主は赦し給う

 

仲間を赦さない家来のたとえ(マタイ18・23)

主はユダをも赦された主は忘れてくださる

赦す赦せ

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.マリア・ワルトルタ

4.ヴァッスーラ

5.ピオ神父

 

 

 

1.聖書

 

 

詩篇32・5

 

わたしは罪をあなたに示し

咎を隠しませんでした。

わたしは言いました

「主にわたしの背きを告白しよう」と。

そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを

赦してくださいました。

 

 

 

エレミヤ31・34

 

そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。

 

 

 

主の祈り(マタイ6・12)

 

我らが人に赦す如く

我らの罪を赦し給え。

 

 

 

マタイ6・14−15

 

 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。

 

 

 

マタイ18・21−22

 

そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」

 

 

 

ルカ7・44−50

 

そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。

 

 

 

ルカ15・17−20

 

そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。

 

 

 

ルカ23・34

 

そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」      

 

 

 

ヘブライ8・12

 

わたしは、彼らの不義を赦し、

もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

真の基督教409

 

主の来り給わぬ以前は、殆ど何人も内なる人と仁慈とは何であるかを知らなかった。これが主が極めてしばしば兄弟愛即ち仁慈について教えこみ給うた理由であり、これが旧約聖書と新約聖書との相違を作っている。善は仇と敵に為さねばならぬことを主はマタイ伝において教え給うた。

 

「古の人に汝の隣を愛し、なんじの仇を憎むべしと云えることあるを汝ら聞けり。されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを呪う者を祝し、汝らを憎む者に善を行い、汝らを害し、責むる者のために祈れ。これ天に在す汝らの父の子とならんためなり。」(マタイ5・43−45)

 

しかして、ペテロが主に「幾度わが兄弟我に向かいて罪を犯さんに我これを赦すべきや、七度までか」と尋ねた時、

 

「イエスは彼に向かい、七度迄とは我言わじ、七度の七十倍までと言うなり」と答え給うた(18・21、22)。

 

 私はまた、主は凡ゆる人間の罪を赦し給うことを天界から聞いたのである。なぜなら、彼がペテロに七度の七十倍まで赦すように語り給うた以上、彼自身何を赦したまわないであろうか。

 

更に、彼は愛そのもの善そのものにて在す故、罪に対して決して刑罰を加え給わず、また決して、罪を彼らに帰し給わない。にも拘らず、罪は悔改めに依らない限り、拭い去られないのである。

 

 

 

 

3.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ24・6/天使館P196

 

聖母がマリア・ワルトルタに:

 

自分の過ちを認め、それを心から悔やみ、謙遜に、誠実な心で表明する者をは赦してくださいます。赦してくださるだけでなく、報いてくださいます。おお! わたしのは、謙遜で誠実な者にどれほど慈悲深いことか! を信じ、に信頼する者に!

 

鈍重で、塞がれているあなたたちの霊を解き放ちなさい。光を迎えるために、精神を整えなさい。闇の中の灯台のように、は案内者であり、聖なる慰めです。

 

との友情は、その信徒たちの至福、他に匹敵するもののない富であり、それを所有する者は決して孤独ではなく、絶望の苦さを味わうことはありません。聖なる友情は苦しみを皆無にはしません。苦しみは受肉されたの定めであったし、人間の定めでもありうるのですから。でも聖なる友情はこの苦しみを、その苦しさの中で甘くし、天上的な一触で、十字架の重みを軽くする光と愛撫をそれに混ぜ合わせてくれるのです。

 

それゆえ神の全善があなたたちに一つの恩寵を与えるなら、その受けた良いものをの栄光のために用いなさい。良いものを有害な武器にするような愚か者たち、あるいは富は赤貧に変える放蕩息子たちのようであってはなりません。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩 下/P173 (マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/2卷P417/119)

 

「あの方に私の過ちを聞いてもらいたい・・・洗者に話したが、こっぴどく叱られたものだから逃げてしまった。私のような者は許されないだろう・・・」

「何をしたのだ」

「たいへん悪いことだ。あの方だけに話したいが、どう思う? 呪われるだろうか? 」

「いいや。イエズスがベッサイダで話しているのを偶然そこに居合わせて聞いたのだが、一人の罪の女について話していた。ああ、何ということば! そんなことばを言われたいために私も罪人でいたかったほどだ・・・」

「ほら、おいでになるぞ」とだれかが叫ぶ。

「たいへんだ! 恥ずかしい! 」こう言うと、さっきの人が逃げ腰になった。

「子よ! どこに逃げるつもりですか。光を憎むほど心は暗いのか。許しである私を恐れるほどの罪を犯したのか。どんな罪か。あなたの中に、“本当の”後悔があれば、たとえ神を殺したとしても恐れるべきではない。泣くのではない。それよりも一緒に泣きましょう」

逃げかけた人をつかまえたイエズスは自分に引き寄せると、群集に向って言った。

「一分だけ時間をください。この人を慰めたい。すぐあなたたちのもとに戻ります」

 家に向かい角を曲がろうとした時に、そこに隠れていたヴェールの女に触れた。イエズスは一瞬その女を見つめ、そこから十歩進むと立止まって話を聞き始める。

「子よ、どうしたのか」

 五十がらみの男は、数々の邪欲に焼かれ、秘密の苦しみに心が荒れている顔をしており、ひざまずくと腕を伸ばしてしぼり出すような声で叫んだ。

「父の全財産を使って女たちと楽しむのを邪魔されないように母と兄とを殺しました・・・その後、平和が消えた・・・私の糧は血ぬられていた。私の眠りは・・・悪夢・・・私の快楽は、女たちの胸に抱かれ淫蕩の叫びの中に、この手で殺した母の体の冷たさ、この手で毒殺した兄のあえぎをなぞっていた。快楽の女たちに呪いあれ。蛇のような、飽くことを知らないうつぼ。私の滅び! 私の滅び! 」

「呪うな。私はあなたを呪わない」

「私を呪わないのですか」

「いいえ。私は泣いてあなたの罪を背負います。何と重い、押しつぶされそうですが、これを背負ってあなたに許しを与えます。そうです。あなたの罪を許します」

 しゃくりあげながら、すすり泣く男の頭に手を伸ばして祈る。

「父よ、私の血はこの人のためにも流されます。いまは、私の涙と祈りを。父よ、この男は痛悔しているので許してください・・・」

 かがんで男に手をかして立たせる。

「罪が許された。あなたはいまから、犯した罪の償いの生活を送るべきです」

「神は私を許されたのですか。では母は? 兄は? 」

 イエズスが答える。

「神が許す罪はだれからも許されます。さあ、行きなさい。もう二度と罪を犯すのではない」

男は号泣し、イエズスの手に接吻する。イエズスは泣いている男をそこに残して家に向かう。ヴェールの女はイエズスに近づこうと身じろぎするが、しかしすぐにうつむき動かない。イエズスは、女に目もくれず通り過ぎる。

群集の前にふたたび姿を現わして、イエズスはこう言われた。

「一人の霊魂が主に戻りました。ご自分が造られた霊魂たちを、とぐろを巻く悪魔から奪い返して天の道に戻らせる全能の神が祝福されますように」

 そして“私はあなたの神なる主である”という十戒の説明を始める。

 

 

 

マリア・ワルトルタ25・11/天使館1巻P208

 

聖母がマリア・ワルトルタに:

子らよ、わたしたちのために、に仲裁していただくには、希望し、祈り、赦さねばならないのです。あなたたちも、あなたたちの受難を生きなさい。あなたたちの犯した罪に値する受難を。喜びつつ、いかに受難を克服し、それを変えるかをわたしはあなたたちに教えましょう。法外に希望しなさい。信頼を失わず祈りなさい。赦されるために赦しなさい。子らよ、の赦しこそあなたたちが熱望している平和なのです。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P156

 

あなたたちの中にあるはずの愛は、彼らからすべての恐れを追い出すようにせよ。ヨハネの手紙にあるとおり(ヨハネ第一の手紙4・18)。しかし恐れを抱かせる人にも完全な愛はない。それで“どうしたのか”と言うな。“さあ、ここを去れ”と言うな。“お前のような人は、よい愛に対しての趣味を持っているはずがない”と言うな。その代りに、私の名前でこう言え。“愛せよ、そうすれば私があなたをゆるす”“おいで。イエズスの腕が開かれている”と。“天使のパンとこの言葉を味わい、地獄の瀝青とサタンの嘲りを忘れよう”と言え。

 使徒は、自分と他人の十字架といっしょに自分と他人の弱さを背負うべきである。そして、傷を受けている羊を背負って私のところに来る時に、このさまよった人をこう安心させて“今からすべてが忘れられた”と言え。

 そしてまた“救い主を恐れるな。彼は天からあなたのために、本当にあなたのために来られたのです。私はあなたを待っている。あなたを聖なる牧場に連れて行きたい。彼のところにあなたを渡す橋にすぎないのである”。

 以上の言葉は、よい牧者にいつも誠実であったあなたたちにあまり関係ないかもしれないが、しかし、あなたの心に信頼を大きくし、多くの人にとって私に来るように励ましとなり、しおれかかった花の再生に役立つ露となるであろう。顔を上げよ。天は上の方にある。マリア(著者のこと)平和に行け。主は、あなたとともにおられる。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/329・9/5巻中P84

 

 しかし、それでも神はお赦しになります。もしも、その魂が悪行と縁を切り、それからの人生で、人間の真の目的を追求しようとするならば、その目的は、真の神の王国の中で永遠の平安を得ることです。あなたは今まで悪の道を歩いてきましたか? あなたはがっかりして、もう今からでは正しい道を歩くのには遅すぎると思っていますか? 『こんなことは少しも知らなかった! 私は無知で、どうしたらよいか分からない』と、惨めな気持ちになりますか? いや、そんなふうに考えることはありません。この世の事を最初からやり直すには、たいへんな時間や労力がいりますが、信仰においては、そうではありません。永遠の真理である主なる神は実に気前がよく、あなたが道を間違えた所まで、あなたを戻らせることはないのです。『私は真理を望む』と言った途端に、神の気前のよさが分かります。真理とは、つまり神ですから、神は完全に霊的な奇跡によって、あなたに上智を注ぎます。それによってあなたは無知だった状態から、超自然的な知識を得ることになります。まるで何年も前からその知識を持っていた人々のように。

 上智とは、神を欲すること、神を愛すること、自分の魂を養うこと、神の王国へ向かうことです。肉的、この世的、悪魔的なすべてと縁を切ることです。上智とは神の掟への服従です。それは、愛、従順、節制、誠実の掟です。上智とは、自分のすべてで神を愛し、隣人を自分のように愛すること。これらが神の智において賢くなるために、不可欠な要素です。そして隣人とは、自分の血族や、同じ人種、同じ宗教の人々ばかりではなく、すべての人のことです。富んだ人、貧しい人、賢い人、無知な人、ヘブライ人、フェニキア人、ギリシャ人、ローマ人・・・」。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P13

 

 わたしはあなたたちを救い、数えきれない方法で再び救い、あなたたちの犯した七千回の罪を赦し、更に七千回赦した。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P68

 

 まことにわたしは言う、人間的な罪を犯してそれを痛悔する不幸な人々を、わたしは胸に抱きしめる。わたしにはすべてが出来るということを、彼らが常に認めているかぎり。しかし、人間的な学問の一教義に基いて、わたしが与えるようにとが望んだ顕示における超自然性を否定する人々には裁き主の顔で望むだろう。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P108

 

 あなたたちの霊魂の眼が完全に見えなくなる前に、医師と光のもとに来なさい。血がこぼれ溢れて死の湖になる前に、生命の源に来なさい。あなたたちの貧しい愛の能力をひとつに集め、それを神に向けなさい。肉欲とサタンが盗んだあとの残りの愛の欠けらをあなたたちが彼に捧げても、愛はあなたたちを赦すだろう。

 財産の初物と財産の総体は、神に捧げられるべきだ。しかし、もしあなたたちがそうすることを知らなかったとすれば、おお、わたしの命で買い取った子らよ、偉大で、力づよく、慈悲深い主に、あなたたちにまだ残っているものを捧げなさい。あなたたちの心の貧しさ、福音的清貧ではないが、人間的な貧しさにおいて、肉に拒否した残りの最後の一個の小銭をあなたたちの心から剥ぎ取りそれをわたしにください。わたしの愛する者のために生命を犠牲にするのは少しも苦にならないのをわたしは知っている。あなたたちにとって一つの口づけを犠牲にすることが少しも苦にならないのと同じで、愛が彼を酔わせているからだ。そして捧げるものとは不釣り合いなあなたたちの努力に対して、あなたたちが与えたものとは不釣り合いな褒美をわたしはあなたたちに与える。わたしのもとに来さえすればそれを与えるつもりだ。

 

 

 

 

4.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/あなたは預言を無視しますか/P225

 

神と出会うための鍵は、まさに祈ることです。まず、自分の生活を規則にかなったものにしなければなりません。神はとても慈悲深い方です。神は私たちに話してくださるのに、私たちの完璧さとか、私たちが聖人になることとかを期待なさってはいません。現世に生きる私たちを、あるがままに受け入れてくださいます。私たちに恩寵を与えてくださり、こう言われます。「あるがままの姿で来なさい! 欠陥だらけのままで。それでも、私はあなたがたをゆるそう。だが一歩前へ進みなさい!」。すべてのことが奇跡的に起こることを期待している人々がいます。たくさんの方が私のところに来て「すみません。私は神の答えをいただいたことがありません。でも私のために祈ってください」とおっしゃるのです。ご当人は何もしようとしません。自分でできるだけのことをやってみたかどうか、考えるべきなのですけれど。一言で言えば、神のために決心しなければなりません。神は心をご覧になりますから、神のために決心しなければ、誠実に進むことはできません。誠意がなく、口先だけで祈っても、決して進歩はしません。神と出会うことは一度もないでしょう。ある青年から、「でも私は祈り方を知りません。一度も祈ったことがありません。どうすればいいのですか?」と尋ねられたことがあります。私はこう答えました。「親友になら、話すことはできるでしょう?」。「もちろんです!」と彼。それで私は「神はあなたの親友ですよ。話しさえすればいいのよ。神とおしゃべりしなさい! とても簡単なことよ」と答えました。「ただそれだけでいいんですか?」。「もちろんよ。親友に話すようにお話しすればいいのよ。なんでも話すの。背中が痛ければ、まずそのことを話してごらんなさい。神とお話しすれば、その話は神に向かうのだから、祈りになるのよ」。

 

 

ヴァッスーラ/私の天使ダニエル/P45

‘86・9・7

あなたに平和。 来て 悔い改めなさい。

 

 どうすればいいですか?

 

こう言って祈るように:「お父さま、わがすべての罪をお赦し下さい。」

こう祈るとき、心をこめて神を讃えなさい、言葉に気持ちを込めて。 ダニエル

 

 

ヴァッスーラ/私の天使ダニエル/P63

‘86・10・11

あなたに平和。

 

 神のメッセージを受け取るのがどうして私なのですか?

 

私、神が、選ぶ。 私があなたを選んだ。 メッセージを授けるように育ててきた。

 

 最近お決めになったことですか?

 

これが私の答え:母の胎であなたが形づくられる以前に、私、神が、計画した。 私のやり方を学ぶように ♡

 

 本当にその間沢山の罪を犯しました!

 

赦しを願うなら すべての罪は赦される。 これからはそばにいなさい 道を案内する。 まだ教えているところだから間違いを犯しても落胆しないように。 私、神は、全能者。 全宇宙は我が手中にある。

 

5.ピオ神父

 

ピオ神父/魂の酸素81

 

 あなたはこれまで長い間、主を愛してきたのでしょう? 今でも、愛しているのでしょう? そしてこれからも永遠に、愛して行きたいと願っているのでしょう? それなら、おそれてはなりません! たとえあなたがこの世にある罪をことごとく犯したと知っても、イエスはこう言われるでしょう。

「あなたの多くの罪はゆるされた。あなたは多く愛したからである!」