イエス

 

 

救い主人名

 

 

 

 

マタイ1・21

 

マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。

 

 

 

使徒言行録4・12

 

ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。

 

 

 

聖書と典礼2002年12月22日注

 

イエス・・

「ヨシュア」のギリシャ語名。ユダヤ人の男の普通の名前であるが、この名には「主は救い」という意味がある(マタイ1・21参照)。

 

 

 

天界の秘義3005

 

 「イエス」は内意では神的善であり、「キリスト」は神的真理であることは聖言の多くのものから認めることができよう。「イエス」が神的善であることは、「イエス」は「安全」、「救い」、「救い主」を意味しているという事実から発しており、それがこれらのものを意味しているため、神的善を意味している。なぜなら救いはことごとく主の愛と慈悲とに属している神的善から発し、かくてそれはその善を受容することにより遂行されるからである。

 

 

 

真の基督教298

 

前述の凡ての記事における神の名は、神から発するところの、而してそれに従って神が礼拝されるところの神性を意味している。イエス・キリストの名は救いにかかわる凡ゆるものを意味し、即ちイエスは贖罪による救いにかかわる凡てのものを意味し、キリストはその教義による救いにかかわる凡てのものを意味している。

 

 

 

神の摂理53

 

この理由から、主の人間または霊または天使との結合は、凡て神的なものに関わりのあるものは彼らから発しないで、主から発しているという結合である。なぜなら人の持つ善の凡てと真理の凡ては主から発していて、人間自身から発しておらず、何人も主によらなくては主またはその名の『イエス』を口にすることすら出来ないことは知られているからである。

 

 

 

 

聖母マリアの詩下P363訳者注

 

ヘブライ語でイエズスという名前は“神が救う”という意味である。マテオ1・21、使徒4・8〜12.

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々2・P390

 

まことに言うが、私の名前を信じていれば、己の霊魂を救うに十分です。なぜなら、私の名前は救いだからです。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々2・P408

 

イエズスという名は肉体となった神の愛を意味するもので、新しい時代のしるしとなります。この愛を皆に知らせたい。そうです、イエズス万歳!イエズスは“救い主”という意味だから、私はおまえたち皆を救います。私は、金持ちも貧乏人も、子供も老人も、イスラエル人も異邦人も、皆を救いたい。あなたたちに救われたいという気持ちさえあれば、イエズスは皆のためにあるものです。特定の人のものではありません。イエズスは皆のものです。すべての人間のためのものです。私は、皆のあわれみの愛と、確かな救いです。イエズスのものとなり、救いを得るには、どうする必要がありますか。それは小さなことであると同時に“大いなる”ことです。偉い王たちが行う難しいことという意味ではなく、人は、このようなことをするため、心改めてイエズスのものとなるために、新しい人となるべきだから“大いなる”ことなのです。そのためには、愛、謙遜、信仰、諦観、あわれみが必要です。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々3・P341

 

事実、イエズスとは救い主という意味です。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P97

 

 ごらん、日没の残光に照らされて、ユダヤの山々が見えます。その彼方には海があり、それから他の世界がある・・・ペトロ、この世界があなたを待っている。あなたは真の神の存在を知らせ、偶像崇拝の闇の中をさまよう霊魂に真の光を与え、神の存在を教えるでしょう。(中略)

 

私の教えは霊的な旅人を天の道へ導く星となろう。ああ、ペトロ、祝された岩よ、あなたは私と一致して唯一の星、私の教えの案内者となろう。人は私の名によって救われる。そのときのために祈ろう。『天にまします我らの父よ・・・』

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P151訳者注

 

「ザケオ、恐れないで、あなたのイエズスはイエズス(*)となるでしょう」

 

*救い主、実際ヘブライ語ではイエホシュワ(イエズス)は、ヘブライ語でヤーヴェが救うを意味する。マテオ1・20〜21、使徒4・12参照。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P92

‘88・1・2

 

わが神 どこかで読んだのですが、教会が新しい啓示をなかなか受け入れようとしないのは、知るべきことがすでに聖書にすべて書かれてあるからだということです、それで新しい啓示を受け入れないのです、新しいといっても、テーマが新しいのでなく、聖書とは別だという意味で新しいので、聖書からはみ出すことを恐れています、新しい個人的な啓示は道を逸らせはしないかと考えて・・・

 

ヴァッスーラ 被造物が目の前で今にも敵の罠に落ちそうになっているのを見るとき、急いで助けたいと思うかわりに ただ座って落ちるのを眺めているだろうか? 安息日に水腫の人を助けたのを覚えているか? ファリサイ派の人たちに何と尋ねたか?

 

主よ、聖書の中を調べなければなりません。

 

では 私のみことばを取って来なさい ♡ (そうしました、そして調べました(*)。―ルカ14・1−6) ♡ そうだ 娘よ、私は尋ねた、「安息日に人を癒すのは 法に背いているか いないか?」 彼らは答えなかった、私は言った、「ここにいるあなた方のうちで、自分の息子や牛が井戸に落ちたときに、安息日だからといって引き上げるのをためらう者がいるだろうか?」これに対し 今日まで彼らは答えを見出せないでいる(*)。 今日この啓示を拒む者たちにこの問いを投げかける、 ♡ 「あなたの時代に 今日の摂理によるわざによって 私たちの被造物を転落から救うことは 私の法に反するか?」 ヴァッスーラ、私はイエスであり イエスとは救い主を意味する ♡♡♡

  この一文は、私たちの時代にとって象徴的です。

 

皆に知らせてください 主よ、それなら皆に 主よ 今言われたすべてを思い出させて下さい。

 

愛する者よ 彼らは私の心に茨の冠をかぶせた、私の聖心は血を流している

 

イエス、皆はこのことに気づいているでしょうか?

 

♡ 私はそっと彼らの戸口に立ち 前触れなく家に入り 私の聖心を示す、誠実な人なら自分の誤りに気づく ♡♡ 来なさい 娘よ、「私たち」(us, we?

 

はい 主よ、一致のうちに。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P125

‘88・1・29

 

♡ ヴァッスーラ、いいえ、主はがっかりしておられませんあなたがどうしようもなく弱くみじめな者だとご存じですから、落胆しないように、イエスはあなたを教え あなたはイエスを喜ばせています、けれどその要求に従順に さらにお喜ばせするように、覚えていて下さい イエスは決してあなたを害する要求はなさいません、あなたの救いを願っておられるのです、イエスとは救い主という意味です ♡♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P14

‘88・8・20

 

しかし主よ、偽りの幻視もあります、啓示さえも!

 

そう 確かにそうだ、しかし非常に間もなく その覆いをはがし これらが偽りだと分からせる ♡ どの父親でも 来る年も来る年も子が道を誤っているのを見るなら 注意するであろう? また子が騙されているのを見て 黙っている父親がいるだろうか、注意を与えて真実を教えないだろうか? では愛と慈しみである私が、真実を示しに飛んで来るかわりに 沈黙したまま子を危険に曝しておくであろうか? 理解しようとしなさい・・・(*)

 *ここで神は非常に忍耐深い父親として話されました。