異邦人の方が基督教徒より救われる

異邦人の教会

キリスト教徒以外でも救われる

異邦人も暗黙のうちに主を崇拝している

人間は死後、天使たちから教わる

 

 

 

 

 

天界の秘義2284[]

 

仁慈の生命は他の人のことを親切に考えて、その者に良かれと願うことに在り、また他の人もまた救われるという事実から自分の中に喜びを認めることに在るのである。しかし自分が信じているように信じる者以外にはたれ一人救われないことを欲する者らは仁慈の生命を持ってはいないのであって、特にそれがそうではないことに激怒する者らは仁慈の生命は持ってはいないのである。このことは、基督教徒よりも異邦人が多く救われているという事実のみからでも認めることが出来よう、なぜなら自分の隣人のことを親切に考えて、これに善かれと願った異邦人は、他生では基督教徒と呼ばれる者よりも良く信仰の諸真理を受け入れて、主を基督教徒よりも良く承認するからである。なぜなら天使たちには地上から他生に入ってくる者に教えることにまさって歓ばしい、また祝福されたものは一つとしてないからである。

 

 

 

神の摂理328(ニ)

「にも拘らず主は凡ての者が救われるように配慮されている」。

 

 凡ゆる所に何らかの宗教が存在し、宗教は凡て救いの二つの本質的なものを、すなわち、神に対する信仰と悪を神に背くものとして避けることを教えるように主により配慮されている。理解に属し、従って思考に属し、信仰と呼ばれている他の凡ての物が凡ての者にその生活に応じて提供されている。何故なら信仰は生活の事柄であるから。信仰が生活の事柄とならない中は、例えそれがその前に得られたとしても、それは真に生きたものとはならない。また善良な生活を送り、神を信じた者は凡て死後天使により教えられるように定められており、世で宗教のこの二つの本質的なものに従って生きた者は聖言に含まれた教会の真理をその時受け入れ、主を天界と教会の神として承認する、彼らは主の人間性はその神性から分離しているという考えを世から抱いて行った基督教徒よりも容易にそのことを信じる。