家買い」すべき作家になった。自分内・作家ランキングをグイグイ急上昇中(19世紀人ですけどね)。かつて松籟社から出ていた本が絶版になっているのは知っていたけれど、2年ほど前から同社で新たに「シュティフター・コレクション」なるシリーズが刊行されてることにはまるで気がつかないでいた。不覚。

 とにかく店頭で、『森ゆく人』を目にして驚いたのである。ちょっと前に下北沢の古書店で入手した『森の小径』(沖積舎)と同じものか……と思ったが、違う作品らしかったので即購入。「シュティフター・コレクション3』とある。あわてて1と2を棚で探すと、『石さまざま』(上・下巻)という短編集。私は『みかげ石』という短編集(昭和31年版の岩波文庫)を持っているが、これには原本の『石さまざま』の3編しか収められていないんだもん! 代表作といわれる『水晶』読みたかっただ! 正直めちゃ長い『晩夏』は万人には勧めませんが、『石さまざま』は決して少なくない石好きの心を揺さぶること間違いなし、と言っておこう。

 このコレクションが何巻まで続くのかはわからないが(なにしろ期待しすぎると途中で冷水を浴びせかけられた時に悲しいので、あまり情報を集めすぎず、出たら買う構えで待つ。そういやあ水声社のヘンリー・ミラー・コレクションも刊行遅いよなあ)……とりあえず今年中には続いて 『書き込みのある樅の木』(仮題)という作品が出るらしい。松籟社の刊行情報を調べてみたら、これからコジンスキーの『異端の鳥』とか、ダヌンツィオの 『罪なき者』とか出るらしい。さっすがあの素晴らしいラインナップのイタリア叢書を出してる出版社だねえ!

 とか言ってるうちに、またも私を揺るがす出版ニュースが。先日、名門古書店Tに勤めるK氏から、どこぞからパヴェーゼの作品集が出るようなことをちらと聞いてはいたのだが、あまりに非現実的に思え自分の妄想による聞き間違いのような気さえしていた。が、今月の『図書』に、全6巻箱入りの『パヴェーゼ作品集成』(岩波書店)の広告が載ってるではないか。そのうちの半分以上は過去にほかの出版社から出たものを所持しているのだが、しかし河島英昭氏による個人全訳だし買っちゃうかな。以下宣伝文「ジョイスやプルーストとともに二十世紀ヨーロッパ文学の極北をなすチェーザレ・パヴェーゼ。ファシズムの時代と交錯しながら独自の神話的物語群を創造し、現代世界と人間の根源をとらえうる新しい叙事詩の精神を成就した稀有の詩人の全貌を、生誕百年の今年、最高の翻訳によってお届けする。文学の久しく忘れられた醍醐味。」文学の久しく忘れられた醍醐味! これにおこづかいを使わないでなんとしよう? 

 

☆ダイアリー                     2008.9.1

 創刊したばかりの『diaries』という雑誌を買っている。男性誌のコーナーにある雑誌。毎回文化的な特集はあるものの、その名が表すように、毎日ひとつのトピックのニュースというかコラムが載っている雑誌である。私はこの「毎日ひとつのトピック」という形式に弱い。トルストイの『文読む月日』(ちくま文庫・上中下巻)だの、『シンプルな豊かさ』(サラ・バン・ブラナック/早川書房・上下巻)を好んで読むのもそういうわけだ。人の誕生日はともかく「私的記念日」を記憶しているほうではなく、むしろこれにはあまりロマンティックさを感じないが……、今日という日に何かのインスピレーションを与えてくれるダイアリー形式の本が好きなのである。

 たぶんこの類の本を最初に持ったのは小学生のとき、当時すごく熱中して集めていた絵本画家、ケイト・グリーナウェイの『バースデイ・ブック』だろう。新書館の、正方形に近い四角い本。書きこめるスペースもあるがもちろん大事にしている本を己のみみず字で台無しにしてしまうつもりはなく、毎日の日付に書かれた小コラム(=架空の主人公による日記)を繰り返し読んでいた。デイトブックだからといってあまり季節や風物にばかりこだわっているもの、実用性が高すぎるもの(「さあ梅干しを漬けましょう」だの「衣替えの季節です」みたいなことばかり書いてあるようなの)は退屈してしまう。この本はそのあたりのさじ加減も絶妙。私はコラムにあった「アガサ・クリスティ同好会」の電話番号(海外のものとは知らなかった)に電話をかけ、つながらないのは情報が古いせいだと思いこんでいた。

 さて、今日あたりはもうはずされているかもしれないが……JRの駅のホームからよく見える場所に、某幼児向け教材の人気キャラ「シ●ジロウ」を使った「8月のカレンダー」的な広告があった。要するにこういうのが好きなんだけど「いっぱい笑った」とか「星を見た」とか、あまりに健全な内容すぎて私にはちょっと恥ずかしかった。そういえば去年の8月に作った我々新聞160号で、まさにそんなのを書いていました。こちらの内容は「課題図書『はだしのゲン』」「布団の上で泳ぎの練習」「(室内で)裸でジルバ踊る」「夏のクラクション鳴らす」etc.……うむ、やっぱいかしてるわ!