石井藤吉(1871〜1918)
『天国への死刑囚』 石井藤吉ざんげ録
真菜書房
「名は汚し この身は獄に果てるとも 心は清め きょうは都へ」
石井藤吉は複数の人を殺した強盗でした。別件で(恐らくそれだけで死刑だったでしょうが)拘置中に自分の犯した“鈴ヶ森おはる殺し事件”で無実の人間が罪に問われているのを知って気の毒に思い、その犯人は自分であると自主(自白)します。最初は認められずに一審で無罪となりましたが、再度自分が犯人であることを弁護士を替えてまで主張し、二審で有罪となり、死刑が確定しました。そして監獄にいる間に訪ねてきたウェストとマクドナルドという外国人婦人宣教師2名の伝道によって彼はキリストに目覚めます。
その後の彼はわずか2年という短期間であったにもかかわらず、信仰は進み、その顔は耀きを増して、周囲の人間に感動を呼び起こすほどになります。そして最期に、「名は汚し この身は獄に果てるとも 心は清め きょうは都へ」 という辞世の句を残し、喜びのうちに刑に着いたのでした。
主はサンダー・シングを通じて2冊の貴重な本を教えてくださいました。1冊はトマス・ア・ケンピスの『キリストにならいて』であり、もう1冊は、石井藤吉についての本です。サンダー・シングの伝記の中で、彼が最後にチベットへ向かい、消息を絶つ前に読んでいたのが石井藤吉に関する本だったそうです。
「彼が出発する前、最後に喜びを以って読んだ本は日本の一囚徒がキリストの救いを得た記録『聖徒となれる悪徒』の訳A Gentleman in a prison であって、石井藤吉という死刑囚が真の救を得て如何に感謝の中に来世に希望を持ちつつこの世を去ったかを手記に基づいてミス・マクドナルドが書いたものであるが、その中には側線を幾個所か引いてあった。」
(『サンダー・シングの生涯と思想』金井為一郎著より)
自分も機会があればその本を読んでみたいと願っていました。すると、しばらくしてサンダー・シングが読んだミス・マクドナルドのものではありませんが、再刊されている石井藤吉自身の手記を主は与えてくださったのです。それがこの本です。細部は忘れてしまいましたが、犯罪は非常に重いにもかかわらず、不思議に清冽な印象を受けました。まさにイザヤ書の主の聖言を思い出します。
イザヤ1・18−20
「論じ合おうではないか、と主は言われる。
たとえ、お前たちの罪が緋のようでも
雪のように白くなることができる。
たとえ、紅のようであっても
羊の毛のようになることができる。
お前たちが進んで従うなら
大地の実りを食べることができる。
かたくなに背くなら、剣の餌食になる。
主の口がこう宣言される。」
昔、私の最も好きな本はドストエフスキーの『罪と罰』でした。(全部で5回読んだ気がします。)物語の最後は、シベリアの流刑地で風邪をひいてしばらく面会に来ていなかったソーニャが、その日久しぶりに囚人の作業場に現れ、広大なシベリアの、春も浅い青空の下、主人公のラスコーリニコフと二人が無言のまま佇んでいる、静かな、しかし、新しい希望を感じさせるシーンでした。「今はまだ始まっていないが、これからの彼の長い、再生の物語を綴るとすれば、それはまた1冊の本となるであろう」というような言葉で著者は締めくくっていたように記憶しています。今、思うのですが、その再生の物語の続きを主はこの本で私に与えて下さったのでしょう。
なお、婦人宣教師マクドナルドとは、カナダ人キャロライン・マクドナルド(1874〜1931)のことで、日本YWCAの創設者であり受刑者の救済活動、刑務所の改善、女性教育、労働運動など多方面に渡り近代日本の社会改革に尽くした人だそうです。彼女については『東京の白い天使』M・プラング著、鳥海百合子訳、教文館という本が出ています(当方未読)。
P92より抜粋
また(ルカ伝を)読んでゆきまして、いよいよ最後というところまで読みきまして、三四節にかけて読みますると、
「イエス言いけるは、父よ彼らを赦したまえ。そのなすところを知らざるがゆえなり」
私はこの一節のまことにわずかのおことばに、私の心には五寸釘を打たれるよりもなお強くしみ込みました。そもそもこの一言にて私はイエス・キリストのお心の中の愛と申しましょうか、お慈悲と申しましょうか、まことに何ともいうことのできないほどありがたく信ずることができました。またこのご一言にて、私は聖書の中の全部を信ずることができました。
そこで、わずかのご一言にていかにして、そのように信ずることができたかと申しますると、私の考えまするには、生きとし生ける者にはいかなる者が自分の大敵でございましょうか。自分の生命を取りに来る者ほど大敵の者はほかにありますまいと思いまする。否々思うどころではない、それ以上の大敵はないと断言いたしましても言い過ぎではあるまいと思いまする。そこでその大敵に、自分の大切なる生命を取られる最後の際に、その大敵を天の神に向かって、「父よ彼らを赦したまえ、そのなすところを知らざるがゆえなり」。このご一言にて、私はイエス・キリストはまことに神の子ということを確信いたしました。
そう言いますると、いかなることをもって神の子と信ずることができたかと思いますると、その理由は、普通の人間なれば少々のことにても、自分の心に違うとそくざに腹を立てるとか、また妬むとか、恨むとか、種々さまざまにありまする。それに引き換えて、イエス・キリストは自分の大切なる代わりのない命を敵に取られる時に、その敵人の罪を赦すように神に向かって祈りなされた。このことが普通人間でできることでありましょうか。とうてい人間ではできないことと私は固く信ずることでございまする。そこで人間でできないことをおやりなされば、神というよりほかに言いようがなきことと思いまする。
P95
キリストを信じた私
そこでキリスト教を信ずるようになりましてから、私の身の上にいかなるご利益(お恵み)があったかと申しますると、第一、人間のいちばん大切なるところの魂の滅びざる永遠の救いを受けたこと、そのおことばに言わく、
「まことにまことに汝らに告げん。わがことばを聞き、われを遣わしし者を信ずる者は限りなき命を保ち、かつさばきに至らず死より命に移れり」(ヨハネ5・24)
「イエス言いけるは・・・われに来たる者はわれこれを捨てず」(ヨハネ6・37)
かくのごときのありがたきおことばをば信ずれば、お見捨てもなく、また永遠に魂をお救いくださることは確かと私は信じました。また人間の魂というものは確かにあるということを、今回の入監後に自覚いたすことができました。
それはいかなることにて知ることができたかと申しますると、監獄内の運動場には在監者の目を喜ばせんために菊が植えてありまする。その菊は時期が来ますると、まことによき花を開いておりますが、寒中になりますると霜のために枯れてしまいまする。そこで人の目からちょっと見ますると、その菊は全部が枯れたように見えますが決して枯れません。また時が来れば芽が出て、りっぱに花を開きましたから、それにて私が思いますには、草々にても神さまのお恵みにて滅びるということがないから、まして人間の魂は確かにありて、神さまのみこころにかなえば不滅のものということも信ずるようになりました。
次に私が悪心のある時に、社会にて西へ行ったり東へ来たりして、何を見たり何を聞いたりいたしおりました時よりも、今日では監内にて少々の運動にて心の底より満足いたすことが出来まする。また次には、社会にていかなる美味の物を食うよりも、獄内にてまずい食物でもありがたく満足いたすことができまする。またその次には、いかに心に苦痛がありましても打ち勝つことが出来まする。またこの身にいかなる患難がありましても、かえって喜びがありまする。したがって日々の喜びは多きことでございまする。これらみなイエス・キリストのお恵みでありまする。かくのごとく以上のことはイエスさまのご利益です。
このところにお話しいたしますのは、イエス・キリストの力は人間にて計ることのできぬということをちょっと申し上げまする。そのことは先にも申し上げしとおり、私は十九歳より今日に至るまで二十余年間、法律は私を監獄へ入れて苦しめても見たり、また喜ばしても見たり、種々さまざまにいたして、私の心をば何とかして改心をいたさせようとなしくださいましても、少しも心が改まらず、かえってますます強悪心になりてしまいました。かくのごとくまことにまことに始末にならない悪心の私をイエス・キリストのご一言にて、心の底より前に犯した犯罪を悔い改めるようにしてくださいました。こんなお力はとうてい人間普通の人では持つことができぬと私は思いまする。
P102
私は前のとおりに、「キリスト教を信仰いたしておりまする」と答えますると、教務主任が言わく、「キリストの教えによってお前さんの心が改まりましたか」と言われましたから、私は「さようでございまする」と答えますると、さすがに教務主任だけありまして、そのおことばに言わく、「まことにけっこうなことでありまする。いかなる教えでも自分の心が改まればこれに過ぎたることはありません」と言ってくださいました。そこで私が思いまするに、実にこのお方は見上げた人と思いましてございました。
P144
それは私の性質は自分の親たちが信仰いたしておる宗教すらも信ずることができなかった自分のことでございますから、ましてキリスト教というものは耳にいたすも好まなかったことでございました。世間に言う食わずぎらいでありましたから、私の魂を主イエスに導くためには、ご両名様には二年余りの長い月日に、寒中の雪の日にも、また夏の暑い日にもおいといなく、代わるがわるにて何十回と数知れずお出でくださいまして、ご親切に私の滅びゆく魂をいかにもいたして主イエスさまに導いて、救ってやろうとおぼしめして、ご熱心のあまり、世間一般の人々は監獄という所は耳にいたすも好まぬ場所なるにもおいといなく、私一人にお話をなしくださるためにわざわざとご来監くだされたのを、私は前の鉱夫と同様に、神さまの教え、主イエス・キリストを初めの間は心に信ずることができませんでした。その自分の心をご両名のご熱心のために、ついにわが魂を主イエス・キリストにお導きくださいました。
かくのごときご両名様のお骨折りは、J・Kバーネイ夫人のお骨折りと同一にいたすことはできぬかと思いますると、そのご好意に対する感謝のことばを私はことばや筆で書き表わすことが、とてもとても百分の一もできないことでございまする。このご恩は私の魂の生みの親のご恩でございますから、永遠に忘るることができませんでございまする。
P148
第五に、「憂うるに似たれども常に喜び」であります。このおことばは私の今日の境遇を人の目から見れば、彼は死刑の宣告を受けておる身であるから、定めて日々に憂い心でおることであろうとおぼしめすなれども、私は決して憂い心もなく、煩悶苦痛もいたしませぬ。身は獄屋の一間九尺の1室に閉じ込められていても、かえって社会にいて神ということを知らなくて、日々罪を犯して日送りをいたしておった時よりも喜びはあふるるばかりであります。これは日々夜々一分時も絶え間なく、主イエス・キリストとお話しいたしておるからであります。
P187
この日は私は過去になしたる善悪ということを思い出しましたから、ここにちょっと書いて置きまする。それは私が犯罪をいたすようになりましてから今日までには、もはや二十七、八年になりますが、その最初にいたしました犯罪にても人様に難儀をかけたことは、なお今日にても忘れずに時々思い出しますると、まことに気持ちが悪くなりまする。またそれに反して、私でもたまには人様に対して少しにても良きことをいたしましたことを思い出しますると、まことに良い心持ちがいたしまする。
このことにつきて今日私がつくづく考えますには、この世の中にて人間お互いに生活いたしてゆきまするには、おのおの業務をいたしておりまするが、その業務の種類は千差万別で、実にたくさんのことでございまするが、そのいろいろの中にても人間の心にいちばん楽しみを持つ業務はいかなる業務であるかと考えますると、世の中の罪人を悔い改めさせて神さまのみ手へ導きをなす仕事ほど快楽な業務はほかになきことと思いました。またその罪人、すなわち神さまへ導きを受けた人の喜びは、これまた何ものにもたとえることはできぬと思いまする。
私は今回ご両名のお方から神さまへお導きを受けたことは、百万円の金子をいただいたよりもなおうれしく思いました。金子は使えば何万円の金子がありましてもなくなりまする。またこの世限りでありまして、魂が肉体を去ればそれこそ何百万円の金子がありましても何らの用も達しませぬ。それに反しまして、神さまよりの賜物は、いかなる方面へ使用いたしましても少しも減るということはありませぬ。かえって使用をすればするほどたくさんに増して来る。またそれがこの一世限りではない。永遠に使用いたすことができまするかと思いますると、まことにありがたき賜物でございまする。私はかくのごとくの賜物を受けましたから、いかなる方面へでも、その時の場合場合に使用をいたしまする。私はかくのごとくの賜物を受けましたから、この頃は日が長いからほかの在監者はまことに退屈をいたし、その上に時候も暑いことでありまするから、さだめて難渋であろうと思いまするが、私はそれと反対で、今日の日の長いのもまことに短くて、今少しの時間があればよいと思うことはたびたびでございます。また時候の暑いのもさのみ苦痛とは思いません。これ神さまの賜物でありがたいことです。
この日また典獄補のお方が相変わらずに、まことにありがたきおことばをもってお訪ねくださいました。そしてしばらく訪問をいたさなかったが体に変わりはないかなどおことばをおかけくださいました。このお心が私はまことにありがたきことだと思いまする。これにつき今日私の胸中を申し上げようと思いましても、ありがたさのあまり胸が迫って感涙が先に立ちまして、わが心の中の十分の一も書き記すことができません。かく申しますのは、私はまごころを申しますのでございます。
以上