磁石

 

 

『はなれないこと』は愛と慈悲

主のスフィアは人間を天界に引き寄せる

われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え

 

 

 

 

1.引き寄せる

2.反発

3.磁化

4.サンダー・シング

5.ヴァッスーラ

6.聖母から司祭へ

 

 

 

1.引き寄せる

 

天界の秘義2228

 

 全地球の中のあらゆる人間が『地のあらゆる国民』により意味されていないことはたれにでも明白である、なぜならかれらの中には救われない者が非常に多くいて、ただ仁慈の中にいる者のみが、すなわち、仁慈の生命に達した者のみが救われるからである。

 

 

天界の秘義2228 []

 

このすべては信仰の何であるかを、すなわち、それは仁慈であることを示している、なぜなら信仰の教義のものであると言われているものはことごとく仁慈に導くのであって、仁慈の中にそれらのものはすべて含まれており、仁慈からそれらのものはすべて派生しているからである。霊魂は、身体の生命の後では、その霊魂の愛のあるがままに止まるのである。

 

 

スウェーデンボルグ/新エルサレム27

 

いかようにして人間の合理的なものが妊もり、また生まれるか(2094,2524,2557,3030,5126番)。これは人間のもとにある知識と科学の中へ主が天界を通して流入されることにより行なわれ、そこから高揚が生まれてくる(1895,1899〜1901番)

 

 

 

天界の秘義5893[2]    真理に対する情愛

 

この間の実情は以下のごとくである。善が働くためには自然的な心の中に真理が存在しなくてはならないのであり、真理は純粋な愛のものである情愛により導入されなくてはならないのである。何であれ人間の記憶の中に在るものはことごとく何らかの愛により導入されて、そこにその愛と連結してとどまっているのである。信仰の諸真理もまた同じであり、もしこの諸真理が真理を愛する愛により導入されているなら、その諸真理はこの愛と連結してとどまっているのである。それらが連結すると、そのときは以下のようなことが起こるのである。もしその情愛が再現するなら、その情愛と連結している諸真理も同時に現れてくるのであり、もしその諸真理が再現するならば、その諸真理と連結しているその情愛そのものも同時に現れてくるのである。それで人間の再生の間には―再生は成人期に行われるのである、なぜならそれ以前では人間は信仰の諸真理については自分自身からは考えないからである―かれがかれ自身に真理であると印象づけた諸真理の中に留めおかれることにより、またその諸真理が連結している情愛におけるその諸真理により、主から天使たちにより支配されており、そしてこの情愛は、すなわち、真理を愛する情愛は善から発しているため、かれはそのようにして徐々に善へ導かれるのである。

 

 

 

天界の秘義5893[3]

 

それがそうであることは多くの経験からわたしには明白なのである。なぜならわたしは、悪霊らが悪と誤謬とを注ぎ入れると、そのとき主からつかわされている天使たちはわたしをすでに植えつけられている諸真理の中に守って、わたしを悪と誤謬から守ったからである。このことからまた、真理を愛する情愛により内に根をはっている信仰の諸真理は天使たちが働きかける面となっていることが明らかとなったのである。それでこの面を持たない者は天使たちにより導かれることはできず、地獄により導かれるままになるのである。なぜならその場合天使たちの働きは何処にも固定することはできないで、流れ通ってしまうからである。しかしこの面は信仰の諸真理が実行され、そのことによって意志の中に植えつけられ、意志を通して生命の中に植えつけられないかぎり、得られることはできないのである。以下のこともまた記すに価しよう。すなわち、人間のもとに在る信仰の諸真理へ天使たちはめったに明らさまには働きかけはしないのである。すなわち、その真理について考えることをかきたてるようには働きかけはしないのであり、その真理に一致している事柄を全般的に考えることが、情愛とともに生み出されるのである。なぜなら(天使たちの)この働きかけは認知できない流入により行われ、その流入は視覚に示されると、流れ入ってくる光のように現れ、その光は善における無数の諸真理から成り、その諸真理は人間の中の何か単一な物を取り囲んで、人間を真理の中にとどめおきつつも、またその真理を愛する愛の中にとどめおくからである。このように、天使たちは人間の心を誤謬から高揚させて、かれを悪から守るのである。しかしこうした事柄は人間には全く知られてはいないのである。

 

 

 

 

2.反発

 

 

天界の秘義1950[]

 

 純粋な合理的なものはことごとく善と真理から、すなわち、天的なものと霊的なものから成っている。善または天的なものはその合理的なものの霊魂または生命そのものであり、真理はまたは霊的なものはそこからその生命を受けているものである。天的な善から発している生命がないなら、合理的なものはここに記されているようなものとなり、すなわち、それはすべてのものに反抗して戦い、すべてのものはそれに反抗して戦うのである。合理的な善は、いかに攻撃されても、決して戦いはしない、なぜならそれは[合理的な善は]おだやかで、優しく、忍耐強く、素直であるからである、なぜならその性格は愛と慈悲のそれであるからである。それでもそれは戦いはしないけれど、すべてのものを征服するのである、またそれは争闘については決して考えないし、また勝利のために誇りもしない、そのことはそれが神的なものであって、それ自身により安全であるためである。なぜならいかような悪も善を襲うことができないからである、悪は善が存在しているスフィア[霊気]の中には存続することすら出来ない、なぜならこれが単に近づいてくるのみで、悪は悪自身によって後退して、後に倒れてしまうからである、なぜなら悪は奈落的なものであるが、善は天界的なものであるからである。天的な霊的なものの場合も、すなわち、天的な起原から発している真理の場合も、または善から発している真理の場合も非常にそれに類似しているのである、なぜならこの真理は善により、形作られている真理であって、それは善の形と呼ばれてもよいからである。

 

 

 

天界の秘義7519〔2〕

 

こうした事柄における実情のいかようなものであるかは啓示されなくては知られることは出来ないのである、なぜならそれらは他生で起るものであって、世では知られていないからである。悪霊、または奈落の霊は天界から、即ち、天界に存在している愛の善と信仰の真理から遠ざかり、または分離している限りは、彼らは自分たちが悪と誤謬との中にいることを知らないのである、なぜなら彼らはその時誤謬は真理であり、悪は善であると信じているからであるが、しかし天界が、即ち、天界の或る一社会が彼らに近づくや否や、彼らはその誤謬と悪とに気づくのである、なぜならその時流れ入って来る信仰の真理は彼らにその誤謬を気づかせ、流れ入ってくる愛の善は彼らにその悪を気づかせるからであり、その天界が近づくに応じて、またはその天界の愛の善と信仰の真理とが更に身近に流れ入るに応じて、彼らはそれらに堪えることが出来ないため、益々彼らは痛烈に自分自身の悪と誤謬を咎められるのである。

 

 

 

天界と地獄479

 

時々私は、ある単純な善良な霊が悪い霊に真理と善とを教えようとしたが、悪い霊はその教えからはるか遠くへ逃げて行き、自分自身の仲間のもとへ来ると、自分の愛に一致した誤謬を大喜びで受け入れるのを見ることが出来たのである。

 

 

 

神の摂理211

 

「神的摂理は何人もその存在を殆ど知らない程に秘かに働く理由は人間が滅びないためである。なぜなら人間の意志である人間の自己性は神的摂理とは決して協力せず、人間の自己性はそれに対して生れ乍らの敵意を持っているからである、なぜならこれが最初の両親を誘惑した蛇であって、それについては、『私はおまえと女との間に、おまえの裔と女の裔との間に敵意をおこう、彼はおまえの頭を砕くであろう』(創世記3・15)と言われているから。蛇は凡ゆる種類の悪を意味し、その頭は自己愛であり、女の裔は主であり、人間の自己性と主の間には、それ故また人間の深慮と主の神的摂理の間には敵意が置かれている、なぜなら人間自身の深慮は絶えずその頭をもたげ神的摂理は絶えずそれを押さえつけられているからである。もし人間はそれを感じるなら、彼は神に向かって怒り、憤激し、滅びるであろう、しかし彼はそれを感じないため、人間に対し、自分自身に対し、運命に対し怒り、憤激することは出来るが、しかしそのために滅びはしないのである。この理由から主はその神的摂理により絶えず人間を自由の中に導かれ、この自由は人間には全く人間自身のものとして見えている。」

 

 

 

 

3.磁化

 

 

天界と地獄523注

 

人間は善と真理との中に生まれないで、悪と誤謬との中へ生まれ、かくて神的秩序の中へ生まれないで秩序に反したものの中へ生まれ、従って全く無知の中へ生まれている、それゆえ人間は新たに生まれ、即ち再生しなくてはならないが、そのことは主から神的諸真理により行なわれ、かくして彼は秩序へ再び連れ返される、1047、2307、2308,3518、3812,8480,8550,10283,10284、10286、10731。主は人間を新たに作られるとき、即ち、再生させるとき、彼のなかなかに凡ゆる物を秩序に応じて、即ち、天界の形に配列させる、5700、6690、9931、10303。

 

 

 

 

4.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P155

 

神は愛の本源である。世界を宇宙空間に保ち続けている引力は、いわば、愛であり神に本源を発する霊的引力の物的表現である。磁石が鉄を引き寄せるのは、鉄が磁力に対する感応力をもっているからである。金はこれに反応しない。金は貴金属であっても磁力に対する感応力をもたないからだ。同じように、神は心底悔い改め神に感応した者を、罪の重さに関わりなく御元に引き寄せ、自分を義人と思い込み神の愛の支配力に心開かぬ者たちは引き寄せにならない。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P357

 

しかし、磁石が鉄を引き寄せても、金や銀を引き寄せないように、キリストの十字架は、心底悔い改めてキリストに帰る必要に迫られた罪人は引き寄せても、自分自身の善行を信頼し、キリストなしで生きることに満足している人々は引き寄せない。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P278

 

この世において霊的心をもつ者が苦しむというのは、真理を味わうことができないために性格が歪み、隠れた罪によって霊的識別力を失ってしまった者たちが誤解するからである。この種の人々は、正しい人間を前にすると違和感を覚えて本能的に敵対せざるをえなくなる。だが、神に敏感な感性と良心をもっているその人は、似た心の人を前にすれば互いに引き寄せあう神の生命をそこにみる。

 

 

 

 

5.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P154

 

目覚めたあかつきには 私があなたの最愛の者、天国、エデンの園であり 私のうちに あなたは生き得ることを悟ろう。 あなたの心に置いた、我が光のうちに、私のわざの荘厳を見いだし、我が聖なる名を讃美しよう。 あなたに注ぐ 私の眼差しが磁石のようだと分かるだろう、そして 私はあなたを見て歓ぶ、私自身の反映、あなたのうちなる私自身を 見ていることになるがゆえ・・・そこでこう告げに訪れても 驚かないように:

 

「今や私が あなたのうちなる統治者 そして私は あなたのうちに私自身を見いだすほかは望まない。 あなたのうちなる私の現存は、私への炎のような欲求と渇きに火をつける。 私は 薔薇の芳しい花束のように 私を慕う溜息をすべて吸い込もう、それは人間によってなされた背きから私を宥めてくれる。

 

私は全き者ゆえ あなたも全き者となってほしい。 読んだであろう、<町の住人は皆、その首長に倣う・・・>と。

 

 

 

 

6.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1980.4.24

 

聖霊は、私にとって磁石のようです。私を、おん父とおん子のあいだの愛のいのちの奥深くにひきよせてくださいます。そのため、私は、内的に変化し、聖霊の花よめとなるまで、聖霊に似てくるのです。