4−1 ガリラヤでの伝道

5000人に食べ物をお与えになる[奇跡]


紀元32年 ベツサイダの近く、ピリポの領地
マタイ14:14-21,マルコ6:33-44(ジョセフ・スミス訳),ルカ9:11-17,ヨハネ6:1-14

そののち、イエスはガリラヤの海、すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた。
多くの人々は彼らが出かけて行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた。
病人たちになさっていたしるしを見たからである。

イエスは舟から上がって、山に登って、弟子たちと一緒にそこで座につかれた。
時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた。

イエスは大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、そのうちの病人たちをおいやしになって、いろいろと教えはじめられた。

ところが、はや時もおそくなったので、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、出発の時になりました。
みんなを解散させ、めいめいで何か食べる物を買いに、まわりの部落や村々へ行かせてください」。
イエスは答えて言われた、「彼らが出かけて行くには及ばない。あなたがたの手で食物をやりなさい 」。
イエスは、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。
これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。
弟子たちは言った、「わたしたちが二百デナリものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか」。
ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。
するとイエスは言われた。「パンは幾つあるか。見てきなさい 」。

弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、
「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。
イエスは言われた、「それをここに持ってきなさい」。
そこでイエスは、みんなを組々に分けて、青草の上にすわらせるように命じられた。
人々は、あるいは百人ずつ、あるいは五十人ずつ、列をつくってすわった。

それから、イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさき、弟子たちにわたして配らせ、また、二ひきの魚もみんなにお分けになった。

みんなの者は食べて満腹した。
人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい 」。
そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。
食べた者は、女と子供とを除いて、おおよそ五千人であった。
人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。


【動画】イエス,5,000人に食べものをお与えになる



【動画】5,000人に食物を与えられる


イエス、民が御自分を王にしようとするのを拒まれる


紀元32年 ガリラヤの海の近く
マタイ14:22-23,マルコ6:45-46,ヨハネ6:15

それからすぐ、イエスは自分で群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸のベツサイダへ先におやりになった。
イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知った。
そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。

海の上を歩かれる[奇跡]


紀元32年 ガリラヤの海
マタイ14:24-33,マルコ6:47-52,ヨハネ6:16-21

夕方になったとき、舟は海のまん中に出ており、イエスだけが陸地におられた。

ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。

イエスは弟子たちがこぎ悩んでいるのをごらんになって、夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。

弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。
しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。
するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。

イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。

しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。

イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。
先のパンのことを悟らず、その心が鈍くなっていたからである。

ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。
舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った。
すると舟は、すぐ、彼らが行こうとしていた地に着いた。


【動画】イエス,水の上をお歩きになる



【動画】あなたの疑いはどこにあるのか


命のパンの説教


紀元32年 ガリラヤのカペナウム
ヨハネ6:22-71(ジョセフ・スミス訳)

その翌日、海の向こう岸に立っていた群衆は、そこに小舟が一そうしかなく、またイエスは弟子たちと一緒に小舟にお乗りにならず、ただ弟子たちだけが船出したのを見た。
しかし、数そうの小舟がテベリヤからきて、主が感謝されたのちパンを人々に食べさせた場所に近づいた。
群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知って、それらの小舟に乗り、イエスをたずねてカペナウムに行った。
そして、海の向こう岸でイエスに出会ったので言った、「先生、いつ、ここにおいでになったのですか」。
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、わたしが言ったことを守りたいためでもなく、奇跡を見たためでもない。パンを食べて満腹したからである。
朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである 」。
そこで、彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。
イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである 」。
彼らはイエスに言った、「わたしたちが見てあなたを信じるために、どんなしるしを行って下さいますか。どんなことをして下さいますか。
わたしたちの先祖は荒野でマナを食べました。それは『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです」。
そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。
神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである 」。
彼らはイエスに言った、「主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい」。
イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。
しかし、あなたがたに言ったが、あなたがたはわたしを見たのに信じようとはしない。
父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。
わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。
わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終りの日によみがえらせることである 。
わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日の裁きの復活の場でよみがえらせるであろう 」。
ユダヤ人らは、イエスが「わたしは天から下ってきたパンである」と言われたので、イエスについてつぶやき始めた。
そして言った、「これはヨセフの子イエスではないか。わたしたちはその父母を知っているではないか。わたしは天から下ってきたと、どうして今いうのか」。
イエスは彼らに答えて言われた、「互につぶやいてはいけない 。
わたしを遣わされた父の御心を行なわなければ、だれもわたしに来ることはできない。そして、子を受け入れることが、わたしを遣わされた方の御心である。父は子を証する。そして、証を受け入れ、わたしを遣わされた方の御心を行なう者を、わたしは、裁きの復活の日によみがえらせるであろう。
預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである 。
神から出た者のほかに、だれかが父を見たのではない。その者だけが父を見たのである。
よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。
わたしは命のパンである 。
あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。
しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。
わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。
そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。
イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日の裁きの復活の場でよみがえらせるであろう。
わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。
生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。
天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう 」。
これらのことは、イエスがカペナウムの会堂で教えておられたときに言われたものである。
弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」。
しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを見破って、彼らに言われた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか 。
それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか 。
人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である 。
しかし、あなたがたの中には信じない者がいる 」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。
そしてイエスは言われた、「それだから、わたしを送ってくださった父の御心を行なう者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである 」。
それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。
そこでイエスは十二弟子に言われた、「あなたがたも去ろうとするのか 」。
シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。
わたしたちは、あなたがキリストであり、生ける神の御子であることを信じ、また知っています」。
イエスは彼らに答えられた、「あなたがた十二人を選んだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔である 」。
これは、イスカリオテのシモンの子ユダをさして言われたのである。このユダは、十二弟子のひとりでありながら、イエスを裏切ろうとしていた。


【動画】命のパン



【動画】わたしは命のパンである


ゲネサレの野での癒し[奇跡]


紀元32年 ガリラヤ
マタイ14:34-36,マルコ6:53-56

彼らは海を渡り、ゲネサレの地に着いて舟をつないだ。
そして舟からあがると、人々はすぐイエスと知って、
その地方をあまねく駆けめぐり、イエスがおられると聞けば、どこへでも病人を床にのせて運びはじめた。
そして、村でも町でも部落でも、イエスがはいって行かれる所では、病人たちをその広場におき、せめてその上着のふさにでも、さわらせてやっていただきたいと、お願いした。そしてさわった者は皆いやされた。

人を汚すものについての説教
盲人の手引き[たとえ]


紀元32年 ガリラヤのカペナウム
マタイ15:1-20,マルコ7:1-23(ジョセフ・スミス訳)

さて、パリサイ人と、ある律法学者たちとが、エルサレムからきて、イエスのもとに集まった。
そして弟子たちのうちに、不浄な手、すなわち洗わない手で、パンを食べている者があるのを見た。
もともと、パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人の言伝えをかたく守って、念入りに手を洗ってからでないと、食事をしない。
また市場から帰ったときには、身を清めてからでないと、食事をせず、なおそのほかにも、杯、鉢、銅器を洗うことなど、昔から受けついでかたく守っている事が、たくさんあった。
そこで、パリサイ人と律法学者たちとは、イエスに尋ねた、「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言伝えに従って歩まないで、不浄な手でパンを食べるのですか」。
イエスは言われた、「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは適切な預言である、『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。
あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している 」。
また、言われた、「あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ。
神の戒めは、あなたがたが拒んだ預言者たちによって、まったくあなたがたのために書かれている。
彼らはこれらの真実なことを証した。彼らの血があなたがたに及ぶであろう。
あなたがたは神の命令を守っていない。モーセは言ったではないか、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず罪人として死に定められる』と。あなたがたの律法にはこのように書いてあるのに、あなたがたはこの律法を守っていない。
それだのに、あなたがたは、もし人が父または母にむかって、あなたに差上げるはずのこのものはコルバン、すなわち、供え物ですと言えば、それでよいとして、
その人は父母に対して、もう何もしないで済むのだと言っている。
こうしてあなたがたは、自分たちが受けついだ言伝えによって、神の言を無にしている。また、このような事をしばしばおこなっている」。
それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた、「あなたがたはみんな、わたしの言うことを聞いて悟るがよい。
すべて外から人の中にはいって、人をけがしうるものはない。つまり食べ物がけがすのではない。かえって、人の中から出てくるもの、つまり心から出てくるものが、人をけがすのである。
〔聞く耳のある者は聞くがよい〕」 。
イエスが群衆を離れて家にはいられると、
弟子たちが近寄ってきてイエスに言った、「パリサイ人たちが御言を聞いてつまずいたことを、ご存じですか」。
イエスは答えて言われた、「わたしの天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるであろう。
彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。
(関連 3−2「盲人の手引き」
ペテロが答えて言った、「その譬を説明してください」。
すると、言われた、「あなたがたも、そんなに鈍いのか。すべて、外から人の中にはいって来るものは、人を汚し得ないことが、わからないのか。
それは人の心の中にはいるのではなく、腹の中にはいり、そして、外に出て行くだけである 」。イエスはこのように、どんな食物でもきよいものとされた。
さらに言われた、「人から出て来るもの、それが人をけがすのである。
すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、
姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。
これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである。しかし、洗わない手で食事することは、人を汚すのではない」。

ガリラヤの北方に行かれる


紀元32年
マタイ15:21,マルコ7:24(ジョセフ・スミス訳)

さて、イエスは、そこを立ち去って、ツロとシドンの地方に行かれた。そして、だれも来ないように、家の中にはいられたが、拒むことができなかった。イエスはすべての人に憐れみを持っておられたからである。

異邦人の娘の癒し[奇跡]


紀元32年 フェニキアのツロとシドン
マタイ15:22-28,マルコ7:25-30(ジョセフ・スミス訳)

すると、そこへ、その地方出のカナンの
けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。
この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。
「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と言って叫びつづけた。
しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。そこで弟子たちがみもとにきて願って言った、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきていますから」。
するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。
しかし、女は近寄りイエスを拝して言った、「主よ、わたしをお助けください」。
イエスは女に言われた、「まず神の王国の子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない 」。
すると女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちの食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。
そこでイエスは言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった 」。
そこで、女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。

ガリラヤの海に戻られる


紀元32年
マタイ15:29,マルコ7:31

それから、イエスはまたツロの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通りぬけ、ガリラヤの海べにこられた。
それから山に登ってそこにすわられた。

口の利けない者の癒し[奇跡]


紀元32年 デカポリス
マルコ7:32-37


すると人々は、耳が聞えず口のきけない人を、みもとに連れてきて、手を置いてやっていただきたいとお願いした。

そこで、イエスは彼ひとりを群衆の中から連れ出し、その両耳に指をさし入れ、それから、つばきでその舌を潤し、
天を仰いでため息をつき、その人に「エパタ 」と言われた。これは「開けよ」という意味である。

すると彼の耳が開け、その舌のもつれもすぐ解けて、はっきりと話すようになった。
イエスは、この事をだれにも言ってはならぬと、人々に口止めをされたが、口止めをすればするほど、かえって、ますます言いひろめた。
彼らは、ひとかたならず驚いて言った、「このかたのなさった事は、何もかも、すばらしい。耳の聞えない者を聞えるようにしてやり、口のきけない者をきけるようにしておやりになった」。


【動画】イエス,耳がふ自由な人をいやされる


4000人に食べ物をお与えになる[奇跡]


紀元32年 デカポリス
マタイ15:30-38,マルコ8:1-9

すると大ぜいの群衆が、足、手、目や口などが不自由な人々、そのほか多くの人々を連れてきて、イエスの足もとに置いたので、彼らをおいやしになった。
群衆は、口のきけなかった人が物を言い、手や足が不自由だった人がいやされ、盲人が見えるようになったのを見て驚き、そしてイスラエルの神をほめたたえた。
大ぜいの群衆が集まっていたが、何も食べるものがなかったので、
イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。しかし、彼らを空腹のままで帰らせたくはない。恐らく途中で弱り切ってしまうであろう。それに、なかには遠くからきている者もある」。
弟子たちは言った、「荒野の中で、こんなに大ぜいの群衆にじゅうぶん食べさせるほどたくさんのパンを、どこで手に入れましょうか」。
イエスは弟子たちに「パンはいくつあるか」と尋ねられると、「七つあります。また小さい魚が少しあります」と答えた。
そこでイエスは群衆に、地にすわるようにと命じ、
七つのパンと魚とを取り、感謝してこれをさき、弟子たちにわたされ、弟子たちはこれを群衆にわけた。
一同の者は食べて満腹した。そして残ったパンくずを集めると、七つのかごにいっぱいになった。
食べた者は、女と子供とを除いて四千人であった。

イエス、マグダラに行かれる


紀元32年
マタイ15:39,マルコ8:10

そこでイエスは群衆を解散させ、すぐ弟子たちと共に舟に乗ってマガダン(ダルマヌタ)の地方へ行かれた。

しるしについて語られる


紀元32年 ガリラヤのカペナウム
マタイ16:1-12,マルコ8:11-21

パリサイ人とサドカイ人とが近寄ってきて、イエスを試み、天からのしるしを見せてもらいたいと言った。
イエスは心の中で深く嘆息して彼らに言われた、「あなたがたは夕方になると、『空がまっかだから、晴だ』と言い、
また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは荒れだ』と言う。あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができないのか。
邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう」。
そして、イエスは彼らをあとに残し、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。
弟子たちはパンを持って来るのを忘れていたので、舟の中にはパン一つしか持ち合わせがなかった。
そこでイエスは言われた、「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」。
弟子たちは、これは自分たちがパンを持ってこなかったためであろうと言って、互に論じ合った。
イエスはそれと知って言われた、「信仰の薄い者たちよ、なぜパンがないからだと互に論じ合っているのか。
まだわからないのか、悟らないのか。あなたがたの心は鈍くなっているのか。
目があっても見えないのか。耳があっても聞えないのか。まだ思い出さないのか。
五つのパンをさいて五千人に分けたとき、拾い集めたパンくずは、幾つのかごになったか 」。弟子たちは答えた、「十二かごです」。
「七つのパンを四千人に分けたときには、パンくずを幾つのかごに拾い集めたか 」。「七かごです」と答えた。
わたしが言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」。
そのとき彼らは、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人との教のことであると悟った。

ベツサイダでの盲人の癒し[奇跡]


紀元32年 ピリポの領地のベツサイダ
マルコ8:22-26

そのうちに、彼らはベツサイダに着いた。すると人々が、ひとりの盲人を連れてきて、さわってやっていただきたいとお願いした。
イエスはこの盲人の手をとって、村の外に連れ出し、その両方の目につばきをつけ、両手を彼に当てて、「何か見えるか 」と尋ねられた。
すると彼は顔を上げて言った、「人が見えます。木のように見えます。歩いているようです」。
それから、イエスが再び目の上に両手を当てられると、盲人は見つめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりと見えだした。
そこでイエスは、「村にはいってはいけない 」と言って、彼を家に帰された。

ペテロの証
王国の鍵がペテロに約束される


紀元32年 ピリポ・カイザリヤの近く
マタイ16:13-20,マルコ8:27-30,ルカ9:18-21

イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。
彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤ(Elias)だと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。
そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。


【動画】ペテロ,キリストについて証しする



【動画】あなたこそキリストです




【解説】
「天国のかぎ」とは神権の鍵を指す。
神権の鍵とは、地上における神権の行使について指示を与え、支配し、統治するために、
神が神権指導者に与えられた権能である。
神権の権能の行使を管理するのは、その鍵を持つ者である。
神権の鍵を持つ者は、その管轄の範囲内で教会を管理し、指示する権利を持つ。

イエス、十字架での死と復活について預言される


紀元32年 ピリポ・カイザリヤの近く
マタイ16:21-28,マルコ8:31-38,9:1,ルカ9:22-27(以上ジョセフ・スミス訳)

この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。
しかもあからさまに、この事を話された。
すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。
イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
そして、自分の十字架を負う者は、すべての不信心とあらゆる世の欲を捨て、わたしの戒めを守らなければならない。
自分の命を救うためにわたしの戒めを破ってはならない。この世において自分の命を救おうと思う者は、来るべき世においてそれを失い、わたしのためにこの世において自分の命を失う者は、来るべき世においてそれを見いだすであろう。
または、自分の命を救おうと思う者は、わたしのために命を捨てようとするだろう。もし彼がわたしのために命を捨てようとしないなら、彼は命を失うであろう。わたしのため、また福音のために、自分の命を失おうとする者は、それを救うであろう。
それであるから、世を捨てて、自分の(霊的な)命を救いなさい。たとい人が全世界をもうけても、神が任命した人を受け入れず、自分自身の(霊的な)命を失い、自分自身が捨てられたら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その(霊的な)命を買いもどすことができようか。それゆえ、自分自身を捨てて、わたしを恥じないようにしなさい。
人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう。
そして彼らは人の子が来るときに復活にあずかることはない。
まことにあなたがたに言う。人の子は来るであろう。わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、人の子と共に来るであろう。そして、雲の中で神の栄光をまとい、人の子の右手にいるであろう。
よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。


【動画】わたしのために自分の命を失う者は、それを見出すであろう


キリストの変貌
神権の鍵が託される


紀元32年 ガリラヤのタボル山
マタイ17:1-13,マルコ9:2-13,ルカ9:28-36(以上ジョセフ・スミス訳)

六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて行かれた。
彼らはイエスが言われたことに関して多くの質問をした。そして、イエスは彼らと高い山に登られた。
ペテロとその仲間の者たちとは熟睡していたが、目をさますと、
彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、
その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいになった。
すると、見よ、モーセとエリヤ(Elias=Elijah)が彼らに栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする死と復活について、イエスと語り合っていた。
ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤ(Elias=Elijah)のために」。
そう言ったのは、みんなの者が非常に恐れていたので、ペテロは何を言ってよいか、わからなかったからである。
彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。
弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。
イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。
彼らが目をあげると、急いで見まわしたが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一緒におられた。
一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
彼らはこの言葉を心にとめ、死人の中からよみがえるとはどういうことかと、互に論じ合った。
弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤ(Elias)が先に来るはずだと言っているのですか」。
イエスは彼らに答えて言われた。「預言者たちが書き記したように、確かに、まずエライアス(Elias)が来て、万事を元どおりにするであろう。
その預言者たちは、人の子について、彼が多くの苦しみを受け、かつ恥ずかしめられると、書いた。
また、あなたがたに言っておく。エライアスはすでに来たのである。彼について、『見よ、わたしは使者を遣わす。彼はわたしの前に道を備える』と書き記されている。しかし、人々は彼を認めず、自分勝手に彼をあしらった。
そして彼はわたしについて証をしたが、人々は彼を受け入れなかった。まことに彼こそがエライアスなのである。
人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう。
しかし、わたしはあなたがたに言う。エライアスとはだれか。見よ、これがわたしの前に道を備えるためにわたしが遣わすエライアスである。」
そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネと、また別のもの、すなわち、やって来て万事を元どおりにすると預言者たちが書き記している者のことを言われたのだと悟った。

【解説】
モーセとエリヤは3人の使徒に神権の鍵を授けた。
この鍵により、使徒たちはイエスの復活後、地上における教会を導くことができるようになった。

イエス、悪霊につかれた男の子を癒される[奇跡]


紀元32年 ガリラヤのタボル山
マタイ17:14-21,マルコ9:14-29,ルカ9:37-42

翌日、一同が山を降りて、群衆のところに帰るり、大ぜいの群衆がイエスを出迎えた。ほかの弟子たちの所にきて見ると、大ぜいの群衆が弟子たちを取り囲み、そして律法学者たちが彼らと論じ合っていた。
群衆はみな、すぐイエスを見つけて、非常に驚き、駆け寄ってきて、あいさつをした。
イエスが彼らに、「あなたがたは彼らと何を論じているのか 」と尋ねられると、

ひとりの人がイエスに近寄ってきて、ひざまずいて、言った、「先生、わたしの子をあわれんでください。てんかんで苦しんでおります。口をきけなくする霊につかれているわたしのむすこを、こちらに連れて参りました。
霊がこのむすこにとりつきますと、どこででも彼を引き倒し、それから彼はあわを吹き、歯をくいしばり、からだをこわばらせてしまいます。それでお弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」。
イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまで、あなたがたに我慢ができようか。その子をここに、わたしの所に連れてきなさい 」。

そこで人々は、その子をみもとに連れてきた。霊がイエスを見るや否や、その子をひきつけさせたので、子は地に倒れ、あわを吹きながらころげまわった。

そこで、イエスが父親に「いつごろから、こんなになったのか」と尋ねられると、父親は答えた、「幼い時からです。
霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」。
イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる 」。

その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。

イエスは群衆が駆け寄って来るのをごらんになって、けがれた霊をしかって言われた、「言うことも聞くこともさせない霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度と、はいって来るな 」。
すると霊は叫び声をあげ、激しく引きつけさせて出て行った。その子は死人のようになったので、多くの人は、死んだのだと言った。

しかし、イエスが手を取って起されると、その子は立ち上がった。

家にはいられたとき、弟子たちはひそかにお尋ねした、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。
するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。
しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない」。


【動画】悪霊につかれた少年


再びガリラヤを巡回し、死と復活について預言される


紀元32年 ガリラヤ
マタイ17:22-23,マルコ9:30-32,ルカ9:43-45

それから彼らはそこを立ち去り、ガリラヤをとおって行ったが、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
彼らがガリラヤで集まっていた時、イエスは言われた、「あなたがたはこの言葉を耳におさめて置きなさい。人の子は人々の手にわたされ、
彼らに殺され、そして三日目によみがえるであろう」。弟子たちは非常に心をいためた。
しかし、彼らはなんのことかわからなかった。それが彼らに隠されていて、悟ることができなかったのである。また彼らはそのことについて尋ねるのを恐れていた。

宮の納入金
魚から出た銀貨[奇跡]


紀元32年 ガリラヤのカペナウム
マタイ17:24-27

彼らがカペナウムにきたとき、宮の納入金を集める人たちがペテロのところにきて言った、「あなたがたの先生は宮の納入金を納めないのか」。
ペテロは「納めておられます」と言った。そして彼が家にはいると、イエスから先に話しかけて言われた、「シモン、あなたはどう思うか。この世の王たちは税や貢をだれから取るのか。自分の子からか、それとも、ほかの人たちからか」。
ペテロが「ほかの人たちからです」と答えると、イエスは言われた、「それでは、子は納めなくてもよいわけである。
しかし、彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい」。

謙遜さ、赦し、結び固めの力、弟子としての責任、犠牲についての説教
迷い出た羊[たとえ]
悪い僕と負債[たとえ]


紀元32年 ガリラヤのカペナウム
マタイ18:1-35,マルコ9:33-50(以上ジョセフ・スミス訳),ルカ9:46-50

それから彼らはカペナウムにきた。そして家におられるとき、イエスは弟子たちに尋ねられた、「あなたがたは途中で何を論じていたのか」。
彼らは黙っていた。それは途中で、だれが一ばん偉いかと、互に論じ合っていたからである。
そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない 」。
そして、ひとりの幼な子をとりあげて、彼らのまん中に立たせ、それを抱いて言われた。
「よく聞きなさい。だれでも、心をいれかえて幼な子のように謙遜になって、わたしを受けいれる者は、わたし名によって受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるだけではなく、わたしをおつかわしになったかたをも受けいれるのである。そうでなければ、天国にはいることはできないであろう。
この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。」
(関連 4−3「他の人からの攻撃、義務、真理」

ヨハネがイエスに言った、「先生、わたしたちについてこない者が、あなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちについてこなかったので、やめさせました」。
イエスは言われた、「やめさせないがよい。だれでもわたしの名で力あるわざを行いながら、すぐそのあとで、わたしをそしることはできない。
わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である。
だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう。
また、わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい。

この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。
だから、もしあなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。すなわち、あなたの兄弟があなたに罪を犯させ、その罪を告白することも捨てることもしないならば、彼を切り捨てなければならない。両手がそろったままで地獄に行くよりは、片手になって命に入るほうがよい。
あなたとあなたの兄弟が地獄に、すなわち決して消えることのない火に投げ入れられるよりは、兄弟抜きで命に入るほうがよい。地獄では、うじが尽きず、火も消えることがない。
また、もしあなたの片足が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。その傍らを歩むあなたの旗である者が戒めに背く者となるなら、彼を切り捨てなければならないからである。
両足がそろったままで地獄に、すなわち決して消えることのない火に投げ入れられるよりは、片足で命に入るほうがよい。
だから、すべての人に、他人のためにではなく自分で立つか倒れるかさせなさい。人に頼ってはならない。
父に求めなさい。与えられると信じて、信仰をもって求めるならば、あなたがたが求めるものはまさにその時に与えられるであろう。
地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。
もしあなたの代わりに見る片方の目、すなわち、あなたを見守ってあなたに光を見せるように任じられている者が罪人となって、あなたに罪を犯させるなら、彼を抜き出しなさい。
両目がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって神の王国に入る方がよい。
あなたの兄弟とともに地獄に投げ入れられるよりは、あなた自身が救われる方がよいからである。地獄では、うじが尽きず、火も消えることがない。
片手とは友人のことである。片足もそうである。片目とは家族のことである。
(関連 3−2「モーセの律法がキリストの律法により成就する」

あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。
人の子は、失われた者を救い、罪人を招いて悔い改めさせるために来たのである。しかし、これらの幼い者たちは悔い改めの必要がない。そして、わたしは彼らを救うであろう。

あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。
そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。
(関連 4−3「いなくなった羊」

もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。
もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。
もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。

よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。
また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。
ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。

そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。
イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。
決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。
しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。
そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。
僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。
その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。
そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。
しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。
その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。
そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。
わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。
そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。
あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。

人はすべて火で塩づけられねばならない。
塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい 」。
(関連 3−2「地の塩」


【動画】Jesus Teaches that We Must Become as Little Children



【動画】七たびを七十倍するまで赦しなさい


七十人の派遣


紀元32年 ガリラヤのカペナウム
ルカ10:1-16(ジョセフ・スミス訳)

その後、主は別に七十人を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった。
そのとき、彼らに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。
さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、小羊をおおかみの中に送るようなものである。
財布も袋もくつも持って行くな。だれにも道であいさつするな。
どこかの家にはいったら、まず『平安がこの家にあるように』と言いなさい。
もし平安の子がそこにおれば、あなたがたの祈る平安はその人の上にとどまるであろう。もしそうでなかったら、それはあなたがたの上に帰って来るであろう。
それで、その同じ家に留まっていて、家の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。働き人がその報いを得るのは当然である。家から家へと渡り歩くな。
どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えてくれるなら、前に出されるものを食べなさい。
そして、その町にいる病人をいやしてやり、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。
しかし、どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えない場合には、大通りに出て行って言いなさい、
『わたしたちの足についているこの町のちりも、ぬぐい捨てて行く。しかし、神の国が近づいたことは、承知しているがよい』。
あなたがたに言っておく。その日には、この町よりもソドムの方が耐えやすいであろう。
わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちの中でなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰の中にすわって、悔い改めたであろう。
しかし、さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。
ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。」
そして、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたに聞き従う者は、わたしに聞き従うのであり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。そしてわたしを拒む者は、わたしをおつかわしになったかたを拒むのである」。

【解説】
日本語の口語訳や共同訳では七十二人になっているが、英語の聖書では七十人である。
日本語の文語訳では七十人、新改訂訳でも七十人になっている。
イエス・キリストは十二使徒に加えて別に七十人を選び、御自身を証し、御自分の福音を説き、御自身の業の手伝いをさせた。
この規範は、回復された教会にも引き続き存在する。
七十人は、十二使徒が全世界に対するイエス・キリストの特別な証人としての使命を果たせるよう助けるために召される。
七十人は定員会に組織されている。第一定員会と第二定員会の会員は中央幹部七十人として任命されるが、
ほかの定員会の会員は地域七十人として任命される。

イエス、仮庵の祭に出るよう勧められる


紀元32年 ガリラヤ
ヨハネ7:1-9

そののち、イエスはガリラヤを巡回しておられた。ユダヤ人たちが自分を殺そうとしていたので、ユダヤを巡回しようとはされなかった。
時に、ユダヤ人の仮庵の祭が近づいていた。
そこで、イエスの兄弟たちがイエスに言った、「あなたがしておられるわざを弟子たちにも見せるために、ここを去りユダヤに行ってはいかがです。
自分を公けにあらわそうと思っている人で、隠れて仕事をするものはありません。あなたがこれらのことをするからには、自分をはっきりと世にあらわしなさい」。
こう言ったのは、兄弟たちもイエスを信じていなかったからである。
そこでイエスは彼らに言われた、「わたしの時はまだきていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている 。
世はあなたがたを憎み得ないが、わたしを憎んでいる。わたしが世のおこないの悪いことを、あかししているからである 。
あなたがたこそ祭に行きなさい。わたしはこの祭には行かない。わたしの時はまだ満ちていないから 」。
彼らにこう言って、イエスはガリラヤにとどまっておられた。

イエス、エルサレムへ行かれる


紀元32年
ルカ9:51-56,ヨハネ7:10

さて、イエスが天に上げられる日が近づいたので、エルサレムへ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ、
自分に先立って使者たちをおつかわしになった。そして彼らがサマリヤ人の村へはいって行き、イエスのために準備をしようとしたところ、
村人は、エルサレムへむかって進んで行かれるというので、イエスを歓迎しようとはしなかった。
弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て言った、「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」。
イエスは振りかえって、彼らをおしかりになった。
そして一同はほかの村へ行った。
兄弟たちが祭に行ったあとで、イエスも人目にたたぬように、ひそかに行かれた。

キリストの生涯と教え

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