あなたの欠点
1.ヴァッスーラ
2.聖母から司祭へ
3.トマス・ア・ケンピス
4.ヨゼファ・メネンデス
5.サンダー・シング
1.ヴァッスーラ
天使館/ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P77
‘88・11・21
♡ 祈りのうちに 私を訪れなさい、そこにいて 耳を傾けている! 救い主の腕の中に入って来なさい、欠点を持って来るなら、あなたを清め 癒してあげる、あなたに神聖さを与える 私は神聖、あなたを完全なものとする! ありのままの姿で 私のもとに来なさい、怖れないように、私は愛なる神、みじめな者にとって慈しみ深く、哀れみに満ちあふれる神! 私に祈り、話しかけなさい、躊躇しないで! あなたを心待ちにしている・・・ あなた方にたいする愛が それほどまでに大きいため、聖なる者の中の聖、永遠なる者 造られたすべての頭である私は、はるばる身を屈め、あなた方に届き 弱さを癒そうと 降りて来た ♡ 私はいつまでも 終わりの日まで あなた方のさ中にいる。・・・我が平和と愛のメッセージを広める人びとは幸い! 私のもとに来て 慰めとなる人は幸い。 私と一つであるように。 永遠の私の愛に留まっていなさい ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P176
‘90・7・4
自分自身の欠点を常に認めなさい そうするなら克服するのを助けよう。 私のもの そして我が財産よ 来なさい、あなたは乏しくみじめであるがゆえ 我が財産です、みじめさは私を惹きつける。 力を取り戻させ 我が調合された香の薫りを惜しみなく注いで 勇気づけよう、決してあきらめないように 我が子よ。 決して心に 私の居場所を拒まないでほしい、私は乏しさに惹かれる、乏しさとみじめさを求めている。 見ているすべての者たちのまさに目の前で 我が炎に焼き尽くされるようにと あなたを私のもとに連れて来た。 私が愛の神、燃え尽くす炎であるとすべての人が見て知るように あなたを通して我が無限の愛を 全人類に示している ♡
わが神よ、あなたはご自身のもの、そしてあなたの「財産」が罪深く、不完全だと知っておられ、何もお返しできないのも知りながら、溢れる祝福を雨のように、降り注がれました。
我が財産を祝したのです・・・― あなたの率直さが嬉しい・・・― 聴きなさい: 貧しい者を 私は塵から興す、みじめな者たちを引き上げ 我が聖心に置く、それから天使たちに紹介し、我が金言を教え 彼らの師となって 彼らは私の教え子となる。 そして罪が赦され、彼らの罪は日向の霜のように溶けてしまう。 その後諸聖人に守護と祈りを頼んで 彼らが真理を悟り 我が知識にたいする一層深い理解に達するよう 我が理解の霊をもって満たす。
2.聖母から司祭へ
聖母から司祭へ1974.6.8
あなたがたの無
子よ、あなたの奉献によって私にしてくれた贈物を、私がどれほど喜んで受け入れたか、またそれを文字通りに取ったか、わかりますね!
確かにあなたは小さいもので、すぐれた素質を持っていず、何でもないことにも怖れ、自分の影にさえ怯えるほどです! でも私は、あなたの残りない完全な献げ物に込められた熱烈さと愛を見たのです。
私にすっかり捧げたあなたの無を、私は母なる心で変容させ、偉大なものにしましょう。
私が特別に選び愛している司祭たちよ、おお、あなたがたの無を全部私にください。あなたがた自身をすっかり私にください。ああ、もう自分を見つめないように。あなたがたの惨めさ、あなたがたの欠点、あなたがたの過ちが私は欲しいのです! すべてを深い愛をこめて私に与えてください。そうすれば、私は清い愛に燃えている私の汚れなき心のかまどですっかり変容させましょう。私が自分であなたがたを、わが子イエズスの完全な似姿に変容させるのです。
聖母から司祭へ1975.2.15
私が特に愛している子どもたち、すべてから離脱なさい! わかりますか、あなたがたの欠点、過ち、あなたがたの非常な限界は、完全に私のものになるために、そして私の大いなる計画に使用可能なものとなるために妨げにはなりません。ああ、そうではない! かえってそれは、あなたがたへの大きな贈物だと言えましょう。なぜならそれは、あなたがたが自分は小さいのだと感じ、小さいままでいさせるように助けてくれますから。それはあなたがたが、どれほど取るに足らぬ者かということを教えてくれるからです。
すっかり私のものとなるための唯一の妨げは、あなたがたの執着です。子どもたちよ、どれほどあなたがたを縛る絆がまたたくさんあることでしょう! あなたがた自身に、他の人に、 ―たとい善い人、聖なる人であっても―また自分の活動や自分の考え、自分の感情など。この絆を一つずつ断ち切りましょう。あなたがたが、私だけのものとなるために。
聖母から司祭へ
1975.9.12
私はあなたが小さく貧しいものであるからあなたを選びました。イエズスは小さくて、心の清らかな素朴な人だけを喜びの目でまた特別な愛をもって見ておられます。
いつでもそうであってください。
そして自分を決して見つめないでください。なぜならあなたの欠点がそのまま残るという恵みをあげたいと思いますから。
わが子イエズスは、あなたが何かできるからではなく、あなたが、あなた自身であること、ありのままの、あなたを愛しておられます。あなたの功徳ではなく、あなたを強く引きつける御自分の愛によってのみあなたを愛しておられます。
わけても母である私は、あなたがあなたであることで愛しています。もしあなたに欠点を治そうとする努力がいつもあるなら、あなたの欠点と共にあなたを愛しています。そしてもしこの欠点が、あなたの小さなものであることを認めさせるならば、これもあなたが、私のものになるためにいっそう役立つことでしょう。
私の運動の司祭たちよ、私があなたがたに示した理想からまだ遠く離れていると分かっても心配しないでください。私にはあなたがたの謙遜、信頼、善意で充分です。
聖母から司祭へ1976.7.31
特に愛された子らよ、自分を決して見つめないでください。あなたがた自身が美しくないと思うほど、私とわが子イエズスには、あなたがたはいっそう美しい者に見えるでしょう。
聖母から司祭へ1976.11.8
あなたは、自分の小さいことを自覚しています。あなたは、自分が貧しく欠点だらけで、私に捧げるものがないと思っています・・・。そのとおりです。
おお! あなたの愛だけで十分です。
聖母から司祭へ1976.11.8
あなたの欠点を見て、落胆しないでください。あなたを深く愛しています。
子よ、わたしは、あなたの性質ではなく、あなたの心を見ています。そして、うっかり間違ったことをしても、へりくだって詫びるとき、私の喜びはどれほど大きいでしょう。
あなたの傷を、お捧げください。いつも“ハイ”と私に言って、そして、自分のことをも考えないでください。私はあなたのすべてのことを考えてあげたいのです・・・。
聖母から司祭へ1978.1.6
私の愛する子よ、明るい気持ちで、イエズスのみ心に帰りなさい。ああ、どれほどイエズスは、あなたがたを愛しておられることでしょう。あなたをごらんになるあの深い慈しみに満ちたまなざしが、あなたに分かったなら!
どうしてだかわかりますか? それは、あなたが、こんなに小さく、貧しく、欠点だらけだからです。
あなたは、すべてを、罪も、弱さも、欠点もみな、イエズスの燃えるみ心の愛のかまどに投げ入れなさい。そうすれば、あわれみ深いその愛の火に焼き尽くされてしまうでしょう。
そして最後には、もう何一つ、あなたのものは残らなくなってしまうでしょう。
3.トマス・ア・ケンピス
人がその欠点のために自らへりくだると、たやすく他人(ひと)の心をやわらげ、その怒りを早く解くことができる。
神は謙遜な者を守り、救い、謙遜な者を愛し慰め、謙遜な者にみ心をかたむけ、謙遜な者に豊かに恩恵を与え、これをおさえつてのち栄光(さかえ)の座にお上げになる。
主は謙遜な者にその奥義を示し、やさしくこれをご自分に引き寄せ、お招きになる。
謙遜な者は侮辱を受けても、泰然と落ちついている。これはかれが神を頼みとし、この世を頼みとしないからである。
あなたは自分がすべての人よりも劣っていると感じないうちは、進歩したなどと思ってはならぬ。
ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P310
“さようなら、ヨゼファ、またあすここへお出で、わたしはおまえに話しつづけ、おまえはわたしの言葉を、熱心に人々に伝えておくれ。わたしのするがままにさせておくれ、それでこそ、わたしの光栄となり、人々を救うこととなる。わたしは喜んで仕えてもらいたいのだということを思い出し、道具だけでは無価値なことを忘れないように。わたしの愛のみがおまえの欠点に目を閉じるのだ。熱烈に愛してわたしの愛に答えておくれ。”
徳間書店/林陽訳/サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P358
利己主義は、霊魂のあらゆる邪悪と不安の根源である。利己的人間は、人からの千の施しを忘れても、自分のした施しは一つ残らず覚えている。自分の千の欠点は忘れても、他人の欠点はどんなささいなものでも見逃さない。「わたしについてきたいと思う者は、自分を捨てて日々十字架を負いわたしについてくるように」(ルカ9・23)とキリストがいわれたのは、このためである。神の御旨(みむね)を行なうために自分を捨てる者は、自分を造ってくださった神の御旨を行なうときに自分自身の意志も全うすることになる。例えば、愚かにも、自分のやり方が最善だと思っていても、神の示される方法をとるしか道がないことがわかる。
サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P47
彼はまた、断食が自分の性格に決定的影響を与えたといっている。
「四十日の断食を試みるまでは、自分は度々誘惑に襲われた。あなたがわたしについての本を書かれるときには、わたしの弱さも書かなければならない。疲れているときに人々から話しかけられたり、くどくど質問されたりしたときには、きまって苛立ったものである。今もそれが多少はあるが、断食前とは比較にならない。人は、そのようなことには気づきもしなかった。大したことではないというが、それでも自分にとっては、けっして持ちたくない欠点なのだ。これは、多くの困難と猜疑心の原因になったが、逆に、この欠点によって自分を低くすることができたのかもしれない。それは、ちょうど、聖パウロのいった“肉の中の刺”のようなものである。これは、同じものではないか、とよくわたしは思う。あるいは、まだ肉体から脱け切れずにいるためかもしれないが、そうでないことを願いたい。断食前には、また他の誘惑にも悩まされた。飢えや渇きに苦しんだとき、わたしはよく不平を鳴らし、なぜ与えてくださらないのかと主にたずねたものである。主は、いっさい金を携えるなといわれた。だが、お金さえあれば、何でも買えたからである。しかし、断食をしてからは、同様な困難の下でも、“これは父の御心である”、“自分はそれに値する何かをしたのだ”といえるようになった。
また、断食前の自分は、苦しみを伴うサードゥーの生き方を捨て去り、家に帰って結婚し、楽な生活をしたい、という誘惑にも駆られた。それでも善良なクリスチャンであり続け、神との交わりを保てるのではないかと。だが、断食後に、確かに他の人々にとっては、金や家を持ち楽な生き方をすることは罪ではなくとも、自分に対する神の御心は違うことがはっきりした。主のお与えになったエクスタシーは、どんな家屋敷よりも快い。他のどのようなものにも増して素晴らしい歓喜がそこにあるのだ。わたしの真の結婚相手はキリストである。結婚はよからぬことだと人々にいっているのではない。しかし、すでにキリストとつながれているのに、どうして他の人と結婚できようか』」