■昭和館■

ちゃぶ台。飛雄馬のとうちゃんがひっくり返すあのテーブルである。小さく丸い食卓を身を寄せ合い囲む。この「距離」がいまの家族には欠如しているのではないだろうか。

慰問袋。戦地で戦う兵士のために学校や職場など様々な人たちが、お守りや手紙、薬、お菓子など、思い思いの品々をこの袋に詰めた。日中戦争初期のものだろう。送るモノがまだあったころのものだ。

1940年7月7日、政府はいよいよ国民の暮らしを法律で統制するに至った。俗にいう「七・七禁令」である。奢侈(しゃし)品とされるさまざまな商品が指定され、それらの製造、購入は法により禁止されたのである。その中にはシャーペン、カフスボタンなどの文字が見える。

物資は当然、軍用のものが最優先された。庶民は「代用品」とよばれる材質でできたものしか手に入れることができなくなりはじめていた。衣類にはスフなど粗悪なものが多かった。竹で編んだランドセルや鉄、いや「竹」かぶとなどが見える。

生活に必要な物品の多くは配給制とされた。また「金属回収令」により、家庭からは金属、銅製品を供出させられた。写真はいろいろな生活必需品の配給手帳や切符類。

ちり紙。我々の世代でもティッシュのことをちり紙と言うが、これが本当のちり紙である。ティッシュと同じく用途は様々だったようだ。正確には「ちりめん紙」という。

当局は愛国心の鼓舞と軽薄な西洋文化排除のため、生活のいたるところから「外国語」を排除しようとした。写真は雑誌「キング」(左)と、それを改題した「富士」(右)。煙草の「ゴールデンバット」は「金鵄(きんし)」とした。ミスワカナなどの芸能人も改名させられた。また野球の用語も「よし」「だめ」「ひけ」などに言い替えられ、後世の失笑を買っている。