記憶知真理

 

 

 

天界の秘義1551

 

 「銀に」。これは真理を意味していることは『銀』の意義が真理であることから明白である。最古代の人々は人間の中の善と真理とを金属に譬え、主に対する愛に属した最も内なるまたは天的な善を金に、その善から発した真理を銀に譬えたが、しかし低いまたは自然的な善を銅に、低い真理を鉄に譬えたのであり、彼らは単にそれらをそのように譬えたのみでなく、同じくそのように呼びもしたのである。ここから時代の期間もまた同じ金属に譬えられて、金の時代、銀の時代、銅の時代、鉄の時代と呼ばれたのである、なぜなら時代はこの順序で互に継続したからである。金の時代は天的な人である最古代教会の時代であり、銀の時代は霊的な人である古代教会の時代であり、銅時代はそれに続いた教会の時代であり、これに鉄の時代が続いたのである。

 

[2]聖言の内意では、『銀』は、それが記されている所では常に、真理を意味しており、またその対立した意義では誤謬を意味している

 

 

[5]『銀』は真理を意味するように、それはその対立した意義では誤謬を意味している、なぜなら誤謬の中にいる者は誤謬が真理であると考えているからである、そのこともまた予言者の書に明白である。モーセの書には―

 

  あなたは罠にかからないために、諸国民の銀と金をむさぼってはならない、またそれをあなたに取ってもならない。それはあなたの神エホバの忌み嫌われるものであるからである、あなたは嫌忌し、それを嫌忌しなくてはならない(申命記7・25、26)。

 

『諸国民の金』は悪を、その『銀』は誤謬を意味している。