4−4 エルサレムへの旅

エルサレムへの最後の旅の開始
10人のらい病人の癒し[奇跡]


紀元33年 サマリヤ、ガリラヤ
ルカ17:11-19

イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。
 


そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、
声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。
 
イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。

そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、
イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。
イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。
神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。
それから、その人に言われた、「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。


【動画】重い皮膚病にかかった10人の人


神の王国についての説教


紀元33年 ガリラヤ
ルカ17:20-37(ジョセフ・スミス訳)

神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
『見よ、ここにある』『あそこにある』とも言えない。神の王国は、すでにあなたがたのもとに来ている。
それから弟子たちに言われた、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。
人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。
いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。
しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。
そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。
ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、
ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。
その日には、屋上にいる者は、自分の持ち物が家の中にあっても、取りにおりるな。畑にいる者も同じように、あとへもどるな。
ロトの妻のことを思い出しなさい。
自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。
あなたがたに言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。
ふたりの女が一緒にうすをひいているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。
〔ふたりの男が畑におれば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう〕」。
弟子たちはイエスに言った。「主よ、彼らはどこに取り去られるのですか。」
するとイエスは言われた。「死体が集まる所、言い換えれば、聖徒たちが集まる所には、はげたかも集まる、すなわちの残りの者たちも集まるであろう。」
これはイエスが、聖徒たちの集合について、また天使たちが降って来て残りの者たちを聖徒たちのもとに集めることについて言われたのである。イエスが述べておられるように、ある者は寝室から、別の者はうすをひく場所から、またある者は畑から集められる。
まことに、義の住む新しい天と新しい地がある。
そこには汚れた者はいない。地は衣のように古び、堕落が高じて消え去り、その足代はすべての罪から清められ、聖くなって残るのである。

やもめと不正な裁判官[たとえ]
パリサイ人と取税人[たとえ]


紀元33年 ガリラヤ
ルカ18:1-14(ジョセフ・スミス訳)

また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。
ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。
彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、
このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。
そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。
まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。
あなたがたに言っておくが、神は来られ、聖徒をすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。

自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。

「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。

パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。


あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。


【動画】パリサイ人と取税人


ヨルダン川を渡りペレアへエルサレムへ向かう


紀元33年 ペレア
マタイ19:1-2,マルコ10:1

イエスはこれらのことを語り終えられてから、ガリラヤを去ってヨルダンの向こうのユダヤの地方へ行かれた。
すると大ぜいの群衆がついてきたので、彼らをそこでおいやしになった。いつものように、また教えておられた。

イエス、結婚と離婚について語られる


紀元33年 ペレア
マタイ19:3-12,マルコ10:2-12

パリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして質問した、「何かの理由で、夫はその妻を出しても差しつかえないでしょうか」。
イエスは答えて言われた、「モーセはあなたがたになんと命じたか 」。
彼らは言った、「モーセは、離縁状を書いて妻を出すことを許しました」。
そこでイエスは言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、あなたがたのためにこの定めを書いたのである。
しかし、初めからそうではなかった。天地創造の初めから、『神は人を男と女とに造られた。
それゆえに、人はその父母を離れ、
ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。
だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない 」。
家にはいってから、弟子たちはまたこのことについて尋ねた。
そこで、イエスは言われた、「だれでも、不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、その妻に対して姦淫を行うのである。
また妻が、その夫と別れて他の男にとつぐならば、姦淫を行うのである 」。
弟子たちは言った、「もし妻に対する夫の立場がそうだとすれば、結婚しない方がましです」。
するとイエスは彼らに言われた、「その言葉を受けいれることができるのはすべての人ではなく、ただそれを授けられている人々だけである。
というのは、母の胎内から独身者に生れついているものがあり、また他から独身者にされたものもあり、また天国のために、みずから進んで独身者となったものもある。この言葉を受けられる者は、受けいれるがよい」。

子供への祝福


紀元33年 ペレア
マタイ19:13-15(ジョセフ・スミス訳),マルコ10:13-16,ルカ18:15-17


イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が幼い子供たちを連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをたしなめて言った。「その必要はない。幼い子供たちは救われると、すでに主は言っておられる。」
するとイエスは言われた、「幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である。
よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない 」。

そして彼らを抱き、そして手をその上において祝福されてから、そこを去って行かれた。


【動画】イエス,子どもたちを祝福される



【動画】幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい


金持ちの役人、永遠の生命を求める


紀元33年 ペレア
マタイ19:16-30,マルコ10:17-31,ルカ18:18-30,(以上ジョセフ・スミス訳)


イエスが道に出て行かれると、ある役人がイエスに走り寄ってきて、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。
イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただ神ひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。

彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。
父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。
この青年はイエスに言った、「それはみな小さい時から守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。

イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。

すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。

それから、イエスは見まわして、イエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて、互に言った、「では、だれが救われることができるのだろう」。
イエスは彼らの考えていることを知って言われた、「富に信頼を置く人にはそれはできないが、神に信頼を置き、もしわたしのためにこの世に属するすべてを捨てるならば、そのような人はなんでもできるからである。わたしの言うことはなんでも神にはできない事はない」。
そのとき、ペテロがイエスに答えて言った、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従いました。ついては、何がいただけるでしょうか」。
イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。復活の時が来て、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。
よく聞いておくがよい。だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、必ずこの時代ではその幾倍もを受け、またきたるべき世では永遠の生命を受けつぐであろう。
しかし、自分を先にしようとする多くの者はあとになり、あとにしようとする者は先になるであろう 」。イエスはこう言って、ペテロをしかった。


【動画】金もちの青年



【動画】キリストと金持ちの若い役人




【解説】
「らくだが針の穴を通る」というたとえについて、いくつかの説がある。
一つ目は、ヘブライ語で「らくだ」という語と「綱」という語が似ていて、
「綱」を「らくだ」に誤訳したのではないかという説。
二つ目は、「針の穴」はエルサレムに入る一つの門に付けられた名前で、
そこのことを言っているという説。
この門は人ひとりがやっと通れるほどの狭い門で、らくだは通れない。
つまり、その門を通るには、らくだに載せた荷物(財産)はあきらめなければ
ならないというたとえになっている。

ぶどう園の労働者[たとえ]


紀元33年 ペレア
マタイ20:1-16

天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。
彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。
それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。
そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。
そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。
五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。
彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。
さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。
そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。
もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして
言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。
自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。


【動画】ぶどう園の労働者たち




【解説】
たぶん最初に雇われた人は朝6時から働き始めただろう。
他に9時、12時、午後3時、5時から働き始めた人がいた。
全員が夕方6時まで働いて、みなが1デナリをもらった。
12時間働いた者も、1時間働いたものも同じ賃金だった。
一番多く働いた者が不平を言いたくなる気持ちもわかる。
デナリは労働者1日の賃金に相当する。
別の言い方をすれば、1日の生活費になる。
ぶどう園の主人はみなに1日の生活費を得させたかった。
5時から働いた者は、それまで怠けていたのではない。
仕事を得ようとして準備して、11時間も雇ってくれる人を探していたのである。
家で待っている家族のために、なんとしてでも、1日の生活費を得なければならなかったからである。
神様は人が行なった成果の量によって報いてくださるのではない。
人の心のがどちらに向いているのかによって報いてくださる。
能力のある人は社会に多く貢献できる。
体に重い障害がある人はあまり貢献できないかもしれない。
でも心が何か貢献をしようと求めているのであれば、両者は同じように神様に認められる。

報酬を受ける順番が後に来た人からであるのは、福千年におこる死者の復活を表している。
時のはじめにこの地上に生まれた人、古代に生まれた人、中世に生まれた人、現代に生まれた人、福千年の直前に生まれる人がいる。
その人々は福千年になると後に生まれた人から、先に生まれた人への順で復活していき、公平に「復活」という「報酬」を受け取る。
大きな世界戦争が起こったあと、イエス・キリストが地上に来臨される。
その後キリストが千年間地上を統治される時代が始める。
そして、過去に死んでいった人の復活が始まる。
死んだ人の記録をもとに死者のための身代わりの儀式が生者によって行われ、儀式を受けた死者は復活する。
復活した人の証言により、失われた記録が次々に明らかになり、さらに過去の死者の儀式が行われ、さらに過去の死者が復活する。
これを繰り返しながら、新しい人から、古い人へと復活の連鎖が起こるのである。
この千年の内にすべての儀式と復活が完成し、その後、キリストによる最後の審判が行われるのである。
これは「後の者は先になり、先の者は後になる」法則にあてはまる。
これは物事がA−>B−>Cと進んで行き、あるときを境にC−>B−>Aと
逆転して進むようになるという法則である。

イエス、エルサレムへ向かわれる前に十二弟子へ復活の預言をされる


紀元33年 ペレア
マタイ20:17-19,マルコ10:32-34,ルカ18:31-34

さて、一同はエルサレムへ上る途上にあったが、イエスが先頭に立って行かれたので、彼らは驚き怪しみ、従う者たちは恐れた。するとイエスはまた十二弟子を呼び寄せて、自分の身に起ろうとすることについて語りはじめられた、
「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子について預言者たちがしるしたことは、すべて成就するであろう。人の子は祭司長、律法学者たちの手に渡されるであろう。彼らは彼に死刑を宣告し、
そして彼をあざけり、はずかしめ、つばきをかけ、むち打ち、十字架につけさせるために、異邦人に引きわたすであろう。そして彼は三日目によみがえるであろう」。
弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。この言葉が彼らに隠されていたので、イエスの言われた事が理解できなかった。

ヤコブとヨハネ、栄光を求める


紀元33年 ユダヤのエリコの近く
マタイ20:20-28,マルコ10:35-45

ゼベダイの子ヤコブとヨハネの母が、その子らと一緒にイエスのもとにきてひざまずき、言った。
「先生、わたしたちがお頼みすることは、なんでもかなえてくださるようにお願いします」。
そこでイエスは彼女に言われた、「何をしてほしいのか」。彼女は言った、「栄光をお受けになるとき、わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」。
イエスは答えて言われた、「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができるか」。彼らは「できます」と答えた。
イエスは彼らに言われた、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けるであろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている人々だけに許されることである」。
十人の者はこれを聞いて、このふたりの兄弟たちのことで憤慨した。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。
あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、
あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。
それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。

バルテマイという盲人の癒し[奇跡]


紀元33年 ユダヤのエリコの近く
マタイ20:29-34,マルコ10:46-52,ルカ18:35-43

イエスがエリコに近づかれたとき、テマイの子、バルテマイともう一人のふたりの盲人のこじきが道ばたにすわって、物ごいをしていた。
群衆が通り過ぎる音を耳にして、彼らは何事があるのかと尋ねた。
ところが、ナザレのイエスがお通りなのだと聞かされたので、
声をあげて、「ダビデの子イエスよ、わたしたちをあわれんで下さい」と言った。
先頭に立つ人々が彼らをしかって黙らせようとしたが、彼らはますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子よ、わたしをあわれんで下さい」。
そこでイエスは立ちどまって、その者を連れて来るように、とお命じになった。そこで、人々はその盲人を呼んで言った、「喜べ、立て、おまえを呼んでおられる」。
そこで彼らは上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにきた。彼らが近づいたとき、
「わたしに何をしてほしいのか」とおたずねになると、「主よ、見えるようになることです」と答えた。
イエスは深くあわれんで、彼らの目にさわられた。イエスは言われた、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」。
すると彼らは、たちまち見えるようになった。そして神をあがめながらイエスに従って行った。これを見て、人々はみな神をさんびした。

取税人ザアカイへの救い


紀元33年 ユダヤのエリコ
ルカ19:1-10

さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。
ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。
彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。
それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。
イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから 」。
そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。
人々はみな、これを見てつぶやき、「彼は罪人の家にはいって客となった」と言った。
ザアカイは立って主に言った、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」。
イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。
人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである 」。

10ミナ[たとえ]


紀元33年 ユダヤのエリコ
ルカ19:11-27(ジョセフ・スミス訳)

人々がこれらの言葉を聞いているときに、イエスはなお一つの譬をお話しになった。それはエルサレムに近づいてこられたし、また人々が神の国はたちまち現れると思っていたためである。
それで言われた、「ある身分の高い人が、王位を受けて帰ってくるために遠い所へ旅立つことになった。
そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』。
ところが、本国の住民は彼を憎んでいたので、あとから使者をおくって、『この人が王になるのをわれわれは望んでいない』と言わせた。
さて、彼が王位を受けて帰ってきたとき、だれがどんなもうけをしたかを知ろうとして、金を渡しておいた僕たちを呼んでこさせた。
最初の者が進み出て言った、『ご主人様、あなたの一ミナで十ミナをもうけました』。
主人は言った、『よい僕よ、うまくやった。あなたは小さい事に忠実であったから、十の町を支配させる』。
次の者がきて言った、『ご主人様、あなたの一ミナで五ミナをつくりました』。
そこでこの者にも、『では、あなたは五つの町のかしらになれ』と言った。
それから、もうひとりの者がきて言った、『ご主人様、さあ、ここにあなたの一ミナがあります。わたしはそれをふくさに包んで、しまっておきました。
あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取りたて、おまきにならなかったものを刈る人なので、おそろしかったのです』。
彼に言った、『悪い僕よ、わたしはあなたの言ったその言葉であなたをさばこう。わたしがきびしくて、あずけなかったものを取りたて、まかなかったものを刈る人間だと、知っているのか。
では、なぜわたしの金を銀行に入れなかったのか。そうすれば、わたしが帰ってきたとき、その金を利子と一緒に引き出したであろうに』。
そして、そばに立っていた人々に、『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナを持っている者に与えなさい』と言った。
彼らは言った、『ご主人様、あの人は既に十ミナを持っています』。
『あなたがたに言うが、おおよそ手に入れた人には、なお与えられ、手に入れなかった人からは、受け取ったものまでも取り上げられるであろう。
しかしわたしが王になることを好まなかったあの敵どもを、ここにひっぱってきて、わたしの前で打ち殺せ』」。

多くの者がイエスを捜す


紀元33年 ユダヤのエルサレム
ヨハネ11:55-57

さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、多くの人々は身をきよめるために、祭の前に、地方からエルサレムへ上った。
人々はイエスを捜し求め、宮の庭に立って互に言った、「あなたがたはどう思うか。イエスはこの祭にこないのだろうか」。
祭司長たちとパリサイ人たちとは、イエスを捕えようとして、そのいどころを知っている者があれば申し出よ、という指令を出していた。

イエス、シモンの家でマリヤから油を塗られる


紀元33年4月 エルサレムへの入城の前日(土曜日) ユダヤのベタニヤ
マタイ26:6-13,マルコ14:3-9(ジョセフ・スミス訳),ヨハネ12:1-11(ジョセフ・スミス訳)

過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。
さて、イエスがらい病人シモンの家におられたとき、
イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。
その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤が入れてある石膏のつぼをを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、
「なんのためにこんなむだ使をするのか。この香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施すことができたのに」。
彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。
イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。彼女は今までそれをとっておいたのだから。わたしの葬りの形見としてわたしにぬってくれたのだ。
貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときにはいつでも、よい事をしてやれる。しかし、わたしはあなたがたといつも一緒にいるわけではない。
よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。
大ぜいのユダヤ人たちが、そこにイエスのおられるのを知って、押しよせてきた。それはイエスに会うためだけではなく、イエスが死人のなかから、よみがえらせたラザロを見るためでもあった。
そこで祭司長たちは、ラザロも殺そうと相談した。
それは、ラザロのことで、多くのユダヤ人が彼らを離れ去って、イエスを信じるに至ったからである。

キリストの生涯と教え

ホーム