5−3 第3日(火曜日)

信仰についての説教


マタイ21:20-22,マルコ11:20-26

朝はやく道をとおっていると、彼らは先のいちじくが根元から枯れているのを見た。
そこで、ペテロは思い出してイエスに言った、「先生、ごらんなさい。あなたがのろわれたいちじくが、枯れています。いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」。
イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。
よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。
そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。
また立って祈るとき、だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。
もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださらないであろう 」。

権威についての質問


マタイ21:23-27,マルコ11:27-33,ルカ20:1-8

イエスが宮で人々に教え、福音を宣べておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと共に近寄ってきて、
イエスに言った、「何の権威によってこれらの事をするのですか。そうする権威をあなたに与えたのはだれですか、わたしたちに言ってください」。
そこで、イエスは答えて言われた、「わたしも、ひと言たずねよう。それに答えてほしい。あなたがたがそれに答えてくれたなら、わたしも、何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。
ヨハネのバプテスマはどこからきたのであったか。天からであったか、人からであったか」 。
彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。
しかし、もし人からだと言えば、民衆はみな、ヨハネを預言者だと信じているから、わたしたちを石で打つだろう」。
それで彼らは「どこからか、知りません」と答えた。
イエスはこれに対して言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい 」。


【動画】キリストの権威について尋ねられる


二人の息子[たとえ]


マタイ21:28-32(ジョセフ・スミス訳)

あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。
すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。
また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。
このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。
というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。
あとになって、あなたがたはわたしを見たとき、心をいれかえて彼を信じようとしなかった。
わたしのことでヨハネを信じなかった者は、まず悔い改めなければ、わたしを信じることができないのである。
裁きの日には、ヨハネの説教があなたがたを罪に定めるであろう。
もう一つのたとえを聞きなさい。あなたがたが信じないので、わたしはたとえで語るのである。あなたは自分の不義の報いを受けるだろう。・・・

邪悪な農夫[たとえ]
隅のかしら石[たとえ]


マタイ21:33-46,マルコ12:1-12(以上ジョセフ・スミス訳),ルカ20:9-18

もう一つの譬を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
収穫の季節がきたので、その分け前を受け取ろうとして、僕たちを農夫のところへ送った。
すると、農夫たちは、その僕たちをつかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺し、もうひとりを石で打ち殺した。
また別に、前よりも多くの僕たちを送ったが、彼らをも同じようにあしらった。
しかし、最後に、わたしの子は敬ってくれるだろうと思って、主人はその子を彼らの所につかわした。
すると農夫たちは、その子を見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産を手に入れよう』。
そして彼をつかまえて、ぶどう園の外に引き出して殺した。
このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。
彼らはイエスに言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。
イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、『家造りらの捨てた石が/隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』。
それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。
またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。
祭司長たちやパリサイ人たちはこのたとえを聞いたとき、自分たちのことを指して言っておられることを悟った。
そして彼らは互いに言った。「この男は自分独りでこの国を奪い取れると思っているのだろうか。」そして、彼らはイエスに腹を立てた。
しかし、イエスを捕らえようとしたものの、群衆を恐れた。群衆がイエスを預言者だと思っていることが分かったからである。そしてイエスをそこに残して立ち去った。
さて、弟子たちがイエスのもとにやって来ると、イエスは彼らに言われた。「わたしが語ったたとえの言葉に驚いているのか。
あなたがたによく言っておく。わたしがその石であり、邪悪な者たちはわたしを捨てる。
わたしは隅のかしら石である。これらのユダヤ人はわたしの上に落ちて、打ち砕かれる。
そして、神の王国は彼らから取り上げられて、王国にふさわしい実を結ぶ民(すなわち、異邦人)に与えられるであろう。
それであるから、この石がだれかの上に落ちかかるなら、その人は粉みじんにされるであろう。
したがって、ぶどう園の主人は帰って来ると、その卑劣な悪人どもを殺して、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、まことに終わりの時に、そのぶどう園を再び貸し与えるであろう。」
そのとき彼らは、イエスが語られたたとえを理解した。主が天から降ってきて、主のぶどう園であるこの世と世に住む者たちを治められるとき、異邦人も滅ぼされるということである。

王子の婚礼[たとえ]


マタイ22:1-14(ジョセフ・スミス訳)

イエスはまた、譬で彼らに語って言われた、
「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。
王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、その人たちはこようとはしなかった。
そこでまた、ほかの僕たちをつかわして言った、『招かれた人たちに言いなさい。食事の用意ができました。牛も肥えた獣もほふられて、すべての用意ができました。さあ、婚宴においでください』。
しかし、彼らは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き、
またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。
そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。
それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。
だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。
そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。
王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、
彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。
そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない。招かれる者の全員が礼服を着ているわけではないからである」。
(関連 4−3「盛大な晩餐会」

カイザルへの税金についての質問


マタイ22:15-22,マルコ12:13-17,ルカ20:19-26

そのときパリサイ人たちがきて、どうかしてイエスを言葉のわなにかけようと、相談をした。
そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基いて神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。
それで、あなたはどう思われますか、答えてください。カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。
イエスは彼らの悪意を知って言われた、「偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか。
税に納める貨幣を見せなさい」。彼らはデナリ一つを持ってきた。
そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。
彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
そこで彼らは、民衆の前でイエスの言葉じりを捕えることができず、その答えに驚嘆して、黙ってしまった。
そして、イエスを残して立ち去った。


【動画】カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい


復活後の結婚


マタイ22:23-33,マルコ12:18-27(ジョセフ・スミス訳),ルカ20:27-40

復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、イエスのもとにきて質問した、
「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています、『もし、ある人の兄が死んで、その残された妻に、子がない場合には、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。
ここに、七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、
次男がその女をめとって、また子をもうけずに死に、三男も同様でした。
こうして、七人ともみな子孫を残しませんでした。最後にその女も死にました。
復活のとき、彼らが皆よみがえった場合、この女はだれの妻なのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。
イエスは言われた、「あなたがたがそんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないし、理解していないからではないか。
この世の子らは、めとったり、とついだりするが、
かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。
彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。
死人がよみがえることについては、モーセの書の柴の篇で、神がモーセに仰せられた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。
それであるから、神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。神は死者を墓からよみがえらせるからである。あなたがたは非常な思い違いをしている。」
律法学者のうちのある人々が答えて言った、「先生、仰せのとおりです」。
彼らはそれ以上何もあえて問いかけようとしなかった。
群衆はこれを聞いて、イエスの教に驚いた。

【解説】
復活後に結婚することがないというのは、日の栄えの結婚の聖約を交わしていない人
たちのことを言っている。
日の栄えの結婚は、ある男が新しくかつ永遠の聖約によって妻をめとることであり、
夫と妻がその聖約を守る限り永遠にわたって続く。

偉大な戒め


マタイ22:34-40,マルコ12:28-34

さて、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。
ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。
イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。
心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない 。
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
そこで、この律法学者はイエスに言った、「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。
また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。
イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、「あなたは神の国から遠くない 」。それから後は、イエスにあえて問う者はなかった。
(関連 4−2「二つの大切な戒め」



【動画】いちばん大切な戒め




【解説】
「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ。」
これには、3つに対する事柄が含まれている。
 ・「神」(主なるあなたの神を愛せよ)
 ・「自分」(自分を愛するように)
 ・「他人」(あなたの隣り人を愛せよ)
これは信仰、希望、慈愛の3つの徳につながる。
 ・「信仰」は「神」に対するもの。
 ・「希望」は「自分」に対するもの。
 ・「慈愛」は「他人」に対するもの。
信仰、希望、慈愛の徳を実践するには、想像力が必要になる。
 ・「信仰」とは、目に見えないことを、目に見えているように、信頼すること。
  目に見えない力を感じ、感謝できる人は、目に見えない力に、助けてもらえる。
 ・「希望」とは、まだ実現していないことを、既に実現しているかのように、喜ぶこと。
 ・「慈愛」とは「人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。」(ルカ6:31)にあるように
  人のことを、自分のことように、思うこと。
これらの徳は、よく想像し、よく考えないと、行うことができない熟練が必要な徳である。

「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ。」
のオリジナルは旧約聖書にある。
 ・「あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。」(申命記6:5)
 ・「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。」(レビ記19:18)

キリストの父とは


マタイ22:41-46,マルコ12:35-37,ルカ20:41-44

パリサイ人たちが集まっていたとき、イエスは彼らにお尋ねになった、
「あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか」。彼らは「ダビデの子です」と答えた。
イエスは言われた、「それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。
すなわちダビデ自身が詩篇の中で言っている、『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。
このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」。
イエスにひと言でも答えうる者は、なかったし、その日からもはや、進んでイエスに質問する者も、いなくなった。

律法学者とパリサイ人、罪ありとされる


マタイ23:1-36(ジョセフ・スミス訳),マルコ12:38-40,ルカ20:45-47

そのときイエスは、群衆と弟子たちとに語って言われた、
「律法学者に気をつけなさい。律法学者とパリサイ人とは、モーセの座にすわっている。
だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。
また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。
そのすることは、すべて人に見せるためである。すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、
また、宴会の上座、会堂の上席を好み、
広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。
しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな兄弟なのだから。
また、地上のだれをも、創造主、あるいは天の父と呼んではならない。あなたがたの創造主であり天の父である御方はただ一人、すなわち天におられる父である。
また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、あなたがたの天の父が送られたキリストである。彼はあなたがたが命を得るために送られたのである。
そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。
だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。
〔偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。だから、もっときびしいさばきを受けるに違いない。〕
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、自分たちのように彼を以前より倍もひどい地獄の子にする。
盲目な案内者たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは言う、『神殿をさして誓うなら、そのままでよいが、神殿の黄金をさして誓うなら、果す責任がある』と。
愚かな盲目な人たちよ。黄金と、黄金を神聖にする神殿と、どちらが大事なのか。
また、あなたがたは言う、『祭壇をさして誓うなら、そのままでよいが、その上の供え物をさして誓うなら、果す責任がある』と。
盲目な人たちよ。供え物と供え物を神聖にする祭壇とどちらが大事なのか。
祭壇をさして誓う者は、祭壇と、その上にあるすべての物とをさして誓うのである。
神殿をさして誓う者は、神殿とその中に住んでおられるかたとをさして誓うのである。
また、天をさして誓う者は、神の御座とその上にすわっておられるかたとをさして誓うのである。
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。
盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。あなたがたは小さな罪を犯さないが、律法全体を守っていないということを人々は知っている。
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。
盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、
『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。
このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。
あなたがたもまた先祖たちがした悪の枡目を満たすがよい。
へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。
それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。
こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。
よく言っておく。これらのことの報いは、みな今の時代に及ぶであろう。あなたがたは自身が悪を共にしていながら、自分たちの先祖に対して責める証をしている。あなたがたの先祖は知らないでそのことを行なっていた。しかしあなたがたはそうではない。それであるから、彼らの罪はあなたの頭の上にあるのである。

【解説】
「経札」とは、聖句の書かれた細長い羊皮紙が幾つか入っている箱のこと。
ユダヤ人は戒めを忘れないための方策として、この小さな箱を皮のひもに取りつけ、
額または腕に着けていた。
パリサイ人たちは虚栄心から大きな経札を常日頃から身に着けて、
自分がどんなに神の言葉を愛しているかを皆に見てもらおうとした。

イエス、エルサレムについて嘆き悲しまれる


マタイ23:37-39(ジョセフ・スミス訳)

ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。
わたしは言っておく。あなたがたは、『主の御名によって、天の雲の中をすべての聖なる天使たちとともに来られる方に、祝福あれ』と言うときまで、今から後わたしに会うことも、わたしが預言者たちによって書き記された者であるのを知ることもないであろう。」そのとき、主の弟子たちは、イエスが栄光を受けて神の右で冠を受けられた後、再び地上に来られるということを理解した。

やもめのさい銭


マルコ12:41-44,ルカ21:1-4


イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。

ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。
 

そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。
みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである 」。


【動画】やもめのレプタ



【動画】やもめのレプタについて教えられるイエス




【解説】
「やもめ」とは、夫に先立たれた女性のことである。
家族の生活費を稼ぐ男性を失えば、資産家の妻でない限り、貧しい生活になってしまう。
レプタという貨幣単位はデナリの128分の1である。
デナリは1日の生活費に相当するから10000円とすると、レプタは約78円ぐらいである。
レプタ2つというのは、現在でいうと100円硬貨2枚という感じであろう。
現在の社会でも、1日1ドル以下で生活する極貧の人たちがいる。彼女もそのような人だった。
当時は1デナリが1日の平均賃金だが、極貧の人たちは1レプタぐらいが生活費だった。
大きな所得格差である。
これがないと食べることができなくなる。彼女の犠牲は命がけだったのである。

キリスト、御自身の伝道の目的について明らかにされる


ヨハネ12:37-50

このように多くのしるしを彼らの前でなさったが、彼らはイエスを信じなかった。
それは、預言者イザヤの次の言葉が成就するためである、「主よ、わたしたちの説くところを、だれが信じたでしょうか。また、主のみ腕はだれに示されたでしょうか」。
こういうわけで、彼らは信じることができなかった。イザヤはまた、こうも言った、
「神は彼らの目をくらまし、心をかたくなになさった。それは、彼らが目で見ず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである」。
イザヤがこう言ったのは、イエスの栄光を見たからであって、イエスのことを語ったのである。
しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。
彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。
イエスは大声で言われた、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるのであり、
また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである。
わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。
たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。
わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。
わたしは自分から語ったのではなく、わたしをつかわされた父ご自身が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったのである。
わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである 」。

オリブ山での教え(再臨についての説教)
いちじくの葉[たとえ]
長旅をする主人[たとえ]


マタイ24:1-51(ジョセフ・スミス訳),マルコ13:1-37,ルカ21:5-36(ジョセフ・スミス訳),教義と聖約45:16-60

そして、イエスが神殿から出て行かれると、弟子たちがイエスの言葉を聞こうとして近寄って来て言った。「先生、ごらんください。なんという見事な石、なんという立派な建物でしょう。あなたは、『これらは崩され、荒れ果てるに任されるであろう』と言われましたが、この神殿の建物についてわたしたちにお示しください。」
そこで、イエスは彼らに向かって言われた。「あなたは、これらの大きな建物をながめているのか。あなたがたは、これらすべてのものを見て、それが分からないのか。よく言っておく。この神殿では、その石が一つでも崩されずに他の石の上に残ることはないであろう。」
イエスは彼らを後に残し、オリブ山に登られた。そして、オリブ山で宮にむかって座っておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレの弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「どうぞお話しください。あなたが神殿の滅亡とユダヤ人について言われたこれらのことは、いつ起こるのでしょうか。あなたがおいでになる時や、世の終わり、すなわち、世の終わりである悪人の滅亡には、どのようなしるしがありますか。」
そこで、イエスは答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
多くの者がわたしの名を名乗って現れ、『わたしがキリストだ』とか『時が近づいた』とか言って、多くの人を惑わすであろう。彼らについて行くな。
そのとき、人々はあなたがたを苦しみに遭わせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のためにすべての民に憎まれるであろう。
あなたがたは自分で気をつけていなさい。あなたがたは、わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるであろう。
そして、人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である。
あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから。
しかし、あなたがたは両親、兄弟、親族、友人にさえ裏切られるであろう。また、あなたがたの中で殺されるものもあろう。
また兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。
そのとき、多くの人がつまずき、また互いに裏切り、憎み合うであろう。
また、多くの偽預言者が起こって、多くの人を惑わすであろう。
また、不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
しかし、確固としていて打ち負かされない者は救われる。
あなたがたの髪の毛一すじでも失われることはない。
あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂をかち取るであろう。

【エルサエムの滅亡についての予言】
エルサレムの滅亡について預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者を見たならば、聖なる場所に立たなければならない。読むものは理解しなさい。
エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい。
そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。市中にいる者は、そこから出て行くがよい。また、いなかにいる者は市内にはいってはいけない。
それは、聖書にしるされたすべての事が実現する刑罰の日であるからだ
屋上にいる者は逃げなさい。家から物を取り出そうとして戻ってはならない。
畑にいる者は、上着を取りに戻ってはならない。
その日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸である。
地上には大きな苦難があり、この民にはみ怒りが臨み、
彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。
それであるから、あなたがたの逃げるのが冬や安息日にならないように、主に祈りなさい。
そのときには、それらの日には、ユダヤ人とエルサレムに住む者に大きな艱難が起こるからである。それは、イスラエルの王国の初めから今に至るまで、かつて神からイスラエルに下されたことがなく、また今後もイスラエルに下されることがないほどの艱難である。
しかし、彼らに起こるすべてのことは、彼らに及ぶ数々の悲しみの始まりにすぎない。
もしその期間が縮められないなら、救われるものは一人もいないであろう。しかし、選民のためには、聖約に従ってその期間が縮められるであろう。」
イエスはこれらのことを彼らに語られたが、これはエルサレムの滅亡についてのことであった。

【キリストの再臨についての予言】
そこで弟子たちは尋ねて言った。「先生、あなたがおいでになる時のことについてお話ください。」
すると、イエスは答えて言われた。「見よ、わたしはユダヤ人について、あなたがたにこれらのことを語った。さらにまた、エルサレムに及ぶそれらの日の艱難の後、だれかがあなたがたに、『見よ、ここにキリストがいる』、また『あそこにいる』と言っても、信じてはならない。
それらの日には、偽キリストたちや偽預言者たちも起こって、大きなしるしと不思議を示し、できれば、聖約による選民である真の選民をも惑わそうとするであろう。
見よ、選民のために、わたしはあなたがたにこれらのことを語るのである。あなたがたはまた、戦争と戦争のうわさを聞くであろう。あわてないように気をつけなさい。わたしがあなたがたにつげたことはすべて、必ず起こるからである。しかし、まだ終わりではない。
見よ、わたしはあなたがたに前もって話した。
だから、人々が、『見よ、彼は荒れ野にいる』と言っても、出て行ってはならない。『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。
ちょうど朝の光が東から出て、西に照り、全地を覆うように、人の子も来るからである。
さて、わたしはあなたがたに一つのたとえを示そう。見よ、死体のある所には、はげたかが集まるものである。それと同じように、わたしの選民は地の四方から集められるであろう。
そして、彼らは戦争と戦争のうわさを聞くであろう。
見よ、わたしは、わたしの選民のために語る。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と疫病と地震があるであろう。いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう。
さらにまた、不法がはびこるので、人々の愛が冷えるであろう。しかし、打ち負かされない者は救われる。
さらにまた、この王国の福音は、すべての民への証として、全世界に宣べ伝えられるであろう。それから、終わり、すなわち悪人の滅亡が来るのである。
そして、荒らす憎むべき者について預言者ダニエルによって言われたことが、再び成就するであろう。
異邦人の時が満ちる時代に、太陽と月と星とにしるしが現れるであろう。地上では、海と波がとどろくように、諸国民がおじ惑って悩むであろう。地も乱れ、大いなる深みの水も荒れるであろう。
それらの日の艱難の後すぐに、太陽は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は天から落ち、天の力は揺り動かされるであろう。
よく言っておく。わたしがあなたがたに告げたすべてのことが成就するまでは、これらのことが示されるこの時代、すなわち異邦人の時が満ちる時代は過ぎ去ることがない。
天地の過ぎ去る日は来るが、それでもわたしの言葉は過ぎ去ることがなく、すべて成就するであろう。
人々は世界に起ころうとしていることを思い、恐ろしさのあまり気を失うであろう。天の力が揺り動かされるからである。
前に言ったように、それらの日に艱難があり、天の力が揺り動かされた後、人の子のしるしが天に現れるであろう。そのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって人の子が天の雲の中を来るのを見るであろう。
これらの事が起りはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから。
だれでもわたしの言葉を大切に蓄える者は、惑わされることがない。人の子は来て、大きなラッパの音とともに天使たちを先立って遣わすであろう。すると天使たちは、天の果てから果てまで、四方から選民の残りの者を呼び集めるであろう。
いちじくの木から、たとえを学びなさい。その枝がまだ柔らかで、葉を出し始めると、夏の近いことが分かる。
このようにあなたがたも、これらの事が起るのを見たなら、神の国が近いのだとさとりなさい。
そのように、わたしの選民は、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていることが分かるであろう。
しかし、その日、その時は、だれも知らない。天にいる神の天使たちも知らない。ただ父だけが知っておられる。
人の子の来臨のときも、ちょうどノアの時代と同じようである。
人々は、洪水の前の日々のような状態であろう。ノアが箱舟に入る日まで、人々は食べたり、飲んだり、めとったり、嫁いだりしていた。
そして、洪水が襲ってきて、すべてのものをさらって行くまで、彼らは気がづかなかった。人の子の来臨もそのようであろう。
そのとき、記されていることは成就するであろう。すなわち、終わりの時には、二人が畑にいると、一人は取り去られ、一人は残される。
二人が臼をひいていると、一人は取り去られ、一人は残される。
わたしは一人に言うことを、すべての人に言う。だから、目を覚ましていなさい。いつあなたがたの主が来るか、あなたがたには分からないからである。
このことをわきまえていなさい。家の主人は盗人がいつごろ来るか分かっていたら、目を覚ましていて、自分の家に押し入られるのを許すことなく、用意をしていたであろう。
だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけないときに人の子は来るからである。
主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物を備えさせる忠実な思慮深い僕は、一体だれであろうか。
それはちょうど、旅に立つ人が家を出るに当り、その僕たちに、それぞれ仕事を割り当てて責任をもたせ、門番には目をさましておれと、命じるようなものである。
だから、目をさましていなさい。いつ、家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、にわとりの鳴くころか、明け方か、わからないからである。
あるいは急に帰ってきて、あなたがたの眠っているところを見つけるかも知れない。
主人が帰って来たとき、そのように務めているのを見られる僕は幸いである。
よく言っておく。その主人は、彼に自分の全財産を管理させるであろう。
しかし、それが悪い僕であって、『主人は帰りが遅い』と心の中で思い、
その僕仲間をたたき始め、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、
その僕の主人は、思いがけない日、気づかないときに帰って来て、
彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目に遭わせるであろう。彼はそこで涙を流し、歯ぎしりをするであろう。
あなたがたが放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように、よく注意していなさい。
その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。
これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子が父の栄光をまとって来るとき、その前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい。そして、わたしの戒めを守りなさい。
このように、『彼らは民の中から絶たれるであろう』というモーセの預言のとおりに、悪人の終わりが来る。しかし、世の終わりはまだであって、それはやがて来る。」
(関連 4−2「主の再臨の備え」


【動画】再臨




【解説】
この予言では、キリストの時代のエルサレムの滅亡と、末日のキリストの再臨の2つについて述べられている。

10人のおとめ[たとえ]


マタイ25:1-13(ジョセフ・スミス訳),教義と聖約45:56-59


そこで、人の子が来る前の日においては、天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。

思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。

しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。

花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。
夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。
ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。
すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。

彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。
そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。

しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。

だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。


【動画】10人の乙女



【動画】10人のおとめのたとえ


タラント[たとえ]


マタイ25:14-30


また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。

すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。

五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。

二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。

しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。

だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。

すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。
主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。

二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。
主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。

一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。
そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。
すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。
それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。

さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。
おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。


【動画】タラントのたとえ



【動画】タラントのたとえ




【解説】
タラントは当時の貨幣単位である。
1タラントは6000デナリである。
デナリという貨幣単位は、だいたい1日の賃金に相当する。
今の金額で1万円ぐらいであろうか。
それから計算すると1タラントは6000万円になる。
挿絵などでは、1タラントは1枚の小さな硬貨として描かれているが、実際はもっと多額なのである。
1タラントを受け取った者は、5タラント受けた者よりは少なかったが、事業を起こすには充分な金額であった。
それなのに、自分が他者より少ないのをひがんで、何もしなかったのである。
他者と比べることさえしなければ、この者は、多く与えられたことに感謝したことだろう。
タラントは英語の talent (才能)の語源になっている。
自分の才能が少ないと悩んでいる人も、実は、多くの物が与えられているはずである。

最後の裁き
羊とやぎ[たとえ]
最も小さい者にしたのは、わたしにしたのである


マタイ25:31-46

人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。
そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、
羊を右に、やぎを左におくであろう。
そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。
あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、
裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。
そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。
また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。
あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、
旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。
そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。
そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。
そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。


【動画】わたしにしたのである


裏切りについての預言


マタイ26:1-2


イエスはこれらの言葉をすべて語り終えてから、弟子たちに言われた。
「あなたがたが知っているとおり、ふつかの後には過越の祭になるが、人の子は十字架につけられるために引き渡される」。

イエスを捕らえ、殺そうとの策略


マタイ26:3-5,マルコ14:1-2,ルカ22:1-2

さて、過越と除酵との祭の二日前になった。
そのとき、祭司長たちや民の長老たちが、カヤパという大祭司の中庭に集まり、
策略をもってイエスを捕えて殺そうと相談した。
しかし彼らは言った、「祭の間はいけない。民衆の中に騒ぎが起るかも知れない」。

ユダ、裏切りの工作を進める


マタイ26:14-16,マルコ14:10-11(ジョセフ・スミス訳),ルカ22:3-6

そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれていたユダに、サタンがはいった。
すなわち、彼は祭司長たちや宮守がしらたちのところへ行って、どうしてイエスを彼らに渡そうかと、その方法について協議した。
それは、イエスの言葉に腹を立て、イエスに背いたからである。
「彼をあなたがたに引き渡せば、いくらくださいますか」。すると、彼らは喜んで、銀貨三十枚を彼に支払った。
ユダはそれを承諾した。そして、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、機会をねらっていた。

【解説】
ユダが腹を立てたイエスの言葉とは、
イエスがシモンの家でマリヤから油を塗られたときに言われた言葉である。
(4−4「イエス、シモンの家でマリヤから油を塗られる」

キリストの生涯と教え

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