エスペラントに対する無理解と反論 |
「エスペラントの欠点と反論」のところでは、言語的な仕組みに対する批判を
挙げましたが、ここでは、それ以外で、エスペラントの欠点として、よく指摘
されることがらを紹介します。ここでも、批判に対する私の反論を挙げました。
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1.中立性 |
(欠点)エスペラントは主にヨーロッパの諸言語を元に作られているので、
ヨーロッパ人以外の人には不利になる。完全な中立とは言えないので
国際共通語としてはふさわしくない。
(反論)エスペラントよりも中立で、しかも、エスペラントより学びやすい国
際語案をこれまで提示した人は誰もいない。
現状ではエスペラントが最善のものである。
エスペラントの中立性を参照
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2.使用人口と実用性 |
(欠点)エスペラントの使用人口は約100万人といわれる。使用人口が少な
いので、実用性が低い。一方、英語は約10億人の使用人口がある。
話者の数、書籍などの活用資源も多くあり、実用性が1000倍ある
といえる。学習するために、エスペラントの10倍かかったとしても、
英語を学ぶ価値の方が高い。
(反論)実用性という点では、エスペラントを学ぶ価値は、今のところ少ない
といえる。しかし、エスペラントの価値は実用性だけにあるわけでは
ない。エスペラントが作られた根本的な理由は、言語による差別をな
くすことであった。
現在、英語が世界に広まっているのは、英語が国際共通語としてふさ
わしいという理由からではない。英国による植民地支配によって、強
制的に英語を話すことを押し付けられた人々が多くいた。現在はアメ
リカの経済的な強さのため、英語を学びたい人を増やしている。人が
英語を学ぶのはお金儲けに役立つからである。
「でんし共産制社会」の「エスペラント」のところで書いたことだが、
社会の主流が工業を中心としたものから、情報を中心としたものにか
わると、社会の主権を握る人もお金を持つ人から、情報を持つ人に替
わるだろう。英語は圧倒的な情報量を所有するので、英語を話す人は
優位にたつ。英語ができる人とできない人の間で社会的な格差が増す
であろう。将来、表面化するこのような差別に対抗するために、エス
ペラントはその価値をますだろう。
今後、社会ではNPOを中心としたボランティア活動が多くなるだろ
う。エスペラントの講習会は、ボランティアにより、ほとんど無料で
行われている。学習に時間がかからないし、お金をかけずに学べるの
である。それに対して、英語の学習にはお金もかかるし、時間もかか
る。結果的に英語はエリートに独占されたものになっている。
英語が産業社会と結びついた言語だとすると、エスペラントはボラン
ティア社会と結びついた言語だといえる。今後、産業が衰退し、ボラ
ンティア活動が伸びていくに従い、国際共通語の主流も英語からエス
ペラントへ移るだろう。
実用性が少ないエスペラントだが、いまのところ、エスペラントを学
ぶ人の動機は、2つぐらいある。ひとつは、エスペラントという言語
そのものにたいする興味と、もう一つは、友達を増やすための道具と
してである。最近までは、エスペラントを使う機会は、大会か文通し
かなかったが、インターネットが広まってからは使う機会がかなり増
えた。英語を学ぶ動機としては高校や大学に入るためとか、仕事上で
必要のためが主だと思う。学習動機を言語に対する興味や、友達を増
やす手段ということに限ってみれば、学習者の数は、英語とエスペラ
ントでは大差ないのかも知れない。
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3.人工語 |
(欠点)エスペラントは人工語なので、感情をともなう日常生活や文学表現は
できない。言語と文化は密接に結びついているはずだが、文化を持た
ないエスペラントは人が使う言葉として不向きである。
(反論)エスペラントで書かれた文学作品はたくさんある。エスペランティス
ト同士の国際結婚の家庭では、日常生活もエスペラントで行われてい
る。このように、人が使う言葉として向いていることは、実証されて
いる。
人工語という言葉は、エスペラントを正確には表していない。英語で
も日本語でも人が作り出したものなので人工語である。言語の発生が
計画的に行われたということで、計画言語と呼ぶのがよい。エスペラ
ントの発生は計画的であったが、発展は民族語と同じく、計画的では
ない。つまり、一部の人によってはコントロールされていない。新語
の作成や単語の意味の変化は、エスペランティスト全員の手による。
たとえば、コンピュータが出始めたとき、それに対する単語として、
komputero komputoro komputro komputilo など出たが、最終的に
komputilo に落ち着いた。
エスペラント学士院(アカデミーオ)という言語管理組織があるが、
これは、エスペラントの発展をコントロールしない。現状を追認して、
公認語根を決めるだけである。しかし、エスペラントには変更を許さ
れない事項があり、これを守る役割も学士院に課せられている。不可
侵の事項は「エスペラントの基礎」に書かれてあり、これがエスペラ
ントの憲法として扱われている。「エスペラントの基礎」は、
「16条文法」「例文集」「単語集」からできている。
これは日本では「エスペラント原典」というタイトルで出版されている。
文化については、エスペラントの立場は微妙だ。中立性の立場から、
ある特定の民族の文化をエスペラントに取り入れることはよくない。
しかし、文化を表す言葉がないと実際不便である。そこで、とりあえ
ず、ヨーロッパの文化語を取り入れている。
(「文明語と文化語」参照)
しかし、それがために、学士院の公認語を見てみると、スプーンやフ
ォークはあっても箸はないし、キリストや聖書はあっても仏陀がない。
マーガリンやママレードはあっても醤油や味噌がない。ヨーロッパの
文化に偏ったものになっている。
エスペラント固有の文化をあげるとすれば、エスペラントに伴う思想
だろう。言語による不平等を無くそうという言語相対主義や言葉が通
じないことによって起こる争いをなくそうとする平和主義などである。
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