3−4 たとえ
犠牲について語られる
紀元31年 ガリラヤの海
マタイ8:18-22,ルカ9:57-62
イエスは、群衆が自分のまわりに群がっているのを見て、向こう岸に行くようにと弟子たちにお命じになった。
するとひとりの律法学者が近づいてきて言った、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります」。
イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。
またほかの人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。するとその人が言った、「まず、父を葬りに行かせてください」。
彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。
またほかの人が言った、「主よ、従ってまいりますが、まず家の者に別れを言いに行かせてください」。
イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。
嵐を静められる[奇跡]
紀元31年秋 ガリラヤの海
マタイ8:23-27,マルコ4:35-41,ルカ8:22-25(ジョセフ・スミス訳)
さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう 」と言われた。
そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。
すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。
ところが、イエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。
イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ 」と言われると、風はやんで、大なぎになった。
イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか 」。
彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。
【動画】イエス,風と波にお命じになる
【動画】嵐を静める
悪霊につかれたレギオン正気に戻る[奇跡]
悪霊の群れを豚に送り込む[奇跡]
紀元31年 ガダラ、ピリポの領地
マタイ8:28-34,9:1,マルコ5:1-21,ルカ8:26-40
こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ(ガダラ)人の地に着いた。
それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれたふたりの者が墓場から出てきて、イエスに出会った。
彼らは手に負えない乱暴者で、だれもその辺の道を通ることができないほどであった。
この人は、悪霊につかれて長いあいだ着物も着ず、家に居つかないで墓場にばかりいた。
もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。
そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。
ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。まだその時ではないのに。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け 」と言われたからである。
また彼に、「なんという名前か 」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。
彼の中にたくさんの悪霊がはいり込んでいたからである。
そして、自分たちをこの土地から追い出さないように、
悪霊どもは、底知れぬ所に落ちて行くことを自分たちにお命じにならぬようにと、イエスに願いつづけた。
さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。
豚を飼う者たちが逃げ出して、町や村にふれまわったので、人々は何事が起ったのかと見にきた。
そして、イエスのところにきて、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。
また、それを見た人たちは、悪霊につかれた人の身に起った事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。
そこで、人々はイエスに、この地方から出て行っていただきたいと、頼みはじめた。
イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供をしたいと願い出た。
しかし、イエスはお許しにならないで、彼に言われた、「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい 」。
そこで、彼は立ち去り、そして自分にイエスがしてくださったことを、ことごとくデカポリスの地方に言いひろめ出したので、人々はみな驚き怪しんだ。
イエスがまた舟で向こう岸へ渡られると、大ぜいの群衆がみもとに集まってきた。イエスは海べにおられた。
【動画】悪霊につかれた男
長血を患う女の癒し[奇跡]
ヤイロの娘の蘇生[奇跡]
紀元31年 ガリラヤのカペナウム
マタイ9:18-26,マルコ5:22-43,ルカ8:41-56
そこへ、会堂司のひとりであるヤイロという者がきて、イエスを見かけるとその足もとにひれ伏し、
しきりに願って言った、「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください」。
そこで、イエスは彼と一緒に出かけられた。大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った。
さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。
多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。
この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。
それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。
すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。
イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか 」と言われた。
人々はみな自分ではないと言ったので、ペテロが「先生、群衆があなたを取り囲んで、ひしめき合っているのです」と答えた。
しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。
イエスは言われた、「だれかがわたしにさわった。力がわたしから出て行ったのを感じたのだ」。
その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、イエスにさわった訳と、さわるとたちまちなおったこととを、みんなの前で話した。
イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい 」。
イエスが、まだ話しておられるうちに、会堂司の家から人々がきて言った、「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい」。
イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」。
そしてペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、ついて来ることを、だれにもお許しにならなかった。
彼らが会堂司の家に着くと、イエスは人々が大声で泣いたり、叫んだりして、騒いでいるのをごらんになり、
内にはいって、彼らに言われた、「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである 」。
人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなの者を外に出し、子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所にはいって行かれた。
そして子供の手を取って、「タリタ、クミ 」と言われた。それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。
すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに打たれた。
イエスは、だれにもこの事を知らすなと、きびしく彼らに命じ、また、少女に食物を与えるようにと言われた。
しかし、そのうわさがこの地方全体にひろまった。
【動画】イエスの衣に触った女
【動画】信仰ある女性を癒されるイエス
【動画】ヤイロの娘,死からよみがえる
【動画】イエスがヤイロの娘を生き返らせる
二人の盲人の癒し[奇跡]
悪霊を追い出される[奇跡]
紀元31年 ガリラヤのカペナウム
マタイ9:27-34
そこから進んで行かれると、ふたりの盲人が、「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」と叫びながら、イエスについてきた。
そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので、彼らに「わたしにそれができると信じるか」と言われた。彼らは言った、「主よ、信じます」。
そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」。
すると彼らの目が開かれた。イエスは彼らをきびしく戒めて言われた、「だれにも知れないように気をつけなさい」。
しかし、彼らは出て行って、その地方全体にイエスのことを言いひろめた。
彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれて口のきけない人をイエスのところに連れてきた。
すると、悪霊は追い出されて、口のきけない人が物を言うようになった。群衆は驚いて、「このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった」と言った。
しかし、パリサイ人たちは言った、「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」。
たとえ
種まき[たとえ]
ひとりでに成長する種[たとえ]
毒麦[たとえ]
からし種[たとえ]
パン種[たとえ]
畑に隠された宝[たとえ]
高価な真珠[たとえ]
引き網[たとえ]
一家の主人[たとえ]
紀元31年 ガリラヤの海
マタイ13:1-53,マルコ4:1-34(以上ジョセフ・スミス訳),ルカ8:4-18,教義と聖約86:1-7
その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。
ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。
イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、
「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。踏みつけられ、そして空の鳥に食べられてしまった。
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。
ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。
そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい 」。
イエスが十二弟子と共にひとりになられた時、イエスを信じる者で、そばにいた者たちが尋ねた。
「なぜ、彼らに譬でお話しになるのですか」。
そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。
おおよそ、受け入れる人は与えられて、いよいよ豊かになるが、受け入るのを拒み続ける人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。
こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。
しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。
あなたがたによく言っておく。多くの預言者や義人は、あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである。
この譬はこういう意味である。種は神の言である。
種まきは御言をまくのである。
だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。
石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。
その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。
また、良い地にまかれたものとは、御言葉を聞いて悟って保ち続ける人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。
また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。
なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。
聞く耳のある者は聞くがよい」。
また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。
夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。
実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである 」。
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず麦の方を集めて倉に入れ、次に毒麦を集めて束にして焼くばかりにしておけ、と言いつけよう』」。
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、
それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。
またほかの譬を彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。
(関連 4−3
「からし種とパン種」)
イエスはこれらのことをすべて、譬で群衆に語られた。譬によらないでは何事も彼らに語られなかった。
これは預言者によって言われたことが、成就するためである、「わたしは口を開いて譬を語り、世の初めから隠されていることを語り出そう」。
それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子たちは、みもとにきて言った、「畑の毒麦の譬を説明してください」。
イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子であり、使徒たちである。
畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。
収穫とは世の終りのことで、邪悪な者の滅びである。刈る者は御使たちで、天から送られた使者たちである。
彼らが眠った後、教会のひどい迫害者、背教者、淫婦、すなわちバビロンが現れる。このバビロンはすべての国民に自分の杯から飲ませる。そして彼らの心の中に、敵、すなわちサタンが座して支配する。見よ、彼が毒麦をまく。それゆえ、毒麦は小麦の生長を妨げて、教会を荒れ野に追いやる。
しかし見よ、終わりの時に、すなわち主が御言葉をもたらし始め、葉が生え出てまだ柔らかい、まさに今、
見よ、まことに、わたしはあなたがたに言うが、畑を刈り入れるために遣わされる準備をして待っている天使たちは、日夜、主に叫び求めている。
しかし、主は彼らに言う。小麦も損なうといけないので、葉がまだ柔らかい間は毒麦を抜き取ってはならない。(まことに、あなたがたの信仰が弱いからである。)
それゆえ、作物が十分に熟すまで、小麦と毒麦をともに育つままにしておきなさい。その後、あなたがたはまず毒麦の中から小麦を集めなければならない。小麦を集めた後、見よ、見よ、毒麦は束にされ、畑は焼かれるばかりである。
毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りと邪悪な者の滅びもそのとおりになるであろう。
その日のために、人の子が来る前に、人の子はその使たちと天からの使者たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
邪悪な者の中に追い出されるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。そして、世は火で焼かれるだろう。
そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。
天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。
また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。
高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。
また天国は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。
それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。
あなたがたは、これらのことが皆わかったか」。彼らは「わかりました」と答えた。
そこで、イエスは彼らに言われた、「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。
イエスはこれらの譬を語り終えてから、そこを立ち去られた。
【動画】種まきのたとえ
【動画】イエス,麦と毒麦のたとえを話す
【動画】天の王国
【動画】麦と毒麦,からし種,パン種のたとえを話されるイエス
【解説】
ここでの「天国」とは、地上における天国、キリストの真の教会を指す。
ここでのたとえは、末日における教会の行く末について述べている。
毒麦は小麦によく似た草で毒を持つ。
成長して大きくなるまでは、小麦と見分けがつかない。
ナザレでの2回目の拒絶
紀元31年 ナザレ
マタイ13:54-58,マルコ6:1-6
イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った。
そして、安息日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った、「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろう。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。
この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセフ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。こうして彼らはイエスにつまずいた。
イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない 」。
そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。
そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。
キリストの生涯と教え
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