断食

 

人のための祈り煉獄テレビ

 

 

1.聖書

2.パンと水の断食

3.禁欲のわざ

4.悲嘆、苦悶

5.主の断食

6.犠牲

7.行い

8.ヴァッスーラ

9.聖母から司祭へ・・・テレビの断食

 

 

 

1.聖書

 

イザヤ58・3

 

何故あなたはわたしたちの断食を顧みず

苦行しても認めてくださらなかったのか。

見よ、断食の日にお前たちはしたいことをし

お前たちのために労する人々を追い使う。

見よ

お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし

神に逆らって、こぶしを振るう。

お前たちが今しているような断食によっては

お前たちの声が天で聞かれることはない。

そのようなものがわたしの選ぶ断食

苦行の日であろうか。

葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと

それを、お前は断食と呼び

主に喜ばれる日と呼ぶのか。

 

 

 

イザヤ58・6−12

 

わたしの選ぶ断食とはこれではないか。

悪による束縛を断ち、くびきの結び目をほどいて

虐げられた人を解放し、くびきをことごとく折ること。

更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え

さまよう貧しい人を家に招き入れ

裸の人に会えば衣を着せかけ

同胞に助けを惜しまないこと。

そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で

あなたの傷は速やかにいやされる。

あなたの正義があなたを先導し

主の栄光があなたのしんがりを守る。

あなたが呼べば主は答え

あなたが叫べば

「わたしはここにいる」と言われる。

くびきを負わすこと、指をさすこと

呪いの言葉をはくことを

あなたの中から取り去るなら

飢えている人に心を配り

苦しめられている人の願いを満たすなら

あなたの光は、闇の中に輝き出で

あなたを包む闇は、真昼のようになる。

主は常にあなたを導き

焼けつく地であなたの渇きをいやし

骨に力を与えてくださる。

あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。

人々はあなたの古い廃墟を築き直し

あなたは代々の礎を据え直す。

人はあなたを「城壁の敗れを直す者」と呼び

「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ぶ。

 

 

 

イザヤ58・13

 

安息日に歩き回ることをやめ

わたしの聖なる日にしたい事をするのをやめ

安息日を喜びの日と呼び

主の聖日を尊ぶべき日と呼び

これを尊び、旅をするのをやめ

したいことをし続けず、取り引きを慎むなら

そのとき、あなたは主を喜びとする。

わたしはあなたに地の聖なる高台を支配させ

父祖ヤコブの嗣業を享受させる。

主の口がこう宣言される。

 

 

 

マタイ9・14−15

 

そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。

 

 

 

 

 

2.パンと水の断食

 

 

エリザベット・サント/愛の炎/P112

 

1980年8月15日聖母マリア被昇天の祝日

断食の必要性と祝福

 

 イエズスと、神のおん母聖マリアは、交代にわたしにお話しになりました。そして、もし私たちが、マリアがおすすめになった効力のあるすべての手段を使う覚悟があれば、マリアの愛の炎の恵みの川がどれほど豊かにわたしたちにますます注がれるかということを知らせてくださいました。

 神のおん母のみことばは、しっかりした、まじめな、しかも、わたしの内心に愛にみちた調子で話されました。

 神の母は、司祭たち、奉献された人たち、そして、全世界の信者たちが毎月曜日、パンと水だけのきびしい断食を守るようにたのまれました。 

 イエズスのみことば―全世界の教会は大きな危険にさらされています。地上的な手段と努力だけでは教会を助けることが出来ないのです。

 聖三位だけが、神の母と、すべての天使、聖人とともに、また、あなたたちに助けられた煉獄のすべての霊魂の援助で戦う[地上の]教会をまだ助けることができます。

  神のおん母のメッセージの説明―このメッセージによれば、司祭たちが月曜日にパンと水だけのきびしい断食を守れば、その一週間のうちに奉げる各ミサのあいだ、聖変化のときにたくさんの霊魂を煉獄から救い出すでしょう。

 奉献された人も信徒も、この同じ断食を守るなら、その一週間のあいだあずかる各ミサで、ご聖体をいただくその瞬間にたくさんの霊魂を煉獄から解放するでしょう。

 神のおん母のすすめ―飢えに苦しむ必要はありません。自分の必要に応じて、パンと水をとることができます。パンに塩味がついていてもよいし、トーストにしてもよいのです。また、その人の健康状態に必要なビタミンと薬をとってもよいのです。

 聖母のみことば―きびしい断食を規則的に守る人は、それを午後六時まで守るだけで十分です。しかし、その日にロザリオ一環を唱えるようにしなければならないのです。

 

 

 

ヴァッスーラ/花むこから花嫁への呼びかけ/天使館/P66

 

すべては計られています。水曜日と金曜日にはパンと水で断食するようにと聖母は頼んでおられます。もしそれが健康上などの正当な理由でできないときは、他の方法でも断食はできます。たとえば、口を慎むようにしてみて下さい。噂話をやめるという意味です。あるいは人を裁くのをやめるようにして―それは大変難しいことですが。

 

 

 

ルネ・ローランタン、リュデヴィット・ルプツィッチ共著/メジュゴルイエにおける聖母マリアの出現/P250

 

この断食は深い信仰を育み、祈りに対する心の態勢を整えてくれる。この断食はメジュゴルイエから発して世界の教会に広がり、その成果を確認した何千人というキリスト信者に伝わった。

 教会法の大斎と小斎の規定を廃止しようとする者があるなかで、ヨハネ・パウロ二世は断固断食を保存することを望んだが、出現は教皇の意志を支えることとなった。

 メジュゴルイエでの断食は極端な厳しい断食ではなく、中庸を得た節制である。

 聖母は子供たちに向かって、「パンと水だけをとるのが一番良い断食ですよ」と言った。

 その小教区の習慣と子供たちの返事から、果物を食べるのは許されていることが分かった。しかし、もちろん、卵や魚や、他の物は禁止されていた。それでも別に身体が衰弱することはなかった。断食は喜びと平安のうちに実行された。昔、信仰にもえた修道院のなかには、断食の直前に、普段一日で食べる食事の量よりも多くを一回だけで食べるというような無思慮なことがなされたことがあるが、その時の不安な悲壮な顔付きはメジュゴルイエでは見られなかった。正しい断食をする者は空腹を感じることはなく、普段の三回の食事にごく僅か食べるだけですむのである。そのような断食は毒素を除去し、精神を清め、神の賜物に心を開くのである。(中略)

六人の子供たちは実験的役割りを果たした。彼らの模範は急速にまた広範囲に広まった。大部分の家庭では週に一日か二日だったが、断食のため料理する必要がなくなり、かなりの暇が生じたので、祈りの方に心が向けられることになった。

 

 

 

3.禁欲のわざ

 

 

ヴァッスーラ/花むこから花嫁への呼びかけ/天使館/P66

 

今の時代、聖母は多くの場所で出現なさっています。それは私たちに正気を取り戻させ、目を開かせようとするためです。「私たちは神の似姿に象られて創造された者です」ということを伝えるために。「どうしてその似姿を汚してしまうのですか?どうしてその似姿を聖なるものとしておかないのですか?」これが聖母からのメッセージです。「祈りなさい。祈って断食しなさい、断食は悪を取り去ってあなた方を清めます。」

 それだけでなく、断食は犠牲になります。この犠牲によって他の人びとも聖性へと連れ戻すことができるという意味なのです。すべては計られています。水曜日と金曜日にはパンと水で断食するようにと聖母は頼んでおられます。もしそれが健康上などの正当な理由でできないときは、他の方法でも断食はできます。たとえば、口を慎むようにしてみて下さい。噂話をやめるという意味です。あるいは人を裁くのをやめるようにして―それは大変難しいことですが。

 では断食とは何でしょう?それは好きなことを我慢して自分自身に与えないということです。自己を否定することです。テレビが好きなら二日間はテレビを見るのをやめようとか(私にとっては苦手なのですが)、コーヒーが好きならコーヒーなしで過ごそうとか。断食とは食を断つことだけではありません。

 

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/1巻上P124

 

聖母:禁欲のわざ、特にたばことテレビからの断食を私に捧げてください。

 

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/1巻上P160

 

今度はキリストを信じる家族に申します。『あなた方は私に禁欲のわざを捧げなければなりません。特に性の犠牲を、非常に喜ばしい禁欲のわざとして私は受け取ります』。また義務にしばられない自由時間は、お祈りに費やされますように!

 

 

 

聖母から司祭へ/1987.3.4

 

この輝かしい歩み

 わたしが、これほど愛し、これほど守っているわたしの子らよ、わたしが示した道を歩いて、わたしについてきなさい。それは、悔い改めと、つぐないの道です。

 わたしが願う悔い改めは、イエズスが、福音書のなかで願っておられるのと同じものです。

 悪と傲慢、利己主義と罪の悪い道から遠ざかりなさい。あなたたちが生きている世界は、神とその愛のおきてに対する反抗が歓迎され、宣伝され、ほめたたえられ、生活の新しい基準としてたてられていますが、この世界では、毎日、罪と憎しみ、暴力と堕落、利己主義と不潔のぎせい者となるわたしのあわれな子らが、どれほどたくさんいることでしょう!

 大罪は、あなたたちを神から遠ざけ、神のいのちと恵みの貴重なおくりものを霊魂から奪い、あなたたちを、邪欲と悪徳のどれいにし、いざないに対して弱くし、悪魔が自由に働けるように道を開きます。こうして、悪魔は、ますますあなたたちを占領し、度を知らない傲慢、憎しみと分裂、邪欲と不敬を広めるための道具にします。

 もし、あなたたちが、善と神の恵み、愛と聖徳との道を歩むために、勇気と力をもってとりかこんでいる世界に反対するならば、まことの悔い改めを実現するでしょう。

こん日、わたしの子らはみな、改心して、福音を再び信じ、福音に従って生き、福音の知恵によってだけ導かれるようにしなければなりません。今ある日々は、あなたたちの悔い改めに適した日々です。 

恵みとあわれみ、希望と期待にみちた日々です。

 これらの日々は、すでに、あなたたちをまちかまえていること、予告された偉大な出来事を準備する日々です。それで、わたしは、苦業とつぐないの業を毎日するようにと願います。

 つぐないは、三つの異なった方法でわたしの心にささげなさい。

 まず内的つぐないを、私に与えなさい。自分自身と、その邪欲にうち勝ち、ほんとうに従順なけんそんな、小さな者、わたしの計画に従いやすい者となるために、この内的つぐないをはたさねばなりません。

 ときとしては、あなたたちが、母としてのわたしの招きに反抗を示し、わたしが願っている従順、けんそん、克己にまで達していないのを見て、わたしの心は悲しむのです。なぜなら、救いとあわれみのわたしの計画を実現するために、あなたたちには、これが必要だからです。

 次に、わたしに、沈黙のうちに毎日つぐないを奉げなさい。それは、自分の生活のどんな場合でも、自分のすべての務めをけんそんに、忠実に、完全に果たすことによってできるのです。もしこのように実行するとしたら、一日のうちに、苦しみと、それを奉げるどれほどたくさんの貴重なチャンスがあることでしょう。

 あなたたちのほほえみ、明るさ、おちつき、忍耐、がまん、ぎせいを捧げることこそ、沈黙のうちに行われる真のつぐないとなり、あなたたちの存在に、どんな場合にも、より大きな価値と光を与えることでしょう。

わたしは、外部的なつぐないも願います。それは、邪欲を支配し、五官をおさえ、特に目と舌、耳などの感覚を制限することによって得られます。 

あなたたちを取り囲んでいる多くの悪、あなたたちの道を汚しているたくさんの不潔なことをみてはなりません。

霊魂の中に光を保ち、あなたたちの生活に専心と黙想と祈りの時間をもっと持てるように、テレビを見ることをぎせいにしなさい。

すべての人に、愛と謙遜な奉仕の精神を持って善を広めるためにだけ話すように舌をおさえ、こうして、あなたたちのうちにも、まわりにも、沈黙を守りなさい。

批判や不平や悪口、ざん言をさけなさい。

人をさばき、有罪にしやすいいざないに負けてはなりません。

こん日、日ましに激しくなり、人々を困惑と無味乾燥に導く雑音に、耳も心も閉じなさい。

あなたたちの食欲を最も刺激するものをひかえ、そして、肉体の断食さえも守って貪食をおさえなさい。

イエズスは、福音書の中に、この断食を要求しておられますが、わたしも、こん日これを願います。

あなたたちが、わたしの示すこの道を歩むとしたら、あなたたちの生活の日々は、主の祝福をうけ、心の平和と魂の潔白に導かれるでしょう。

こうして、あなたたち自身が、わたしの生きたことばとなって、世界に濃くなってきた大きな暗闇の中にあっても、わたしの現存の光をどこにでも運んでいくことでしょう。

悔い改めと、つぐないのこの輝かしい道へと、たえずわたしは、あなたたちを導いていますが、それにしても、もはや実現が迫っている神のあわれみの偉大な奇跡の準備となる今のこの日々に、わたしは、とくにつよく、呼びつづけるのです。

 

 

 

シスター・エマニエル/メジュゴリエの証言者たちP359

 

聖母が最も高く評価される断食は私たちが罪を断念するときである。「罪を拒否しなさい」と聖母は言われる。

 

 

 

マザー・テレサ/日々のことば/女子パウロ会/P306

 

パルシー教徒と結婚したヒンズー教の女性がやって来て、3歳になる口の利けない自分の息子のために私の祝福を求めました。私は彼女に尋ねました。「何か、あなたにとってとても捨て難い大事なものがありますか?」その子の母親は答えました。「ええ、噛みタバコです。それはもう私にとって、やめることのできない習慣となっています」「それを、あなたの犠牲として神にささげなさい。そして、あなたの子どもの回復を祈りなさい」と私は言いました。彼女はそのとおりにし、それから3か月後、その子は話し始めて、徐々に全く問題のない状態になりました。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P

‘90・1・31

 

♡ 絶え間なく 心を込めて祈ることを学び、断食と 償いをするようになさい。 月に一度は告解しに行くようになさい。 

 

 

 

 

4.悲嘆・苦悶

 

 

天界の秘義9954

 

「あなたは、断食するときは、頭に油を注ぎ、顔を洗いなさい、断食していることが人間に現れないで、秘かにあなたの父に現れるためである」(マタイ6・17、18)

 

「断食すること」は悲嘆にくれることを意味している。

 

 

 

黙示録講解730ニ

 

「イエスが四十日四十夜断食されたとき」(マタイ4、ルカ4)

「断食すること」はここでは試練の争闘の中に在るような苦悶を意味している。

 

 

 

デボラ/生ける神より明かされた英知/5巻下P20

 

1999年8月17日

 あなたに言う。私は弱い人たちの苦しみを通して、強い人たちを断食状態に置くだろう。彼らが私の威厳を体験しなくてもすむように、あなたの祈祷を私に与えなさい。(お声の調子は、特別に厳しいものです)。私は、激烈な地震の罰を制止することはしないだろう。その時のために準備しなさい!

 

 

 

 

5.主の断食

 

 

黙示録講解730ニ

 

「イエスが四十日四十夜断食されたとき」(マタイ4、ルカ4)

「断食すること」はここでは試練の争闘の中に在るような苦悶を意味している。

 

 

 

 

6.犠牲

 

 

デボラ/生ける神より明かされた英知/5巻下P111

 

 イエズス:[私はあなたに、ますます苦しい犠牲を要求するだろう]

デボラ:「お受けいたします!」

イエズス:「あなたの性格を直すために努力するという、あの犠牲だ」

 

 

 

メジュゴリエの証言者たち/シスター・エマニエル/ドン・ボスコ社/P104

 

「愛する子どもたち、あなたを助け、あなたからサタンを追い出すために、私はあなたに犠牲を求めます。」(1986年9月)

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P7

‘89・9・30

 

♡ 今しばらく私の十字架を担って 休ませてくれるように。 我が子たちに知ってほしいと思う 五感と身体に苦行を課すなら、そのいっさいを我が天的わざに用い、あなた方の犠牲を煉獄から霊魂たちを救い出すのに用いる、改心するように地上の霊魂たちの心を温め、あなたの霊魂を清める、捧げるすべてを償いとして用いる、我が義をなだめ それが燃え上がってあなた方を撃つことから防ぐ、それは私を和らげる、和らげる・・・我が慈悲(いつくしみ)は大きい。

 

 

 

7.行い

 

 

イザヤ58・3

 

見よ、断食の日にお前たちはしたいことをし

お前たちのために労する人々を追い使う。

見よ

お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし

神に逆らって、こぶしを振るう。

 

 

 

イザヤ58・6

 

わたしの選ぶ断食とはこれではないか。

悪による束縛を断ち、くびきの結び目をほどいて

虐げられた人を解放し、くびきをことごとく折ること。

更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え

さまよう貧しい人を家に招き入れ

裸の人に会えば衣を着せかけ

同胞に助けを惜しまないこと。

 

 

 

天界の秘義5433

 

「裸」

自分自身の中には善と真理とは何ら存在していないことを承認している善い者たち(4958)

 

「裸の者に着物を着せる」

真理を欲する者たちに真理を教えること

 

「着物」

真理(1073,2576,4545,4763,5248,5319)

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/第3巻中/P155

172・8

 

 祈りについて語りましたが、断食についても話しましょう。断食をする時、偽善者のように暗い顔つきをしてはなりません。彼らは断食していることを人びとに見せるために、暗い顔つきをします。彼らはすでにその報いを受けているのです。しかしあなたたちは断食する時、涼しげで滑らかな肌になるようにたっぷり水を使ってよく洗い、髭に油を、髪に香油を塗り、血色のいい口許に笑みを浮かべていなさい。おお! 実際、愛ほど体を養う食物があるだろうか? また愛の霊をもって断食する者は自分を愛で養うのです! また愛の霊をもって断食する者は自分で自分を養うのです! まことにあなたたちに言います、たとえ世があなたたちを『見えっ張り』と言おうが、『収税人』と言おうが、はあなたたちの英雄的秘密を御覧になり、二重の報いをあなたたちにお与えになるでしょう。断食そのもののためと、断食のために誉められないという犠牲的行為のために。

 

 

 

 

.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P197

‘90・7・30 ロードス島、聖ネクタリオの修道院で

 

さあ、あなた方の多くは正しい道から逸れ 胸のうちに罪を隠し持ち、私を受けるのを怖れている、告解し 自らを解放しなさい、真に悔い改め 清らかさと聖性のうちに私が受けられるように 断食しなさい ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P70

‘92・5・1

 

 私は言った: 「この小さい華奢な少女を用いて 多くの霊魂から侵略者を追い払おう。」 その後 あなたと私は約束し合った、あなたは平和のために働き 地の果てまでこだまするように 我が愛を宣言すると、そして私はあなたの弱さを通して 滅びのふちにいる者たちを呼び集め、脅しや侵略者を前に あなたを果敢な者にすると。 そしてあなたを通し 背教者たちを追い詰めよう。 こうしてから、あなたのうちにこの時代を和解させ 一致にまで至らせる。 私はすでに 敵のくわだてを妨害しようと思っていたため、あなたの霊魂を私に同意させ 最初から強くする必要があった。 私は言った: 「あなた自身をはじめから聖化し 生まれたらすぐ断食するように、私はそう望む: 生まれて直ぐには 光を与えない(*)。三日三晩は闇の中にとどまる、このような断食をさせる。」

 

  私は生まれたとき眼が閉じたままで、開きませんでした。三日たってやっと開いたのです。母は眼がないのではと恐れ、聖パラスケヴィ(ギリシャ正教の聖人で、眼の保護者)に助けを祈りました。そして「ヴァッスーラ」のうしろに彼女の名を命名すると誓ったのです。パラスケヴィはギリシャ語で: 金曜日という意味です。

あなたの使命

 

 

 

9.聖母から司祭へ・・・テレビの断食

 

 

聖母から司祭へ1984.5.13

 

 つぐないと断食で苦行しなさい。

 わたしの好む断食は、悪や罪からの断食で、タバコ、アルコール、映画、テレビなどを放棄する断食です。あなたがたの内的清さを堕落させて、心の中に悪のたねをまき、大いに心を散らせるようなテレビの番組を見てはなりません。

 肉体の断食も願います。少なくともときどきするようにしてください。わたしの子イエズスが、福音の中で、「ある種の悪魔は、祈りと断食によらずには、どうしても追い出せない」(マルコ9・29)と要求しておられることでも、分かるでしょう。

 

テレビ

 

 

 

聖母から司祭へ1988.2.17

 

 テレビを見て、時間を無駄についやさないように。テレビは、どこにでも罪と不潔の暗闇を広めるために、わたしの敵が使ういちばん強い武器です。

 テレビは、黙示録の中に記されているその偶像です。その偶像は、世界のすべての国から礼拝されるためにつくられた物で、悪魔は、それに形と活力を与えます。悪魔の手の中で、いざないと腐敗との恐ろしい武器とするためです(黙示録13・15参照)。

 

 

 

 

10.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P47

 

彼はまた、断食が自分の性格に決定的影響を与えたといっている。

「四十日の断食を試みるまでは、自分は度々誘惑に襲われた。あなたがわたしについての本を書かれるときには、わたしの弱さも書かなければならない。疲れているときに人々から話しかけられたり、くどくど質問されたりしたときには、きまって苛立ったものである。今もそれが多少はあるが、断食前とは比較にならない。人は、そのようなことには気づきもしなかった。大したことではないというが、それでも自分にとっては、けっして持ちたくない欠点なのだ。これは、多くの困難と猜疑心の原因になったが、逆に、この欠点によって自分を低くすることができたのかもしれない。それは、ちょうど、聖パウロのいった“肉の中の刺”のようなものである。これは、同じものではないか、とよくわたしは思う。あるいは、まだ肉体から脱け切れずにいるためかもしれないが、そうでないことを願いたい。断食前には、また他の誘惑にも悩まされた。飢えや渇きに苦しんだとき、わたしはよく不平を鳴らし、なぜ与えてくださらないのかと主にたずねたものである。主は、いっさい金を携えるなといわれた。だが、お金さえあれば、何でも買えたからである。しかし、断食をしてからは、同様な困難の下でも、“これは父の御心である”、“自分はそれに値する何かをしたのだ”といえるようになった。

 また、断食前の自分は、苦しみを伴うサードゥーの生き方を捨て去り、家に帰って結婚し、楽な生活をしたい、という誘惑にも駆られた。それでも善良なクリスチャンであり続け、神との交わりを保てるのではないかと。だが、断食後に、確かに他の人々にとっては、金や家を持ち楽な生き方をすることは罪ではなくとも、自分に対する神の御心は違うことがはっきりした。主のお与えになったエクスタシーは、どんな家屋敷よりも快い。他のどのようなものにも増して素晴らしい歓喜がそこにあるのだ。わたしの真の結婚相手はキリストである。結婚はよからぬことだと人々にいっているのではない。しかし、すでにキリストとつながれているのに、どうして他の人と結婚できようか』」