孤児

 

1.孤児

2.わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない

3.孤児の母・マリア

 

 

1.孤児

 

天界の秘義3703(18)

 

父を持たない者たちにより聖言の内意に意味されている事柄もまた知ることができよう、すなわち、無垢と仁慈の状態の中にいて、善いことを知り、また為そうと欲してはいるものの、そのことができない者たちが意味されているのである。教会の外にいる者たちはとくにこのような状態にいるのであり、主はかれらに心を用いられて、他生で子として採用されるのであり、これらの者が「孤児」により意味されているため、それでこれらの者が聖言に記されているときは、多くの記事の中には「宿る者」、「やもめ」もまた言われているのである。なぜなら「宿る者」により善と真理とを教えられつつある者たちが意味され(1463)、「やもめ」により善の状態の中にはいるが、真理にはそれ程いない者が、また真理の状態の中にはいるが、善にはそれ程おらず、それでもその中にいようと欲している者たちが意味されているからである。

 

 

天界の秘義4844[5]

 

この記事にも、他の幾多の記事のように、宿る者[寄留者]、孤児、やもめがともに組み合わされて言われているが、それは『宿る者』により信仰の諸真理を教えられることを願っている者たちが意味され(1463、4444番)、『孤児』により真理のない善の中にいるが、真理により善へ導かれようと願っている者が意味され、『やもめ』により善のない真理の中にいるが、善により真理へ導かれようと願っている者が意味されるからである。この三人の者は聖言のここにまた他の所にもともに組み合わされて言われているが、それは以下の理由によっているのである、すなわち、内意ではかれらが共に組み合わされると、かれらにより、教えられて善と真理へ導かれようと願っている者たちが意味されているからには、かれらは一つの部類を構成しているのである。

 

 

天界の秘義4844[6]

 

 さらに

 

 孤児の父、やもめの審き人は、その聖い住居の中にいます神である(詩篇68・5)。

 

『孤児』は、小さな子供たちのように、無垢の善の中にいるが、まだ真理の中にいない者たちを意味しており、その父は主であると言われている、なぜなら主はかれらを父として導かれ、しかもそれは真理を通して善の中へ、すなわち、生命の善の中へ、または知恵の善の中へ入れることによって行われるからである。『やもめ』は大人として真理の中にはいるが、未だ善の中にはいない者たちを意味しており、その審き人は主であると言われている、なぜなら主はかれらを導かれ、しかもそのことは善を通して真理の中へ、すなわち、理知と知恵の真理の中へ入れることにより行なわれるからである。なぜなら『審き人』により導く者が意味されるからである。『孤児』であるところの真理のない善は真理の教義を通して知恵の善となり、『やもめ』であるところの善のない真理は善の生命を通して理知の真理となるのである。

 

 

天界の秘義4844[8]

 

 エレミア記には―

 

 審判[公道]と公正を為し、掠められた者をしえたげる者の手から救い出し、宿る者[寄留者]、孤児、またはやもめをあざむいてはならない、暴行も行ってはならない、この所で罪のない血を流してもならない(エレミア22・3)。

 

ここにも、また『宿る者[寄留人]、孤児、やもめ』により霊的にそのようなものである者たちが意味されている、なぜなら霊界または天界では、宿る者、孤児、やもめのたれであるかは知られてはいないのであり、世ではそうした境遇にあった者たちはそこではそのような境遇にはいないのであり、それでこうした言葉が人間により読まれると、それらはその霊的なまたは内なる意義に従って天使たちにより認められるからである。

 

 

霊界日記2226

 

 主の慈悲は一切の者に遍く注がれてはいるものの、天使たちに向ってはさらに豊かに注がれている、なぜなら彼らはみなし児であり、またやもめであるからである、すなわち、彼らは主以外には父を持たないし、夫も持たないからである、なぜなら彼らは彼ら自身に頼りはしないからである。1748年〔60歳〕6月6日

 

 

 

 

霊界日記4587小

 

 孤児は無垢の中にいる者である。やもめは仁慈の中にいる者たちであるが、しかしこうしたこと柄はそうしたものであるか、否かは聖言から認められなくてはならない。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P180

‘92・12・7 オーストラリア

 

この背教はあなた方を乞食のようにさせ 自らを父なし子と思い込ませた・・・何と気の毒な!

 

2.わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない

 

ヨハネ14・18−19

 

わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P187

 

 ヨハンナ、心を高く上げなさい。私はあなたたちの家の中にいます。忘れてはいけません、私が去ってもあなたたちを孤児として残すことは決してありません。私の家、私の教会を残し、そこには“善い訪れ”と私の言葉、私の愛が住みます。

 最後に、偉大な賜物として聖体を与えます。それはあなたたちを養い、慰め、力づける私自身です。

 

 

3.孤児の母・マリア

 

マリア・ヴァルトルタ/天使館第4巻上P92

 

「彼女を、平和のある場所に、汚れのないのそばで、生命であるキリストを世に与えるべく得た生命ほどのあの方のそばで、多くの霊魂が生まれ変わる場所に導いたのは、あなたの苦しみです。あなたの妹はわたしのところにいます。ああ!生ける、マリアの甘美な一条の光が射した後、その彼女の御子の、口に出さない活動的な愛ゆえの愛の懐に呼ばれ、あなたの妹が平和の、あの平和の港に帆をたたんだのは彼女が初めてではありません!あなたの妹はナザレにいます。」

 

「でも、妹はあなたお母様も、あなたの家も知らないのに、どうやって行ったのでしょう?・・・一人で・・・しかも真夜中に・・・あのまま・・・どんな手段もないのに・・・あの服を着て・・・あれほどの道程を・・・どうやって?」。

 

「どうやって?疲れたツバメがふるさとの巣に戻るように、海を越え山を越え、嵐と霧と厳しい風の中を。ツバメが越冬地に飛んで行くように・・・自分たちを導く本能によって、自分たちを招く暖かさによって、自分たちを呼ぶ太陽によって。彼女もまた、自分を呼ぶ光のもとへ駆けつけました・・・万人を招くのもとへと。そして、わたしたちは暁に幸せに戻ってくる彼女を見るでしょう・・・永遠に暗闇から脱け出して、もう二度と孤児(みなしご)ではないように、ひとりのわたしの傍らに。あなたはそれを信じることができますか?」

 

「はい、わがよ」。