知性
容器/
天界の秘義3387
[一]「即ち、もし神的真理そのものが明らかにされねばならぬとするなら、それは信仰の教義的な事柄の中にいる者たちによっては受け入れられはしないであろう、なぜならその神的真理そのものは彼らの合理的な把握をことごとく超絶し、かくて彼らの信仰をことごとく超絶し、従って主から善の何物も流れ入ることが出来なくなるからである。
なぜなら、しばしば示したように、真理は善の容器であるため、主から発した善、または神的善[神の善]は真理にのみ流れ入ることが出来るからである。」
[二]「真理または真理の外観は、神的善が人間の知性を形作り、かくてその人間そのものを形作ることが出来るようにとの意図の下に人間に与えられるのである。なぜなら真理は善が流れ入るようにとの目的のために存在するからである、なぜなら善は容器または受容器官がないならば、善は善自体に相応した状態を見出さないため、何ら善の場所を見出さないからである。
それで真理がない所には、または真理が受け入れられない所には、合理的なまたは人間的な善はなく、従って人間は霊的な生命を持っていないのである。それで、それにも拘らず人間が真理を持ち、そのことにより霊的な生命を得るために、真理の外観が各々の者にその把握に応じて与えられており、その外観は神的な事柄がその中に在り得るものであるため真理として承認されるのである。」
[三]「外観とは何であるか知られるために、またそれは真理の神的なものに代わって人間に役立つようなものであることを明らかにするため、例を取って説明しよう。