新しい聖霊降臨
再臨/
この天使は、大声で叫び、空高く飛んでいるすべての鳥にこう言った(黙19・17)/
1.エリザベット・サント/愛の炎
2.マルタ・ロバン
3.ヴァッスーラ
4.コンソラータ
5.スウェーデンボルグ
6.サンダー・シング
7.マリア・ワルトルタ
8.聖母から司祭へ
9.デボラ
1.エリザベット・サント/愛の炎
愛の炎P84
<新しい聖霊降臨>
「この洪水は、聖霊の力を全世界に注いだ最初の聖霊降臨のものと比べることができます。全人類は、この大きな奇跡に気づかなければなりません。それは、聖母マリアの愛の炎の輝きです。信仰が薄くなっているこの世は、今、闇に落ちようとしていますが、信仰に立ち返る前に大きな混乱状態があるでしょう。このことが信仰の力で新しい世界を築くことになります。信仰の中にある信頼は、その心の中に根を下ろし、地の表は新しくされるでしょう。みことばが人となったとき以来、そのような恵みの洪水はありませんでした。今、苦しみで満ちているこの世界の刷新は、聖母マリアの力づよい取りつぎによっておこなわれることでしょう。」
愛の炎P87
主が話しをしておられるときに、そのことばは聖母マリアのことばと重なり合い、まるでひとりの人が話しているかのようでした。
2.マルタ・ロバン
マルト・ロバンの面影P74
フィネ神父は語っている。
「最初の一時間のあいだ、マルトは聖母マリアについてしか話さなかった。かの女は、神秘に満たされた人のように、神秘と親密にまじわっている人のように、聖母マリアについて話した。
第二時間目は印象深かった。マルトは、権威ある語調で、本を読んでいるかのように、歴史のなかに展開するに違いない『諸事件』について話してくれた。これらの事件のうち、あるものはきわめて重大で、きわめて辛いものであった。他の事件は希望と美とに満ちたものであった。大変よく記憶しているのは、『教会のなかに愛のペンテコステ(聖霊降臨)がおこなわれるでしょう』と言ったことである。かの女はまた、教会は『信徒によって若返るでしょう』とも言った。
マルトは、このかなり新しい『信徒』という語に力を入れた。そして、『信徒』は未来の教会のなかで主要な役割りを果すにちがいないと、繰り返し話してくれた。そう話しながら、喜びに満たされていた。かの女はまた、教会は刷新されるとも言った。そのうえ、信徒について話したとき、この信徒を養成する手段を見出すことが焦眉の急であることを強調した」。
マルト・ロバンの面影P143
決して特別な形で考えているのではありません。平和なもの、ゆるやかなものとして考えています。それは、少しずつ、徐々におこなわれると思います。すでにはじまっているとさえ考えています。将来については、いろいろな考えを提供されます。しかし、なにも知りません。ただ一つのことを除いては。それは、将来とはイエスだということです。
3.ヴァッスーラ
第二の聖霊降臨とは
(天使館/ランプのあぶら1・『花むこから花嫁への呼びかけ・ヴァッスーラの証の記録』P12〜14から抜粋)
一つ、預言について話しましょう。神が預言をお与えになるとき、特に聖書的なことばで預言をお与えになるとき、それが霊的な意味あいか物質的なことを言っておられるかを識別するのは大変難しいのです。ですから、理解する光を主がお与え下さり、はっきり教えられるまでは、そのことばを決して断定したり、説明しようとはしません。
もう長年にわたってずっと、イエスは第二の聖霊降臨について話しておられたのです。教会を刷新するために、これまでの歴史上かつてなかったほど人類全体に聖霊がふり注がれると。黙示録21章も読むようにおっしゃり、その中のみことばを説明して下さいました。新しい天、新しい地、新しい町エルサレムについて書かれた個所です。イエスはこの聖書の個所を説明なさる前に、「ヴァッスーラ、来て書きなさい」とは言わないで「町よ、来て書きなさい」とおっしゃいました。
さて、なぜ私ではなく町なのかと自問しましたが、すぐに分らせて下さいました。主は私たちのうちに住まわれるので、私たち自身が町と呼ばれても不思議はないからです。私たちは、旧約時代のような幕屋でもありうるわけです。一つの庭園、そして主の住まわれる天国にも変容することもできるのです。イエスとご一緒に黙示録21章を読みながら、そのことを理解させていただきました。その時は書くのが待ちきれないほど、心が興奮し、急いで書き下ろそうとしましたら、可笑しそうに、イエスは「なぜそんなに急ぐのか? まだあなたから離れるつもりはない」とおっしゃいました。
そして、主はみことばを下さり、こうおっしゃっています。これは第二の聖霊降臨についてですが、新しい天は私たちのうちにある、と。どういう意味かをひと言で説明しましょう。主が言われます、「今日のあなた方の心はやみ夜のようです、しかし、ひとたび聖霊が注がれるなら、聖霊はあなたのうちで何千ものまばゆい星座のように輝こう。」そして新しい地上も、私たちのうちにあるのです。今日の私たちは乾いた砂漠のようで、霊魂は飢饉に遭っているかのようだと主は言われますが、聖霊が降って来られると、天来の種を蒔いていかれ、この砂漠はエデンの園に変えられます。それが霊によって刷新された私たちのうちなる新しい天となるのです。そして町とは私たち自身であり、私たちは新しいエルサレムなのです。すべては私たちのうちで新しくなるからです。このように聖霊は私たちを新たにし、変容させる準備をしておられます。
第二の聖霊降臨は、聖霊が突然来られて私たちを変えられるか、あるいは少しずつ変えていかれるのか、私はまだ理解していませんでした。ところがある日、主はこう教えて下さいました、「第二の聖霊降臨はすでに個人個人に個別に始まっている」と。何が個別的に起きているかは、まだ分りませんでした。しかしある日ビデオの作成中に、ある話をしている中で主は理解の光を下さいました。その時、第二の聖霊降臨は個別的に訪れることが分りました。ある日、突然大勢の人びとの上に起こるのではなく、個人個人に起こるのだと。ある人が第二の聖霊降臨を受けたかどうかを、どう見分けたらよいのでしょう? そこには違いがあるのです。
第二の聖霊降臨のような聖霊をいただくと、その人には明らかなしるしが現われます。その人は大きく変容し、サマリアの女のように出て行って真理を宣言しようと熱烈に燃え立ち、自分の足で駆けて行き皆に伝えるのです。こうやって、本当に変容された人を見分けることができるのです。その上、この人びとは心に熱い炎が燃え立つあまり、皆とそれを分かち合いたいと望みます。イエスが譬え話でおっしゃっているように、真珠を発見したかのようです。そしてこの真珠を手放したくないばかりに、自分の持ち物すべてを売り払うことも辞さない。神のみ国を発見したのです。
こういったことが今の時代には起きています。そして私はそれを目の当たりにしているのです。私はたくさん旅をしますが、霊によって触れていただいたこのような熱意ある人びとと世界中で出会います。そしてゆっくりとですが、教会は確実に刷新されているのです。これが第二の聖霊降臨です。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P59
‘89・12・4
来るべき聖霊降臨のために祈りなさい、その産みの苦しみを あなたの世代はすでに感じている。 夜は殆ど終わりかけ、もう直ぐ明け方となる、そのとき、夜をはばかりなく徘徊していた悪魔は 夜明けとともに逃げ出すであろう、そう、実に、我が恵みの霊が全人類に注がれよう、そしてあなたの世代は 私によって直接養われ、教えられて 道を案内されよう 上から訪れた聖人たちや天使たちさえ 街角ごとにあなたと出会うであろう。 あなたの上に私のパンを降り注ごう、歓喜し、喜びなさい! 私、主は世の光です、耳ある者は聴くように ♡ 勇気を持ちなさい、夜明けは間近い。 さあ、黙想するように ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P144
‘90・4・22
♡ 時の印を悟りなさい、我が恵みの聖霊の息吹が あなたの上にそっと吹いているのに気づきなさい。 今やくに民の上に吹きかけては 死者を我が息吹で甦らせ、私の姿を反射する者たちへと変えている。 再び我が名が讃えられ 愛ゆえに愛をもって伝導するように 弟子たちを日々新たに立ち上げている。 では第二の聖霊降臨である我が再臨のために まこと愛する人びとよ 毎日祈ってほしい、霊魂たちの改心を 我が訪れの前に改心するようにと祈りなさい ♡ ありのままでやって来て 私に依りかかりなさい、まこと愛する、ヨハネが、そうしたように、あなたも、私のふところに頭をもたれ 愛の鼓動に耳を澄ませなさい、鼓動するごとに愛を求めて呼びかけている、愛を返してくれることしか求めていない。私を愛しなさい、礼拝しなさい、あなたの主 私を歓喜させなさい。 あなたを祝福し、額に愛の溜息を残す。一つとなりなさい。
サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P359
そして、わたしたちが主を知れば、あの水瓶を置いて走った女のように、他の人々にも知らせたいと急き立てられることでしょう。彼女は、主の存在に強く打たれるあまり、村に水を運ぶのも忘れ、自分を待っている子供たちのことも忘れてしまいました。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P145
‘90・4・22
(聖母)
恐れずに立ち向かい 私と一緒に戦いなさい: 祈りを通して戦うのです。 あなた方の祈りはサタンに対する最も強力な武器です。 従順と謙遜は悪魔を退散させます。 神はご自身の愛という贈物を下さっています。 慈しみの呼びかけに応えて下さい。 神が語っていらっしゃいます そして時が迫っているために 神と私は地上の隅々にまで呼びかけているのです。まこと小さな子どもたち、小さく素朴なままでいなさい、小さいままでいて 地の塩となりなさい あなた方はまことに世の光だからです、 私どもの心に特に愛された霊魂です・・・そして天の国は子どもたちと非常に小さな者たちのものだからです。 神の光に心を向けるよう 私はさまざまなくに民に今日出現しています。 霊魂を回復させたいのです、皆御父のものであると思い出させたいのです 御父は聖なるお方ですので あなた方も聖い生活を送るようにと。 けれど気を落さないように 一歩ずつ教えるためにここにいます そして必ず祝福を与えると約束しましょう、一歩一歩を祝福します。 許してくれるなら、永遠の光を反射する者とならせたいのです 神と出逢う時には活動する神の力の 曇りない鏡のようになり 神の聖さと善良さの象りとなっていますように。 今日は教会の刷新、主の再臨のために 熱心に祈るようにと皆を招きます: 第二の聖霊降臨のために。 皆にこの到来を準備させようと イエスと私は方々のくに民を訪れているのです。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P137
‘91・6・6
主よ! あなたの支配ですが、まだ始まっていないのですか?
こう書きなさい: 「仔羊の婚姻の晩餐に招かれた者は幸いである」(黙示録19・9)と。私の支配はすでに多くの霊魂のうちに始まった。 私はこれらの霊魂たちを娶り 新にした(*)、
*
黙示録21・5: 「今、私はすべてのものを新しくする。」に言及。
そしてまことに言う: 真理の霊は被造物全体に襲いかかって 町から町(*)へと制圧し、その中に見い出すであろうあらゆる淫らな、罪咎や不浄を、私は、自らの手で一掃する。 天から送る火によって、愚かさの植えつけたあらゆるものを 焼き払う ♡ 娘よ、先の天と先の地は消え去り(黙示録21・1)あなた方一人ひとりが我が聖霊の愛によって 新しくされよう、私はこの世界のおもてを変える。
*神は: 霊魂を次々に、と言っておられます。
ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・5巻P173
‘91・8・6
♡ 私、油注がれた者が皆を 我が火で燃え立たせ 焼き尽くして霊魂に新しいいのちを与える。 もう時間が殆どない。 この慈悲と恵みの時は 終わりに近づいている。 私は我が計画を隠しても、顔を隠してもいない、今までになかったほと我が顔を顕している。そしてあなた方、まこと愛する者たちよ、その務めとは これら第二の聖霊降臨のメッセージと、霊の教えを 行ってひろめること。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P137
‘06・10・31
間もなく 私は地上を訪れる。 時代よ、あなた方のほとんどが忘れ去った者、統治者が 言っておく、私は地上で自分の地位に就く、と。
あまりに多くの人が こう尋ねる、「どのように主は 来られるのだろうか?」 私は こう答える、「時の初め 人間が地上に置かれて以来、常に悪の勝利は短かったことを知らないのか? 我が勝利に呑まれてしまうがゆえ 悪の勝利は今や ほとんど終わりかけている。 アーロンの杖を私がへびに変え ファラオのへびを呑み込んだように、我が勝利も同じく 悪人の勝利を呑みこんでしまう ♡ この勝利によってあなた方皆が 我が聖なる名を誉め称えるように!
それからは 我が民の間にとどまる・・・・そしてあなた方は神なる、私と旅をし、連れだって歩もう。 かつては手が届かないと思った者と あなたは歩み・・・かつては心から閉め出した者と話し(*)、至高の神なる私と会話する、こうして至高の神なる私が あなたの心に現存し、善い助言者として、人生の小道を指し示していく。 我が天使たちの間を 私と共に霊魂が歩めるように 節制、賢明さと義、剛毅、そのほか霊魂に必要なあらゆるものを与えよう。 そのとき地上の我が王国は 復興する(*1)。
そう、この世に生きている間も 神を見るのは可能である。 地上に留まっていながら 私を観想するのは可能である、そう! 地上にいながらあなたの神であり全てなる、私の深淵に分け入り 所有することはできる。これはあなたにとって 新しいいのち(*2)のはじまりとなろう、伝聞や言葉や本を通して私を知るだけでなく 聖霊の与える恵みによって 真理のうちに そして回心を通して私を知るようになるゆえ。 私を凝視することが 不滅性を与えるゆえ それ自体がいのち・・・こうした仕方で 私は地上を訪れる、我が子たちよ。
今や 我が神秘を理解したであろう?」 ic
*
同時に「対話し」、という言葉も聞こえました。
*
1「主の祈り」の中の、「み国が来ますように、み旨が天に行われる通り地にも行われますように」とは、キリストが、「そのとき地上の我が王国は 復興する」と宣言された文を説明するものです。
*
2「旅路」とも聞こえました・・・
4.コンソラータ
コンソラータ/P113
−イエズス−
「コンソラータ、あわれな罪深い人類のために、あなたがゆるしを願いなさい。そして私の愛の勝利を願いなさい。新しい聖霊降臨において、燃えさかる神の愛の火が、人類の多くの罪を清めるよう願いなさい! 神の愛のみが、背教者を使徒に、汚れた百合を潔白無垢に、敵意に燃えて反逆する罪人を、愛の獲物に変化することができる! あなたのため、また今、地上にあるものと、世の終わりまで存在するすべての霊魂のために、私の愛の勝利を願いなさい。あなたの絶え間ない祈りによって、私の聖心と愛が、全世界に勝利を占めるよう、準備しなさい。」(1935年12月16日)
5.スウェーデンボルグ
人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る(マタイ24・30)/
天界の秘義3900[9]
主が来られることは、文字に従って、主が再び世に現れ給うということではなく、それは人各々の中に現存されることであり、そのことはいつでも福音が宣べ伝えられて、聖い事柄が考えられるとき常に存在するのである。
黙示録講解732[2]
新しいエルサレムと呼ばれているこの新しい教会は最初は僅かな者たちのもとに初まるであろうが、後には更に多くの者たちの間に在り、遂に充分な状態に達するには幾多の理由が在るのである。先ず、その教義は ― それは主に対する愛と隣人に対する仁慈の教義であるが ― 以下の者たちを除いては承認され、かくて受け入れられることは出来ないのである、以下の者たちとは真理により内的に心を動かされる者であり、諸真理を認める能力を持っている者たちのみが諸真理により内的に心を動かされることが出来るのであり、己が知的能力を培って、それを自己を求め、世を求める愛により破壊しなかった者たちが、諸真理を認めるのである。
第二の理由はその教会の教義は信仰のみにおける教義により、同時に信仰のみにおける生活によりそれを自らに確認しなかった者たちを除いては承認されることは出来ず、そこから受け入れられることは出来ないということである。教義のみによる確認は受け入れることを妨げはしないが、しかし生活によってもまた確認することは妨げるのである、なぜなら、そうした者らは主に対する愛とは何であるかを知らず、隣人に対する仁慈とは何であるかも知らず、また知ろうとも欲しないからである。
黙示録講解732[3]
第三の理由は地上では新しい教会はその教会が霊たちの世界において増大することに従って成長するということである、なぜならかの世界から霊たちは人間のもとにおり、彼らは地上に生きていた間は彼らの教会の教義の中にいた者らから来ていて、これらの者の中一人として、真理に対する霊的な情愛を抱いていた者たちを除いては、その教義を受け入れはしないのであり、真理に対する霊的な情愛を抱いている者たちのみがその教義が存在する天界に連結するのであり、彼らが人間に天界を連結させるのである。これらもまた主が世を去られた後、キリスト教会がヨーロッパにおいて極めて遅々としてしか成長せず、時代が経過する迄はその充全な状態に達しなかった理由であった。
6.サンダー・シング
サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P359
そして、わたしたちが主を知れば、あの水瓶を置いて走った女のように、他の人々にも知らせたいと急き立てられることでしょう。彼女は、主の存在に強く打たれるあまり、村に水を運ぶのも忘れ、自分を待っている子供たちのことも忘れてしまいました。
7.マリア・ワルトルタ
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P44
反キリストの軍隊はすでに行動を開始している。
‘44年8月5日
イエズスは言われる。
「わたしは貴女がわたしの栄光について瞑想するように準備させた。教会は明日それを祝う。しかしわたしはわたしの小さなヨハネが、わたしの栄光の真の姿を見てそれをよりよく理解するように望む。わたしが貴女を選ぶのは、貴女の師の悲しみと苦しみを知らせるためだけではない。苦しみにおいてわたしと共に在ることを知る者は、わたしのよろこびにも参与しなければならない。わたしは貴女が、貴女にあらわれる貴女のイエズスの前で、わたしの使徒たちと同じ心情と謙虚さと悔い改めの気持ちとを持つことを望んでいる。
けっして傲慢になってはならない。そうなれば貴女は罰せられ、わたしを失うだろう。わたしがだれであり、貴女が何者であるかを絶えず思い起こすように。痛悔によって浄められた心を持つために、絶えず自分の至らなさとわたしの完全さとに思いを致すように。だがそれと同時に、『恐れるな。立ち上がりなさい。行きなさい。人々のあいだに行きなさい。なぜならわたしは彼らと共に在るために来たのだから。この来臨の時をよく憶えて、清らかに、剛く、忠実でありなさい』と言ったわたしに、大きな信頼を寄せなさい。わたしはこのことを貴女にだけではなく、人々のあいだからわたしが選んだすべての人たち、特別な形でわたしを所有している人々にも言うのだ。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P124
わたしは来るだろう。わたしはすでに完全な肉を具備しているから新しい肉は不要だろう。わたしは福音宣教をするだろう。だが地上でしていたようにではなく、新しい力によってするだろう。なぜなら、その時、善い人々は、わたしが最初に来たときの弟子たちがそうであったように人間的に善い人々ではなく、霊的に善い人々であろうし、また悪人たちは霊的に悪人、悪魔的悪人、完全に悪人であるだろう。こういうわけで、形は状況に共鳴するだろう。もしわたしが二十世紀前の形を使うとしたら、善において完全な人々には時代遅れなものになるだろうし、栄光を受けた御言葉にもたらすことが許されない侮辱をもたらすようなことを悪魔的な者たちに提供することになるだろう。目のつんだ網のように、わたしはわたしの光のあとに霊的な鋭敏さに到達した人々を引き連れてゆく。だが、肉をサタンと結合させ重くなっている人々、霊魂が腐敗して泥のなかにはまりこんだまま霊において死んでいる人々はわたしの光のなかには入らず、悪と暗闇とに結びついたまま、腐敗するに至るだろう。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P125
さしあたりわたしは光を受け取る備えのある霊魂たちに光を与えようと天から降る言葉を一人ずつに用いながら、未来の時代を準備している。わたしはあなたたちを、完全な教えに耳を傾けることに専心する無線電話士にする。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P129
人間は最後の時間に向かってその歩みをすすめながら霊性に到達しなければならない。だがここでわたしの言うことを理解しておくように。神は霊であり、サタンは霊である。前者は完全の霊である。後者は罪の霊である。神が尊重する人間自らの意志によって二分された大衆は、自分が選んだ陣営にそれぞれ帰属する。いと高き者の子供たちとわたしの兄弟たちは神の陣営を選び、わたしたちの愛によって肉を霊化する。サタンの従者たちと獣の子たちは、ルシフェルの陣営を選び、自分たちが欲した隷属によって、肉的なものの支配のもとに霊的なものを殺し、彼らの霊を腐敗したおぞましい肉と血にしてしまう。
今は各個人であるが、その時は真のキリスト者の全大衆となるであろう。あの成熟に到達した霊たちにわたしが君臨するであろう時、そのときわたしは、変わりえないという意味において異質ではない、新しい福音宣教をもって、きょうは理解できないとしてもその時には理解出来るであろう力のうちに、最後の教化で完全にするために、この陣営にのみ目を向けるだろう。それが辛かろうと、自らの努力によって、あるいは愛の奇跡によって、それにふさわしい者となった特別な人々をわたしは選ばなければならない。
8.聖母から司祭へ
聖母から司祭へ1986.8.8
恵みと光の第二の聖霊降臨の道を開いてくれる生命の秘訣は聖櫃にだけあります。教会の聖徳をもとどおり洗い浄める泉はここ、ご聖体のイエズスにだけあるのです。
教会全体を完全に刷新に導くのは、あなたたちの司牧的な計画や議論にあるのではありません。すなわち、あなたたちが、これほど信頼して、たよりにしている人間的な手段ではありません。ご聖体のイエズスにだけ可能です。
イエズスだけが、教会を貧しく、福音的で清いもの、そして、今たよりにしているすべてのものを脱ぎすてた聖なるもの、美しく、天のあなたたちの母のように、汚れもしみもないものとしてくださるでしょう。
聖母から司祭へ1991.5.19
あなたたちは、いま、第二の聖霊降臨のときに入ったのです。
聖母から司祭へ1993.11.21
―キリストの光栄ある王国はまず第一に、人々の心と霊魂に実現するでしゅお。
これこそ、イエズス・キリストの神的王権の最も貴重な部分です。
じじつ、このためにこそ、みことばは人間となってあなたたちの間にお住みになったのです。このためにこそ、おん子は、死にいたるまで、十字架上の死にいたるまで、おん父に従うものとなられたのです。
カルヴァリオ山上で、イエズスによって成し遂げられた贖いによって、あなたたちは悪魔の支配から解放され、その奴隷制度のくびきにある罪から自由にされて、神の子となったのです。それは、イエズスが御自らの愛とおん命を与えてくださったことによってです。
そのことのために、愛によって新たにされ、み恵みによって聖とされた人々は、イエズスの神的王権の最も貴重な部分となっています。
―キリストの光栄ある王国が訪れるとき、あらゆる所で、聖徳と潔白、愛と正義、喜びと平和が花さくでしょう。
なぜなら、第二の聖霊降臨において、人々の中に注がれる聖霊の全能の力によって、人々の心が変化されるからです。
こうして、人々の霊魂は、三位一体の現存によって照らされ、その現存は、人々のうちに、あらゆる善徳のめざましい発展をとげさせるでしょう。
―キリストの光栄ある王国は、すべての人の生活の新しいありかたによっても反映されるでしょう。それは、あなたたちが、もはや、主のみ栄えのためにのみ生きるようになるからです。こうして、あなたたち各自が、神のみ旨を完全に果たすようになったそのとき、主は光栄をお受けになるでしょう。従って、キリストの光栄ある王国は、そのすべての被造物が、神のみ旨を完全に果たすようになるそのときに実現します。つまり、み旨が天に行われるように、地上にも行われるようになるためです。
聖母から司祭へ1994.5.22
この第二の聖霊降臨は、わたしの汚れなき心の霊的チェナクルムの中でだけ行われ得るのです。そのために、わたしは今日、最後の時のために、天の母が準備したチェナクルムに入るようにと全教会に呼びかけます。あなたたちは、わたしの汚れなき心への奉献によって入ることができます。
司教たちも、司祭たちも、男女の修道者と信徒たちも、わたしが心配のあまりに願ったこの奉献をしますように。この奉献を、みながしなければならないのは、大試練の時を短くするためです。
そのとき聖霊は、あなたたちに真理のすべてを理解させてくださるでしょう。
聖霊は、いま、あなたたちが生きているこの時代を理解させてくださるでしょう。
聖霊は、あなたたちの道の光となって、大棄教の恐怖のその時ん、福音の勇敢なあかし人としてくださるでしょう。
まだ封じられたままであるその本[黙示録]の中にあることを、わたしが、あなたたちに示してあげるとき、聖霊がそれをあなたたちに理解させてくださるでしょう。
聖霊は、栄光のうちに戻って来られるイエズスを歓迎するために、人々の心と霊魂を準備することをもって、おん子に対するご自分の完全なあかしをお与えになるでしょう。
聖霊よ、おいでください。
わたしの汚れなき心の、熱烈な取りつぎによっておいでください。
わたしの時はまた、聖霊の時です。
わたしの汚れなき心の勝利は、第二の聖霊降臨の偉大な奇跡と同時に実現するでしょう。
そのとき、天から新しい火が降って、異教徒となった全人類を清めるでしょう。
それは、小さい公審判のようなもので、各人は、神の真理そのものの光のうちに自分を見るでしょう。
そのとき、罪人は神の恵みと聖徳のうちにたち帰り、迷った人は善の道にもどり、遠く離れていた人はおん父の家に帰り、病人は完全な健康へと戻るでしょう。しかし、悪魔に協力した傲慢な者や不潔な者など悪人は、永遠に敗北して有罪の宣告を受けるでしょう。
そのときこそ、母としてのわたしの心は、全人類に対して勝利を得るでしょう。そして、全人類は、再び天のおん父に対する愛と命との新しい婚約へと戻ってくるでしょう。
聖母から司祭へ1994.6.11
あなたたちの生きている異教の社会は、娯楽と金銭、傲慢と利己主義、快楽と不潔の偶像神を作るために、神を否定しました。
この社会は、洗礼をうらぎり、神と教会の間に結ばれた誓いを破る、大きな危険をもっています。
しかし、あなたたちは、わたしの汚れなき心の中で、神に捧げられた命を守り、神のみ旨を果たし、神の掟を守って、神の完全な栄光のために養成されています。
聖母から司祭へ1995.10.7
―わたしの勝利は、わたしの子らみなの心の中で起こります。
9.デボラ
デボラ/生ける神よりあかされた英知/4巻上P151
現在彼女は、第二の聖霊降臨のために働き、全ての事の刷新の仕事を行いながら、人類をさらに新しい出会いのために準備しているのである。彼女は唯一の源泉、真のエクメニズムの土台、その母の眼差しのもとに、あらゆる民とあらゆる人間を集めながら、古代からの敵に対して勝利をおさめる『太陽を着た女性』である。彼女はミリアム、まことの平和の清い鳩、豊かに葉の茂ったおん父のオリーブの実、平和な私の聖心の母である。