主は忘れてくださる
1.聖書
2.マリア・ワルトルタ
3.ヴァッスーラ
4.トマス・ア・ケンピス
5.ルイザ・ピッカレータ
6.忘れる
7.聖母から司祭へ
8.アグレダのマリア
9.善良な霊たちは、たとえ世では悪を行ったにしても、決して罰せられない
10.コンソラータ
1.聖書
詩篇25・7
わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず
慈しみ深く、御恵みのために
主よ、わたしを御心に留めてください。
エレミヤ31・34
そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
エゼキエル18・21−23
悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、わたしの掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。死ぬことはない。 彼の行ったすべての背きは思い起こされることなく、行った正義のゆえに生きる。 わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。
エゼキエル33・11
わたしは悪人が死ぬのをよろこばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。
エゼキエル33・14−16
また、悪人に向って、わたしが、『お前は必ず死ぬ』と言ったとしても、もし彼がその過ちから立ち帰って正義と恵みの業を行うなら、すなわち、その悪人が質物を返し、奪ったものを償い、命の掟に従って歩き、不正を行わないなら、彼は必ず生きる。死ぬことはない。彼の犯したすべての過ちは思い起こされず、正義と恵みの業を行った者は必ず生きる。
ヘブライ8・12
わたしは、彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。
2.マリア・ワルトルタ
マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P156
あなたたちの中にあるはずの愛は、彼らからすべての恐れを追い出すようにせよ。ヨハネの手紙にあるとおり(ヨハネ第一の手紙4・18)。しかし恐れを抱かせる人にも完全な愛はない。それで“どうしたのか”と言うな。“さあ、ここを去れ”と言うな。“お前のような人は、よい愛に対しての趣味を持っているはずがない”と言うな。その代りに、私の名前でこう言え。“愛せよ、そうすれば私があなたをゆるす”“おいで。イエズスの腕が開かれている”と。“天使のパンとこの言葉を味わい、地獄の瀝青とサタンの嘲りを忘れよう”と言え。
使徒は、自分と他人の十字架といっしょに自分と他人の弱さを背負うべきである。そして、傷を受けている羊を背負って私のところに来る時に、このさまよった人をこう安心させて“今からすべてが忘れられた”と言え。
そしてまた“救い主を恐れるな。彼は天からあなたのために、本当にあなたのために来られたのです。私はあなたを待っている。あなたを聖なる牧場に連れて行きたい。彼のところにあなたを渡す橋にすぎないのである”。
以上の言葉は、よい牧者にいつも誠実であったあなたたちにあまり関係ないかもしれないが、しかし、あなたの心に信頼を大きくし、多くの人にとって私に来るように励ましとなり、しおれかかった花の再生に役立つ露となるであろう。顔を上げよ。天は上の方にある。マリア(著者のこと)平和に行け。主は、あなたとともにおられる。
マリア・ヴァルトルタ/天使館/第5巻上/P36
信仰をもち、平安でいなさい。わたしの子が富に変えることの出来ない貧困は無く、彼が満たすことの出来ない孤独はありません。彼の取り消すことの出来ない過失がないように。愛がそれを無効にする時、過去は存在しません。身の毛のよだつ過去さえも。大泥棒ディズマが恐れなかったのに、あなたは恐れるのですか? 彼は愛し、愛して、何も恐れません。
マンマはあなたを祝福と共に残します。
3.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P160
‘88・3・16
ああ ヴァッスーラ! 私に背くつもりで、意図的に、こうしたことをするのでないことは分かっている、あなたの罪を私は忘れた、流れ去り乾いてしまった水のように、あなたの罪を見返さない また思い起こさせもしない、新に始めさせてあげよう、あなたを新しくする 愛する者よ、あなたに抱く私の愛を感じなさい、ありのままを受け入れる ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P
愛が待っている、 来て 礼拝しなさい、あなたの神 あなたの王 私のもとに来て 礼拝しなさい。 戻って来なさい 私の兄弟たちよ そうするなら私、あなたのイエスは、永遠の愛で高鳴る我が聖心をもって、あなたを哀れみ 罪を見過ごして その一つも思い出させはしない ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P236
‘89・8・29
その悪徳が私自身の家に入り込み多くを欺き その罪悪によって国全体に 神に対する不信が広まったがそれでも、私は赦して過去を忘れ 怒りを脇に置いて 全くなかったものとする用意がある、たとえ今日であっても自らの過ちを認めるなら ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P224
‘91・10・13
あなたの過去を見ないと決めている、今しか見ていない。
ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・8巻P130
‘96・1・9
私は 過去を不問にし 記録にもとどめおかない。
4.トマス・ア・ケンピス
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/4・7・4
もし人が赦免(ゆるし)と恩恵とを得ようとしてわたしのもとに来るたびに、自分のできるだけのことをして真に痛悔するならば「わたしは生きている(と主はおおせになられる)わたしは罪びとの死を喜ばずその改心して生きることを望む、わたしはもはやその罪を記憶せず」(エゼキエル書33・11、18・22)かれに対してすべてをゆるすだろう。
5.ルイザ・ピッカレータ
ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P17
こんなふうに私は、イエスに向って絶え間なく私の犯した悪について、ほとんどうるさいくらいの調子で申し上げつづけていました。するとある時、イエスは私をきびしくお叱りになっておっしゃいました。
「もうこれ以上あなたの過去について考えないでほしい。ひとつの霊魂が悪いことをしたと気づいてへりくだった時、そしてその痛悔してへりくだった霊魂がわたしの赦しの秘跡によって洗われた時には、もう一度わたしを傷つけるよりは、むしろ死んだほうがよいという覚悟が出来ているはずだということを覚えていなさい。霊魂が記憶によってその過去のどろ沼にいつも浸りつづけるということは、わたしの憐れみにたいする侮辱であると同時に、わたしへの愛の妨げになるのです。ですから過去のことを考えて、汚れた考えの中に絶えずとどまりつづけていることを望むかぎり、それはわたしの愛のうちに、天に向って飛ぶことを不可能にさせるのです。
ごらんなさい。あなたが犯した悪についてわたしは全部、すっかり忘れてしまったので、もう何も覚えていないのですよ。もしかしたらあなたはわたしに何か恨みを持っているのですか? それとも、あなた自身にたいして何か心配でもあるのですか?」そこで私は、「いいえ、主よ。それどころか、あなたは私がこれほど恩知らずであるにもかかわらずこんなにご親切なので、私にたいするあなたの善良さと優しさを考える時、私の心は裂けるほどにさえ感じられるのです。」すると主は、「さてわたしの娘よ、それではどうしてまだ過去のことにこだわるのですか? わたしたちがお互いに愛し合うことを考えたほうが、どんなによいか分かりませんか? これからはわたしを喜ばせるように努めなさい。そうすれば、いつもあなたは平和のうちにとどまることでしょう。」 事実、よくない態度で過ごした過去をどのように償えばよいかを教えて下さるように、非常にたびたび主にお願いをくり返したとはいえ、私は崇むべき私のイエスをお喜ばせしたいと決心しましたので、あの時以来、もうこのことについて考えたことはありません。
6.忘れる
天界の秘義3615
「かれがあなたがかれに為したことを忘れる」。これはそれが長びいていることから得られた習慣を意味していることは『忘れること』の意義から明白であり、それは継続的に反感を解消することであり、そのことは長びいていることとそこから生まれる習慣により遂行されるためそれでそのことが『かれがあなたがかれに為したことを忘れる』により意味されるのである。
7.聖母から司祭へ
聖母から司祭へ1994.3.31
主の愛のなさるままに、まかせてください。
あなたたちは、自分たちのみじめさを見ないで、弱さに失望しないで、自分たちの罪を数えないで、不忠実を思い出さないで、主の愛のなさるままに、まかせてください。なぜなら、イエズスのみ心の神的愛は、人間のどのような忘恩をさえも無限に乗り越えるからです。
この最後の時代には、どれほど多くの司祭が自分の“おちど”を泣き、怒り狂った悪の力の下に圧迫され、異教にもどった世間の誘いに負けて、わたしとあなたたちの敵の腹黒い“わな”にかかってしまうことでしょう!
最愛の子らよ、あなたたちが、もし否むペトロ、あるいはうらぎるユダ、または、イエズスを捨てて逃げる使徒たちの態度を新たにしているにしても、今日こそ希望に心開いてください。なぜなら、イエズスは、あなたたちを愛しておられるからです。
イエズスの愛は、あなたたちの、どんな人間的弱さよりも大きいのです。
8.アグレダのマリア
アグレダのマリア/神の都市/P111
元后の御言葉
私の親愛なる娘よ、私の胸の中に燃える愛を何度も汝に打ち明けました。幸いなるかな、いと高き御方の御旨を聞く者よ。更に幸いなるかな、御旨を遂行する者よ。人間に対し神は、福音書、聖書、秘蹟、聖なる教会の律法、諸聖人の書き物や模倣や司祭の案内を通して、永遠の幸福に至る道を教えました。「司祭の話しを聞く者は私に聞く。司祭に従う者は主に従う」と、王なる主は言われました。謙遜と従順の翼をつけ、空中を飛ぶように早く、命令を実行しなさい。
この他の指示は、いと高き御方が直接に霊魂に教えます。これには諸々の程度があります。主は秤りにかけて光を分配します(智恵11・21)。主は心の中に命令を下したり、説明、訂正、助言したり、心を動かして主に質問させたり、望みを打ち明けたり、神秘を鏡に映し出したりします。この偉大で無限の善なる主は優しい命令を出し、従順な者を力強く助け、実行に必要な情勢を設定してくださいます。
この超自然の示しを受けるため、汝は注意深くなり、義務遂行を早く勤勉にしなければなりません。汝の霊魂がこの世の汚れから清められ、主の御旨のままに生きなければなりません。神の秘密に注目しなさい(イザヤ34・16)。耳を傾け、見える物事から心を離しなさい(詩篇45・11)。愛を育てなさい。汝の心が準備すれば、愛の効果が出てきます。霊魂が子羊の血の無限の価値によって買い戻され、永遠の救いを得たことを記憶しましょう。汝自身の卑しさ、恥、無用さなど心配しないで下さい。いと高き御方は富んだ者、強力偉大で何でもおできになります。
9.善良な霊たちは、たとえ世では悪を行ったにしても、決して罰せられない
天界と地獄509
しかしそれでも他生では誰もその者が世で行った悪のために刑罰を受けるのではなく、彼がその時行なう悪のために罰せられるのである。しかも人間的は世で行ったその悪のために罰を受けると言うも、他生で行う悪のために罰を受けると言うも、結局同じことになりまた同じことである。なぜなら各々の者は死後その者自身の生命に、引いては類似の悪へ帰り、その性質は身体の生命の中にあった時と同一のままに残るからである(470−484)。
(中略)
しかし善良な霊たちは、たとえ世では悪を行ったにしても、決して罰せられない。なぜなら彼らの悪は帰ってこないからである。また私は以下のことを知ったのである、すなわち彼らの悪は悪霊らの悪とは性質は異なっており、真理に反して一定の目的から為されたものではなく、また彼らがその両親からの遺伝的に受け継いた悪い心以外のものからは全く為されたものでもなく、その悪の中へ、彼らは内なるものから分離した外なるものの中にいたとき、盲目的な享楽から拉し去られたのである、と。
中央出版社/ロレンツォ・サーレス著/『シスター・コンソラータ』―愛の最も小さい道―P78
−イエズス−
「見よ、コンソラータ、人々は、私が霊魂に与えた恩恵の多少によって徳の程度を量るならわしである。しかしそれはまちがいである。私は意のままに、自由に行う。例えば私があなたに与えた大きな恵みは、あなたの徳に値するであろうか?
かわいそうなコンソラータ、あなたは何も徳をもっていない。功績(いさおし)もない。あなたは何ももっていないのだ! あなたは前に罪をもっていたが、私が永遠にその罪を忘れたから、今では、その罪は存在しない。
なぜ私はあなたに対して特別に、非常に多くの恵みを与えたのだろうか? 私は意のままに恵みを与えることができるし、それに私にはひとつの弱点があるのだよ、小さい霊魂が特に大好きだということ!
小さい霊魂があんまり大好きだから・・・だれも私を不公平だといって責めることはできない。最高位の主はその欲するままに、欲する人に、王のように豊かに、自分の宝物を与えることができるのだから。」(1935年12月15日)