ダマコラム KOZUE AOU    2007.4〜8月 2007.9〜12月 →top

☆おしゃれな店でがんばる                       2008.4.28

 仕事で、ふだん行かない街に行く。せっかくなので、場所はうすうす知ってたが入ったことのないおしゃれな古本屋を目指してみる。うへっ、おしゃれ系の店は外の棚からして違うぜ。ふつう、外の棚っていったら50円や100円の本が並ぶとこだが、ここはいきなり525円とかなんだぜ。値段が高いと敷居が高い。一瞬入る気をなくす。私ほどの本キチガイにこう思わせるとは!

 で、中の本もやっぱり高いのである。心ひかれる本もあるが、どれも自分が心に思いうかべる値段の倍くらいなのである。私が持っている本を手に取ってはいちいち値段をチェック。かつて古本屋で買った値段の、少なくとも3倍、すごいのは20倍もの値がついているのを見て、みみっちく喜ぶ。

 店内の他の客とはあきらかに異なるBPMで短時間にものすごい冊数の中身および値段をせこせこチェックした挙げ句、ここで買う本はなさそうだとあきらめかけた時、そのタイトルが目にとびこむ。『宇宙多重人格者』(ルボフ/創元推理文庫SF)……いいじゃん!

 うちの本棚には「多重人格」コーナーがある。ノンフィクションはもちろん、それを題材にした小説をけっこう集め読んでいたのだが、最近コレってものに出会ってなかったんだよねえ(そもそも「多重人格」って言葉自体、いまやNG)。ひさびさグッときた。315円、合格。ちなみにこの日見た中での最安値。満足。

 

☆現代のたぬき汁                      2008.4.28

 『日本人の食卓 おかず2001』(浜田ひろみ/NHK出版)は、文章だけの料理レシピ本である。料理の本は、ビジュアルがないほど想像力が喚起されて、良い。短いものは2行、どんなに長くても10行程度で2001の料理の作り方が説明されているこの本こそ、真の実用的な料理本である。これをパラパラと見ていたら、「たぬき汁」という項があるではないか!

(以下、引用)「こんにゃくは手でちぎる。大根やごぼう、椎茸とともに油で炒める。濃いめのだしで煮込み、しょうゆと塩でしっかり味をつけ、仕上げに水どきかたくり粉でとろみをつける。こんにゃくを炒めた味がたぬきの味に似ているとかでこの名がある。」

 昔話なんかに出てくる……というよりは、半ば決まり文句のように使われる「たぬき汁にして食っちまうぞ」の「たぬき汁」、ちゃんと昔は存在したのですね。いまや「なるほど、たぬきの味に似てるな!」と判定できる方は少なさそうのなのが残念。

 

☆本屋の一分                       2008.4.21

 本屋でもらう領収書に経費精算のため出版社名を書く必要がある場合、バックカーボン式のものでない限り未記入でもらうようになった。あきれるほど出版社の名前を書けない書店員が多いからだ。説明しても、さほど難しくもない漢字が書けないんだものなあ。本当は善良な市民の義務として書けるまで懇切丁寧・個人個人にあったレベルで適切に指導・ほめて学力を伸ばしたいところだが、後ろに行列ができてる時はそうもいかない。本屋たるもの出版社の名前くらい……そうだな、もちろん何も見ないで、制限時間10分で50社くらいはサラッと書けてほしいところだが。勝手に「本屋検定」(笑)。

 別に、書店員がみんな超のつく本好きなんて思ってやしません。それは、今さら後押ししなくても既に売れまくってる本ばかり選出する「本屋大賞」の結果からもよくわかることではある。「本屋が選ぶ」という以上は、ちょっと無理してでも「注目されていない名著を推薦したい!」という気概を見せてほしいものだけど。

 一方、最近とみに書店員のメディア露出が増えたせいなのか、書店員さんたちの表現意欲は増しているようだ。手書きポップがはやり、各店の店員有志によるフリーペーパーめいたものを置く店もある。私はだれでも1人1フリーペーパーを発行すればよいと思ってるフリぺ推奨派なので、これらの内容の充実度についてまでは云々言わずにおくけれど……しかし、そんなことより先に出版社の名前でも覚えてほしいと思うのが本音。

 もっと言えば。フリぺよりも、本屋は「棚」で自己主張してくれい〜〜っ!!

 

☆新入社員諸君に捧ぐたいして役にも立たない訓話                  2008.4.14

 季節柄、この春新入社員となった人の話を聞いたりしていて、自分のときはどんなんだったっけ、と思い返してみた。といっても私の場合はバイトしていた編集プロダクションで雇ってくれることになったのだが、それも私のワガママで、正社員というより「おみそ」のような存在の微妙な社員だった。

 3月31日までバイトしていたにもかかわらず、それでも会社の人にとって一応私は「新入社員」だったのだ。4月1日、出勤(しかもいつものごとく遅刻)してみたら上司に「今日くらいはスーツでも着てくるかと思った」と言われたなあ。しかし、最初から自分のキャパを超えてよい子を演じたりすると、あとで困ることもあるだろう。それよりは最初っから素を見せておいたほうが「この人はこういう人なんだからしょうがない」と大目に見てもらえたりする。そういえば、当初ボロボロのジーンズをはいていったら「あおうさん、そういう服はちょっと……」と注意された。じゃ、仕方ないと思って破れてないジーンズを着用するようにしたのだが、あとから先輩に聞いたら、その会社ではもとはジーンズは禁止だったらしい。

 まあこれらは今振り返って思うことであって、当時はまったく計算してなかったので、私はまるで天然の空気読めない人だったのだろうが……。あ、ちょっとだけ役に立ちそうなことを言っておこう。残業している上司より先に帰る時、決してすまなさそうにしてはいけません! 自分にすることがなく、他にやりたいことがあり、上司を手伝う気持ちがみじんもないならば、さわやかに笑顔で威風堂々と「お先に失礼します」と立ち去ること。すまなさそうにするくらいなら、手伝いなさい。手伝うことがなければとっとと帰ってよし。

 なんだかんだ言っても、1年に一度は「やめたい」と言い出す私をどうにか操縦して、数年も使ってくれたその会社にはとても感謝している。それにしても、今思い出してもちょっと心が痛むのは、上司が「入社祝い」と称して買ってくれた高い腕時計を1年も経たないうちに踏み壊してしまったことだ。会社の帰りにクラブチッタにライブを観に行って飛び跳ねている時、落としてその上に自分で着地してしまったんだ。「なんで私のような者にこんないいものを買ってくれるんだろう!」と驚きつつうれしかったので……、いつその時計をしてないことを気づかれるかと、厚顔な私もさすがにビクビクしたものである。

 

☆長いものには巻かれろ                       2008.4.7

 ストールの季節がやってきた。衣替えはまだ先の仕事なれど、とりあえず真冬仕様のマフラーをしまい、春夏オンリー仕様のストールを出す。毎日何を着るかよりも、何を巻くかが重要なくらい巻き物好きな私としては、ひとこと世の女性に問いたいことがある。

 なぜ、ストール(およびマフラーおよびスカーフ)の洗濯表示タグを取らないのか?

 色鮮やかなカシミヤストールを巻いたコンサバかっこいい女性も、スウェット地の細いボーダーマフラーを巻いている娘も、「それどうやってんの?」と思わず尋ねたくなるアラビアンストールの巻き巧者の方も……嗚呼なにゆえ洗濯表示タグをぴらぴら見せて平気なのだろうか。洗濯する時わからないと困るから? うそつけ、そんなにしょっちゅうストールを洗うもんか。だいたいみんな高いやつはクリーニング屋まかせだろ! 安いやつは表示なんか見ないで洗うだろ! 女性誌に、切り取った洗濯表示はノートかなんかに貼って保存しておけとか書いてあったが、そんなマメなことをやってる人がいるのかどうかはともかく……。

 私なんかなあ、私なんかなあ。洗濯表示タグを取るマメさはあるけどなあ、やることなすこと雑なもんだから、タグといっしょにかぎ針編みのストール本体までちょん切っちゃってショック受けたりしてんだぞぉ! それも2回もな!

 教訓。次からはちゃんと糸切りばさみを使うようにしよう。

 ちなみに、傘のとってのビニール包装を取ってない人もすごく気になります。

 

☆街でアシストを決める                       2008.3.30

 吉祥寺の古本屋『すうさい堂』の前を素通りするのはむずかしい。私はどこの店でも外の激安コーナーをチェックするのが一番好きなのだが、ここはさらに特別だ。地面に置かれた木箱をのぞく。透明フィルムでパッケージされている一冊一冊、30円や50円の本にまでもすべて自筆コメントがついている。これを読むのが楽しみなのだ。甘糟幸子の『野の食卓』が30円、『愛と死のかたみ 処女妻と死刑囚の純愛記録』(山口清人・久代)が50円。いい買い物だ、と立ち上がりかけたところで、「もう宇宙人は地球にすんでいる」というようなタイトルが目に飛びこむ。著者はそりゃもちろん矢追純一。つい手に取ったが、これは私が買うべき本じゃない、と戻す。だれかにバトンを渡したい! 目につきやすいよう、表紙を見せるように置いておく。

 店内に入り、ほとんど無意識に『恐怖新聞』(つのだじろう)全巻セット1800円をつかんで、レジへ向かう。店主「今日はイベントのビラはいいんですか?」。「あ、また持ってくるのでよろしくお願いします」などと会話をかわす。

 さて、私と入れ違いに若いカップルが店に入ってきた。その女の子が手にしている本に目を走らせると……さっきの本ではないか。いいぞいいぞ! いいパス出した気分。

 

☆もっともらしく見せようと必死、に思えてきました                    2008.3.23

 ニュースで「気温が15度を超えてきました」というフレーズを聞くようになったのは、わりと最近のことのような気がする。そういえば「超えてきた」はスポーツの中継などでも耳にする。「球速150kmを超えてきました」「得点は○点を超えてきました」とか。どういう感覚で使っているのかよくわからないのだが、単に「超えました」というよりも、なにか「どうだ! やったで!」という威勢のいい感じがするためだろうか。しかし、「球数は100球を超えてきました」の場合、別に強調しなくてもいいような気がする。あながち冗談じゃなく「マグニチュードは7.0を超えてきました」なんて言い出す人も出てくるんじゃないか。

 もうひとつ気になってしょうがないのは、料理番組での「塩が入ります」「ここで、小麦粉が入ります」という言い方。これも昔はなかった言い方だ。しまいにはアシスタントが「へえ、オリーブオイルも入るんですね」などと言い出す。主観を排除した言い方、ということになるのだろうか。それとも、これも「〜を入れます」では単調なので、ものものしくするための効果を狙って生まれた言い方なのか。「入ります」、どうせなら片肌脱いで言ってみては。「○○さん、入ります」みたいな業界的(?)な言い方から派生したものなのか? まさか気温さんや塩さんを敬っている……?

「ら抜き言葉」問題に関しては《言葉は変わるものだ》寄りな私は、省略的な言葉は容認派。しかし、こうした小手先でもっともらしくしようとする言葉には、非力さを感じてならない。

 

☆目を疑う                       2008.3.16

 古本屋の棚を眺めていて、びっくりするようなタイトルに出くわす。

『ノーといわない能』。ええっ? 能は懐が深い、と言いたいのか?

『介護もアート』。嗚呼、強引。言いたいことはなんとなく想像できるが、この「も」が曲者。いっそ、「は」で押し切るべきではなかったでしょうか。

『チンパンジーはちんぱん人』。直球のダジャレに寛容な私ですら腰が退ける。しょ、小学生……?

 おそらくいずれもその道の専門家が書いたもので、それゆえ門外漢にも親しみやすく興味を持ってもらおうという努力のなせるわざなのでしょうが、いくらなんでもこりゃあんまりだ!

 

☆我々は楽しい遊びを知っている                       2008.3.10

 多くのご婦人がそうであるように、私も食器が大好きである。買う時のひとつの判断基準は、どんな料理をのせても似合うこと。いろいろな色、多国籍の食器を並べて、それがなじんでいるさまを見るのが好きなのである。「この料理にはこの皿」というルールは設けないほうだが、ほうれん草のおひたしだけは、定番の皿が決まっている。ところどころにシアンがちらりと見える深い赤の皿と、ほうれん草の緑の組み合わせは何度見てもそのたびにグッとくるのだ。

 ここ2、3年探し求めているのは黄色の皿だ。からし色っぽくてもよいのだが、あまり渋い色のは欲しくない。以前「布志名焼」で、ベストな色を見つけたのだが残念ながら皿がなかった。かの民芸運動で息を吹き返したという島根の湯町窯の焼き物。比較的有名なエッグべーカーやコーヒーカップなどはわりによく見かけるが、ぜひとも中皿が欲しい。アスパラガスをのせたいぜ! 現在の布志名焼はデザイン的に欧風の影響を受けているらしい。なるほど、それこそどんな料理にでも合いそうだ。ブルガリア製のブルーの大皿、ごっつい信楽焼、昭和初期のカラフルな絵皿と並べてもマッチしそうだ……と想像が広がる。

 ちょっと前にマットな銀色の、なにやら特別の加工を施した皿に魅了された。しかし、注意書きに「酢やレモンの類は使わないように」とある。ただでさえ酢多用派の私、うっかりやらかしそうなので迷った挙げ句、買わずにおいた。一瞬、「裏に『酢はだめだ!』とマジックで書いておけばいいんじゃないか」と思ったけれど、それじゃあまりに幼稚なので。

 

☆一粒で二度おいしい                       2008.3.3

 ミステリーの刊行が板についてきたヴィレッジブックス、侮れじ。1月に刊行された『数独パズル殺人事件』(シェリー・フレイドント)は、タイトル見た瞬間、即購入決定。殺人現場に残っていたやりかけの数独パズルには、数独マニアの被害者が書くはずもない謎の解が書かれていて……ヒロインはこれを「ダイイング・メッセージ」だとにらむわけである。田口俊樹訳だし、信頼できそうだ。買い。もちろん、数独パズルつき! 

「数独」。知らない人もあまりいないと思うので説明は省くが、これは日本人が考えたパズルで世界的にも「SUDOKU」で通じるそうだ。私が初めてやったのは、雑誌でパズルページの編集を担当していた時。当初は数字を書き入れるだけなんてあまりおもしろそうにも思えなかったが、やってみると楽しい。イラストロジックも同じ時期に覚えた。編集という立場だと、間違いがあってはおおごとだ。チェックのために同じ問題を何度も解いたりすることになるし神経つかうのだが、ただ解くだけなら一日中だって飽きないと思うなあ。老後は、組み合わせの解が何千通りもあるプラスチックパズルをやって過ごしたいと夢見ているが、そこにぜひ数独も加えたい。私はゲームは全然やったことがないし、この先もやらないと思うのだが、今、猛然とテトリスがやりたくなってきた。でも、時間食われるだろうなあ。……これも、老後の楽しみにするか。

 

☆謎を増やす                       2008.2.25

 仕事などで急いで目を通さなければならない漫画がある時。巻数が多いと、必ずしもすぐに1巻が手に入らないことがある。急いでいるから、とりあえずある巻から買って読む。こういうことをくり返しているうちに、巻をめちゃくちゃな順番で読むのがおもしろくなってきて、ときどきわざとやってみる。巻頭についている「あらすじ紹介」くらいでは十分にわからないことが多いから、そこを想像で補いながら読む。前にさかのぼって読むうちに、だんだん「あれはこういうことだったのか」と理解できてきて答え合わせをしている気分である。

 先日、コンビニで「小学館漫画賞受賞」という帯がかかってるのに目をとめて、『ダイヤのA』(寺嶋裕二/講談社)の9巻を購入。雑誌でちらっと読んだことはあったけれど、さして注目してなかった。週刊少年マガジン(講談社)連載の漫画なのに、サンデー(小学館)の野球漫画をさしおいて受賞するわけね……と思い、ちゃんと読んでおくかと思った次第。あ、ちなみにサンデーの野球漫画で私が愛読してるのは『最強!都立あおい坂高校野球部』(田中モトユキ)で、あだち充のやつではありません。

 読んでみたらけっこうおもしろかったので、翌日8巻を購入。その次に7巻、6巻を読む。今日、我々のスタジオ練習を終え、牛丼(大盛り)など食した帰りにブックオフに寄る。はじめ、タイトルを間違えて「ガラス、ガラス……」と思いながら棚を探していた。『ダイヤのA』って、ダイヤモンドのことなんだろうか。原石って意味? トランプとは関係なさそうだよな。そもそもハートやスペードならともかく、意味的に微妙。もう一気にキメてしまおうと思っていたが、全部はなく2、3、4巻を買い、これは順番通りに読む。残るは1、5巻。こうなったら1巻を最後に読むほうがいいな。「?」は多いほど楽しい。

 

☆本に呼ばれる本を読む                       2008.2.17

 乞食が忙しく網の上で餅をひっくり返すがごとく、ちょっとした隙を見て本を読む。たとえば重いデータをダウンロードしてる間とか、プリントを待ってる間とか。そんな時間を利用して読みきったのが『文庫本福袋』(坪内祐三/文春文庫)。「週刊文春」に連載されてる文庫紹介連載をまとめたもの。ツボちゃんとはけっこう趣味が合うらしく、自分が買った本が次々出てくる。……と膝を打ちながら読めば、未読だが興味をひかれる本の登場率もものすごく高く、読み終わってみると付箋だらけになっていた。うへえ。その次に読んでいるのが『本棚探偵の回想』(双葉文庫)。著者は漫画家であり、ミステリ蒐集家としても有名な喜国雅彦。蒐集家って「コレクターである」後ろめたさを隠さんとしていそいそインテリぶってみたりするので鼻持ちならない文章になりがちなんだが、この人は別。ときに、買ったばかりの本を紹介しながらも「生涯読まない」などと言い放つところがカッコいい!(以下引用)「無人島にこの本一冊しかなくても絶対に読まない」「もし間違って、無人島でこの本を開いてしまったら、ヤシの実でおのれの頭ぶち割って、脳漿ブン撒きながら、鮫に向かってダイブしなさい。その方がまだマシ、というか精神が落ち着く。だからね、どこかの古書店でこの本を見つけても買わないことね」……とまで書きながら、それでも自分がその本を買わなきゃならない使命感もよくわかるのだ。

 さて、並行して読んでいるのがもう一冊。新刊で買うはずが書店より先に図書館で見つけてしまったので、申し訳ないが借り読みしている『町工場で、本を読む』(小関智弘/現代書館)。長年、旋盤工として働きながら小説・ノンフィクションをものしてきた作家による、鉄のにおいのするブックガイドエッセイ。「旋盤工・作家」という肩書きを使い続けたこの著者が、非常に謙虚な努力家であることははしばしから伝わってくるのだが、驚いたのが同人の仲間と50年来、月に一度読書会を続けているというところ。読んでいるうちに猛然とやりたくなってきた、読書会! 自分の中ではテーマを決めて読書したりしているが、強制的に読むのも今となっては魅力に思える。賞作品を総ざらいするとか、年ごとにテーマを決めるとか……想像してたら燃えてきた。月イチは難しそうだが、2か月に一回くらいなら行けるか? 

 ちなみに小関智弘のデビュー作『粋な旋盤工』は岩波現代文庫に入ってお求めやすくなりました。ぜひ、ご一読を。 

 

☆寸暇を惜しんで                       2008.2.11

 電車内は当然、駅のホームでもちょっとした待ち合わせの時間にも、時には何かのイベントの最中にまでノートや校正紙や資料を取り出し、何やら書きこんでいる私の姿を見た人は、「寸暇を惜しんで仕事をしている」という。これは、間違ってはいない。ただし、全面的に正しいともいえないのである。

 先日、円盤で「コマツの部屋」イベント中に、翌朝までに提出しなければならないアイディアをノートに書きつけている時に、ふと思った。これ、はたから見ると「ものすごく忙しく仕事してる人」みたいだろうなと。しかし、単に仕事で忙しくしている人は仕事場で黙々と仕事しているはずである。わざわざ遊びに出てくるからこんなことになっているのである。そして、その日も私はのこのこ打ち上げについていき、強く誘われもしないのに打ち上げ第二部のカラオケにまでついていき、すっかり空腹になったので吉野家で豚丼を食べてからタクシーで家に帰ったのだった。おかげで仕事を始めたのは5時近かったわけである。すべては寸暇を惜しんで遊んでいる結果のたまもの。

 寸暇を惜しんで遊ぶから、寸暇を惜しんで仕事をするはめになる。寸暇を惜しんで仕事をするから、またまた寸暇を惜しんで遊ぶことになる。卵が先か、にわとりが先か。ともかく私は「寸暇を惜しむ」のが好きってことだ。「餅は乞食に焼かせろ、魚は殿様に焼かせろ」ということわざがありますが、私はまさに乞食タイプ。餅は大好きだし……って、そういう話じゃないけどな。

 

☆雪の一日                       2008.2.3

 雪です。待ってました! 1月に雪が降った時は、降ってるところを見逃してしまった。その日は予報では夕方から降るということになってたので、夕方出かける用事を作って外出し、用がすんでも街をぶらぶらして待ってたのだが降り出さない。家に帰って30分置きくらいにドアを開けて外を見ていたのだが、かんじんなところで寝てしまって……。

 というわけで、この土曜の夜も「30分置きに外を見る」を4時間くらいやってました。で、明け方まで「外では雪が降っているのだ」とニヤニヤしながら仕事。昼間、起きるや裏の公園に行ってゴロゴロ転がってきました。比喩ではないです、文字通り。もどってきてちょっと仕事と、ベースのオーバーダビング作業。ベース入れ、一人でやってると孤独です。だれも見てないから自由に、集中して、心ゆくまでできるだろうと思われるかもしれない。それもそうなんだが、意見を言ってくれる人も励ましてくれる人もいない。RECボタンを足で踏み、ミスると一人で照れ笑いしたり「ちくしょっ」とか「いや〜惜しかったな今の」とか「もうちょいもうちょい」「もう一発いきますかー」「がんばれーい!」とかつぶやきつつ。ちなみに私は座っておとなしく弾くことができないので、部屋でただ一人、ライブさながらにベースをぶん回しているのであった。ご機嫌にならざるを得ない。

 ベースの弾きすぎでご機嫌になるのか、雪のせいでもともとご機嫌なのかわからないが、すっかり夜になってまた外に出る。夕方には雨になってたのが、また雪が降っているからだ。近所の駐車場やら空き地を見つけて走り回る。明日の朝の小学生の登校時の楽しみを奪わない程度に、余白は残しておく。そして一度部屋にもどり、おもむろに段ボールを持って出る。裏の公園に行き、傾斜を滑り降りる。最高だ!

 

☆沈黙                       2008.1.28

 最近、お気に入りの妄想がある。

 妄想が広がるのは、外出先で。仕事がら、しょっちゅういろんな所に出かけていくのだが、たとえば23区外の……昔ながらってわけでもなく、そうだな70年代くらいにサッシづかいの一戸建てやらが増えた家が並ぶ住宅街が広がるような駅で。商店街といえるほどのものはなく、極めて静かな町。「身を隠すなら、こういう町だな」と思う。

 今ある仕事もライブも全部ぶっちぎっちゃって携帯なんか捨てちゃって、行き先を告げずこっそりその町に引っ越す。今の持ち物は多すぎて、そのアパートには入りきらないので大方を処分することになる。だれにも連絡せずどこにも出かけず、その町の中だけで暮らす。知り合いも作らない。そうしているうちに生活費が尽きる。前に懇意にしていた仕事先の人を訪ね、仕事をばっくれたのを土下座して謝り、細々やっていけるくらいの必要最低限の仕事をいただいて暮らす。

 こういう設定を思い浮かべてうっとりしているのである。という話を人にしたら、「宝くじが当たってお金持ちになったら……とか、もっと楽しい妄想はしないんですか?」と言われた。言われてみればなるほどと思うが、そういう妄想は私にはあまり向いてないようだ。

 この妄想の内容は「願望」ではない。「宝くじ云々」でやるならば、願望寄りのストーリーになると思うけれど。ただ、そういう状況を思い浮かべると楽しいだけなのだ。幼児のころ、家で一人で留守番してる時によく「崖の下で行き倒れて死んでいる人のふり」をして遊んでいたが、それに近い。ひたすら暗くて地味なのだけど、私の中では妙に快感の得られる妄想なんである。

 

☆本なんか読まなくたっていいだろ                       2008.1.20

 最近、いちばんシビれた言葉。「私、本も全然読まないし映画も観ないんですよ」。初対面の彼女がこう言った時、私は「すっげーカッコいい!」と思い、思うままに褒めそやした。そう言い切れる潔さが素敵です!

 「読書」「映画鑑賞」は、ついだれでも「好き」と言ってしまう趣味である。あまりに当たり前で、自分がそれを好きであるか欲しているかどうかを疑いもしない人が多いのではないか。私は本が好きで好きでたまらないけれど、そのくせ「本を読むのが好きです」なんておもしろみのないことはなるべくなら口に出したくもなく、だけど口に出せば私が好きな本や(次がもっと重要)私の知らない素敵な本を教えてくれる友ができるかもしれないと……こう思って口にするのである。

 最もあほらしいセリフだと思うのは、「本は好きだけど最近読んでません」ってやつ。本好きかどうかを量ではかるつもりはないが、とにかくその人の真実に近い言葉は「読んでません」だ。それならそれでいいじゃないか。こういう潔くない言い方をする人は、いまだに知的趣味に憧れているんだろう。本なんか読まなくたって映画なんか観なくたって音楽なんか聴かなくたっていい。少なくともその人の知性とは関係がない。知性はもっと別のところに……それこそこうした物言いに表れるものだ。

 なんてことを書いておいて、さあ、ぬけぬけと楽しく本の話をしようじゃないか。私がものすごく夢中になっているP・G・ウッドハウスの新刊が、遅れもなく予告通りに着々刊行されているのは喜ばしい限り。国書刊行会からの「ジーヴス」シリーズは9冊目まで刊行が予定されてるし、ジーヴス以外の作品の単行本も2冊目が4月に出る。どこまで行くのかわからんが、そろそろ飽きてくる人もいるかもしらん。愛読者はここが踏ん張りどころだ。私はどこまでもついていきますぞ。ちなみにジーヴスシリーズ8冊目『ジーヴスと恋の季節』(国書刊行会)の訳者あとがきによれば、白泉社『メロディ』4月号よりジーヴスの漫画版が始まるというではないか! 多くのファンはこういうの、決して手放しでは喜べないと思うが、幸い描き手は勝田文。あっ、この人なら大丈夫、と安心しました。なにしろ、『足長おじさん』の漫画化を上手にやりきった方ですからね。佐藤多佳子の小説を原作としたものもこなれていたし、原作モノ得意とお見受けする。ハナからあまりに漫画のような主人公バーティー・ウースターのパーっぷりをいかに描くかが楽しみである。

 気になっていた『失われた時を求めて フランスコミック版』(ステファヌ・ウエ翻案・画/白夜書房)を、ついに購入。A4版オールカラー、ハードカバー72P、税別2800円也。第1巻第1部『コンブレー』のみ。解説でも触れられてはいないが、このコミック版、全編描かれてるのだろうか?(続きが出そうな気はしないが) 何? こんな一大文芸を漫画で読むのは邪道だと? NO! 大西巨人『神聖喜劇』の漫画版(のぞゑのぶひさ・岩田和博/幻冬舎)といい、これほどの大作は漫画化するんだって一筋縄じゃいかない。私はその気概に一票投じる者ですわ!

 

☆年賀状                       2008.1.14

 年賀状を書くのが好きなので毎年そこそこの数をやりとりすることになるのだが、別に年賀状書きを礼賛するつもりもない。ただ手紙を書くのが好きなだけであり、たまたまその「機会」があるのに便乗して書いている気がする。そもそも年明けに対面しても新年のあいさつなど省略しがちだし、特別ごあいさつを大切にしているわけではないのだ。年賀状は別に「若い人」が書かなくなってるわけじゃない。うちの親など見ていると「仕方なく」、書いてるのがわかる。自分が書いていない人から来ると、すごくめんどくさそうに返事を書く。なら、とりあえず「いただいたこと」を喜び、返事なんか書かなくたっていいのになあ、と思ってしまう。便りのないのは元気な証拠。返事は義務じゃない。そういや去年、狩生くんが「返事が遅くなったので……」といってわざわざ『俺はこんなものじゃない』のアルバムを送ってくれたのだが、なんだか気をつかわせてしまったなあ。いや、ありがたくいただいたけど。そんな心配はご無用よ、ちなみにハズレッシヴのアルバムは買ったから送るなよ(笑)!

 さて、1枚でも年賀状をもらったなら、ぜひ「お年玉」が当たっているか調べるとよい。例年15日だったはずですが、今年の抽選発表は27日だそう。最近の一等はたいてい旅行で、ほかにはパソコンとか大画面テレビとかウォーターオーブンなどの高額商品が並ぶ。たいした手間でもないから、調べてみたまえよ! 私は、いろんな名産品が選べる「ふるさと直送便」(3等)が2本当たった年が最高記録。あの「1」の桁ごとに、はがきを振り分ける作業がけっこう好きなんですがね。

 

☆どいつもこいつもゴロゴロと……                       2008.1.6

 年末。おそらくこれから帰省するであろう人々でごった返す駅の構内を眺めていて、ふと気づいた。こんなに「カート」がはやり始めたのはいつからだっけ?

 でっかい、いかにも旅行仕様のカートはともかく、疑問を感じるのは小さいカートである。大して容量のなさそうな、アレ。大きめのトートバッグやリュックサックでことは足りそうなものなのに、小さめカートをゴロゴロひきずる女子供の多いこと……あれしきの荷物を持つのも大儀ってことですかね? 安物から高価なブランドものまで出ているしハヤリっちゃハヤリなのかもしれませんが、オシャレで持ってるようには見えませんね。百歩譲ってオシャレで持ってる方々は、さっそうと歩いていただきたいね。品川が巣鴨に見えたよ。

 千歩譲って見た目の話は横に置くとして、正直ちっこいカートはじゃまっけなんである。ここは、狭い日本なのだ。昨今、そこいらの駅ではバリアフリー化をはかってせっせとエスカレーター&エレベーターを作ってはいるが……あの細っちいエスカレーターの貴重な一段を使うカートこそ公害である。

 手持ちできる量の荷物は手で持てい! あるいはエスカレーターではカートを前抱きにせよ! そんな根性で、寿司詰め列車でのヤミ物資の買い出しがつとまるものかっ!