福音書の成立
1.アグレダのマリア
2.マリア・ヴァルトルタ
3.サンダー・シング
1.アグレダのマリア
第三章
福音書
アグレダのマリア/神の都市/P318〜323
いつも書きますように、私は聖母のなさったあまりにもたくさんのことを全部書き記すことはできません。福音書の成立にあたり、聖母が取り計らって下さったこと、福音書に記されるべきあらゆる神秘について聖母は良く知っておられたことは特筆に値します。この知識を聖母は何度も頂きましたが、特に御子の御昇天の時に頂きました。その日以来、聖母は何度も主の御前に平伏し、使徒たちや福音史家たちに神の光を与え、時期が熟した時、書くことを命令して下さるようにお願いしました。
前章で述べたように、聖母は天に挙げられ、主より教会を委託された後、高間に戻り、割礼などに関する討議、決定すべき会議の前に祈りに入られました。その時、主は聖福音を書く時が来たので、教会の女主人としてそれを取り計ることを聖母にお命じになりました。聖母は深い謙遜から、主の代理者兼教会の頭である聖ぺトロがそれをすべきことで、そのように重要なことに関して神の啓示を頂くべきことを主から同意していただきました。会議が割礼の問題を解決した後、聖ぺトロは我らの救世主にして師なるキリストの御生涯の神秘を書き記す必要性について参会者たちに提案しました。書物ができれば、使徒たち、弟子たちは、信者たちに相違しない同じことを説教し、古い律法を廃止し、新しい律法を樹立できます。
このことは、聖ぺトロが聖母に前もって相談してあり、全参会者の賛成を得ました。一同は聖霊に祈り、誰が書くべきかを聖霊に指示していただくことにしました。すぐに光が聖ぺトロの上に降り、御声が聞えました、「司祭長なる教会の頭が、世の救い主の御業と御言葉を記録する者、四人を任命すべし。」聖ぺトロと全員は平伏して主に感謝します。全員起き上がると聖ぺトロは話します。「我らの愛すべき兄弟マテオが自分の福音書を御父、御子と聖霊の御名により書き始めなさい。マルコが二番目で、同様に福音を御父、御子と聖霊の御名により書きなさい。ルカが三番目の福音を御父、御子と聖霊の御名により書きなさい。我々の最も愛すべき兄弟ヨハネは、御父、御子と聖霊の御名により、我らの救世主なる師の神秘を記す第四番目、最後になります。」この決定が主により承認されたことは、聖ぺトロの宣言がもう一度繰り返され、任命された者たちにより承諾されるまで天の光が聖ぺトロに留まっていたことにより確かめられました。
聖マテオは二、三日後に最初の福音を書き始める前に、高間の奥の部屋で祈り、主の歴史の初めについて啓示を願っていると、偉大な威厳と光輝の玉座に腰かけられた聖母が、ドアが閉められているのに入って来られます。聖母は彼に立ち上がるようにおっしゃいます。彼は立ち上がり、聖母に祝福を願います。聖母は申されます、「私の僕なるマテオよ、あなたが福音を書くという幸運を頂き、神の祝福により福音を書き始めるようにいと高き御方が私をお遣わしになりました。あなたは聖霊の御助けを頂きます。私の全心からそれを請い願います。しかし、人となられた御言葉の受肉と他の神秘を現すため、そして、主の教会の基礎として世界に主の信仰を確立するために絶対必要なこと以外は書かないで下さい。この信仰が樹立された後で、主の強力な御手が私になさった神秘と祝福を信者たちに示す他の人々を、後ほど主は見つけられるでしょう。」聖マテオは聖母の指示に従う意志を明らかにし、福音を作成するとことを聖母と話していると、聖霊が目に見える形で降りて来られます。聖母のそばで聖マテオは書き始めます。聖母が去られた後、書き続け、ユダヤで書き終えます。ヘブライ語で書き、完成したのが我らの主の四十二年目です。
福音史家マルコは、主の生誕後四十六年目に自分の福音をヘブライ語でパレスチナで書きました。書き始める前に自分の書き始める意図を聖母に知らせ、神の啓示を得て下さるように聖母に願うことを守護の天使に頼みました。聖母はお聞きになり、主は直ちに天使たちに、最も美しい光輝く玉座に聖母をお乗せし、聖マルコの許にお連れするように命じました。聖母の前に平伏し、聖マルコは言いました、「救世主の御母なる全被造物の女主人様、私は御子と御身の僕であり、御身の御来訪の価値がない者です。」聖母はお答えになります、「あなたが仕え、愛するいと高き御方は、あなたの祈りが聞き届けられ、聖霊があなたの福音を書くにあたってお助けになることを保証するため私をお遣わしになったのです。」聖母は聖マテオにおっしゃったように、聖母御自身のことは書かないようにおっしゃいました。即座に聖霊が目に見える輝く姿となり、聖マルコの上に御降りになり、お包みになり、内的啓示により満たされました。聖母のおられる間に聖マルコは書き始めました。その時、聖母は六十一歳でした。後に、聖マルコはローマの信者たちのためにもラテン語で書きました。
聖母が六十三歳になられた年、聖ルカはギリシャ語で福音を書きました。聖ルカが書き始めようとした時、聖母が出現されました。人となられた御言葉の受肉やキリストの自然な母としての威厳について書くことになりました。聖霊が聖ルカの上に御下りになり、聖母のそばで聖母から直接事実を教わりました。聖母が玉座に腰かけておられる姿を書くことは、聖母の御要求通りしませんでした。その時、聖ルカはアカイアに住み、長い間、聖母と一緒でした。
最後で四番目の福音史家、聖ヨハネは主の暦で五十八年の時、聖母の被昇天の後、ギリシャ語で、異端や誤謬に対し書きました。聖母の被昇天の後、ルシフェルたちは御言葉の受肉の信仰を弱めるため異端の種を撒いたのです。この信仰は過去において彼らを征服したからです。このため聖ヨハネは我らの救世主キリストの真で疑うことのできない神性を論証したのです。
聖ヨハネが書き始めようとした時、聖母は天から降って来られました。全階級の何千もの天使たちがお供しました。聖母はお話しになります、「ヨハネ、私の息子、いと高き御方の僕よ、全人類が御子を永遠の御父の御子として、真の神として、そして真の人間として認めるようにあなたが書く時が来ました。私の神秘や秘密を書く時はまだ来ていません。世の中は、私を偶像崇拝するかもしれませんし、ルシフェルは救い主や聖三位の信仰を頂く人々を混乱するかもしれません。聖霊があなたを助けるでしょう。」聖母は聖ヨハネを祝福し、聖ヨハネを生涯守ることを約束し、天にお昇りになりました。聖母が神の知識と神の知的幻視により高められるにつれ、教会に対する世話と気配りも多くなりました。日々、信仰は地上に広がりました。真の御母なる先生として、使徒たちのことを心から気遣いました。聖ヨハネと聖小ヤコボ以外は全員、会議後エルサレムを離れました。聖母は使徒たちが外国で苦労することを心配しました。司祭として、御子の使徒として、教会の創立者として、教義の説教者として、いと高き御方の光栄に仕える者として選ばれた者としての使徒たちに最高の崇敬の気持ちを持っていました。聖母は天使たちに、使徒たちや弟子たち全員の世話をし、苦労している時は慰め、困難に当っては助けるように指名しました。使徒たち、弟子たちが今何をしているか、着物が不足していないか、天使たちに報告してもらいます。聖母は、彼らがエルサレムを出る時、着ていた物と同じ着物をいつも着れるように手配されました。これは御子の着ておられた物と同じ形と色の着物です。天使たちの手を借り、御自身の手で上着を織り、天使たちに、旅に出ている使徒たちに届けてもらいました。使徒たちは主と同じような格好で、主の御教えや御生涯について説教しました。食物に関しては、彼ら自身で托鉢するか、自給するか、施し物をもらうか自分たちで決めさせました。
異邦人、ユダヤ人や、悪人たちをいつも唆す悪霊たちによる迫害から、使徒たちは天使たちにより助けられます。聖母の御名により、天使たちは人の姿になって彼らに現れ、慰めます。時には心の内部に働きかけます。牢獄から救い出したり、危険や罠について警告したり、旅に付き添い、場所や人に応じて何をすべきか教えたりします。天使たちは全てを聖母に報告します。聖母は、大変な労働をされ、使徒たちの全労働よりももっとされます。聖母が使徒たちや教会のために奇跡を行なわない日も夜もありません。これら全ての他に聖母は使徒たちに手紙を何回も書きます。天からの勧告や教義、慰めや力づけのための手紙です。
アグレダのマリア/神の都市/P323
元后の御言葉
私の親愛なる娘よ、いと高き御方の司祭を畏敬、尊敬しないベリアルの娘たちから離れなさい。司祭、主により聖別された者、キリストを代表する者、キリストの御体と御血を聖別する者が、悪徳、不純、現世的女たちに仕えることは何ということでしょうか? 貧乏人の司祭は金持ちの司祭よりも威厳がもっと少ないですか? 私の御子が司祭や司牧者に与えるものよりも、金持ちはもっと多くの威厳、権力、優秀さを与えるでしょうか? 天使たちは司祭の高められた威厳を尊敬します。
司祭が自分の威厳を忘れ、他の人たち、特に女たちに奴隷奉公するなら、司祭は大変罪深く、批難されるべきです。司祭が貧乏人であるので、金持ちが司祭を僕として奉仕させることは、私にとり大変不愉快なことです。神の母として私の威厳は偉大ですが、私は司祭たちの足許に平伏し、司祭たちの歩いた所を接吻したことを大いなる幸福と考えます。天国の玉座から、私は司祭に同じ崇敬を捧げます。司祭が祭壇に面しているか、又は手に最も祝された御聖体を手に取っている司祭のことを考え、敬うのです。
2.マリア・ヴァルトルタ
マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/9卷下P112/594・9
律法学者や、サドカイ派や、わたしの僕たちに悪感情を持つ人たちからいつもぶつけられる反論を防ぐために言います、最近のビジョンに、福音書に書かれていない文があること、たとえば、今日のビジョンの最後で、実をつけないイチジクの木について話したことなどを、批判する人たちがいるなら、思い出してほしいことがあります。当時の福音書記者たちは、あの民族に属し、対立が目立てば、新参者に対する悪影響や暴力を引き起こしかねない時代に生きていたのです。
使徒言行録を読み直すならば、色々な思想を持つ人が融合して不和が生まれたことが分かるはずです。彼らは尊敬し合い、互いの長所を認めていたにもかかわらず、意見の相違は避けられませんでした。人間の考え方は多種多様で、常に不完全だからです。考え方の不一致による亀裂が深まるのを防ぐために、聖霊に照らされた福音書記者たちは、ヘブライ人の感情を過度に傷つけたり、異邦人たちを呆れさせたりすることがないよう、いくつかの文を意図的に省きました。異邦人たちには、ヘブライ人が完全な人だと信じる必要がありました。彼らは、教会を生む核となった人たちですから、『彼らもわたしたちと同じか』と愛想をつかせたくなかったのです。キリストへの迫害を知らせるだけでじゅうぶんでした。堕落してしまったイスラエル人、特に上層部の人たちの、霊的病気については、できる限り隠したかったのです。
福音書が、わたしのヨハネの明晰な福音書へと、次第に明瞭になっていった過程を見るべきです。それらは、わたしが御父の所へ昇天した後に書かれました。ヨハネだけが、使徒集団の最も苦痛な欠陥までも詳細に語っています。ヨハネだけ、ユダを『盗人』と公言し、ユダヤ人たちの卑しい行動についてもすべて報告しています(第六章ーわたしを王にしようという下心、神殿での議論、天からのパンについての説教の後に多くの者が背を向けて去ったこと、トマの不信など)。最後まで生きて、教会がじゅうぶんに強くなったのを見た彼は、ほかの者たちが持ち上げることのできなかったベールを上げることができました。
でも今、神の聖霊は、これらの言葉も知られるよう、お望みです。そのことで、主が祝福されますように。なぜなら、これらは、正しい心を持つ人たちに、多くの光と導かれる導きとなるからです」。
サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P426
学者の批評や反論は、真実よりも個人の憶測に頼っていることが多い。批評家が学者だからといって、批評が学問的とは限らず、仮説や推測に基づくため、受け入れるに値しないことの方が多いものである。彼らの説の中には天の光を反映するものもあるかもしれないが、同時に地獄の火を反射するものも多いのである。そこで、学識ある批評家すら、自分自身の誤りと幻想のとりこになる場合が少なくない。彼らの地上的知恵と哲学そのものが、霊感を受けた聖書記者たちの深い霊的意味を知るのを難しくしているのである。彼らは、文体や年代、記者の特長といった外側の殻ばかりをつつき、「実在」という核は調べずにいる。
これに対して、真の実在の探求者は、聖書にまったく異なる取り組みをする。彼は実在との交わりのみを願い、いつ、誰の手によって福音書その他が書かれたかというような、ささいなことにはとらわれない。使徒たちが聖霊に動かされて書いた神の手にしていること、その真理たる証拠は歴史や論理に拠るものではないことを、彼らは知っている。真理には古いも新しいもない。それは永遠である。さらに、このような真理の探求者は、心の糧と永遠の生命を求めているので、それをモーゼ、ダビデ、イザヤ、エレミヤから学ぼうが、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネから学ぼうが問題ではない。彼が求めるのは実在のみである。神との交わりの中に彼は真の生命を見出し、神における永遠の満ち足りをみる。
サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P429
また、福音書の記者たちがキリストを誇張して書いている。という批評家たちもいる。キリストの弟子たちは、凡庸な漁夫たちがほとんどで、特別な文学的才能をもたなかったことを思い出した方がいい。彼らは、手段としての生涯を書くにあたって、誇張するどころか、主に関する数え切れないほどの事実を書き落しているのである。主と三年間交わりをもったあとでさえ、主の生命を与える言葉の数々を繰り返しきかされたあとでさえ、御国の意味についても、三日後に復活したことの意味についてもわからずにいたことを考えれば、彼らの理解の程は知れるというものだ。このような凡庸な人々が、想像力を働かせてキリストの生涯に事実を付け足したなど、考えられるものだろうか。あらゆる時代、あらゆる国々のあらゆる層の人々が、この物語を読んだだけで人生を一変させ新しいものとなったことを考えればなおさらである。この物語は、人間の魂の渇きを知ってそれを満たされてきた。神のお働きなのである。
それだけではない。弟子たちに、いったい文学的才能というものがあったとすれば、1―生涯(誕生、死、復活、昇天)、2―教えとたとえ話、3―超自然力と奇蹟、4―体験談と見解という具合に、もっと順序立てて福音書を書けたはずである。だが、彼らにはそれができなかった。それは、神の導きに従って、何らの技巧も用いず、いっさい付け加えをしない単純な方法で、自分たちの体験したキリストの実在を、世界に提供しようと努めたからである。
サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P326
今から二週間ほど前にパレスチナにいたとき、わたしはこう思いました。「主はここでお教えになった。あれほどの偉業をされたのなら、弟子たちのために自らの手で何かを書き残すこともできたはずである。なぜ、何も書かれなかったのか」。それは、主の御言葉が、すなわち霊と生命とが信者の心の中に生き続けることを、ご存知だったからです。主は、何一つお書きにならず、弟子たちに書くよう求めもされませんでした。「わたしはいつまでも彼らとともにいる」。主は、わたしたちを罪から解き放ってくださるお方です。弟子たちは、聖霊に動かされて書いたのです。