4−3 ペレアでの伝道

イエス、ヨルダン川を渡られる


紀元33年 ペレア
ヨハネ10:40-42

さて、イエスはまたヨルダンの向こう岸、すなわち、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた所に行き、そこに滞在しておられた。
多くの人々がイエスのところにきて、互に言った、「ヨハネはなんのしるしも行わなかったが、ヨハネがこのかたについて言ったことは、皆ほんとうであった」。
そして、そこで多くの者がイエスを信じた。

安息日の癒し[奇跡]


紀元33年 ペレア
ルカ13:10-17

安息日に、ある会堂で教えておられると、
そこに十八年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女がいた。
イエスはこの女を見て、呼びよせ、「女よ、あなたの病気はなおった」と言って、
手をその上に置かれた。すると立ちどころに、そのからだがまっすぐになり、そして神をたたえはじめた。
ところが会堂司は、イエスが安息日に病気をいやされたことを憤り、群衆にむかって言った、「働くべき日は六日ある。その間に、なおしてもらいにきなさい。安息日にはいけない」。
主はこれに答えて言われた、「偽善者たちよ、あなたがたはだれでも、安息日であっても、自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやるではないか。
それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」。
こう言われたので、イエスに反対していた人たちはみな恥じ入った。そして群衆はこぞって、イエスがなされたすべてのすばらしいみわざを見て喜んだ。

からし種とパン種[たとえ]


紀元33年 ペレア
ルカ13:18-21

そこで言われた、「神の国は何に似ているか。またそれを何にたとえようか。
一粒のからし種のようなものである。ある人がそれを取って庭にまくと、育って木となり、空の鳥もその枝に宿るようになる」。
また言われた、「神の国を何にたとえようか。
パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。
(関連 3−4「からし種」「パン種」

イエスのエルサレムへの旅の開始
戸が閉じられる[たとえ]


紀元33年 ペレア
ルカ13:22-30

さてイエスは教えながら町々村々を通り過ぎ、エルサレムへと旅を続けられた。
すると、ある人がイエスに、「主よ、救われる人は少ないのですか」と尋ねた。
【戸が閉じられる】
そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから。
家の主人が立って戸を閉じてしまってから、あなたがたが外に立ち戸をたたき始めて、『ご主人様、どうぞあけてください』と言っても、主人はそれに答えて、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない』と言うであろう。
そのとき、『わたしたちはあなたとご一緒に飲み食いしました。また、あなたはわたしたちの大通りで教えてくださいました』と言い出しても、
彼は、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない。悪事を働く者どもよ、みんな行ってしまえ』と言うであろう。
あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが、神の国にはいっているのに、自分たちは外に投げ出されることになれば、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
それから人々が、東から西から、また南から北からきて、神の国で宴会の席につくであろう。
こうしてあとのもので先になるものがあり、また、先のものであとになるものもある」。

ヘロデについての警告


紀元33年 ペレア
ルカ13:31-35(ジョセフ・スミス訳)

ちょうどその時、あるパリサイ人たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています」。
そこで彼らに言われた、「あのきつねのところへ行ってこう言え、『見よ、わたしはきょうもあすも悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終えるであろう。
しかし、きょうもあすも、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである』」。
イエスはこのように言って、御自分の死を示された。そして、その時、エルサレムを嘆き悲しまれた。
「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。わたしは言って置く、あなたがたが主の手から自分のすべての罪の贖いを受け、『主の名によってきたるものに、祝福あれ』とあなたがたが言う時の来るまでは、わたしを知ることはないであろう」。

パリサイ派のかしらとの食事
水腫の人の癒し[奇跡]
婚宴の座[たとえ]
盛大な晩餐会[たとえ]


紀元33年 ペレア
ルカ14:1-24

【水腫の人の癒し】
ある安息日のこと、食事をするために、あるパリサイ派のかしらの家にはいって行かれたが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
するとそこに、水腫をわずらっている人が、みまえにいた。
イエスは律法学者やパリサイ人たちにむかって言われた、「安息日に人をいやすのは、正しいことかどうか」。
彼らは黙っていた。そこでイエスはその人に手を置いていやしてやり、そしてお帰しになった。
それから彼らに言われた、「あなたがたのうちで、自分のむすこか牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。
彼らはこれに対して返す言葉がなかった。

【婚宴の座】
客に招かれた者たちが上座を選んでいる様子をごらんになって、彼らに一つの譬を語られた。
「婚宴に招かれたときには、上座につくな。あるいは、あなたよりも身分の高い人が招かれているかも知れない。
その場合、あなたとその人とを招いた者がきて、『このかたに座を譲ってください』と言うであろう。そのとき、あなたは恥じ入って末座につくことになるであろう。
むしろ、招かれた場合には、末座に行ってすわりなさい。そうすれば、招いてくれた人がきて、『友よ、上座の方へお進みください』と言うであろう。そのとき、あなたは席を共にするみんなの前で、面目をほどこすことになるであろう。
おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
また、イエスは自分を招いた人に言われた、「午餐または晩餐の席を設ける場合には、友人、兄弟、親族、金持の隣り人などは呼ばぬがよい。恐らく彼らもあなたを招きかえし、それであなたは返礼を受けることになるから。
むしろ、宴会を催す場合には、貧しい人、体の不自由な人、足の悪い人、目の見えない人などを招くがよい。
そうすれば、彼らは返礼ができないから、あなたはさいわいになるであろう。正しい人々の復活の際には、あなたは報いられるであろう」。
列席者のひとりがこれを聞いてイエスに「神の国で食事をする人は、さいわいです」と言った。

【盛大な晩餐会】
そこでイエスが言われた、「ある人が盛大な晩餐会を催して、大ぜいの人を招いた。
晩餐の時刻になったので、招いておいた人たちのもとに僕を送って、『さあ、おいでください。もう準備ができましたから』と言わせた。
ところが、みんな一様に断りはじめた。最初の人は、『わたしは土地を買いましたので、行って見なければなりません。どうぞ、おゆるしください』と言った。
ほかの人は、『わたしは五対の牛を買いましたので、それをしらべに行くところです。どうぞ、おゆるしください』、
もうひとりの人は、『わたしは妻をめとりましたので、参ることができません』と言った。
僕は帰ってきて、以上の事を主人に報告した。すると家の主人はおこって僕に言った、『いますぐに、町の大通りや小道へ行って、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の悪い人などを、ここへ連れてきなさい』。
僕は言った、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席がございます』。
主人が僕に言った、『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい。
あなたがたに言って置くが、招かれた人で、わたしの晩餐にあずかる者はひとりもないであろう』」。
(関連 5−3「王子の婚礼」

犠牲についての説教
邸宅の建設[たとえ]
戦争をひかえた王[たとえ]
塩[たとえ]


紀元33年 ペレア
ルカ14:25-35(ジョセフ・スミス訳)

大ぜいの群衆がついてきたので、イエスは彼らの方に向いて言われた、
「だれでも、父、母、夫、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、言い換えれば、わたしのために命をささげるのを恐れる者は、わたしの弟子となることはできない。
自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。
だから、わたしがあなたがたに教え、命じたことを、行なうよう、心に決めなさい。

【邸宅の建設】
あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まず、すわってその費用を計算しないだろうか。
そうしないと、土台をすえただけで完成することができず、見ているみんなの人が、
『あの人は建てかけたが、仕上げができなかった』と言ってあざ笑うようになろう。」
そしてイエスは、もし、続けることができなければ、だれもイエスに従わないことを示され、言われた。

【戦争をひかえた王】
「また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えるために出て行く場合には、まず座して、こちらの一万人をもって、二万人を率いて向かって来る敵に対抗できるかどうか、考えて見ないだろうか。
もし自分の力にあまれば、敵がまだ遠くにいるうちに、使者を送って、和を求めるであろう。
それと同じように、あなたがたのうちで、自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない。」
そのとき、何人かが来て言った。「良い先生、わたしたちにはモーセと預言者たちがあり、だれでも彼らによって命を得ています。彼は命を得られないのでしょうか。」
イエスは答えて言われた。「あなたがたはモーセも預言者も知ってはいない。もしあなたがたが彼らを知っていたなら、わたしを信じたであろう。彼らはこの目的で書いていたからである。わたしはあなたがたが命を得るために送られた。

【塩】
それであるから、わたしはそれを良い塩にたとえよう。しかし、塩もききめがなくなったら、何によって塩味が取りもどされようか。
土にも肥料にも役立たず、外に投げ捨てられてしまう。聞く耳のあるものは聞くがよい」。
(関連 3−2「地の塩」

一連のたとえ
いなくなった羊[たとえ]
なくした銀貨[たとえ]
放蕩息子[たとえ]
不正な家令[たとえ]


紀元33年 ペレア
ルカ15:1-32,16:1-13(ジョセフ・スミス訳)


さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。

するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。

そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、

【いなくなった羊】
 
「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を残しておいて、野原に行って、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。

そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、
家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。
 
 
よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。
(関連 4−1「迷い出た羊」

【なくした銀貨】

また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。

そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。


よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。

【放蕩息子】
また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。

ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。

それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。

何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。

そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。
立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。
 
そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。

むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。

しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。

このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。

ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、
ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。

兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、

兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。

すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。

【不正な家令】
イエスはまた、弟子たちに言われた、「ある金持のところにひとりの家令がいたが、彼は主人の財産を浪費していると、告げ口をする者があった。
そこで主人は彼を呼んで言った、『あなたについて聞いていることがあるが、あれはどうなのか。
あなたの会計報告を出しなさい。もう家令をさせて置くわけにはいかないから』。
この家令は心の中で思った、『どうしようか。主人がわたしの職を取り上げようとしている。
土を掘るには力がないし、物ごいするのは恥ずかしい。
そうだ、わかった。こうしておけば、職をやめさせられる場合、人々がわたしをその家に迎えてくれるだろう』。
それから彼は、主人の負債者をひとりびとり呼び出して、初めの人に、『あなたは、わたしの主人にどれだけ負債がありますか』と尋ねた。
『油百樽です』と答えた。
そこで家令が言った、『ここにあなたの証書がある。すぐそこにすわって、五十樽と書き変えなさい』。
次に、もうひとりに、『あなたの負債はどれだけですか』と尋ねると、『麦百石です』と答えた。
これに対して、『ここに、あなたの証書があるが、八十石と書き変えなさい』と言った。
ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。
この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。
またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。
そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。
小事に忠実な人は、大事にも忠実である。
そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。
また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。
どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。
あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。


【動画】イエス,3つのたとえをお話しになる



【動画】いなくなった羊



【動画】なくなった銀貨



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【動画】放蕩息子



【動画】イエスいなくなった羊のたとえを教える




【解説】
不正な家令のたとえでは、イエスは不正を勧めているわけではない。
未来のために慎重に備えをすることの大切さを述べている。
不正直な者や邪悪な者からでも教訓を得るように勧めている。

むさぼりについての説教


紀元33年 ペレア
ルカ16:14-18(ジョセフ・スミス訳)


欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。
そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。
すると、彼らは言った。「我々には律法と預言者がある。我々はこの男を我々の支配者といて受け入れない。この男は自ら我々の裁判人となっている。」
そこでイエスは彼らに言われた。「律法と預言者はわたしについて証している。まことに、ヨハネに至るまで、記録を残してきたすべての預言者が、今の時代を預言してきた。
それ以来、神の王国が宣べ伝えられ、真理を求める人々は皆、これに力ずくで入ろうとしている。
しかし、律法の一画が落ちるよりは、天地の過ぎ去る方がもっとたやすい。
あなたがたは律法を教えていながら、なぜ書かれてあることを否定するのか。あなたがたすべてが贖われるように、律法を成就しようとして御父が遣わされた者を、なぜ非難するのか。
おお、愚かな者たちよ。あなたがたは心の中で『神はいない』と言う。そして正しい道を曲げる。天の王国はあなたがたから激しく襲われている。あなたがたは柔和なものたちを迫害し、王国を襲って滅ぼそうとしている。そして、王国の子らを奪い取っている。姦淫を行う者たちよ、あなたがたは災いである。」
すると彼らは、姦淫を行う者であると言われたことに腹を立て、再びイエスをののしった。
しかし、イエスは続けて言われた。「すべて自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行う者であり、また、夫から出された女をめとる者も、姦淫を行う者である。あなたがたによく言っておく。わたしはあなたがたを金持ちにたとえよう。

金持ちとラザロ[たとえ]


紀元33年 ペレア
ルカ16:19-31

ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
この貧しい人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。
そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。
わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。
アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。

他の人からの攻撃、義務、真理
夕食時の主人と僕[たとえ]


紀元33年 ペレア
ルカ17:1-10

イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。
これらの小さい者のひとりを罪に誘惑するよりは、むしろ、ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられた方が、ましである。
(関連 4−1「謙遜さ、赦し、結び固めの力、弟子としての責任」
あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。
もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。
使徒たちは主に「わたしたちの信仰を増してください」と言った。
そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。

【夕食時の主人と僕】
あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。その僕が畑から帰って来たとき、彼に『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。
かえって、『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』と、言うではないか。
僕が命じられたことをしたからといって、主人は彼に感謝するだろうか。
同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。

ラザロについての言葉


紀元33年 ペレア
ヨハネ11:1-16(ジョセフ・スミス訳)


さて、ひとりの病人がいた。ラザロといい、マリヤとその姉妹マルタの村ベタニヤの人であった。

このマリヤは彼の姉妹で、主に香油をぬり、自分の髪の毛で、主の足をふいた女であった。彼女は姉妹のマルタと一緒に住んでいた。彼女たちの家で、彼女の兄弟ラザロが病気であった。
姉妹たちは人をイエスのもとにつかわして、「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」と言わせた。
イエスはそれを聞いて言われた、「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである 」。
イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
ラザロが病気であることを聞いてから、なおふつか、そのおられた所に滞在された。

それから弟子たちに、「もう一度ユダヤに行こう 」と言われた。
弟子たちは言った、「先生、ユダヤ人らが、さきほどもあなたを石で殺そうとしていましたのに、またそこに行かれるのですか」。
イエスは答えられた、「一日には十二時間あるではないか。昼間あるけば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。
しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないからである 」。
そう言われたが、それからまた、彼らに言われた、「わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く 」。
すると弟子たちは言った、「主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう」。
イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、弟子たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った。
するとイエスは、あからさまに彼らに言われた、「ラザロは死んだのだ。
そして、わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになるためである。では、彼のところに行こう 」。
するとデドモと呼ばれているトマスが、仲間の弟子たちに言った、「わたしたちも行って、先生と一緒に死のうではないか」。
というのは、弟子たちは、ユダヤ人たちがイエスを捕らえて殺すのではないかと恐れていたからである。彼らはまだ神の力を理解していなかったのである。

ラザロの蘇生[奇跡]


紀元33年 ユダヤのベタニヤ
ヨハネ11:17-46(ジョセフ・スミス訳)


さて、イエスがベタニヤにあるマルタの家に行ってごらんになると、ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた。
ベタニヤはエルサレムに近く、二十五丁ばかり離れたところにあった。
大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。

マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。
マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう 」。
マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか 」。
マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。
マルタはこう言ってから、帰って姉妹のマリヤを呼び、「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます」と小声で言った。
これを聞いたマリヤはすぐに立ち上がって、イエスのもとに行った。
イエスはまだ村に、はいってこられず、マルタがお迎えしたその場所におられた。
マリヤと一緒に家にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、彼女は墓に泣きに行くのであろうと思い、そのあとからついて行った。

マリヤは、イエスのおられる所に行ってお目にかかり、その足もとにひれ伏して言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」。
イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、
「彼をどこに置いたのか 」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。
イエスは涙を流された。
するとユダヤ人たちは言った、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。
しかし、彼らのある人たちは言った、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。

イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。
イエスは言われた、「石を取りのけなさい 」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。
イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか 」。

人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。
あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。
こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい 」と呼ばわれた。

すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい 」。
マリヤのところにきて、イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。

しかし、そのうちの数人がパリサイ人たちのところに行って、イエスのされたことを告げた。


【動画】イエス,ラザロを生きかえらせる



【動画】ラザロ,死からよみがえる


イエスを殺す決議


紀元33年 ユダヤのエルサレム
ヨハネ11:47-53


そこで、祭司長たちとパリサイ人たちとは、議会を召集して言った、「この人が多くのしるしを行っているのに、お互は何をしているのだ。
もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう。そのうえ、ローマ人がやってきて、わたしたちの土地も人民も奪ってしまうであろう」。
彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った、「あなたがたは、何もわかっていないし、
ひとりの人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」。
このことは彼が自分から言ったのではない。彼はこの年の大祭司であったので、預言をして、イエスが国民のために、
ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっていると、言ったのである。
彼らはこの日からイエスを殺そうと相談した。

エフライムに退かれる


紀元33年
ヨハネ11:54

そのためイエスは、もはや公然とユダヤ人の間を歩かないで、そこを出て、荒野に近い地方のエフライムという町に行かれ、そこに弟子たちと一緒に滞在しておられた。

キリストの生涯と教え

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