直感

 

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P158

 

哲学は幾世紀を費やしても何ら進歩が認められない。古来から同じ問題と同じ解決法が繰り返されているにすぎず、ただ体裁と表現が新しくなっただけのことである。インドの目隠しされた牛は、搾油機のまわりを終日歩き続ける。夕になって目隠しが解かれると、牛は、自分がただ円を描いていただけで全然旅をしてないことを知るが、それでも幾らかの油は生産している。

哲学者は幾世紀にもわたり旅し続けてきたが、まだ目標に至っていない。あちこちから集めてきた資料から幾らかの油を搾り出し本に残してはいるが、この油をもってしては人類の渇きを除くことはできない。その先を行くのは哲学ではなく、信仰と直観の仕事である。われわれの知識がどれほど広大であろうと、自ずと限界がある。(中略)

直観は指先と同じく非常に敏感で、触れたとたんに実在を感じとる。論理的証拠を提示できずとも、自分が十分に満たされていることを証しする。このような平安な気持ちは実在からしかえられないものだ。だから、自分は実在にふれているのである。人の心(ハート)には、頭では理解できない識別力がある。花について多くを知るには多くの時間がかかるが、香りを楽しむのは一瞬でこと足りる。直観も同様である。