ここでは、再度、特殊相対性”原理”をとりあげてみます。
この原理の存在が、相対性理論に止まらず、物理学全体を全くおかしな形に歪めています。
この大嘘の原理がなぜか物理学の根本原理に据えられ、現代物理の方向性を誤らせています。
その重大さはいくら強調してもしすぎることはありません。
さて、まず強調したいのは、特殊相対性原理はこれまでただの一度も検証(実証)されたことがないという
驚くべき事実です。
そのことは、次で示していますので、ご覧ください。
これを読んでもらえば、現代物理学がいかにいいかげんな形で形成されてきたかに心底驚かれることで
しょう。
アインシュタインがはじめてこの特殊相対性原理という奇妙な原理を世に出したのですが、次のような内容です。
特殊相対性原理
「たがいに等速度運動をしているすべての慣性系において、すべての基本的物理法則は、まったく同じ
形で表され、それらの慣性系のなかから特別なものを選び出すことはできない。」
上はじつにたいへんなことを述べています。
ガリレオの相対性原理と根本的に違うのは力学に焦点をあてるのではなく、「すべての基本的物理法則は・・」と
全物理法則に焦点を当てている点です。こんな奇抜な主張は、相対性原理といえば「ガリレオの相対性原理」しか
知らなかった当時の学者にしてみれば、まさに驚天動地の主張だったのです。
あたり前のことですが、新しい原理が提出されたとき、物理学がそれを原理として採用するからにはまっ先に
その正しさを実験的に検証するというしかるべき経緯を経なければならないのはいうまでもありません。小学生
でもわかる理屈です。
ところが不思議なことに、こと特殊相対性原理に関する限り、検証がなされないまますすんでいき、なぜかいつ
の間にか物理学において犯してはならない聖書のようなものとして君臨するようになっていったのです(物理学の
根幹部分のことであることをよく考えてみてください)。
アインシュタインが上の原理を出した時点(1905年)ではまだ”仮説”の状態でしかなかった。
もちろん当時の物理学者も、そのことには気付いていて、こんな重大な原理(仮説ですが)は早急に検証しなけ
ればならない!!と警告しています。
「相対論」(物理学史研究刊行会編、東海大学出版会)には、当時の様子を伝える論文が複数収録されており
興味をひきますが、その中で、当時の物理学者A.H.Bucherer(ブーヘラー)は、「この原理を直接実験的に検証す
ることは至上命令的な要求である。」と述べていますが、まったく正しい主張です。
また、量子論の誕生に決定的な影響を与えた当時の大御所Plank(プランク)も「・・その承認の問題はこの領域の
すべての理論的探求において最重要なものとみなされる価値がある」とこの革命的なの原理に対し「検証を急げ」
と主張している。
アインシュタインが1905年に提唱した段階ではまだ仮説、予想の段階にすぎなかったということです。
そして、ここからが全く不可解なのですがアインシュタインが提唱したこの原理いえ仮説は、実験的検証が
一度もなされないまま、特殊相対性原理として(あたかも侵してはならない原理として)、絶対的地位を確保して
いったのです。
そして100年たっても、いまだにこの原理の正しさを検証した人はいないという衝撃の事実。
特殊相対性原理を、物理学の根幹の原理として採用したことは20世紀物理学における最大の失敗でした。
後世の人々からは「1世紀にもわたって物理界に君臨した世にも奇妙な”珍原理”」と笑われることになると
思います。
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追加
特殊相対性理論は、次の二つ原理を指導原理として成り立っています。
@特殊相対性原理
A光速度不変の原理
@の特殊相対性原理が間違っていることは、これまで様々なところ(・・捧ぐ1〜3)で説明してきました。
Aの光速度不変の原理に関しては、少し事情が複雑です。
この「光速度不変の原理」への解釈のあいまいさが、相対性理論という空理空論を生き残らせる原因ともなって
いるわけです。ここでも特殊相対性原理が決定的にからみあっているのですが、事情の複雑な点を下記で明快
に説明しています。ぜひご覧ください。
以上。
(下記内容を「相対論最新トピックス」から、こちらに移動しました。)
アインシュタイン自身があらわした著作に「相対論の意味」というのがあります。その中で、時間に関して解説している箇
所があるのですが、アインシュタインの時間というものに対する過ちが明瞭に分かる一節がありますので、今回はそこを
取り上げます。
[詳細]
「相対論の意味」(アインシュタイン著、矢野健太郎 訳、岩波書店)p.30
註:この書物の英語版初版はおそらく1940年〜50年あたりではと推測されます。日本語版初版は1958年。
これを読んで、この文章中の致命的誤りをすぐに指摘できる人はすくないでしょう。
たいがいの人は、「うーん、さすがはアインシュタイン!」などと思ってしまうところではないでしょうか。
人間にとってもっともわかりづらい”時間”というものに目をつけ、1世紀のもの間、人類を騙しつづけたアインシュタインは、
ただならぬ詐欺師であったと言っても過言ではありません。
上文に、アインシュタインの考えた”時間”の意味が明瞭に記されています。
「光の伝播法則の上に時間の概念を樹立し・・」という意味は、簡単にいえば「真空中の光速度cを用いて時間を定義する」
という意味です。致命的に誤っているのはここです。
”c”とはなんでしょうか?
cとは、光の”速さ”であり、「1秒間に光が真空中を進む距離」として定義されるものです。
つまり、
c=299863381m/s・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・@
ですね。
昔から”速度”というのは、
速度=[距離]/[時間]
で表されてきました。
それを、アインシュタインは、”時間”を速度cを用いて定義したのです。(ここで「はっ」と気づいた人もいるでしょう)
おかしいと思いませんか?
時間を光速度cを用いて定義するには、その前に時間というものが分かっていなければならない。
なぜならcとは@の距離/時間で求められるものだからです。
アインシュタイン出現以前の素朴な時間概念で認識されていた光速度cを用いて時間を定義するという決定的論理ミスを
やっているのです!
この馬鹿馬鹿しさ、愚かしさをしっかりと目を見開いてみてください(そして真っ当な時間が、奇妙な時間に変わった!)
アインシュタインのやったことは、まったくのインチキだったとわかるでしょう。
今回、指摘したことは、哲学者の千代島雅氏がさかんに主張されている内容と同じと思います。「アインシュタインの時間
の定義は循環論で意味がない」というものですね。ただ哲学者だから見つけられたというほどのものでもなくて、いま言った
ようにちょっとの指摘で誰にでも理解できるものです。「意味がない」どころか、絶対にやってはならないミスをアインシュタ
インは犯してしまったのです。
それにしても、なぜこんな簡単なことに、私たちはころっと騙されてしまったのでしょうか?
それはたぶん、光速度をたんにcとだけ書いてきたため、と私は思っています。
cなどという記号になんの意味もありません。cとは”299863381m/s”であり、cを見たら、つねに”299863381m/s”に置き換
えて読まなければならないものです。
しかし、便利なものだから、いつもc、c、c、・・・とcばかりで書いているうちに、慣れっこになり”m/s”という単位の意識が
薄れてしまって、アインシュタインが愚かなミスを犯してもそれに気づかなかったわけです。
cではなく、”299863381m/s”と論文中も書かれていたら、相対性理論はおそらく誕生せず、1世紀を無駄にせずに済んだ
のにと悔やまれてなりません。
cという記号を単にもてあそんだだけだったのが相対性理論であったといえます。
c君というよそ者が、物理国の王様であった時間・空間を、一夜のクーデターで追いやり、ずうずうしくもデンと物理国の中
心に居座ってしまったものだから、時間さん空間さんは奴隷に成り下がり、曲げられ歪められても文句もいえず、どこまでも
言いなりになっていったのでした。
これが、20世紀の相対性理論の物語だったのです。真実であるところが悲しいですね・・・
ところで、上で「・・・しばしば非難される。」とアインシュタインが書いていますが、当時は相対論を批判する勇気ある真っ
当な学者も多くいたのですね!
今とは大違い・・・
追記 2002/10/6
上では、時間のことを述べましたが、相対性理論は、時間・空間概念を根本的に変革した理論です。時間のみならず、空
間概念までも変えてしまいました。アインシュタインは、cというものを用いて(絶対視して)、時間・空間を再定義していった
のですが、それはできない相談だったのです。
空間に関する、アインシュタインの決定的なミスを示しましょう。
速度=[距離]/[時間]・・・・・・・・・・A
Aのように書けば、すぐ気付くでしょう。
空間を光速度cを用いて定義することはできないのです。
なぜなら、空間(距離の概念、その測り方)を速度cを用いて定義するには、その前に空間概念が明確に分かっていなけ
ればならないからです(Aを見てください!)。
にかかわらず、アインシュタイン出現以前の素朴な空間概念で認識されていた光速度cを用いてまた空間を定義するとい
う決定的ミスをやったのです!(そして、空間の方まで奇妙なものになりました)
どうですか?
相対性理論が、科学理論としての資格のない理論であるとわかったでしょう。
それにしても・・・人間というのは、つくづく奇妙です。
相対論のことを全く知らない人が、上の説明を読めば、すぐに「おかしいな」とわかります。
しかし、「20世紀最大の偉業!時空概念を変革した天才の理論!」という標語とともに相対論を学んだ人が上の説明を受
けると、とたんに訳のわからないことを言い出す・・・・これって、なぜなのでしょう?
心理学の格好のテーマでは?
「レーザー(Laser)」(パワー社、桜井彪著)という本を見ていたら、ある重大な記述を見つけました。
レーザージャイロの原理を説明する文中の記述なのですが、次のものです。
p.77
註:色は杉岡が入れました。
通常では見過ごしてしまいそうなこのわずかな記述の中に、相対論の嘘を暴く内容が盛り込まれているのですから、
驚きます。
赤字の箇所、「宇宙の中での地球の回転方向を決定することさえ可能となってきた。」という記述です。
これは、宇宙に絶対系というものが存在することを意味しています。
レーザージャイロはレーザ(光)を使って回転角速度をわり出し、航空機の位置や方向の元となる情報を与える装置
です(詳しくは、こちらをご覧ください)。その装置を使って(つまり光を使って)「宇宙の中での地球の回転方向を決定
することが可能」ということは、光が絶対系を基準に進行していること意味し、これは、逆にいえば光という手段を使え
ば絶対系を決められるということであります。
これより「絶対系などない。どんなに手段をつかっても見つからない。全ての慣性系は同等なのだ!」と主張してやま
ない特殊相対性原理が、現代技術の前にあっけなく否定されている。
(もし仮に、光が物体のように慣性の法則に従うような運動をするものだとしたら、その場合は、もちろん、絶対系を
決めることなどできない相談です。)
工学者や技術者は、相対論などはじめから眼中になく、マクスウェルが電磁気学を完成させたときからすでに皆が
信じていたこと「絶対系を足場に電磁波(光)は進行する」というその考えをそのまま用いてレーザージャイロを作り
大成功をみました。そして、上記の結論です。
もはや相対論が生き残れる余地などないのです。
それにしても、なぜこんな大嘘の理論が21世紀初頭に生き残っているのでしょうか。私には不思議でなりません。
すべての実験を完璧にクリアーしている量子力学と対比してみてください。嘘や誤魔化しだらけの相対論の存在に
呆れかえるばかりです。
レーザージャイロだけではありません。他の数々の実験においても相対性理論が完全に否定されていることを
<・・捧ぐ>他で記していますので、参考にしてください。
また今回の件とともに相対論の根本をささえる特殊相対性原理がいかにいいかげんな形で形成されてきたか、その
欺瞞の歴史も本ページ冒頭に書いていますので、ぜひお読みください。
冷静に見れば、すべてが明らかになります・・・
巷の本では、相対論の根幹部分の説明において過去いいかげんな記述が延々と行われてきました。そして、それが放置
されたままになっていて、いまでも同種の記述を見かけます。
「物理学者はどこまで進んだか」(内山龍雄著、岩波現代選書)を例にとり指摘します。
p.57
上の文章は、アインシュタインに洗脳されたところからは、こんなにもいいかげんな説明が出ててきてしまう好例とも
なっています。
明らかな矛盾があるにもかかわらず、とにもかくにも読者を強引に「相対論はすごい!」の世界にひきづりこもうという
意図が見てとれます。上の説明がいかにいいかげんで、デタラメかを説明します。
まず、「ひとつだけ例外があった。」という言葉に注目しましょう。
通常「ひとつだけ例外があった。」などという言葉は、「100個ある内のたった1個だけが違った!」という場合にのみ使い
ます。あるいは少し譲って「10個ある内のたった1個だけが違った!」という場合にも許されるかもしれません。
そういう状況でしか使われないことくらい誰でもわかります。
「3個ある内で2つはそうだが、1つは違う」という場合には、絶対に使いません。
ところが・・・・、なんと上では、「3個ある内で2つはそうだが、1つは違う」という場合に使っているのです!
当時、物理学の基本法則といえば、ニュートン力学、電磁気学、万有引力の法則のこの3つだけでした。
そして、アインシュタインは、ニュートン力学と電磁気学の2つを特殊相対性原理という原理のもとに、統一的に記述する
ことに成功し(じつはここでも重大な疑惑があります-->*)、万有引力の法則では失敗したのですが、この状況で使って
いるのです。
明らかにおかしいですね?
上で、「・・物理学のすべての法則を特殊相対論的に書き替えることに成功したと述べた。」と書いていますが、ここでも
おかしな表現を使っています。たった2つだけの成功で「すべての法則を特殊相対論的に書き替えることに成功した・・」
などと内山氏はなぜ言うのでしょうか。
次に指摘するように「2つ○で、1つ×」の状況で言えるわけがないのです。
さらに内山氏は、
「実は、重力、つまり、万有引力に関する法則だけは、それを特殊相対論的に書き替えることができなかった。」
などと述べます。
ここで、決定的なことに気付くでしょう。
特殊相対性原理というのは、
「すべて物理法則は、すべての慣性系でその法則が同じ形で成り立つ」
ことを主張するものです。
にもかかわらず、
万有引力に関する法則だけは、それを特殊相対論的に書き替えることができなかった。
のです。
ここで普通なら「特殊相対性原理は間違っているのではないか?」と疑問視するのが当然ではないでしょうか。
「3つのうち、2つは成功しても、1つがどうしても成功しない」という場合、特殊相対性原理がおかしいからだ!と
するのが最も自然だからです。
しかし、現実には上記本のようにこの点がうやむやにされて、生き残ってしまったのです。
「ひとつだけ例外があった。」などと言って、逃げてはいけないのです!
内山氏もおそらくそんなことくらい薄々気付いていたのではないかと思いますが、アインシュタインが神様となっている
現代では(上記本の出版は1983年)、そんな本当のことは絶対に書けない。
とにかく「これは、特殊相対論のひとつの欠陥といえるであろう。・・・・」などという言い訳にもならない言い訳をいって、
次へさっさと進んでしまうしかないようです。
もし仮に「100個の理論があって、その内99個は特殊相対性原理を満たし、たった1つだけ特殊相対性原理を満たさ
ない」という状況であるならば、その場合は未練もあるかもしれませんが、上はそういう状況でないことに注目してください。
どうですか?おかしいでしょう。
「ほんとうに、おかしか歴史をたどっているものだ・・」と思われるのではないでしょうか。
実験では完璧に否定されているし、上記のごとく形成史はむちゃくちゃだしで、相対論がインキチであることくらいだれ
でもわかります。気付いた方から、早々に相対論を捨ててください。
さらに駄目押しにもう一つ。
上で、「これは、特殊相対論のひとつの欠陥といえるであろう。・・・・」と言った後、内山氏は、どの教科書でも書いて
いるように、ついに一般相対性原理にのっとった重力理論、一般相対性理論をアインシュタインは完成するという説明を
します。
ここで、どの教科書でも「めでたし!さすがは天才アインシュタイン!」で終わります。
さて一般相対性原理とはなんでしょうか?
一般相対性原理
「すべての基本的物理法則は、任意の座標系で同じ形で表される。」
というものです。
よく考えてください。「すべての基本的物理法則は・・」と言っていますね?
アインシュタインは重力理論だけを一般相対性原理に則って作っただけなのに学者はなぜそれでよしとするのか?
いまだに重力理論しか成功していないのですよ。
アインシュタインが提唱した一般相対性原理というあまりにも奇妙な原理はいまだに実証されていない。
よって仮説にすぎない。
もちろん特殊相対性原理もいまだにその正しさは実証されていない。それどころか、特殊相対性原理に限っては上のごとく
で、本当は現代にまで生き残っていること自体がおかしい仮説なのです。
このページの冒頭で、プランクたちが述べているようにアインシュタインが提出したこれらの仮説はまず真っ先に実証され
なければならないものなのです。
にもかかわらず、現代物理学には(両仮説とも)検証しようという気配すら見えない。もう「原理」になってしまっている・・
そして、不思議なことに、現代の学者はなぜか特殊相対性原理(一般・・ではなく!)に則った形に(ローレンツ変換
共変性の形に)、せっせと自分たちの理論を合わせようとしている。
特殊相対性原理と一般相対性原理は現代物理の根幹部分です。それで、上の状況です。
現代物理はもうむちゃくちゃと言っていいと思います。
*:アインシュタインは、電磁気学も特殊相対論的に把握しようとしたのですが、その証明は間違いであることを私が、
マクスウェル方程式におけるローレンツ変換不変性証明の誤りの発見で示しました。)
最近、とみに、「じつは、相対論は光速度以上の速さを禁止していない!」という言葉を耳にするようになりました。
なぜ、急にこんないいかげんな言葉がひんぱんに聞かれるようになってきたのでしょうか?
(一昔前にはまず聞かれなかったことです。)
現在、相対論のインチキが広く認知されつつあり、もはや研究者でさえも水面下ではひそかに気付いている現状に
あって(光速度以上の現象も多く見出されている)、相対論信奉者は相当なあせりを感じはじめています。
上の言葉はその裏返しなのです。
じつは、相対論では、光速度以上の速さを禁止しているのです。
それは、アインシュタインの原論文(1905年「動いている物体の電気力学」)を見ればすぐにわかります。
アインシュタインは、その論文の「T.運動学の部」で次のように述べている。
A
「相対性理論」(内山龍雄訳・解説、岩波書店)
このように、相対論を作った当人アインシュタインが c が物理的な最大の速度だ!と述べているのです。
いったい何を根拠に相対論信奉者は「いや、じつは、相対論は光速度以上の速さを禁止していない!」などというの
でしょうか?
いえ、相対論を信じるその人たちは、こういうのかもしれません。
B「徐々に速度を上げてきてcを越えるような状況を禁止しているだけであって、はじめからcより大きい速度ならばOK
なのだ!」と。
こんないい加減な説明に騙されてはいけません。
1905年に今いるとしてください。そして、アインシュタインのAの論文の文章をあなたが見たとしてください。
そのとき、あなたはAの文章を、Bの意味などととるでしょうか?
とるわけがありません。
だれでも、素直に、ああこの世の中の最高スピードはcなんだなあ・・と思うのです。
そして、近年になるまで、物理学者は相対論ではそうなのだと言ってきました。ところが、近年、急に「相対論では
光速以上の速さを禁止していない」などと全くおかしなことが言われはじめた。180°の大転換!
(こういうときは、「なにかあるな・・」と思ったほうがいい)
もし、仮りにアインシュタインが「Aの文章は、じつはBの意味なんだ」として書いていたとしたら、わざわざ大仰に
Aのように書くわけがありません。(常識で考えてください。)
また、もしBの意味であったとしたら、その際は、Aの後に続けてBの意味合いであることを注釈として必ず書くはず
です(これも常識)。ところが、論文にはそんな注釈は一切ない。
このように簡単な考察から、相対論では、光速度以上の速さを禁止していることが明白にわかるのです。
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