3−2 山上の垂訓
紀元31年 ガリラヤ
イエスのもとに来る群衆
マタイ5:1-2(ジョセフ・スミス訳),ルカ6:17-19
イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
「わたしがあなたがたの中から選んで、あなたがたを教え導き、またあなたがたの僕となるようにしたこの十二人の言葉に注意を払うならば、あなたがたは幸いである。わたしは水であなたがたにバプテスマを施す力をこの十二人に授けた。あなたがたが水でバプテスマを受けた後、見よ、わたしはあなたがたに火と聖霊によってバプテスマを授けよう。あなたがたはすでにわたしを見ており、わたしが実在することを知っているので、わたしを信じてバプテスマを受けるならば、あなたがたは幸いである。
さらにまた、あなたがたがわたしに会ったと証し、わたしが実在することを知っていると証するとき、あなたがたのその言葉を信じる人々は、なおさら幸いである。まことに、あなたがたの言葉を信じて、心底謙遜になってバプテスマを受ける人々は、幸いである。彼らは火と聖霊を授かり、罪の赦しを受けるからである。
【動画】山上の垂訓
【動画】山上の垂訓:至福の教え
八福の教え
マタイ5:3-12(ジョセフ・スミス訳),ルカ6:20-26
まことに、わたしのもとに来る心の貧しい人々は、幸いである。天の王国は彼らのものだからである。
また、悲しむ人々は皆、幸いである。彼らは慰められるからである。
柔和な人々は、幸いである。彼らは地を受け継ぐからである。
義に飢え渇いている人々は皆、幸いである。彼らは聖霊に満たされるからである。
憐れみ深い人々は、幸いである。彼らは憐れみを受けるからである。
心の清い人々は皆、幸いである。彼らは神を見るからである。
平和をつくり出す人々は皆、幸いである。彼らは神の子と呼ばれるからである。
わたしの名のために迫害される人々は皆、幸いである。天の王国は彼らのものだからである。
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、またあなたがたに対して偽って悪口を言うときには、あなたがたは幸いである。
あなたがたは大きな喜びを得て、非常に喜ぶようになる。天においてあなたがたの受ける報いは大きいからである。あなたがたより前にいた預言者たちも、同じように迫害されたのである。
しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。
あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるようになるからである。あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。
人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。
弟子の義務
地の塩、世の光、升の下のろうそく[たとえ]
マタイ5:13-16(ジョセフ・スミス訳)
まことに、まことに、あなたがたに言う。わたしはあなたがたを地の塩とする。しかし、もし塩がその塩気を失ったら、地は何によって塩味をつけられようか。その塩はもはや何の役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけである。
まことに、まことに、あなたがたに言う。わたしはあなたがたをこの民の光とする。丘の上にある町は隠れることができない。
見よ、人はろうそくに火をつけて升の下に置くだろうか。そのようなことはせず、燭台に立てて、家の中のすべてのものを照らす。
だから、あなたがたの光をこの民の前に輝かせて、この民があなたがたの善い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
弟子たちはパリサイ人の義にまさっていなければならない
マタイ5:17-20(ジョセフ・スミス訳)
わたしが律法や預言者を廃するために来た、と思ってはならない。わたしが来たのは廃するためでなく、成就するためである。
まことに、あなたがたに言う。律法は一点一画もむなしくなることがなく、わたしによってすべて成就するのである。
それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、決して天国に救われないであろう。しかし、律法が成就するまで、これらの戒めをおこないまたそう教える者は、大いなる者と呼ばれ、天国に救われるであろう。
だから、わたしのもとに来て救いを得なさい。まことに、あなたがたに言う。今あなたがたに命じたわたしの戒めを守らなければ、あなたがたは決して天の王国に入れないであろう。
モーセの律法がキリストの律法により成就する
マタイ5:21-48(ジョセフ・スミス訳),ルカ6:27-36
昔の人々により、『あなたがたは殺してはならない。殺す者はだれでも、神の裁きを受ける恐れがある』と言われてきたことは、あなたがたの聞いているところであり、またそれは、あなたがたの前に書き記されている。
しかし、あなたがたに言う。自分の兄弟に対して怒る者はだれであろうと、神の裁きを受ける恐れがある。自分の兄弟に向かって『愚か者』と言う者はだれでも、議会に引き渡される恐れがある。また、『ばか者』と言う者はだれでも、地獄の火に投げ込まれる恐れがある。
だから、あなたがたはわたしのもとに来るとき、またはわたしのもとに来たいと思うとき、兄弟があなたに対して何か恨みを抱いていることを思い出したら、
あなたの兄弟のところに行って、まずその兄弟と和解し、それから十分に固い決意をもってわたしのもとに来なさい。そうすれば、わたしはあなたを受け入れよう。
自分に敵意を抱いている者と、一緒にいる間に早く仲直りしなさい。そうしないと、いつか彼はあなたを捕らえるであろう。そして、あなたは牢に入れられるであろう。
よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。
見よ、昔の人々は、『あなたは姦淫してはならない』と書いている。
しかし、あなたがたに言う。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を行ったのである。
見よ、わたしはあなたがたに、これらのことを決して心の中に入れないようにと命じる。
あなたがたは、これらのことを断って自分の十字架を負う方が、地獄に投げ込まれるよりもよいからである。
『妻を出す者は離縁状を渡せ』と書かれている。
まことに、まことに、あなたがたに言う。だれでも、不貞以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。
さらに、『偽り誓うな。誓ったことは、すべて主に対して果たせ』と書かれている。
しかし、まことに、まことに、あなたがたに言う。一切誓ってはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の御座であるから。
また、地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台であるから。
また、自分の頭にかけて誓ってはならない。あなたは髪の毛一筋さえ黒くも白くもすることができない。
あなたがたの言葉はただ、『はい、はい』『いいえ、いいえ』であるべきだ。それ以上のものから出るものはすべて悪である。
また見よ、『目には目を、歯には歯を』と書かれている。
しかし、あなたがたに言う。悪人に手向かってはならない。
あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやなさい。また、言い換えれば、再び悪口を言うよりは、ほかの物を差し出す方が良い。
あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。
彼と戦うよりは、あなたの敵があなたの物を奪い取る方が良い。まことにあなたに言う。ひそかにこれを見ておられるあなたの天の父は邪悪な者を裁くために連れて行かれるだろう。
もし、だれかが、あなたを強いて一マイル行かせようとするなら、その人とともに二マイル行きなさい。
求める者には与え、借りようとする者を断らないようにしなさい。
また見よ、『隣人を愛し、敵を憎め』とも書かれている。
しかし見よ、わたしはあなたがたに言う。あなたがたの敵を愛し、あなたがたをのろう者を祝福し、あなたがたを憎む者に善をなし、あなたがたを不当に扱い迫害する者のために祈りなさい。
こうして、天におられるあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも善い者の上にも太陽を昇らせてくださるからである。
兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。
自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。
自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。
また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。
あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。
わたしや天におられるあなたがたの父が完全であるように、あなたがたも完全になることを、わたしは望んでいる。」
【動画】山上の垂訓:より高い律法
施し
マタイ6:1-4(ジョセフ・スミス訳)
まことに、まことに、わたしは言う。あなたがたは貧しい者に施しをしてほしい。しかし、見られるために人々の前で施しをすることのないように注意しなさい。もし、そうしないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
だから、施しをするときには、偽善者たちが人から褒められるために会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹いてはならない。まことに、あなたがたに言う。彼らはその報いを受けてしまっている。
あなたは施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない。
それは、あなたのする施しが隠れているためである。そうすれば、ひそかに見ておられるあなたの父は、公に報いてくださるであろう。
祈り
マタイ6:5-13(ジョセフ・スミス訳)
また、祈るときには、偽善者たちのようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。まことに、あなたがたに言う。彼らはその報いを受けてしまっている。
あなたは祈るとき、自分の部屋に入り、戸を閉じて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。すると、ひそかに見ておられるあなたの父は、公に報いてくださるであろう。
また、祈るとき、異教徒のように無益に繰り返すことはやめなさい。彼らは、言葉数が多ければ聞き入れられると思っている。
だから、彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、求めない先から、あなたがたに必要なものを御存じだからである。
だから、あなたがたはこう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、御名があがめられますように。
御心が天で行われるように、地でも行われますように。
わたしたちが自分に負債のある者を赦していますように、わたしたちの負債をお赦しください。
わたしたちを誘惑に陥らせることのないようにし、悪からお救いください。
王国と力と栄光はとこしえにあなたのものです。アーメン。』
【動画】イエス,祈りについてお教えになる
【動画】山上の垂訓:主の祈り
人を赦すこと
マタイ6:14-15(ジョセフ・スミス訳)
もしあなたがたが人の過ちを赦すならば、天におられるあなたがたの父もあなたがたを赦してくださるであろう。
もし人を赦さないならば、あなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださらないであろう。
断食
マタイ6:16-18(ジョセフ・スミス訳)
さらにあなたがたは、断食をするときには、偽善者のように悲しげな顔つきをしてはならない。彼らは断食をしていることを人に知らせようとして、自分の顔を見苦しくする。まことに、あなたがたに言う。彼らはその報いを受けてしまっている。
あなたがたは断食をするときには、頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
それは、断食をしていることを人に知られないで、隠れた所におられるあなたの父に知っていただくためである。そうすれば、ひそかに見ておられるあなたの父は、公に報いてくださるであろう。
天に宝を積むこと
マタイ6:19-23(ジョセフ・スミス訳)
あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝を蓄えてはならない。
むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝を蓄えなさい。
あなたの宝のある所には、心もあるからである。
体の明かりは目である。だから、あなたが神の栄光にひたすら目を向けるならば、あなたの全身に光が満ちるであろう。
しかし、あなたの目が悪を見ていれば、全身に暗闇が満ちるであろう。だから、もしあなたの内にある光が暗闇になるならば、その暗さはどんなに深いことか。
【動画】山上の垂訓:天の宝
二人の主人に兼ね仕えることはできない
マタイ6:24(ジョセフ・スミス訳)
だれも、二人の主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」
十二使徒への特別な指示
マタイ6:25-34(ジョセフ・スミス訳)
さて、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、御自分が選んだ十二人を見て言われた。「わたしが語った言葉を覚えておきなさい。見よ、あなたがたはこの民を教え導くようにわたしが選んだ者だからである。あなたがたに言う。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思い煩い、何を着ようかと自分の体のことで思い煩ってはならない。命は食物に勝り、体は衣服に勝っていないだろうか。
そして、再びあなたがたに言っておく。世にあっても、世にとらわれるな。世はあなたがたを憎み、迫害し、あなたがたを会堂から追い出すだろう。
それでも、あなたがたは家から家へ出て行き、人々を教えなさい。わたしはあなたがたの前を行くであろう。
そしてあなたがたの天の父はあなたがたの必要を満たされ、食べ物や、着る物、あなたがたが必要とする物は何でも、与えてくださるだろう。
空の鳥を見なさい。まくことも刈ることもせず、倉に納めることもしない。それでも、あなたがたの天の父は鳥を養っておられる。あなたがたは、鳥よりもはるかに優れた者ではないか。
あなたがたの中のだれが、思い煩ったからといって、自分の背丈を一キュビト伸ばすことができようか。
また、なぜ衣服のことで思い煩うのか。野のゆりがどのように育っているか考えてみなさい。野のゆりは働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、あなたがたに言うが、栄華を極めたときのソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
だから、今日はあって、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神がこのように装ってくださるとすれば、あなたがたの信仰が薄くないかぎり、神はあなたがたにも同じように装わせてくださるであろう。
だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って思い煩ってはならない。
あなたがたの天の父は、これらのものがすべてあなたがたに必要であることを御存じだからである。
それであるから、世の物を求めずに、まず神の王国を築き、神の義を打ち立てることを求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられるであろう。
だから、明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自身が思い煩うであろう。その日はその日の苦労だけで十分である。」
正しい裁き
盲人の手引き[たとえ]
梁とちり[たとえ]
マタイ7:1-6(ジョセフ・スミス訳),ルカ6:37-42
さて、これは、人々に語るようにイエスが弟子たちに教えられた言葉である。「不義に裁いてはならない。自分が裁かれないためである。義にかなった裁きをしなさい。
あなたがたが裁くその裁きで、自分も裁かれ、あなたがたが量るそのはかりで、あなたがたも量られるからである。
また、あなたがたは人々に言いなさい。『なぜ兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に向かって、「あなたの目からちりを取らせてください」と言えようか。見よ、自分の目の中に梁があるではないか。』
律法学者、パリサイ人、祭司たちを見よ。彼らは会堂で教えているが、律法や戒めを守っていない。そして、皆、道をはずれて、罪の下にいる。
行って、彼らに言いなさい。『なぜあなたがたは律法や戒めを人々に教えながら、あなたがた自身は堕落の子なのか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるであろう。』
世界に出て行き、『悔い改めなさい。天の王国が近づいたからである。』とすべての者に言いなさい。
王国の奥義はあなたがたの内にとどめておきなさい。聖なるものを犬に与えることや、豚の前に真珠を投げてやることは、ふさわしくない。彼らはそれらを足で踏みつけるからである。
世は、あなたがた自身が負うことのできないものを受けることはできない。だから、彼らに真珠を与えてはならない。そうでないと、彼らは向き直ってあなたがたにかみついてくるであろう。
与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。
イエスはまた一つの譬を語られた、「盲人は盲人の手引ができようか。ふたりとも穴に落ち込まないだろうか。
弟子はその師以上のものではないが、修業をつめば、みなその師のようになろう。
【解説】
「ちり」は2018年に出版された日本聖書協会の共同訳聖書では「おがくず」となっている。
「梁」は針のことでなく、家の中で水平方向に置かれる木材である。
つまり、どちらも建築に関するもので、小さい物代表と大きい物代表という対比になってる。
イエス様が育った家庭は大工を営んでいたので、のこぎりを使っていたときに、
目におがくずが入ったという経験がよくあったのだろう。
熱心な祈り
マタイ7:7-11(ジョセフ・スミス訳)
人々に神を求めるようこう言いなさい。『求めなさい。そうすれば、与えられるであろう。捜しなさい。そうすれば、見いだすであろう。たたきなさい。そうすれば、開かれるであろう。
すべて求める者は与えられ、捜す者は見いだし、たたく者には開かれるからである。』」
そのとき弟子たちはイエスに言った。「人々はわたしたちにこう言うでしょう。『自分は正しい。自分はだれにも教えられる必要はない。わたしたちは神がモーセや預言者たちの願いを聞かれたことは知っているが、わたしたちの願いを聞かれることはないでしょう。』
そして彼らは言うでしょう。『わたしたちはわたしたちの救いの律法を持っていて、わたしたちはそれで十分です。』」
そのときイエスは答えて、弟子たちに言われた。「このように彼らに言いなさい。
『あなたがたのうちで、子供がいて、子供が外に立っていて、「お父さん、中に入って、いっしょに食事をするために家を開けて下さい。」と言うとき、このように言わないだろうか。「息子よ入りなさい。わたしの物はあなたの物なので、あなたの物はわたしの物である。」』
あなたがたの中に、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、蛇を与える者があろうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天におられるあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
黄金律
マタイ7:12(ジョセフ・スミス訳)
だから、何事でも人からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにしなさい。これが律法であり、預言者である。
二つの門と二つの道
マタイ7:13-14(ジョセフ・スミス訳)
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広い。そして、そこから入って行く者が多い。
命に至る門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
最終的な選びの基準
岩の家に建てた家と砂の上に建てた家[たとえ]
マタイ7:15-27(ジョセフ・スミス訳),ルカ43-49
偽預言者に気をつけなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
あなたがたは、その実によって彼らを見分けるであろう。いばらからぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実を結ぶことはないし、悪い木が良い実を結ぶこともあり得ない。
良い実を結ばない木はことごとく切り倒されて、火の中に投げ込まれる。
このように、あなたがたはその実によって彼らを見分けるのである。
善人は良い心の倉から良い物を取り出し。悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。
わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。
わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の王国に入るのではなく、ただ、天におられるわたしの父の御心を行う者だけが入るのである。裁きの日は近い。人々はわたしの前に立ち、その行いによって裁かれるであろう。
その日には、多くの者がわたしに向かって、『主よ、主よ、わたしたちはあなたの御名によって預言したではありませんか。あなたの御名によって悪霊を追い出し、あなたの御名によって多くの驚くべき業を行ったではありませんか』と言うであろう。
そのとき、わたしは彼らにはっきりこう言おう。『あなたがたはわたしをまったく知らない。罪悪を行う者たちよ、わたしのもとから去りなさい。』
それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者を、わたしは岩の上に家を建てた賢い人にたとえよう。
雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それは倒れなかった。岩を土台としていたからである。
また、わたしのこれらの言葉を聞いて行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人にたとえられる。
雨が降り、洪水が起こり、風が吹いてその家に打ちつけると、それは倒れてしまった。そして、その倒れ方はひどかった。」
説教に対する反応
マタイ7:28-29(ジョセフ・スミス訳)
イエスがこれらの言葉を弟子たちに語り終えられると、群衆はその教えにひどく驚いた。
それは律法学者たちのような権威でなく、神から権威を与えられた者のように、教えられたからである。
キリストの生涯と教え
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