人のための祈り

 

 

 

1.マリア・ワルトルタ

2.ヴァッスーラ

3.サンダー・シング

4.シルワン

 

 

 

 

1.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P212

 

アグラエのことを気づかうアンドレアに、イエズスが:

「知っているとも、アンドレア。事態はこのようになってしまいましたが、おまえの望みはかなえられます。そのためになされる祈りが消えるはずがない。神はそれを聞き入れ、彼女は救われます」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P189

 

 母親として、また一人の女としての彼女の祈りのお陰で、あなたは神の御許にあわれみを得ました。

 

 

 

マリア・ワルトルタ36・8/天使館第1巻P318

 

多くの人は祈り、聖体わたしを拝領する『まあまあの』信徒であり、霊魂の必要やの栄光のためではなく―なぜなら祈りにおいてエゴイストでない者は稀だからである―多くの人は『彼らの』必要のために祈り、聖体を拝領し、どんな些細な苦しみからも守られて、楽な幸せな物質的生活を要求するでしょう。

 

 

 

 

2.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/花むこから花嫁への呼びかけ/P27

 

ほかの人たちのために祈るのは、自分自身を犠牲にすることと同じです。その愛はキリストの愛に似てきます。キリストの愛はご自分にたいする利害を一切含みません。それは霊魂を救うために自分を完全に明渡す愛、なのです。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P33

‘88・9・18

 

わが神よ(*)?

 

 *神があまりに慕わしく 地上に残された未亡人のような心境です。

 

私です、私を愛しなさい、怖れないで、歯向かう時にだけ恐れなさい。 愛のどの雫も 煉獄の霊魂たちを救うのに使われる、私を熱心に愛することで その炎を打ち消し(*)、苦悶から開放する、その時やっと私は彼らを受け入れることができる、そこで私を愛しなさい、望みなさい、礼拝し、一人ずつ彼らを開放しなさい。 愛は天の力を一つに結集させる それは自由といのちの鍵であると 人類は理解しなければならない。 なぜサタンがあなたを憎むかがもう分かったか? 我がヴァッスーラ、私に寄りかかっていなさい、何も無駄になってはいない ♡ 「私たち」?

 

永遠に いつまでも

 

 *イエスがこう仰っている時、炎に包まれている何人かの霊魂の手の炎が消されるのが(幻視で)見えました。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P194

‘90・7・27 ロードス島

 

お会いした修道士の一人は、イエスがどのように苦しまれるかを説明した時、涙を流されていました。

 

来て 私の胸に耳を当てなさい 我が息子よ、そして心臓の鼓動を聞き取りなさい、どの鼓動も霊魂を一人呼び求め、ちょっとでも微笑み、思い浮かべてくれるようにと懇願している・・・私にでなく 死んで腐敗しかけているあなたの兄弟、姉妹たちのために、涙を流しなさい、私にでなく・・・御父が彼らに 我が理解の霊をお送り下さるようにと祈りなさい、それがないなら 彼らはどうやって改心できようか?

 

 

 

 

3.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P227

 

8.口先だけでわたしを讃え敬う者たちの祈りと、心からそうする人々の祈りとは、まったく異質なものである。例えば、真の信仰者は、目が開かれるように、真理を受け入れるようにと、絶えず人のために祈る。一方、名ばかりの信者は、わたしの真の信仰者への憎悪の中で、相手の目がくらむようにと祈ることが多い。最後に、真の信仰者の祈りは神の愛の御心によってきき届けられ、かつては偽善者に過ぎなかった人間が霊的な目を与えられるようになる。彼は歓びに満ちて真の信仰者となり、わが真の下僕、忠実な友となる。

 

 

9.祈りは、他の方法によってはなし得ない事柄を可能にする。そして、祈りの人はこの世の知恵と法則に逆らうばかりか、まったくもって不可能とされているような奇蹟を体験する。万物に秩序を保たせそこに法則を与えた者が、自らの法則に束縛されはしないということを、科学者は知らずにいる。大いなる法の制定者のとる方法は計り難きものである。その永遠の意志と目的は万物を祝福し栄えさせることにあり、並みの人間にこの事実が理解できない理由は、霊的な事柄は霊的にしか判断しえないところにある。

 最大の奇蹟は人の中の「新生」である。この奇蹟を体験した者には他のことすべてが可能になる。極寒の地においては水の橋は当たり前の現象である。下の水は自由に流れていても河の表面は凍っているので、人は難なく河の上を渡ることができるのだ。だが、灼熱の気候の中で絶えず熱気で汗をかいているような人々に水の橋のことを語ろうものなら、すぐに「自然界の法則に反するのであり得ない」という答が返ってこよう。新生を体験し、祈りによって霊的生命を保つ者と、この世的生活を生きて物質的なことにしか価値をみない者との差も同じほど大きい。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P434

 

 キリストに従う者は自我を退け、キリストを証言するために苦しみの十字架を負う。自分の利益ではなく、人のためになることを求めるときに、われわれの人生は百倍も豊かになる。

 

 

 

 

4.シルワン

 

 

シルワンの手記/P48

 

 聖霊の恵みが少しでも心の中にあるならば、その人はすべての人のために泣く、特に神を知らない人、神に反抗する人を思いやる。彼はその人が回心して、神を認めるように昼も夜も祈る。キリストはご自分を十字架につけた人々のために祈っておられた。「父よ、彼らをおゆるしください。何をしているのか知らないのです」。聖ステファノスも迫害者のために祈り、この罪の責任を彼らに負わせないように執り成した。私たちは恵みを保ちたいと思うなら、敵のために祈るべきだ。罪人を思いやらない人は聖霊の恵みをいただけない。