<3-1.「相対性原理」にまつわる奇妙この上ない歴史の経緯を明らかにする>
<3-2.アインシュタインは物理学の方向性を完全に間違えていた> <3-3.超光速、因果律、タキオン、タイムマシン、双子パラドックスの問題に完全決着をつける> <3-4.時間の遅れのカラクリを明らかにする>
<3−1.「相対性原理」にまつわる奇妙この上ない歴史の経緯を明らかにする>
特殊相対性原理/一般相対性原理という原理を物理学が採用してきた過程を眺めると、明らかにおかしいと思う
点がいくつもあります。以下、思いつくままに疑問点を述べていきます。
[説明]
まず特殊相対性原理とは何か?を見てみましょう。
「相対性理論の考え方」(砂川重信著 岩波書店)には、この原理が次のように表現されています。
特殊相対性原理
「たがいに等速度運動をしているすべての慣性系において、すべての基本的物理法則は、まったく同じ形で
表され、それらの慣性系のなかから特別なものを選び出すことはできない。」
ここで注目すべきは、「・・・・すべての基本的物理法則は、まったく同じ形に・・・」の「すべての」という言葉です。
アインシュタインは特殊相対論を発表した当時、基本的物理法則は、全部で三つだけでした。
@ニュートンの運動法則、Aニュートンの万有引力の法則、Bマクスウェルの電磁気学の法則
この三つです。
もし、この原理が本当に正しいものならば、上の三つの法則が、特殊相対性原理を満たしていることを当然証明し
なければなりません。そして、よく物理の教科書で書かれているように、@の運動法則とBの電磁気学は、@を特殊
相対論的に書き替えると、たしかにローレンツ変換を用いれば全ての慣性系においてまったく同じ形に表現すること
ができます。
アインシュタインは@とBでそれに成功したわけです。この時点で、@のニュートン力学は、特殊相対性理論という力
学理論の極限としての意味をもつことになりました。
しかし、Aの万有引力の法則(重力理論)だけは、それを特殊相対性原理にもとづく形に(すなわちローレンツ変換
不変の形に)書き替えることができなかった。すなわち、書き替えに失敗したのです。
さて、この失敗したという事実に注目する必要があります。
通常ならばここで物理学者は「特殊相対性原理は間違っているのではないか?」と考えるのが普通であり、「物理学
ではこんな原理は採用できない。」とするのが正常な思考にもとづく判断というものです。
なぜなら原理で「すべての・・・」と主張しているのですから、三つのうち二つでよいなどということが許されるはずが
ないからです。しかし、どういうわけか幸運にも生き残ってしまった。
正しい原理であることをいうためには「重力理論でも特殊相対性原理に沿った形のものができた。そしてこの重力
理論の正しさが実証された。よって、これで三つの全ての物理法則はたしかに特殊相対性原理を満たすことが証明
され、その原理の正しさが実証された。」という形で全員の承認を得なければなりません。
しかしそんなことは一度もなかったのです。
くり返しますが、特殊相対性原理を物理学の基本原理とするためには、まずすべての物理法則をこの原理に則った
形に書き替えそれらの法則はたしかに正しいと実証してから、次のステップに進んでいかなければなりません。
しかし、そんなことはなされたことがなかった。
なぜ、このことを重要視することなく、物理学者は先へと進んでしまったのか?私には不可解でなりません。
そのことをせずに先へ進んだということは、特殊相対性原理は一度もその正しさが歴史的に実証されたことが
ない、ということです。
一度も実証されたことがないのに、その原理が現代物理学の基本原理として君臨し、その具体的規則”ローレン
ツ変換不変(共変)性”がすべての物理理論に要求される。
何かが狂っているとしかいいようがない。
そして、アインシュタインは、今度は、系を一挙に加速度系まで含めた形に拡張した一般相対性原理を勝手に作り
出し(等価原理の考察からでしょうが)、それにもとづく重力理論を作りあげてしまいました。
上記本には、一般相対性原理が次のように表現されています。
一般相対性原理
「すべての基本的物理法則は、任意の座標系で同じ形で表される。」
よく考えると、アインシュタインはここでも非常におかしなことをしています。
この一般相対性原理でも「すべての・・・」と表現されていますが、当時のすべての物理法則がこの原理に則って正し
く書き替えられるか否かなど、まったく分からなかったのです。
たまたまアインシュタインはこの原理を用いて、一般相対論という重力理論を作ることに成功しましたが、逆に言えば
重力理論しか(いまだに!)成功していないのです。一般相対論は重力理論です。
にもかかわらず、嘘か誠か確めたこともない原理を平気で作りだして、それがあたかも正しい原理であるかのように、
なぜアインシュタインは主張するのでしょうか?
一般相対性原理の正しさが証明されるのは、すべての物理法則がこの原理に則って正常に書き替えられ全ての
理論の正しさが実証された後でしかありえないのです。
そして、その正しさが実証されてはじめて、その原理を物理理論の基礎として採用することが許される。この手続き
を経ずに、勝手にこの原理を理論の基礎に採用してはいけない。「すべての物理法則が、加速度系まで拡張された
任意の座標系で同じ形にうまく書き替えられた。そして、その書き換えられた理論の正しさが実験で確認された。」と
いう話も聞いたことがありません。この場合も、特殊相対性原理のときと全く同じ状況が出現しているのです。
これで、なぜ「原理」などと言えるのでしょうか?
さらにおかしなことがあります。
一般相対性原理は、特殊相対性原理をより一般の形に拡張したものですから、もはや特殊・・にこだわる必要は
なく、すべての物理理論は、一般・・に則った形で表現されなければなりません。にもかかわらず、重力以外の理論
では、物理学者が不変形式にもっていくのは一般・・の方ではなく、どういうわけかいつも特殊・・の方(ローレンツ
変換共変性の要求)なのです。
全く不可解であり、不自然なことをやっているとしか見えません。
アインシュタインは、自分勝手に架空の原理を作りだしてはその架空の原理を基礎とした理論を作っていく。
これほど、物理学の規則・規範というものを無視した態度はありません。
今回指摘したことが、現代物理学で、なぜ問題にされないのでしょうか?
こんなことは私でなくとも、だれだって気付くことです。おそらく過去何人もの人が気付いてきたことでしょう。しかし、
だれも言い出さない。なぜか?
それは、現代物理学においてアインシュタインは神様に祭り上げられているからだと思います。
アインシュタイン神話が物理学全体を支配していて、その魔力の暗示にかかり、相対性理論の疑問点に関しては学者
は思考をストップしてしまうからです。いまこそ目をしっかりと開いてアインシュタインのやってきたことを冷静に見つめて
ほしいと思います。
注意:ここで問題にしたは、アインシュタインの考え出した特殊相対性原理と一般相対性原理です。ガリレオの相対性
原理は現代でも正しいものですので、この点は間違わないでください。
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追記
上では歴史の常識に従って電磁気理論(マクスウェル方程式)はローレンツ変換に対して不変であるとして話を
すすめましたが、じつは従来証明は誤っており、マクスウェル方程式はローレンツ変換不変ではありません。
この衝撃の事実を<マクスウェル方程式におけるローレンツ変換不変性証明の誤りの発見>で示していますので
ご覧ください。
<3−2.アインシュタインは物理学の方向性を完全に間違えていた>
上に関連してさらに述べたいことがあります。
どの本にも指摘されていないので、ここで述べさせてもらいます。それは「アインシュタインが相対性理論という物理
理論を構築する際に、その方向性を間違えてしまった」ということです。
上でも述べましたが、特殊相対論が発表された当時の物理学における基本的な物理法則は、三つだけでした。
@ニュートンの運動法則、Aニュートンの万有引力の法則(重力理論)、Bマクスウェルの電磁気理論
この三つです。
さてまず話の前提として知っておいてほしいのは、物理学の基礎法則は、大きく二つに分けられるということです。
[1]運動の法則(「力学」とも呼ばれ、力が加わった粒子がどのように運動するかを探求する学問)
[2]力の法則(力の性質そのものを研究する分野)
大雑把に言って、物理学の基礎法則はこの二つに分けることができる。
さて、ここで上の@〜Bが、どちらに属すのかを見てみますと、@はニュートン力学とも表現されるように、当然[1]
に属します。
Aは、万有引力(重力)がどのような性質の力かを表現したものですから、これはもちろん[2]です。
Bの電磁気学ですが、これはマクスウェル方程式を基礎とする理論です。この方程式は、電気の力、磁気の力がどの
ようなものかを表現したものですから、[2]に属します。アインシュタインは、ローレンツ力をつけ加えて考察もしていま
すが、しかしいつでも中心はマクスウェル方程式であって、その方程式の中の一つdivD(x、t)=ρ(x、t)が積分形クー
ロンの法則F=kqq′/r^2と完全同値であることからもわかる通り、マクスウェル電磁気理論は、力の性質そのものを
研究する分野[2]となります。
まとめますと、次のようになります。
@は[1]に属する
Aは[2]に属する
Bは[2]に属する
これを見て、鋭い人は、すでに気付かれているかもしれません。
特殊相対論を作ったとき、アインシュタインは特殊相対性原理という原理を用いて、@のニュートン力学とBのマクスウ
ェル電磁気学を、まずローレンツ変換に対して共変(不変)という形(ローレンツ変換で理論の形が変わらないようにす
ること)に統一的に表現しようとしたのです。
しかし、これは、物理理論の構築の方向性として、明らかに間違っています。
なぜなら、@は運動の法則であり、Bは力の法則ですので、物理理論としては、全く異なった分野のものです。
それを、特殊相対性原理でもって@とBを、ローレンツ変換共変の形に、わざわざする必要性、必然性などない
のです。
しかし、アインシュタインは、なにを勘違いしたのか、まずこの二つを特殊相対性原理で統一して表現した。これが、
先に大きな過ちと言った理由です。この結果、ニュートン力学は、特殊相対論という力学に含まれる理論となりました。
統一しようと思うのならば、まず統一すべきは、AとB、すなわち電磁気学と万有引力の法則(重力理論)のはず
です。電磁気力は近接作用力、重力は当時遠隔作用力と異なった形式で表現されていましたので、「これを、なんとか
統一的・共通的な形式で表現できないか?」と考えるのが物理学者としては自然な態度(それが本当に正しいかどう
かは別として)というものです。
ところが、力学の方程式とマクスウェル方程式を、特殊相対性原理でもってローレンツ変換不変の形としてしまった。
この方向性の過ちが、相対論誕生へと繋がる重大なミスとなったわけです。
さらに、輪をかけて悪いことに、物理学者ならここで述べたことくらいすぐ気付くはずのことなのに、一向にこの点を
問題にしないのは、なぜなのでしょうか?そこまで、アインシュタインに遠慮するのはなんなのか。
そろそろアインシュタインへの遠慮もこの辺にしておかないと、将来に大きな禍根を残すことになります。
相対性理論という嘘で塗り固められた理論を、「人類最高の宝」などと称して、次代の子供たちに引き渡すわけには
いかないのです。
<3-3.超光速、因果律、タキオン、タイムマシン、双子パラドックスの問題に完全決着をつける>
相対性理論に関する話では、超光速、タキオン、双子のパラドックスなどの問題がいろいろと議論されています。
それはSF的にたのしい要素もあってか、よく一般書などでその可能性が論じられています。
しかし、たのしむだけならいいのですが、真っ当な物理学者までが真剣に議論している様子は「相対論が間違って
いる」ことが明らかになった今となっては、見るに耐えがたいものがあります。
すでに相対論の時間はデタラメであったことが判明していますので、今回はこれらの問題に決着をつけるべく説明し
ます。
[説明]
まずはじめに、時間に関するアインシュタインの失敗から説明していきます。
相対論では、時間を光を使って特殊相対性原理と光速度不変の原理のもとで定義しますが、これによって、時間は、
光という実体の性質に縛られるものになりました。
時間とは、本来そんな性質のものではないのですが、アインシュタインが強引にやってしまい、その巧妙な手口にみん
なが騙されてしまったことはこれまで再三述べてきました。
ここまででアインシュタインはすでに二つのミスを犯しています。
まず、時間とは光を使って定義するようなものではないのになぜか光を用いてそのように定義してしまった(これには
じつは理由があります、後述)ことが1番目のミス。
二つ目は、その定義に「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」という相矛盾した原理を採用したこと、これが2番目
のミスであります。
さて、アインシュタインは、なぜ、そんな強引なことをしなければならなかったかといいますと、電磁気学と力学理論を、
特殊相対性原理で統一的に表現するという誤った方針(ここでもアインシュタインは間違った)を強引に成立させるた
めには時間をいじるしかなくなり、さもそれらしい説明をつけて、時間を光を使って定義するということをやったからです。
「エーテルがみつからないのは当然だ。ローレンツのような人工的な仮説など一切考えないでよいのだ!とにかく、
特殊相対性原理と光速度不変の原理だけを考えればよろしい!」という状況を成立させるために、アインシュタインは
1905年の論文の冒頭でわざわざ「はて、よく考えると、時間とはそんなに自明なものではない」などと切り出し、
論文の最初に時間の定義をもってくるという巧妙な展開を考えました。
特殊相対論という力学理論と電磁気理論を表現形式で統一するには、ローレンツ変換しかない。アインシュタインは
当時すでに発表されていたローレンツ変換の公式に、ローレンツらとは全く違うルートからたどり着きたかったのです。
エーテルというものに直接触れない形で、当時大問題であったエーテル問題をうまく解決する方法はないかと模索しま
した。
そして特殊相対性原理という勝手に作り出した嘘の原理を用いてその上で「時間」を光で定義し直しある大トリ
ックを加えるとうまくいくことに気づいたのです。なぜ時間を光を用いて定義したかと言いますと、ローレンツ変換の
公式の中に光速度cが含まれているので、そこへもっていくためには、光を用いて定義するほかなかったわけです。
いま、「嘘の原理」というひどい表現を用いましたが、なぜこのように表現するのか(すべきなのか)は<「相対性原
理」にまつわる奇妙この上ない歴史の経緯を明らかにする>を読んでもらえばわかります。
すなわち、アインシュタインは、エーテルというものに直接触れることなく、簡潔にすっきりとローレンツ変換の公式に、
どうしてもたどり着きたかった。
そのためには、人類がもともと無意識のうちに持ち合わせていた「時間とは宇宙に共通に一様に流れているもの」とい
う素朴で自然な約束を、捻じ曲げても時間をあのように定義し直さざるをえなかったわけです。
しかし、そのアインシュタインの時間が、日常の我々の時間と全く結びつかないものであったことは、人類史上におけ
る決定的なミスとなりました。このことに関しては、次の頁でも詳しく述べています。
さて長々と述べてきましたが、相対性理論での時間は次のように表現されるものとなりました。
t=t′/√(1−v^2/c^2)
ある慣性系(ある人)から、他の慣性系(別の運動している人)を見ると、「相手の時間がゆっくりすすんでいるように
みえる、しかもそれはお互い様であり、どちらも真実」という非常に奇妙な世界へと突入してしまった。
時間というのは、非常にわかりにくいものになったのです(光を用いて「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」で
定義すれば当然ですが)。
上の式から、vは光速度cを絶対に超えられない、ということになって、「もし超えれば因果律が破れるのか?タイム
マシンは可能か?タキオンはどうか?」などという人がでてくるのですが、そんな心配は無用です。時間を光を用いて、
互いに矛盾した「相対性原理」と「光速度不変の原理」で定義すれば、そのような議論をせざるを得なくなるの
は当たり前だからです。
■超光速の問題
物体の速度は光速度cを超えられないとなったのは、アインシュタインが光と時間を勝手に結び付け、時間を上式
のように表現してしまったからであり、ただそれだけの意味しかありません。
光速度cがこの世の上限速度である理由などまったくないのです。
光速よりも速く伝わる現象は今後いくらでもみつかるでしょう。そのことはすでに指摘されはじめていますが。
■因果律の問題
また、光速度cを超えると因果律が破れるか?という問題も、アインシュタインが勝手に上式のように時間を表現
したからそう思うだけであって、c以上のスピードになっても実際に因果律が破れたりすることはありません。
上式は、誤った思考による産物であり、間違っているのですから、ご安心ください。
■タイムマシンの問題
時間を自由にさかのぼれるタイムマシンは作れるか?という古来からの問題も、夢をこわすようで悪いですが、
その答えは「不可能」ということになります。
現代人は、時間を実体のように捕らえがちです。時間の流れを逆転させることに成功すれば我々は過去へと戻れ
るのではないか?とすぐ考えるのですが、この考えは誤りです。
時間は物理的実体ではありません。人間が勝手に考え出した概念です。時間とは「宇宙全体を過去から未来へ一様
に流れるもの」という古来からの人類共通の約束事にすぎないのです。
相対論で、光という実体と時間を結びつけたために、時間は必然的に実体としての性質をおびてしまいました。
現代人が時間をつい実体のように考えてしまう習性があるのも、相対論が影響しているのではないでしょうか。時間と
いう言葉を出さずに、「なぜ物事の進行は逆転しないのか?こぼれた水はどうして自然にコップに戻らないのか?この
ような現象はなぜ起こらないか?」と問うのならば、これは物理的な問いといえますが。
時間とは、人類が太古の昔より「過去から未来へ一様に流れていくもの」と共通のルールとして約束してきたものなの
ですから、「なぜ逆転しないのか?」などと問うのは意味のないことであるとわかるでしょう。
■双子のパラドックスの問題
これはまさに、相対性理論での時間の定義そのものから発生した問題です。
アインシュタインが時間を光を用いて且つ矛盾した二つの原理を使って定義したことから、必然的に生じるパラドック
スですので、それが拠り所とした時間の定義自体が間違っていたことが判明した今となっては、「双子のパラドックスは、
パラドックス自体が間違いであった。実際はそんなことは起こらない。議論すること自体が無意味な問題である。」と
いう結論になります。
この無意味な論争を、20世紀の人々は延々と続けてきたわけです。なんという時間の無駄遣いでしょう!
以上の議論をまとめますと、アインシュタインの考えた時間というのは嘘であった、ということです。
その自分勝手な思考に、20世紀の人類は振り回され続けたわけです。
<3−4.時間の遅れのカラクリを明らかにする>
相対論の時間は嘘であり、我々はそれに騙されていたことを上で述べましたが、相対論ではどのようにして「時間が
遅れる」と説明されているのか、その欺瞞に満ちたカラクリをここで説明します。
[説明]
次図は、「相対性理論」(中野董夫著、岩波書店)p.78にある光時計の図です。
慣性系S′に固定された,y′方向に光を往復させる装置を考え、S′は慣性系Sに対してx方向に速度Vで動いてい
るとし、この現象をSから観測しています。
いま、上の左図をS′系図、右図をS系図と呼ぶことにします。
系S′が系Sに対してどんな速度で走っている慣性系であったとしても、真上に発射された光はぴったり鏡Mに到
達する、という驚くべきことを言っているのが上図です。
特殊相対性理論の本質は、この図で全て表現されていると言っても過言ではないほど重要な図です。
具体的に言えば、光は物体と同じような進行をし、しかも奇妙なことに、物体の場合とは違って「ベクトル合成されて、
S系図でS′系図よりベクトルの長さが長くなっているのに、そのベクトルの大きさは、依然一定値cである」と言ってい
るのが、上図です。
この図では、物理学、数学の規則が無視されていることに注目してください。上のように、もし物体と同じように進行
するならば、S系図の合成されたベクトルは、S′系図のベクトルよりも長く描かれているのですから、S系図のベクトルの
大きさはcであるはずがありません。当然√(c^2+v^2)とならなければならない。
全くおかしな図です。
なぜ相対論では、こんなおかしな図を描くのか?いや、描かざるをえないのか?
それは、「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」を両立させるためには、上のように描かざるをえないからです。
特殊相対性原理は、ニュートン力学におけるガリレイの相対性原理を、電磁気学にも適用できるとしたものですから、
光は当然物体のように進行すると主張せざるをえないことになります。ですから、物理学者は上図のように描くのです。
また、光速度不変の原理は、「どんな慣性系から見ても光速度は一定値cである」と主張するものですから、やはり、
この原理を成立させるためには、S系図でベクトルをS′系図より長く描いておきながら、依然S系図でその大きさ
をcとするという奇怪な描き方をすることになります。
アインシュタインは、「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」の融合をはかったわけですが、じつはこの二つはお
互いに正反対のことを主張しており(矛盾している)、融合させることは、論理的に不可能なのです。
不可能を可能とするためには、奇妙な誤った概念を導入して解決をはかる(誤魔化す)より手がありません。アインシ
ュタインは、時間と空間という、人類が古来より持ち合わせていた自然な概念を、こなごなにしてそれをやってしまった。
「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」が、互いに矛盾しており、相容れないものであることは、
で証明しています。
さて、上図で、時間がどのように奇妙なものになるかを見てみましょう。
光源から鏡までの距離をLとします。
S′系では、光源から出た光が上の鏡Mに到達するまでの時間t1は、当然
t1=L/c ・・・・@
となります。
S系からS′系をみると、上の右側の図のようになるので、上の鏡Mに到達するまでの時間t2は、
ピタゴラスの定理より、(c・t2)^2=(v・t2)^2 + L^2 ですから、
t2=L/√(c^2 - v^2)=(L/c)/√(1 - v^2/c^2)=t1/√(1 - v^2/c^2)
となり、@よりも時間は遅れます(^2は2乗の意味です)。
これが、動いている系から見ると、相手の時計がゆっくり進むということのカラクリです。
互いに矛盾した「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」を両立させるために、時間の定義を変更し、奇妙な時間
概念をつくり上げ、これでエーテル問題を解決したのでした。
そして、ローレンツらの人工的な仮説を入れる方法より、より簡潔にすっきりとエーテル問題が解決できるとして世の
物理学者に受け入れられたのです。
しかし、アインシュタインの発明した奇妙な時間が、現実の時間と全く相容れないものであることに当時の学者
は気付かず、「時空概念の大変革!」などと勘違いしたことは(いまだに勘違いは続いており・・)、物理学史上におけ
る決定的なミスとなりました。この辺の事情については、
に詳しく記しています。
結局、矛盾した二つの原理を強引に融合させるためには、どこかに無理を強いることになるのですが、時間にその
しわ寄せを強いたのです。悲しむべきことです。
その奇妙な時間概念を用いて、空間の方も定義し直したものだから、空間までもおかしなことになったのでした。
私たちは、誤った時間・空間概念を強いられ続けているのです。
今回述べたことは、中学生でもわかる理屈です。
この程度のことに気付けず、「20世紀の天才の生んだ理論!!アインシュタインは時空概念の変革者!」などと、
100年たった今も言いつづけている現実を、後世の人たちは一体どう表現しているのでしょうか?
きっと物笑いの種になっている・・・
追加 2002/3/4
「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」が、互いに矛盾していることは、
で証明済みですが、別視点からも証明できます。
<「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」が相矛盾していることの別証明>
[証明]
上の光時計の図を用いて証明します。
上記でもすでに言及したことですが、「特殊相対性原理」を主張すれば、光も物体の運動と同じようになり、その進行
経路は上図の矢印(ベクトル)のようになります。
つぎに、「光速度不変の原理」を主張すれば、「どんな慣性系から光を見てもその大きさはc」なので、S′系図でcな
らばS系図でもやはりベクトルの長さはcとするということになります。
S′系図でもc、S系図でもcとなっているのですが、ここで数学上の過ちを犯しています。
ベクトルの長さが違って描かれているのですから、その大きさは当然違ってこなければなりません。
速度ベクトルの方向は速度の方向を、その長さは速度の大きさを表すというのは、数学・物理学の基本規則です。
ところが、その規則を無視し、上図では、ベクトルの長さが違うのにどちらもcとしているのです。
これは、単純な数学のミスなのです。
では、S系でもベクトルの長さを少し短くすればよいのではないか?として、(方向はそのままとして)短くして描くと、
今度は、そのベクトル図では、特殊相対性原理を満たさなくなってしまうのです。
「特殊相対性原理」をまず立てれば、必然的に上図となるが、その状況のもとで「光速度不変の原理」を立
てようとすると、数学の規則に違反してしまう。
それではと、「光速度不変の原理」を先に立て、ベクトルの長さをS系図とS′系図で等しく描くと、今度は
「特殊相対性原理」がどうしても成り立たない図となってしまう。
結局、二つを同時に矛盾なく成立させるのは不可能とわかりました。
よって、「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」は、相矛盾していることが証明されました。
証明終わり。
しかし・・・それにしても、数学とは恐ろしいものです。
矛盾した上図にも、ピタゴラスの定理を適用すると、先に示したように計算はできてしまい、時間が算出されてしまう
のですから!矛盾したものを大元におくと、その先の結果はどこまでも矛盾した、おかしなものが出てきます。
相対性理論の時間が奇怪であるのは、じつはこんなところに原因があったのです。
アインシュタインの時間は、こういうカラクリで算出されました。
1世紀もの間、こんな初等的なところを見落としていたとは、なんと表現してよいのやら・・・・。
<3−5.光速度不変則と相対性原理の無矛盾性証明でのアインシュタインのトリック>
1905年の論文「動いている物体の電気力学」で、アインシュタインは「光速度不変の原理」と「特殊相対性原理」が
矛盾なく両立し得る証明を与えています。しかし、その無矛盾性の証明には、ある大トリック(ごまかし)が使われてお
り、その証明はデタラメとなっていることを以下で明らかにします。
[説明]
まず、はじめに「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」の定義を記します。
光速度不変の原理
T.「真空中の光の速さは、光源の運動状態に無関係な一定値cである。」 特殊相対性原理 U.「たがいに等速度運動をしているすべての慣性系において、すべての基本的物理法則は、まったく同じ形
で表され、それらの慣性系のなかから特別なものを選び出すことはできない。」
アインシュタインは、このTとUを基本的な原理として採用し特殊相対性理論を作り上げました。 ところで、Uを考慮に入れると、Tの光速度不変の原理はつぎのVのようにも表現されます。 光速度不変の原理の別表現 V.「いかなる慣性系(観測者)から見ても、光の速さは一定値cである。」
アインシュタインの特殊相対論は、上のTとUを基礎におき作られています。本によっては、「光速度不変の原理」を
Vとし、UとVから特殊相対論ができていると書いているものもあります。
注意してほしいのは、VはUの「特殊相対性原理」の性質も含んでいるということです。
ローレンツ変換の導出は、いろいろな教科書で示されていますが、「なっとくする相対性理論」を参考にしつつ、まず
その導出を一般に行われている通りに行ってみます。
[まずローレンツ変換の導出から]
慣性系であるS系を考え、そのx、y、z直交座標系を考えます。
t=0で光が一瞬パッと放出されたとします。P点に観測者がいて、その人のS系での座標を(x、y、z)とすると、波面
がPに到達する時刻をtとすれば、光は原点を中心とする半径r=ctの球面に達しますから、その球面の方程式は、
r^2=x^2+y^2+z^2=(ct)^2 ・・・・・@
となります(^2は2乗)。簡単のため、x軸上のみを考えると、
x^2=(ct)^2 ・・・・・・A
となります。
いまS′系というもう一つの慣性系が、S系に対しx軸方向に速さvで進んでいるとします。時刻t=t′=0でS系と
S′系の原点が一致したと仮定します。
P点の観測者のS′系での座標を(x′、y′、z′)とします。
光速度不変の原理より、S′系にいる観測者にとっても光速はcですから、その観測者Pに光が到達する時刻を
t′とすると、波面はS′系の原点を中心とした半径ct′の球面上にあります。上と同様にx′軸上で考えると、
x′^2=(ct′)^2 ・・・・・B
ここで、特殊相対性原理より、求める変換は、一次式になるはずです。なぜなら、S系から見て物体の運動が等速
直線運動をしていれば、S′系から見ても、等速直線運動をしているように見えなければならないからです。
そのためには、求める変換は一次式で表現されていればよいことになりますから、
x′=γ(x−vt) ・・・・・C
と、とりあえず仮定してみます。また、空間の等方性から(空間の右方向と左方向で差別はないことから)、Cの逆
変換を、′のついた変数とついていない変数を取りかえて、かつvを-vに置き換え、
x=γ(x′+vt)
とできることもすぐわかります。
また、光速度不変の原理より、t=t′=0に原点を発射された光は、x軸上で考えると、
x =ct ・・・・・・D
x′=ct′・・・・・E
となっているはずです。
さて、B〜Eの4つの式から、x、x′、t、t′を消去すると、
γ=1/√(1−v^2/c^2) ・・・・F
となり、有名なローレンツ因子が求まりました。
さらに、B〜Fの5式より、
x′=γ(x−vt) ・・・・G
t′=γ(t−x・v/c^2) ・・・・・H
と、ローレンツ変換の式が簡単に導き出されます。y、zに関しては略します。
[ローレンツ変換導出終わり]
さて、上の導出方法からもわかる通り、ローレンツ変換は、光速度不変の原理と特殊相対性原理を用いて導かれ
たことに注目してください。ローレンツが、この変換を導いたのとは違う方法で、アインシュタインは、この全く同じ変換
式にたどりついたのです。たった二つの簡潔な原理だけから導くことに成功したわけです。
アインシュタインが論文中で示している導出方法は、上よりも少し複雑ですが、やはり二つの原理から導いており本質
的には同じです。
上の導出過程をすこし振り返りますと、D、EやA、Bなどは、Tの光速度不変の原理の表現だけからは出てこな
い式で、これは特殊相対性原理の性質も含んだVの表現から出てくる式とわかります。
また、上の光の進行も非常におかしなものになっています。なぜなら、S系でも光はそのS系の原点を中心とした球
面上にあり、且つまたS′系でもそのS′系の原点を中心とした球面上にあり・・となっており、これでは全く物理的な
イメージが描けません。大切な物理的イメージというものを放棄し、系ごとに違う時間を導入するという奇妙な方法で誤
魔化しを加えて上のように淡々と数学的・記号論的に計算を進めると、無事ローレンツ変換までたどりつきます。
このようにローレンツ変換は、光速度不変の原理と特殊相対性原理という二つから導かれたわけですが、この二つ
の原理は、次の
で示した通り、互いに矛盾しており、それらを両立させること(それらを基礎にして理論を構築すること)は不可能なの
です。不可能にもかかわらず、アインシュタインは、新しい時間概念を導入するという方法で、それらが矛盾していない
ように見せかけることに成功しました。
アインシュタインは、1905年の論文「動いている物体の電気力学」で、次のように述べています。
「さて、静止系から眺めたとき、どんな光でも、既に仮定したように、それが速さcで伝播するならば、運動系
(k系)からそれを眺めたときも、同じように速さcで伝播するということを証明しなければならない。なぜならば、
光速度不変の原理を相対性原理と矛盾なく両立できるということを、未だ証明していないからである。」
(「アインシュタイン相対性理論」内山龍雄訳、岩波書店から引用)
このように述べたすぐ後で、「光速度不変の原理」と「特殊相対性原理」が矛盾なく両立できることを、ローレンツ変
換の式(論文中では係数が掛かっていますが本質的に同じ)を用いて、証明しているのです!
ここにトリックがあります。お気づきでしょうか?
アインシュタインは、「光速度不変の原理」と「特殊相対性原理」が無矛盾であることの証明に、この二つの原理から
導き出したローレンツ変換式を用いて、その無矛盾性を証明しているのです。
無矛盾性を証明するのに、はじめに二つの原理が両立する(無矛盾である)と仮定した所から導いた道具を用いて、
無矛盾性を証明している。
これは、数学的な証明になっていません。
端的に言えば、その証明の構造は、その無矛盾性を証明するのに、「二つの原理は無矛盾である」という証明すべき
結論をそっくり用いて証明している、という形となっているのです。
つまり、
「光速度不変の原理と特殊相対性原理が、無矛盾であることを証明しよう。
まずこの二つの原理は無矛盾であると仮定する(@とする)。
さて、二つの原理は無矛盾である。なぜなら、@で仮定しているからである。
よって、証明された。」
という、とんでもない構造となっているのです。
証明としたら、デタラメです。
1905年の歴史的論文は、完璧なデタラメであることがはっきりしました。
また、ローレンツ変換という概念自体、矛盾から導かれている以上、無意味な虚構の産物と断定できます。
アインシュタインの論文は、現代の教科書にあるようなすっきりとした書き方がなされておらず、かなり複雑な形で
書かれており、そのため問題点の焦点がぼやけ、上記の無矛盾性の証明も、よほど注意していないと、問題なく証明が
なされているような気にさせられます。
しかし、アインシュタインの証明の実態は、上のようなものであり、それは「とても証明とは呼べない」ものであったの
です。誤魔化し、隠蔽は政治の世界に限ったことではないようです。
上にさらに追加 2002/4/9
アインシュタインの1905年論文「動いている物体の電気力学」の論理展開は、あまりにも奇妙です。
ここでは上で述べた観点よりも、もう少し大きな視点からおかしな点を指摘したいわけですが、その論文の冒頭でアイン
シュタインは、次のように述べています。
(「アインシュタイン相対性理論」内山龍雄訳、岩波書店から引用)*赤色は私が入れました。
このようにまず論文冒頭で、「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」を早々に導入しています。
「一見、矛盾しているように見える・・」などとぼかした言い方をしていますが、一見どころか、この二つの原理は、明ら
かに矛盾しています。
このことに関しては、
で詳しく示しました。
しかし、アインシュタインもやはり「一見・・」が気になるのでしょう、なんと、長い論文のT部「運動学の部」の後半になっ
てようやくローレンツ変換を導き出してから、次のように述べて、二つの原理が矛盾してないことを示す証明にとりかかり
ます。
上の文章のあとで、二つの原理が両立することを示しているのですが、それが、大嘘の証明となっていることは一つ
上で示した通りです。
「矛盾しているように見えるが、しかし断固として矛盾していない!」と主張するならば、本来は、論文の冒頭でそれが
矛盾していないことをまず真っ先に示さなければなりません。にもかかわらず、アインシュタインは、論文中でそのあやし
げな二つの原理を、その無矛盾性の証明をしていない状態で時間と空間の定義に堂々と使いつづけるのです。
この奇妙さ、おかしさはいったい何なのでしょう?
そして、論文T部の後半になって、さもいま思いついたように上のように述べて、ようやく証明にとりかかる。
どうして、後半で証明することになったのでしょうか?(いやそのようにせざるを得なかったのか?)
その理由は、とにもかくにもローレンツ変換の公式に辿りつかなければその証明ができないことが、アインシュタイン
自身よくわかっていたからです。そして、その証明が、二つの原理が矛盾してないと勝手に仮定して導き出したローレン
ツ変換を用いて無矛盾性を示すというデタラメの証明となっていることは誠に残念なことです。
また、その誤りを、当時の論文の審査員が見抜けなかったことも、いまさらこんなことを言っても遅いとはいえ、物理学
の歴史にとっては痛恨の出来事となりました。
相対性理論はアインシュタインがいなくても誕生していたかのような言い方がなされることがありますが、そんなこと
は絶対にありません。人類全体がアインシュタインに騙されてしまった。論文が提出された時点で、断固不採用にす
べきレベルのものだったのです。
アインシュタインは、一言では言えないほど多くのミスを犯していますが、ここで指摘した無矛盾性の証明周辺におい
てもいかに愚かな過ちを犯しているかが、わかっていただけると思います。
21世紀初頭現在、いまだにこんな虚構にすぎない理論を信奉している現代物理学とは、一体どんな学問なのか。
そして、人間の良識を欺きながら、この先、人類はどこまで相対性理論と寄り添っていくつもりなのでしょうか?
京都賞を受賞したグロモフという高名な数学者が、深谷賢次氏(数学者、京都大学教授)からのインタビューの
最後で次のように答えています(「数学セミナー」2003年4月号)。
科学という創造の領域に関わる者にとっては非常に参考になる意見と思いますので、紹介します。
深谷 ●最後に、数学者を目指す学生や若者にメッセージをお願いします。 グロモフ●自分以外の誰も信頼しない方がいい。これはそのまま誰にでも適用できるものではありませんし、 そうでない逆の方法で成功した人もいます。私の友人に5年間本を読んで勉強したが大成しなかった 人がいます。彼は本の内容を疑わなかった。それがこのような結果を生んだのだと思っています。 私はいつも疑ってかかるのですが。 何がメッセージになるだろうか・・・?「自分以外の人と違うことをしなさい」ですね。 註:赤色は杉岡が入れました。
じつは私もいつも同じことを思っているので紹介しました。
M.S
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