霊性 |
教会でよく使われる言葉に、「御霊(みたま)」「霊的」「霊性」があります。 これらは、よく使われるにもかかわらず、その意味を一言で説明するのは難し いです。聖句ガイドにもこれらの項目はありません。「福音の原則」などの初 心者用の書籍にもこれらの説明はありません。特に教会に入信して間もない会 員はそれらの意味がよくわからないため、苦労をします。これらの言葉は次の ように使われます。「御霊を感じる」「御霊に満たされる」「御霊がともにあ りますように」「霊的な人」「霊的な話し」「霊性を高める」などです。まだ、 わたしが教会に入りたてのころ、「XX長老はとても霊的な人です。」と言わ れたときによく意味がわからず、「あの人は霊能力を持っているのかな」と思 っていました。「霊的な話し」も幽霊を見たとかの恐怖の心霊体験を話すのだ ろうかと思いました。 「御霊」は英語では"the Spirit"、「霊的」は"spiritual"、「霊性」は "spirituality" です。どれも"spirit"に関する言葉です。"spirit"は「霊」 の他に「精神」とも訳されます。モルモン書の中でよく用いられる言葉で、 "broken heart and contrite spirit"は「打ち砕かれた心と悔いる霊」と訳さ れています。これは「謙遜な心と悔い改めの気持ち」という意味です。「悔い る霊」と言われると、ある霊が「あんな事するんじゃなかった」と後悔する様 子を想像してしまいます。改訂前のモルモン経では、「へりくだった心と悔い る精神」と訳されていました。こちらの方が意味はわかりやすいのですが、改 訂版では、なるべく直訳するという方針がとられたためこのような少し分かり にくい訳になったそうです。「霊」と訳されているところを「精神」に置き換 えてみると意味がわかりやすくなることが多々あります。「啓示の霊を授かる」 と言うときの「霊」は霊的能力を意味するようです。 |
「御霊」は二つの意味で使われます。一つは神会のお一方である聖霊を指しま す。もう一つは聖霊の影響力です。たいていは後の方の意味で使われます。聖 霊は同時に複数の場所に存在はできませんが、同時に複数の場所に影響を及ぼ すことができます。ある人がこの影響を受けたときに「御霊を感じた」とか 「御霊に満たされた」とか言うのです。これは太陽が地上を照らすのに似てい ます。太陽は一箇所にしかありませんが、同時に地上の複数の場所を照らしま す。 「御霊」を完全に説明することはできません。それは、塩を味わったことのな い人に塩の味を説明するのと同じくらい難しいことです。自分で体験するしか ありません。御霊については聖文では「声」という言葉が用いられていますが、 それで説明し尽くされているわけではありません。それは耳で聞くというより も、心で感じる声です。御霊は静かな細い声とも言われています。清い心の状 態で、心の耳を澄ませていないと聞こえません。御霊はわたしたちの心に温か いものを感じさせてくれます。 御霊がどんなものかについては聖典に断片的に述べられています。 ・御霊は神の身元から発し、広大な宇宙に満ちています。 ・神は御霊の力によって、万物を見、認識することができ、いつでもどこにで も影響を及ぼすことができます。 ・御霊は太陽の光、月の光、星の光と呼ばれています。 ・御霊は真理の光とも、キリストの光とも言われています。 ・御霊は一般的には「良心」とも呼ばれています。 ・御霊の力によって万物が造られました。 ・御霊は万物に命を与えています。 ・御霊は万物が治められている律法です。 ・御霊はすべての人々に光を与えています。 ・御霊は人々と自然に働きかけています。 御霊が人に与える影響は次のとおりです。 ・人に啓示や導きを与えます。啓示には次の8つの目的があります。 ・真理を証する。 御霊によって、イエス・キリストが人類の贖い主であり、福音が真実 であり、モルモン書が真実であるという確信を得ることができます。 「この記録を受けるとき、これが真実かどうかキリストの名によって 永遠の父なる神に問うように、あなたがたに勧めたい。もしキリスト を信じながら、誠心誠意問うならば、神はこれが真実であることを、 聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。そして聖霊の 力によって、あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。」 (モロナイ10:4−5) ・予言。 将来起こることを予言します。大管長や使徒職を持つ人は世界や教会 全体のために予言します。祝福師も祝福を受ける人について予言しま す。また、一般の教会員もその責任の範囲内において予言的な啓示を 受けます。 (オークス長老・姉妹の証参照) ・慰める。不安や恐れ孤独感を取り去る。次のような例があります。 ・預言者ジョセフ・スミスがリバティーの牢獄の中で、何が月もの間 ひどい状況に置かれていたときに、自分と迫害されている聖徒たち のために主に嘆願したとき次のような慰めの言葉が与えられました。 「息子よ、あなたの心に平安があるように。あなたの逆境とあなた の苦難は、つかの間にすぎない。その後、あなたがそれをよく堪え 忍ぶならば、神はあなたを高い所に上げるであろう。あなたはすべ ての敵に打ち勝つであろう。」(教義と聖約121:7−8) ・夫に先立たれたある婦人は、死んだ夫の霊を近くに感じ、その愛と 関心を確信しました。 ・励ます。 ・神の教えや戒めに従いたいと思うように励まします。 (ある技師の証参照) ・知識を伝える。次のような例があります。 ・大切な宝物をなくした子供が助けを求めて祈り、そのありかを知ら されました。 ・仕事、家庭、系図探求で問題にぶつかったとき、祈りを通して、 その解決に必要な事柄を知らされました。 ・教会のある責任に、だれを召したらよいか答えを祈り求めた指導者 に、みたまが具体的に名をあげて答えました。 ・発明や発見なども御霊によって霊感された結果だといえます。 ・何かを思いとどまらせる。 御霊は人から不安感を取り去る役割をしますが、何かを思いとどまら せる場合、逆に不安を与えるときがあります。 (オークス長老の証参照) ・確認する。 私たちは、神様から導きを受けるとき、すべてを神様にやってもらう のではなく、まず自分の自由意志を行使し、自分自身で考え、その結 果を主に伺うと言う方法をとります。 「見よ、あなたは理解していなかった。あなたはわたしに求めさえす れば、何も考えなくてもわたしから与えられると思ってきた。しかし 見よ、わたしはあなたに言う。あなたは心の中でそれをよく思い計り、 その後、それが正しいかどうかわたしに尋ねなければならない。もし それが正しければ、わたしはあなたの胸を内から燃やそう。それゆえ、 あなたはそれが正しいと感じるであろう。しかし、もしそれが正しく なければ、あなたはこのような感じを少しも受けず、思いが鈍くなり、 それによって誤っている事柄を忘れるようになる。それゆえ、あなた はわたしから与えられなければ、神聖なことを書くことはできない。」 (教義と聖約9:7−9) ・行動を促す。 緊急事態など突然、御霊が行動を促すことがあります。 (オークス長老の祖母の証参照) ・罪からの聖め、罪の赦し。 バプテスマをうけたあと、聖霊によって罪から清められます。これを火と 聖霊によるバプテスマと呼んでいます。罪を犯して、悔い改めたあと、赦 されたという気持ちを与えれくれます。 ・善悪の判断。 これは良心と言われるもので、一般の人にも与えられています。 ・霊的な力(御霊の賜物)。 御霊によって人には、「御霊の賜物」(霊的能力)が与えられます。 「見よ、ある人には神の御霊によって、知恵の言葉を教える賜物が授けら れ、ある人には同じ御霊によって、知識の言葉を教える賜物、ある人には 非常に深い信仰、ある人には同じ御霊によって癒しの賜物、また、ある人 には大きな奇跡を行う賜物、また、ある人にはあらゆる事柄について預言 する賜物、また、ある人には天使と仕える霊を見る賜物、また、ある人に はあらゆる異言、また、ある人には様々な言語といろいろな異言を解釈す る賜物が授けられる。これらの賜物はすべて、キリストの御霊によって授 けられる。そして、キリストの望まれるままに、それぞれすべての人に授 けられるのである。」(モロナイ10:9−17) |
御霊は清い心にしか宿りません。神の教えを否定したり、罪悪を行なうと、御 霊は離れ去ります。人類が御霊を失うと次のようになります。 ・御霊が人を励まさなくなる。 ・サタンの力が増す。 ・社会が混乱し、罪悪が世の中に満ちる。 ・自然の秩序を保っている御霊が無くなるので、自然災害も多くなる。 アルビン・トフラー著の「パワー・シフト」の中では、社会的な力が3つある とされています。第1の力は、暴力、武力です。第2の力は、富、財力です。 第3の力は、知識、情報力です。この世では、この3つのどれかを持つことで、 社会的に認められた存在になれます。政治家、軍人は第1の力、お金持ちは第 2の力、学者などは第3の力を持っています。第1の力が一番強制力があるし、 すぐに行動を起こさせるので、一番強く思われます。第2の力はお金の魅力で 人を動かすのでその次に強い力だと思われています。第3の力はあまり力が無 いように思われています。しかし、実際は第三の力が一番力を持っています。 というのは、知力はいろんな点で武力、財力よりも優れているからです。知力 は質が高く、柔軟性に富んでいます。知力は武力、財力をコントロールするこ とができます。知識は限界がなく、増やすことができます。知識は使い切るこ とがなく、共有でき、弱い者にも、貧しい者にも手に入れられます。人を教育 する場合も知的な力を用いるのが、もっとも優れています。暴力を用いたり、 お菓子やおこずかいでつると、こどもを動かすには、時間はかからないかもし れません。しかし、根本的なしつけはできません。時間がかかっても、言い聞 かせ、なぜそうしなければいけないか納得させるのが優れたしつけなのです。 私はこのほかに第4の力があると思います。「心の清さ」と呼べるものです。 はたして「心の清さ」が力になりうるのか疑問があることでしょう。この力に ついて、ドラえもん25巻の「のび太の結婚前夜」という話を見てみましょう。 登場人物の紹介 ・ドラえもんは22世紀の猫型ロボットです。 ・のび太は20世紀の小学生で、なにをやってもだめな、おっちょこちょ いの少年です。 ・のび太のひ孫にあたるセワシにいわれて、のび太を立派な人間にすべく、 ドラえもんはタイムマシンに乗って、のび太の所にやってきました。 ・のび太の友達は、ジャイアン(たけし)、すねお、出来杉、しずかです。 ・ジャイアンは一番けんかの強いガキ大将です。(第一の力の象徴) ・すねおは町一番のお金持ちです。(第二の力の象徴) ・出来杉(できすぎ)はクラスで一番勉強のできる秀才です。 (第三の力の象徴) ・そして、しずかはみんなの憧れの女の子です。 話の内容 のび太は以前タイムマシンで未来に行き、自分としずかが結婚するのを見 てきたのですが、しずかが出来杉と仲良くしているので不安になります。 もしかしたら、未来が変わったのではないかと思い、ドラえもんと一緒に、 結婚式の日にタイムマシンで行きます。ドラえもんがタイムマシンの操作 を間違え、結婚式の前日に着いてしまいました。のび太青年は、たけし、 すねお、出来杉と結婚式前夜祭をしています。のび太青年はみんなにうら やましがられています。しずかはみんなの憧れだったからです。のび太は 他の3人のような取柄は全くありません。なぜ、のび太がしずかと結婚す ることができるのか、みんなは不思議がっています。一方、しずかの家に 行ってみると、しずかは家族3人で食事会をしたあとでした。しずかがお 父さんのところへあいさつへ行くのですが、何か言いたそうででも何も言 えません。そこでドラえもんが秘密道具を使って、言いたいことをつい言 ってしまう電波を出します。するとしずかはお父さんに「パパ、あたしお 嫁にいくのやめる。」と言い出します。「あたし不安なの。うまくやって いけるかしら。」と、しずかが言うと、しずかのお父さんはこう言います。 「やれるとも、のび太くんを信じなさい。のび太くんを選んだきみの判断 は正しかったと思うよ。あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむこ とのできる人だ。それが一番人間にとって大事な事だからね。彼なら間違 いなく、君を幸せにしてくれると信じているよ。」 私はのび太を第4の力の象徴のように思います。3つの力はそれだけでは、人 を幸せにするという保証はありません。3つの力は悪にも善にも使うことがで きます。第4の力だけは、善そのものなのです。第4の力は他の3つの力をコ ントロールする力であり、第4の力があってはじめて、他の力は人を幸せにす ることができます。第4の力は他の3つの力に比べて、無力のように思われま す。しかし、私は最も大きな力だと思うのです。 御霊の力は清さの力です。これは最も弱そうに見えて、他の力(腕力、財力、 知力)をしのぎます。 |
どのようにすれば自分が御霊を受けているかどうかが分かるのでしょうか。自 分が感じているものが、単に感情的な高まりなだけだったり、サタンから来た 導きだったりするかもしれません。涙が出るからと言って、御霊とは限りませ ん。御霊には涙が出ることが多いのですが、涙が出ないときもあります。その 判断基準として、モロナイは次のように言っています。 「善悪をわきまえることができるように、すべての人にキリストの御霊が与え られているからである。さて、その判断の方法をあなたがたに教えよう。善を 行うように誘い、またキリストを信じるように勧めるものはすべて、キリスト の力と賜物によって送り出されているのである。したがってあなたがたは、そ れが神から出ていることを完全に理解してわきまえることができる。しかし、 悪を行うように、キリストを信じないように、キリストを否定するように、神 に仕えないようにと人に説き勧めるものは何であろうと、それは悪魔から出て いることをあなたがたは完全に理解してわきまえることができる。悪魔はこの ように働くからである。悪魔はだれにも善を行うように説き勧めない。また悪 魔の使いも、悪魔に従う者も、そのように説き勧めない。」 (モロナイ7:16−17) 下記の「御霊を受けている状態」も参考になるでしょう。 特に御霊かどうかの迷いが生じるのが、男女の恋愛においてでしょう。結婚相 手を選ぶとき、相手に良いものを感じる場合、それが感情的なのか、霊的なの かという区別がつきにくいことがあります。サタンは神聖なものを偽って人に 伝えようとします。男女間の神聖な愛の代わりに、人気や肉体的な魅力、ロマ ンチックな恋のゲームを楽しむときのスリルを強調します。ですから、そのよ うな感情があるときは、上記の識別法を用いてよく見極める必要があります。 |
御霊は教会員だけでなく、すべての人に与えられます。しかし、「聖霊の賜物」 は御霊と違って、すべての人には与えられません。聖霊の賜物を授かっていな い場合、受けられる聖霊の導きに限りがあります。聖霊の賜物とは、聖霊から 常に導きを受けられる権利です。これによって、御霊は、働くときも、遊ぶと きも、休むときも1日24時間わたしたちとともにあります。そして、日々、 わたしたちを強めてくれます。「聖霊の賜物」は、バプテスマを受け、聖霊の 賜物を授ける按手を受けた人に与えられます。 この教会では御霊をとても大事にします。次の話はブリガム・ヤングの経験談 です。ジョセフ・スミスは1844年に殉教しましたが、ブリガム・ヤングが 後を継ぎました。1847年2月に、彼にジョセフ・スミスが夢か示現の中で 現れたのです。彼はジョセフに教会員たちに伝えるべきことはないかと尋ねま した。するとジョセフはこう語りました。 「人々にこう言ってください。必ず主の御霊に従うように。そうすれば正しい 道へと導かれることでしょう。注意を怠らず、静かなささやきに耳を傾けてく ださい。そうすれば何をすべきか、どこへ行くべきかを学び、主の王国の実を 収穫できるでしょう。いつも心を開いて理に服し、聖霊の訪れを受けたなら、 いつでもその教えに従うようにと、言ってください。主の御霊をその他の霊と 区別することができます。主の御霊は、心に平安と喜びをもたらし、悪意や憎 しみ、争いや邪悪をすべての心から取り去ってくれます。そして、人は心の底 から善をなし、正義を行い、神の王国を築きたいと願うようになるのです。」 |
霊的や霊性がどういう意味かを考えるときに、その対立概念である、肉体的、 物質的、現世的を考えると分かりやすくなります。 肉体的 人は霊と肉体からできています。霊は肉体を得ることによって、その可能 性を伸ばすことができます。これは、人と車との関係に似ています。人は 車に乗ることによって、それまで以上に行動範囲を広げることができます。 つまり、霊は肉体を自由にコントロールすることによって、喜びを得るこ とができます。しかし、肉体には弱さがあり、そう簡単には霊の言う通り には動かないことが多いのです。人の行動に肉体的な要素(肉体的な欲求 を満たす行動)が見られるときは霊的ではないと言うのです。 物質的 神はこの地球を物質的に創造する前に、霊的に創造しました。これは霊を 創造したのではありません。地球をどのように創造するか計画を立てたと いうことです。霊の創造と、霊的な創造は、違います。「霊的」には「心 の中で」とか「概念的に」と言う意味があるのです。 現世的 現世的な富、地位、名誉に対する執着心から離れ、永遠の観点でものを捕 らえ、行動することのできる状態を霊的な状態ということがあります。 また、堕落前、アダムとエバの体は、霊的な体であったと言われています。 これは霊体とは違います。霊的な体は肉体です。これは、病気になったり、 年老いたりする現世的な体ではないと言う意味で、霊的な体と言っている のです。 心の要素には次のようなものがあります。 ・意欲、肉体的欲求 ・感情 ・知性 ・霊性 霊性は知性、感情、肉体的欲求をコントロールします。サタンは知性にすぐれ ていたが霊性に欠けていました。 霊性と肉欲は対立することがあります。肉体は霊を鍛えるためのエキスパンダ の役目をします。霊性は肉体を得ることによって伸ばすことができるのです。 肉体の性質には生きていくことや、子孫を増やすのに必要な食欲、性欲があり、 これ自体は悪ではありません。神はこの欲求を満たすことに制限を設けられま した。この制限を越えることは悪です。たとえば、結婚の範囲内で性を用いる のは良いことですが、不倫は悪になります。 肉体的な欲求をコントロールする力の強さが霊性の高さということができます。 また、霊性が肉欲に勝つ人を霊的な人ということができます。霊性をうまく働 かせないと、霊は肉欲に束縛され自由を失います。たとえば、食べ過ぎ、寝す ぎ、性的放縦、タバコ、アルコール、薬物中毒は肉欲に束縛され自由を失なっ た状態です。霊性は本当の自由(肉体を自由にコントロールする)を得させま す。戒めは、霊性をうまく働かせるための指針です。 御霊と霊性は密接な関係があります。御霊は霊性の源です。御霊は霊性を高め るために必要な要素です。霊性を高めるのに必要なものを植物の成長に必要な ものにたとえてみましょう。植物が育つのには光と水と土が必要です。 ・光に相当するのが「御霊」です。これは「祈り」を通して得られます。 ・水に相当するのが「霊的な知識」これは「聖文の研究」を通して得られます。 ・土に相当するのが「善を行なうこと」これは「戒めを守ること」です。 優れた者になろうと努力することは良い事です。しかし、霊的な人とそうでな い人とでは、その努力が違う形で出てきます。霊的でない人の努力は、他に優 れた者が出ようとするときに、それを抹殺しようとする傾向があります。この ような者の努力は優れたものを生み出す努力ではなく、自分の立場、地位、利 益を守るための努力です。 「賢者は真実を発見して喜び、凡人は間違いを発見して喜ぶ。」 (アーサー・ブロック著「マーフィーの法則」より) 「発明の才のあるグループでは知識欲が勝り、そうでないグループでは批判欲 が勝っていると報告されている。批判欲が強い人は、新しい事態に接したとき、 直ちにそれが良いか悪いか、それはどうあるべきかによって、自分の判断を下 すことに強い興味を示す。知識欲の強い人は、新しい事態に接したとき、まず それはどんなものであるか、それはどんな機能を持つかを詳細に知ることに強 い興味を示す。」(岸本行雄著「設計の方法」より) |
参考資料 ・御霊を受けている状態 ・霊的な人 ・真実の愛 |