無学な者たちが選ばれた理由

 

 

 

子供

あなたたちの息子や娘は預言し老人は夢を見、若者は幻を見る(ヨエル3・1)

福音書の成立著者は主

 

 

 

 

1.聖書

2.マリア・ワルトルタ

3.ヴァッスーラ

4.サンダー・シング

5.ルイザ・ピッカレータ

6.スウェーデンボルグ

7.聖母から司祭へ

8.ヨゼファ・メネンデス

9.主は選り好みなさらない

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マタイ11・25−27

 

 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。

 

 

 

ルカ10・21−22

 

 そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任されています。父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。」

 

 

 

使徒言行録4・13

 

議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。

 

 

 

コリント1・1・18−31

 

 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。それは、こう書いてあるからです。

「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」

 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探しますが、わたしたちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。

 神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

 

 

 

 

2.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩 上/P117

 

全く完全なのは神だけで、神は、そうするのがよいと思われれば、世間の目から見れば無知な、みじめな、愚かな、幼稚なものとして軽蔑されるような人の知恵と口を借りて啓示される。神の上智は、人間の理性の傲慢さをまごつかせるのを好むかのようである。神は、自分にこれという思想もなく、学問もない代わりに、愛と清さですぐれている人々に、ご自分の知恵を注ぐのを好まれる。人間たちよ! ファティマ、ルルド、ガダルペ、ラ・サレットのような所を考えてごらん。そこには本当の聖なる出現があった。これを見るのに召されたのは、年齢、文化、身分などからいえば地上で最も貧しいあわれな人々にすぎなかった。“聖寵”は、このような知られざるもの、“皆無に等しいもの”にご自分を現わし、ご自分の伝令とされる。その場合、人間はどうすべきか? あの税吏のように深くへりくだり、こう言えばよい。『主よ、私はあなたを知るに値しない罪びとです。このような人々をとおして私をなぐさめ、訓戒と天の案内者とを与えるあなたの慈悲は祝されよ』『何だ! それは迷信、空想、異端にすぎず不可能なことだ』と言うな。頭のすぐれていない人は、神の知識を深く知ることは不可能だと言うのか? なぜ不可能なのか? 私は死者をよみがえらせ、狂気を治し、口を開き、目を開き、白痴に知恵を与えたではないか、私は悪魔たちを追い出したと同じように、魚たちには網の中に入ること、パンがふえること、水がぶどう酒に変わること、嵐に大凪(おおなぎ)となることを命令したではないか。神にできないこととは何だろう。神の子キリストがあなたたちの中にくだる前に、神はご自分の命令で活躍していた僕たちに、奇跡を行わせたではないか。年寄りのサライは、後に私と契約を結んだイサクを産んだではないか? モーセの命令によってエジプトがさまざまの災いに襲われ、イスラエルの民が通るように海が開かれ、ヨシュアは太陽を止め、ダヴィドが巨人を倒すなどの不思議を行ったではないか? その上、新約は、それぞれの花が一つ一つの奇跡である花盛りの花壇のようではないか? 奇跡の主はだれであるか、神に不可能なことは何か? だれが神に等しいか?

 あなたたちは頭を下げ、礼拝せよ。人類の存在がなくなる前、キリスト以前とキリスト以後の預言、または創世の書の最初のことばから始まる聖書の象徴するところが知られるべきであるので、私はまだ説明されていないところについて説明する。この贈物を快く迎え、豊かな実となるようにせよ。私が人間の中にいた時に、私の訓戒に対して心を閉じ、超自然の奥義と真理とについて、私と肩を並べることができなかったために、私のことを悪魔憑き、冒涜者と言ったあのユダヤ人のようになるな。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/『イエズスに出会った人々』2・P268

 

「私はいろいろな知識や学説にまだ染まっていない人々を選ぶために、おまえたちを選びました。おまえたちのような人々に私の教えがもっとも楽に浸透し、また、おまえたちが将来、まことの神を伝道すべきだから、おまえたちは各自もとの道を思い出して、こういうふうな人々を軽蔑せず、私がおまえたちをどれほどの思いやりをもって教え導いたかを思い出し、同じようにするためです。」

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P42

‘87・1・30

 

あなたに平和。 弱く感じる時は いつでも私のもとに来なさい 力を与える。 ヴァッスーラ どうしてあなたを選んだか分かるか?

 

いいえ、存じません、イエス。

 

では 教えよう。 あなたを選んだのは 無力だからです それに私が知っている誰よりもはるかに 最もみじめな者だからです。 みじめさは私をひきつける あなたを慰められるからです。 あなたは無力で足りないところばかりです、どの言葉も完全には身についていない。

 

主よ、私がそんなにひどいのなら、どうして導きのために私を選ばれたのですか?

 

前にも言わなかったか? 子どもたちは私の弱点です、なぜなら 形造るのを許してくれるからです。

あなたは 自分一人の力では成長することのできない儚い花です、そのあなたを通して 私の愛を現すために選んだ。 私はあなたを荒野の真ん中に見つけ 目を楽しませてくれる我が花園に植え替え、私の光のもとで育つようにした。 あなたに求めるのは 愛だけ、私を愛し 忠実でありなさい、あなたには真心を求める、私の心を満たすために あなたの心で尽くせるだけの愛をすべてほしい。 私は愛に飢えている、愛の主だからです、ですから あなたに求めるのは 愛だけです。 誰かを愛したなら いのちあるどの瞬間もその人と過ごしたいという望みで燃えないだろうか?

 

はい、それはそうです。

 

そこで あなた自身をすべて私に与えることほど 自然なことがあるだろうか?

来なさい、私のもとに来なさい、私はあなたの父、私がいなかったら あなたは無力なことを知っている、一人にされたらみじめで、あなた一人では弱いのも知っている、あなたを形造らせなさい あなたを通して私のメッセージを伝えたい。 ああ 娘よ、どんなに学ぶべきことが多いか。

 

分かっています。私は、何も知らないのを分かっております。

 

ヴァッスーラ 愛している、それを疑わないように、あなたの質問に答えよう。 私は自ら選んで私の花嫁となった人びとだけでなく、私を知らない人びとのもとにも来て彼らを選ぶ、どの戸口もたずねては 戸を叩く。 私は戸を叩き 聞こえるのを願いながら 待っている、ヴァッスーラ、すべての霊魂が私を受け入れ 喜び迎えてくれるのを首を長くして待っている。 あなた方皆を愛しているのです。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P38

‘87・11・10

 

「人類の上に私の種を蒔く時が来た、私のメッセージを推し進めなさい、あなたの引き受ける全てを助ける、みことばを知らせ、我が被造物にこの大きな愛を、限りない慈しみを 知らせなさい、 ♡ 私の支配は平和、愛と一致によるものとなろう、私は 無力でみじめな者、役立たずで言葉も出せないようなヴァッスーラを選んだ、 ♡ これも書くように(*)、

 

 

  次の分を仰しゃるのを聞いて、当惑と躊躇の思いで主のほうを見つめました。

 

 

そう、我が教会にたいする基本的な知識をなんら持たないため、白紙のカンバスのように、主である私が私だけのもので埋め尽くすことが自由にできた、書かれたものが全て私の口から出ていることが明らかとなるために、全てのわざは私によって成される、彼女を通して、私は彼女を通して話し、彼女を通して行動する ♡ 私は彼女を形造り、このメッセージを担うことができるように 私の全てのわざを注いだ、そしてそれはいずれ知られよう ♡ 私のメッセージを推し進めてくれるか? 私のためにそうしてくれるか? 思い出すように、私イエス、神の愛する子、全人類の救い主、そしてみことばが あなたを祝福している、あなたの仕事を祝福する ♡ 喜びに出会おうと 悲しみに出会おうと安心しているように、賛意を与える、いつも前を進み 導きながら ♡ 我が教会の一致は 私の栄光となろう! 血を流している私のからだの内奥にまであなたを導く、棘を指し示し、あなたはそれらを見分けるであろう ♡♡ 私の栄光のほかは関心を持たないように、私のわざを決して疑ってはならない、愛があなたの上に輝いている 愛する者よ、私を喜ばせるように努力しなさい、さあ、あなたの横に私はいる(I Am)」 ♡♡

 

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P7

‘89・9・30

 

我が子よ、私に依りかかり 私に抱く愛を味あわせなさい ♡ ああ 娘(こ)よ、あなたに求めるのは愛だけ、私の愛を受け入れなさい、あなたの祈りを香のように立ちのぼらせ、心を香に満たされた器に変容させなさい、私を喜ばせ、我が義をなだめて 最大の友から受けた傷を癒す者となるように、あなた方皆に抱く愛を感じなさい、私を喜ばせ、我が義をなだめて 最大の友から受けた傷を癒す者となるように、あなた方皆に抱く愛を感じなさい、幼児の−ような−信仰をもって信じ、決して合理的解釈をしようとしないように、そうするならあなたの目を覆う幼年時代−の−ヴェールをはぎ取ってしまうにすぎない。 我が神秘は神秘として尊ぶように、そして与えているこうした現存の仕方も 一つの神秘なのです ♡ あなたの心からの愛を最後の一滴まで与え尽くすようにとだけ願っている そして代りに 我が心からあなたの心を満たし続けよう ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P75

 

あなたに私の見分け方を教えた、ヴァッスーラ 私は どの言語もマスターできない人を選んだ、与えている言葉に頼る人を、あなたに聞くことを教え、耳を訓練しているのです。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P221

‘87・5・29

 

あなたの能力や知恵を 十分把握している、私の前にいるのが無であることを知っている 全く無であることを

 さあ、誤解しないように、私にとって無である者のほうがいいか それとも何らかの意味で私と張り合う者のほうがいいか? この地上に みことば そして私の望みを送るには、勿論 迷わず無である者のほうを選ぶ

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P83

‘87・12・26

 

私の声を聞き分けなさい、私の用いる道具に驚かないように ♡ 私はつまらない、無知な者 何も描かれていないカンバスを選んだ、これを覆う作品が私によるものだと 明らかとなるために、そしてこのたびは語っているのが神の愛する子、私イエスであることを信じるように ♡ 私の王国はあなた方のさ中に在る。 我がアベルたちよ、あなた方なら今度も私を見分けるであろう、ああ 愛する者たちよ どのように大切に思っているか! ♡ 間もなく私の計画を明らかにする ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P231

‘88・6・2

 

彼らは進んで私を否認し、私を顕すのに選んだ貧しい器に驚いて、あなたが私に遣わされた者ではないと言う、聖書にどう書かれてあるかを忘れて。*「私を探し求めていない者たちによって私は見い出され、私の助言を求めていない者たちに自らを現わした」

ゆえに私主は言う、頭ではなく、心を開きなさい!

 

   *イザヤ書65・1−2

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P121

‘89・2・15

 

♡ 私は卑しい者を呼び、死者を甦らせ、弱い者を励まし、罪人を追い求める。 多くの場合 神を持たない人びとを呼ぶ ♡ この人びと、今後は この人びとが、あなた方の言う 個人的メッセージとなる。決して書くのに疲れてしまわないように。 今のように思慮深く、いつでも まず相談しなさい。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P36‘89・11・9

 

  ・・ヴァッスーラ、いつから私を愛しているか?

 

「書く」ようになってから、お愛しするようになりました。守護の天使ダニエルの直ぐ後に、こうしたやり方で近づいて来られた時以来です。

 

私は「書く」ことを通してあなたのもとを訪れ「書かれた」ものを通して甦らせた、「書く」ことを通してあなたを形造り、「書かれた」ものを通して我が知識を教授した、「書く」ことを通してあなたを変容させ、「書かれた」ものを通して多くの 神を持たない人びとを改心させた、そしてこれもまた「書かれた」ものを通して、教会の現状をあなたに示し、「書く」ことを通して我が聖心を顕した。 与えているこの情熱があなたのもの あるいはあなたから来ていると どうして信じられようか?! 花よ! あなたを選んだのは これほどにもみじめだから そして我が教会からこれほど離れていたからです、あなたが死んでいたからであり、私の計画を成し遂げるのに 人間のいかなる力も聖性も要らないのを 世に示すためです(*)。聖書に書かれてある通りです:「神は知恵のある人を恥じ入らせるために、この世で愚かとみなされているものを選び出されました。神は、この世で取るに足らないもの、軽んじられているもの、つまり、無に等しいものを選び出されました。それは、何らかの場を得ているものを、無力なものにするためでした。」(1コリント書1・27−28)♡ 「天地の主である父、私はあなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを知恵ある人や賢い人には隠し、小さい者に現して下さいました。」(マタイ11・25) 平安でいなさい 我が子よ、私の平和と愛の十字架が 改心を求め、愛を求め、平和と一致を求めて叫んでいる。 私のわざとはこの人類に再び神聖をもたらすこと。 私のわざは我が慈悲から生じている。 この聖心に入って来て 憩いなさい 我がヴァッスーラ。 自由とは神を愛すること、私があなたを自由にした ♡

 *イエスは多分一気に、このすべてを仰しゃいました。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P161

‘91・7・23

 

私は聖なるがゆえ あなた方も聖なる生活を送るようにと思い出させるために、皆を集めようと あらゆる手を尽くしてきた、しかし私が語っても 残されたほんの一握りの者たちしか 振り向いてはくれない。私は あなた方が卑しいとする者たちを通して語った。 弱い器 貧しい者を通して語ったが、あなた方は彼らの道を案内する聖霊を、熱狂的と言えるほど、熱心に迫害する! 私は彼らを通して、粗布をまとった二人(*)、エリアとモーセの霊を送り、預言させ 我が大いなる再臨の前に、私の掟を思い出させようとしてきた。 私の名において語り あなた方を真理と 道理に立ち帰らせるようにと 彼らは遣わされた。 しかしあなた方の上には重い闇がひろがり 自分たちの知識を主張して 私の知識にとっては戦場と化した: 偽りが真理を迫害してきたが 今も迫害しつづけている、しかし聖書は偽らない。 深みから出てきた獣(*2)が 彼らに戦いを挑み 打ち負かせて殺す(*3)と言われてきた。 実にあなた方の戦場は 無実の血に染まっている、この世に属する者たちにとって 我が預言の霊は 災いのもととなったがゆえ(*4)。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7巻P177

 

御父と私は 私どものわざと 選ぶ貧しい道具ゆえに あなた方の哲学者や社会の傲慢な者たちを これからもあきれかえらせよう。 あなたを教えるのがたのしい。 そう、我が高貴な知識を与えるのは 今でもたのしい。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち8巻P235

 

無でしかない者に誰も期待はしない、一切のわざが私によってなされるよう 私は無学な子どもを選んだ。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち8巻P246

 

私は あなたが徳あるゆえに訪れたのではない、あなたに徳が全くなかった、人にあなたもそう話しているように、選んだ理由とは、みじめで無にひとしい者だっただけでなく、取るに足らない者で 聖心に関するあらゆる事柄に 全く無知だったためでもある、そう! 我が教会に関しても。徳ではなく 罪におおわれ、社会の肖(かたど)りであって 私自身の肖りからはほど遠いあなたは、天使たちの目にもおぞましく映っていた!

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P129

‘00・10・16

 

あなたが無に等しくみじめであったゆえ 我が被造物の花婿なる、私は、はるばるあなたのもとに身を屈めた、我が言葉にたいして 無学な(*3)子どもであったにもかかわらず。 どんな神聖な言葉にたいしても 何ら教育を受けてはおらず無頓着であったが、それでもなおこの一切の泥濘(ぬかるみ)の下に、あなたをよく調べると、我が聖なる名にたいする 高貴な火花が見えた。

 

*3主はそう望まれて、英語の代わりに「analphabet」というフランス語を使われました。

 

 

 

 

4.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P203

 

5.また、わたしは、真摯な心でわたしを探し求める者たちに、わが言葉(聖書)をもって自らを現わしめている。わたしが人を救うために人の姿をとったように、霊であり命であるわが言葉もまた、人の言葉で書かれている。つまり、霊感的要素と人間的要素がそこで一つにされている。

 だが、人はわたしを理解しないのと同じく、わたしの言葉を理解していない。ヘブライ語とギリシャ語の知識でそれを理解することが必要なのではない。必要なのは、預言者と使徒たちにそれを書かしめた聖霊との交わりである。聖書の言葉は、疑いもなく霊的であり、世の批判に通じている者であれただの子供であれ、聖霊によって生まれた者のみが、よくそれを感得しうるのである。霊的言語は人の母国語でもあるため容易に理解できるはずなのだ。だが、この世の知恵しかもたないものは、聖霊を受けていないため、それを理解することはできない。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P429

 

また、福音書の記者たちがキリストを誇張して書いている。という批評家たちもいる。キリストの弟子たちは、凡庸な漁夫たちがほとんどで、特別な文学的才能をもたなかったことを思い出した方がいい。彼らは、手段としての生涯を書くにあたって、誇張するどころか、主に関する数え切れないほどの事実を書き落しているのである。主と三年間交わりをもったあとでさえ、主の生命を与える言葉の数々を繰り返しきかされたあとでさえ、御国の意味についても、三日後に復活したことの意味についてもわからずにいたことを考えれば、彼らの理解の程は知れるというものだ。このような凡庸な人々が、想像力を働かせてキリストの生涯に事実を付け足したなど、考えられるものだろうか。あらゆる時代、あらゆる国々のあらゆる層の人々が、この物語を読んだだけで人生を一変させ新しいものとなったことを考えればなおさらである。この物語は、人間の魂の渇きを知ってそれを満たされてきた。神のお働きなのである。

 それだけではない。弟子たちに、いったい文学的才能というものがあったとすれば、1―生涯(誕生、死、復活、昇天)、2―教えとたとえ話、3―超自然力と奇蹟、4―体験談と見解という具合に、もっと順序立てて福音書を書けたはずである。だが、彼らにはそれができなかった。それは、神の導きに従って、何らの技巧も用いず、いっさい付け加えをしない単純な方法で、自分たちの体験したキリストの実在を、世界に提供しようと努めたからである。

 

 

 

 

5.ルイザ・ピッカレータ

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/2巻P51

 

「慎ましく純朴な人びとに私を伝えよう。その人たちは無学で貧しくとも、私の恵みをすぐに信じ、それをとても大切にしてくれる。

 あなたが見ている目の前の人びとは、あまり好きではない。私に正しく近づくための鍵は、信仰だからです。その人たちは、知識、教義、また聖性があっても、天の光を決して感じないのです。つまり自然の道を歩んでいるので、少しも超自然的存在に触れることがない。これこそ私が地上で生活している間に、学者、祭司、権力者などは一人も私の弟子にせず、無学で身分の低い者だけを弟子にした理由です。人はへり下って純朴であればあるほど、私のための大きな犠牲が簡単だからです。」

 

 

 

6.スウェーデンボルグ

 

 

イエスの十二人の弟子たちについて

 

霊界日記1216

 

 木星から来ている者たちに教える目的から、霊たちの間で、(イエスの)弟子たちについて、漁師といった、身分の低い人間がいかような理由から選ばれて、学者たちの間からはたれ一人選ばれなかったのかと、詮議されたが、わたしはこうしたかれらの問いを聞いたため、ここに以下のことを言って良いであろう、当時学者の多くは全くくだらないものといったものに溺れてしまい、それで無学な者たちのようには、信仰に属している事柄を受ける、または信じることはできなかったのであり、それで無学な者たちが学者らにもまさって選ばれたのである。

 

 

 

霊界日記1217

 

 十二人が選ばれたことは、弟子の各々がイスラエルの種族が表象したものを表象したためであった、かくてペテロは知的な信仰を、ヤコブは仁慈を、ヨハネは仁慈の実を表象し、同じく他の者たちも表象する者であったのであり、それでその表象している事柄に似るような者が選ばれたのである。1748年[60歳]3月7日。

 

 

 

霊界日記1462

 

かくて彼らは文字の表現を主張し、それを彼ら自身の偏見に従って説明し、時には外的な事柄を、時には内的な事柄を取り上げ、かくてその両方の意義を歪め、利用して、それを彼ら自身の見解にたわめてしまうのである。ここに理解されているように見える人物らは聖言の内的な、またさらに内的な意義を迫害する者らであり、特に自分自身は他の者たちよりも学問がある、と考えている者らである。彼らは他の者たちを彼ら自身に較べて軽蔑すると同時に誇り、身体と世の物を求めるのである。こうした霊らが内的な意義を表象している彼を迫害したことが意味されているように見えるものである。何かこうした迫害がその(内意に根差した)教義にふりかかるか否かは私には未だ分からない、少なくとも無学な者たちはそのようなことは行いはしない。1748年〔60歳〕3月16、17日。

 

 

 

霊界日記1604

 

しかし濫用〔誤用〕は以下の事実から生れるのである、すなわち、哲学者たちは言葉〔用語〕の中にとどまって、それについて論争して協定に達しはしないことから、事物そのものの観念の一切が死滅してしまい、その人間の理解が極めて限定されてしまい、ついにはその人間は用語を除いては何ごとも知らなくなってしまうのである。従ってこうした人物が何かの主題をその用語により把握しようとするときはその用語を積み重ねるのみで、事柄の全体を曖昧なものにしてしまい、かくてそれについては何一つ絶対的に理解することが出来なくなり、彼らの自然的な光さえも消滅してしまうのである。かくて無学の人間がその哲学者よりも遥かに広汎な観念〔考え〕を持ち、真理をさらに良く認めるのである、なぜならこうした者は豚のようにぬかるみの中につかって、そのため彼はそうした種類の動物の形を、野獣の形をとるように表象されたからである、なぜなら彼は真理においては森の中のいのししとなり、そうした獣のようにぶらつきまわり、真理の手足を切り取って、殺してしまうからである。

 

 

 

 

7.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1973.9.27

 

 ああ子よ、あなたはまだ解っていない。私が愚かな者を選ぶのは、博学な人を当惑させ、弱い者を選ぶのは強い者を打ち破るためだということを。

 

 

 

聖母から司祭へ1979.9.29

 

 私が知恵の精神を分け与えるため、この自分の汚れなき心の中に集めるのは、いつも小さな人、貧しい人、謙遜な人々の大群です。それは、ほかでもありません、いつわりの学問と、そして自惚れと虚栄の精神に惑わされてしまった人たちの傲慢をくじくためなのです。

 

 

 

8.ヨゼファ・メネンデス

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P151

 

 “おまえはいろいろの方法でへり下ることができる。第一に、御憐れみをひろめるために、おまえにとって身分不相応であるにもかかわらず、おまえを用いようとする神のみ旨を礼拝することによって・・・。第二は、おまえは功徳もないのに、わたしの聖心の修道会に、おいていただけることを感謝することによって・・・。そのことについて、決して呟いてはならない。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P310

 

“まずわたしが選んだ人々と、わたしに奉献された人々に語ろう。その人々はわたしの聖心の憐れみとやさしさを、託された霊魂に教えるためによく知る必要がある。人々に、わたしが限りなく正義の神であると同時に、慈悲深い父であることを、わたしの選んだ者たち、浄配、修道者、聖職者たちは憐れな霊魂に、わたしの聖心がどれほど愛に満ちているかを教えるのだ。このことをおまえに徐々に教えよう。おまえの惨めさ、小ささ、無価値がわたしの光栄となるために。わたしがおまえを愛するのは、おまえが何物かであるためではなく、何でもないもの、すなわち、惨めさとつまらなさであるから、わたしの偉大さ、親切をいれる場所があるからなのだ。”

 

 

9.主は選り好みなさらない

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P267

‘89・9・28

 

では耳を開いて我が婚姻の歌を聞きなさい、あなたが何で出来た者かを知っている: 塵と灰、頭を持ち上げて その暗やみから出て来なさい、私を見るように・・・ 私はあなたを甦らせた者、霊魂をおだやかな静けさの中に置く者、腕の中に包んで霊魂を護っている、我がもとにまで引き上げようとして すべてを与えた。 私は無限の慈しみを現し 我が杯から飲むのを許して好意を示した、そうであろう? 私を喜ばせようと努めなさい、娘よ、我が道を探し求めなさい、私の道は聖である、そこで何でもないことに不平を言わないように気をつけなさい、いつもそばにいて 道を案内して来た、常に単純な心で私のもとに来なさい 我がヴァッスーラ、あなたの地上の日々は過ぎ去る影、消えてなくなる一時的な通り道でしかない。 地上のものは何も残らない。 では私の金言を守り 掟に従いなさい、我が最も貴重な宝石をゆだねた、それを護り、抱きしめ しっかりと身につけておくように、我が平和と愛の十字架は霊魂にとって甘美な苦悩となろう、我が十字架を分かち合いたいという思いは 私と同様あなたのうちにも熱烈に燃え上がろう、我が十字架にたいする渇きは 私と同じように大きくなろう。今はもう私が愛をどう現すかを悟ったようだ、そう、あなたが苦しむのを許している。 霊魂よ! あなたの不毛を 溢れる泉とした、私に対する冷淡さを優しさに変えた、無関心を 我が十字架にたいする情熱に、無気力を あなたの故郷と御父にたいするノスタルジアに変えた、霊魂よ 歓びなさい! 王はあなたの亡骸を包んでいた布をほどき ラザロを復活させたように あなたを甦らせた: あなたを所有するために、

 

ああ イエス、あなたは本当に選り好みなさらないお方ですね!

 

私があなたを選んだ ♡ 一緒に天の王国を嗣ぎ それを分かち合ってもらいたい。 私のするわざはどれも我が栄光のため ♡ 見なさい! あなたはもう自由になった 我が鳩よ、私はあなたの主であり あなたは我がもとに常にやって来て 聖心のうちに いつでも憩いを見出すであろう、我が聖心はあなたの巣 そして避難所、見たであろう? あなたの主人が誰であり 何を求めているかを見分けるように訓練した ♡ あなたの主人 そして王はこれからは愛をあなたに求める、来なさい、我が愛を返しなさい、鏡のように我が愛を反射しなさい、愛ゆえに 私を愛してほしいがためにあなたを創造した、決して何があろうとこれを忘れないように ♡♡♡