「人名」
13.ザケオ(ザアカイ)
16.パウロ
18.擬人化
22.エフネの子カレブ
31.ステファノ
32. バルナバ
33.トマ
34.ヨブ
13.ザケオ(ザアカイ)
マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P146
私は人間の心の中を読むと同じく、その行為も知っています。私のところまで来ようとして努力した者には正しく報います。そしてザケオの行い、その考え、その苦労を知っていたのと同様に、私を歓迎したこの町には、霊的よりも感傷的な愛で迎えてくれた者が多いことも知りました。もし正義をもって愛しているなら、この同じ町の民であるザケオに対して、もっと同情を示したでしょう。彼の過去の生活をわざと思い出させて、辱しめたりしなかったでしょう。彼はその過去をもう清算し、神ご自身も、もうその罪を消されました。一度ゆるしが与えられれば、その人が再び罪を犯さない限り、神は過去を掘り起こすことはなさらない。罪のために彼を裁くことがあるなら、それは彼の新しい罪のためであって、すでにゆるされたことのためではない。
マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P147
イエズスの履き物を脱がせて足を洗い、サンダルにまた足を戻す前に、その裸足に口づけし、自分の首の上に載せて言う。
「こうさせてください。以前のザケオの残りかすを踏み潰してください」
マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P148
「(前略)彼らの惨めな生活を理解するには、私はあまりにも多くの罪を犯しましたが、私もあなたが皆に与えてくださる喜びを、良心の呵責を感じないという喜びを、その人たちに与えたいのです。主よ、私のやり方はやり過ぎだったでしょうか?」
「いや、よくやりました、ザケオ。あなたは彼らが望む以上のことを与えました。私が人間に与えたいと思っているのは、あなたが想像する以上のものです。ゆるされて良心の呵責もなしにいられる喜びだけでなく、近いうちに天の国の民になるという喜びもです。私は、あなたがやっていることを知らなかったのではなく、険しいが光栄ある愛の道に進んでいるのを見守っていました。それは純粋な愛の徳だからです。あなたは御国のことばを理解したが、それを理解した人は少ない。多くの者は在来の考え方に縛られ、すでに自分は知識深い義人であると思い込んで生きています。あなたは心から過去を悔いて、空になったその心の中に、新しい未来、永遠を入れようと望み、そうしました。ザケオ、今までのようにやっていれば、あなたは主イエズスのよい税吏になるでしょう」と、イエズスは微笑みながら、ザケオの頭に手を置く。
16.パウロ
(デボラ/生ける神よりあかされた英知/3巻下P112)
18.擬人化
(スウェーデンボルグ/主イエス・キリスト/55)
(実際には一つのものとなっている者たちを多くの者として話すという)文字の意義におけるこの聖言の特徴の結果、基督教徒らは、かれらは最初は単純な人々であって、凡ゆる物をその言葉の文字の意義に従って理解したため、その神性を三人格に区別したのである。このことはかれらが単純であるために許されたのではあるが、
22.エフネの子カレブ
民数記13・30
カレブは民を静め、モーセに向かって進言した。「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」
31.ステファノ
マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々3・P49
慎み深い婦人たちは退室し、弟子たちもこの婦人たちについて行くが、イエズスはイザク、祭司ヨハネ、ステファノ、エルマ、また羊飼いのマティアとヨゼフを呼ぶ。
32.バルナバ
マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P39
33.トマ
「(前略)」と、いつも優しいトマが決めつけるようにそう言う。
34.ヨブ
マリア・ワルトルタ/受難の前日/P130
主:
「私はヨブの言葉を借りて答えます。ヨブは苦しむ者の姿、すなわち私の姿です。ヨブはこう言っています。『あなたたちが正しいとは、私は決して思わない。私は最後まで自分の無実を言い張り、正義を頼んで、それを離さない。私の心は決して自分の日々を恥じない(ヨブ7・5〜6)』