カイン

 

迫害アベル花を踏みつける

 

 

1.愛から分離した信仰の教義

2.ヴァッスーラ

 

 

 

 

1.愛から分離した信仰の教義

 

 

天界の秘義325

 

最古代教会は愛を通して、主を信じる信仰を持ったが、しかし愛から信仰を分離した者が起こったのである。愛から分離した信仰の教義はカインと呼ばれ、隣人に対する愛である仁慈は『アベル』と呼ばれた。

 

 

 

天界の秘義326

 

その各々の礼拝が記されており、愛から分離した信仰の礼拝は『カインの捧げ物』により、仁慈のそれは『アベルの供物』により記されている(創世記4章3、4節)

 

 

 

天界の秘義327

 

分離した信仰を持った者の状態が悪くなったことが、カインの『怒りが燃えて、その面が垂れた[その面を伏せたこと]』により記されている(5,6節)。

 

 

 

天界の秘義328

 

信仰の性質は仁慈から知られている。若し信仰が第一義的なもの[主要なもの]にされないで、仁慈の上に挙げられないなら、仁慈は信仰とともになろうとするのである(7節)。

 

 

 

天界の秘義329

 

信仰を(仁慈から)分離して、それを仁慈の先に置いた者の中には仁慈は消滅してしまったことが『カインはその兄弟のアベルを殺した』ことにより記されている(8,9節)。

 

 

 

天界の秘義330

 

消滅してしまった仁慈は『血の声』と呼ばれ(10節)、歪められた教理は『地からの呪い』と呼ばれ(11節)、そこから発した誤謬と悪は『地の逃亡者、またさすらい者』と呼ばれている(12節)。そして彼らは主に反したため、永遠の死の危険に陥った(13,14節)。しかし仁慈がその後植え付けられるのは信仰によったため、信仰は犯すことの出来ないものとされ、それは『カインに置かれた印』により意味されている(15節)。そしてそれがその前の位置から遠ざけられたことは『カインはエデンの東の方に住んだ』ことにより意味されている(16節)。

 

 

 

天界の秘義383

 

13節「カインはエホバに言った。わたしの不法は大きくて、とり去ることはできません。」『カインはエホバに言った』は、或る内なる苦痛から生まれてくる、自分が悪の中にいるという或る告白を意味し、『わたしの不法は大きくて取り去ることはできません』は、そのための絶望を意味している。

 

 

 

天界の秘義384

 

ここに善い何かの物が依然カインに残っていたことが現れているが、しかしその後仁慈の善はことごとく死滅してしまったことがラメクについて言われていることから明白である(創世記4・19,23,24)。

 

 

 

天界の秘義389

 

 『凡て彼を見つける者は彼を殺すであろう』は悪と誤謬のことごとくが彼を破滅させるであろうということを意味することは既に述べたことから生まれている。なぜなら事実は以下のようであるから、即ち、人間は自分自身から仁慈を剥ぎとる時自分自身を主から引き離すのである、それは人間を主に連結するものはひとえに仁慈であり、即ち、隣人に対する愛、慈悲であるからである。仁慈がない時、分離が起り、分離が起る時、人間は自分自身にまたは自分自身のものに委ねられ、かくて凡てその考えるものは誤りとなり、凡てその意志する所は悪となる。これが人間を殺し、または人間に生命を些かも残さなくなるものである。

 

 

 

カインとアベル

黙示録講解427イ

アベル・・・仁慈の善

カイン・・・信仰の真理

 

『エホバはカインの上に、彼が殺されてしまわないように、ある印をつけられた』

エホバは彼を他の者らから区別されて保持されたことを意味しているのは、救う信仰は歴史的な信仰が先行しない限り与えられることは出来ないためであり、そのこと[歴史的な信仰]は他の者たちから教会と天界との事柄を知ることであり、約言すると、それは信仰を後になって構成するような事柄にかかわる知識である、なぜなら人間は幼時から聖言から、または教会の教義から、または説教から真理を吸引しない限り、彼は空虚なものとなってしまい、空虚な人間の中へはいかような働きかけも行われることは出来ず、主から天界を経ていかような流入も注がれることは出来ないからである、なぜなら主は人間のもとに在る真理の中へ善を通して働きかけ、流れ入られ、真理と善とを連結され、かくて仁慈と信仰とを一つのものとされるからである。

 このことから『エホバはカインの上に、たれも彼を殺さないように、またたれであれ彼を殺す者はことごとく七倍の復讐を受けなくてはならない』の意義を認めることが出来よう。さらに、単なる歴史的な信仰の中にいる者らは、すなわち、信仰を構成しているような事柄にかかわる知識の中にいる者らは―彼らは『カイン』により意味されている人物または信仰であるが―これらの者はまた聖言から真理を他の者たちに教えるために―そのことを彼らは記憶から行うのであるが―保持されるのである。

 

 

 

天界の秘義609

 

 『ノア』と呼ばれたこの教会の人の状態は最古代教会の人のそれから全く変化したため、彼はもはや―前に言ったように―最古代の人と同じ方法で教えられ、明るくされることが出来なかったのである、なぜなら彼の内なるものは閉じられてしまい、かくて彼は天界との交流[連なり]を、無意識的なものを除いては、最早持つことが出来なくなってしまったからである。また同じ理由から彼は、前に言ったように、感覚または諸感覚の外なる方法によらなくては教えられることも出来なかったのである。そのため、主の摂理の下に、信仰の諸々の教義的な事柄が、最古代に与えられた諸々の啓示の若干のものと共に、この子孫に用いられるために保存されたのである。この教義的な物は先ず『カイン』により集められて、失われないように貯えられたのであり、それ故カインについては『たれも彼を殺さないように、印が彼に置かれた』と言われている(このことについてはその所に言われたことを参照されたい、415節)。この教義的な事柄はその後『エノク』により教義にされたが、しかしこの教義は当時たれにも用いられないで、子孫のためのものであったため、『神は彼を取り去られた』と、言われている(524節参照)。信仰のこの教義的な事柄はこの子孫または教会に用いられるため主により保存されたものである、なぜなら認識が失われてしまうことが主により予見され、そのためこの教義的な物が残るように定められたからである。

 

 

 

天界の秘義916[2]

 

教会はそれが仁慈からまたは仁慈の善から行動する時霊的なものと呼ばれ、それはそれが仁慈の無い信仰を持っているという時は決して霊的なものと呼ばれはしないのである。なぜならその時それは教会でさえもないからである。なぜなら信仰の教義は仁慈の教義でなくて何であろう。そして信仰の教義は人間はその教えることを為さなくてはならないということを除いては何を目的とするであろうか。それはその教えることを単に知りまた考えることで在り得る筈はなく、その教えることは為さなくてはならないということのみである筈である。それ故霊的教会はそれが信仰の教義そのものである仁慈から行動する時始めて教会と呼ばれるのである。または、それと同一事ではあるが、教会の人間はそのとき始めて教会となるのである。丁度それと同じように、戒めは何のためにあるのであるか、それは人間がそれを知るためではなく、その戒めに従って生きるためではないか。なぜならそのとき彼は、主の王国はもっぱら相互愛とその幸福とに在るからには、彼自身の中に主の王国を持つからである。

 

 

 

天界の秘義916[3]

 

仁慈から信仰を分離し、救いを仁慈の善い業のない信仰に在るとする者は、その兄弟のアベルを、すなわち仁慈を殺すカインの輩である。そして彼らは死骸の周りを飛び回っている鳥のような者である。なぜならこうした信仰は鳥であり、仁慈の無い人間は死骸であるからである。かくて彼らは基督教世界に良く知られているように、悪魔のように生活し、隣人を憎悪し、迫害し、その生涯を姦通に費やし、しかも救われるために、彼ら自身のためにまた似而非良心を形作るのである。人間は野獣のような生活をしていても、救われることが出来るということを聞いて、それを納得するにまさって快適なことが彼に在り得ようか。異教徒すらそれは誤っていることを認めており、その多くの者は基督教徒の生活を見ているため、基督教徒の教義を忌み嫌っているのである。こうした信仰の真の性質は、基督教世界における生活以上に忌まわしい生活はどこにも見出されないという事実からもまた明白である。

 

 

 

天界の秘義920[3]

 

しかしその子孫におけるように、その教会が衰微し、かの認識が、または天界との交流[連なり]が失われ始めた時、他の状態の事柄が始まったのである。そのとき人間は以前のように、感覚の対象の中に天界的なものを最早何ら認めなくなって、単に世的なもののみを認め、そしてそれは彼らの認識が失われるに比例して増大し、遂には丁度洪水以前に存在した最後の子孫のもとでは、彼らは対象の中に世的な、形体的な地的な物以外には何ものをも認めなくなったのである。かくて天界は人間から分離し、彼らもまた極めて微かにしか交流しなくなり、地獄との交流がそのとき人間に開かれ、そこから彼の全般的な観念が発したのであり、その全般的な観念から、すでに示したように、凡て個別的な物の観念が流れ出ているのである。かくて天界的な何らかの観念[考え]が示されると、それは彼には全く無意義なものとなり、そのため遂には彼らは霊的な天的な物が存在することを承認しようとさえ欲しなくなったのである。このように人間の状態は変化し、転倒したのである。

 

 

 

天界の秘義920[4]

 

主は人間の状態がこのようになることを予見されたため、人間が天的なものと霊的なものとを知るようにと、信仰の教義的な事柄を保存されたのである。この教義的な事柄は『カイン』と呼ばれた者たちにより、また『エノク』と呼ばれた者たちにより最古代教会の人たちから集められたのである。

 

 

 

天界の秘義3325[11]

 

 霊的な教会では、その初めには、またはそれが設立されようとしているときには、真理の教義は外なる教会のもとではうい子であり、教義の真理は内なる教会のもとではうい子であり、またはそれと同一のことではあるが、信仰の教義は外なる教会のもとではうい子であり、信仰そのものは内なる教会ではうい子である。しかし教会が設立されたときは、すなわち、それがそのもとで生命と実践とをもって存在している者たちの中に設立されたときは、仁慈の善が外なる教会のもとではうい子であり、仁慈そのものが内なる教会のもとではうい子である。しかし教会の人間が最早再生することが出来ない場合のように、教会がそれ自らが設立されるのに甘んじないときは、それは順次仁慈から後退して、信仰に向って離反し去り、最早生命に精励しないで、教義に精励し、そしてこうしたことが起きると、それはそれ自身を日蔭に投げ込んで、誤謬と悪に陥り、かくて教会ではなくなり、自ずから消滅してしまうのである。このことがカインがその兄弟アベルを殺したことにより表象されたのである。(『カイン』は仁慈から分離した信仰であり、『アベル』はカインから消滅させられた仁慈であることは、前の340、342、357、362番に見ることが出来よう)。

 

 

 

啓示による黙示録解説17

 

しかし教義における、また信仰における真理を主要なものとしている者らは、その真理の中には何ら行為または業はなく、または生命は何ら存在していないため、罪に定められるのである。それでアダムとエバの最初に生まれた者[長子]であったカインは罪に定められたのである。彼により教義における、信仰における真理が意味されていることは「神的摂理にかかわる天使の知恵」(242)に見ることが出来よう。それで、またヤコブの長子であったルベンもその父により罪に定められ(創世記49・3,4)その出生の権利は彼から取り去られたのである(歴代上5・1)。

 

 

 

 

2.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P241

 

‘87・6・11

 

♡ ヴァッスーラ 本当に嬉しい! 仔羊のように 自らを捧げてくれるか?

 

お望みのようになさって下さい、主よ。

 

♡ すべてが無駄にはならない、すべては平和と愛のために、 私の渇きは大きい ヴァッスーラ。 今までに見たことのないような、不毛の土地に導いていく ♡ 私が血を流しているからだの一番深いところまで真っ直ぐに、天の力をもって導く、私の指で我がからだに棘となっているすべての聖職者である罪びとを指し示す、彼らを容赦しない ♡ 私は疲れ果てた、傷はかつてなかったほど大きくひろがっている、血が噴き出している、私自身である者たち、私自身の聖職者たちによって 再び十字架の上にいる!

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P298

‘87・8・16

 

わが神よ、主を大切に思っております!

 

ヴァッスーラ、あなたは私の目にふさわしい者 ♡ よく聞いてから書きなさい。 今日のアベルは生きるであろう、あなたの神にひたすら頼っているように、アベルは生きる! アベルはこのたびは生きるであろう ♡ 愛する者よ この世はその弱さゆえにカインで満ちている、私はいつまでも我がアベルたちがカインから宣告を受け 殺されてゆくのを黙って見ているだろうか? ♡ 私の目の前であと何人死んでゆくことか? そうです ヴァッスーラ、私には新しく開いた傷がある、この世代はカインの血をひいている、愛する者よ 一人のアベルが立ち上がるたびに、一人のカインが微塵のためらいもなくその犯罪を繰り返してきた。 分かったであろう 小さな者よ?

(神さまはこうおっしゃりながら悲しそうでした、そして私も悲しくなりました)何が理由でこうなのでしょう?

 

それはアベルたちが私の種であり、私から遣わされたものだからです。

 

そしてカインたちは?

 

カインたち? この世に属している ♡ 人から来たものです ♡ 今度こそカインと私のアベルの間に立って カインから来るすべてのものを取り上げる、カインの手から武器を奪い 素手にさせる、カインは武器を持たずにアベルに立ち向かわなければならなくなる ♡ ヴァッスーラ あなたにこのすべてをはっきりとさせよう、私に顔を向け そのとき私の唇を見ているように そうするなら理解しよう。 ♡ 今でも私のために働いてくれるか?

 

はい わが神よ、お許し下されば? ♡ イエス?

 

私はイエス・キリスト 神の愛する子 救い主です。

「私たち」?

 

はい 主よ、(私は嬉しい、それに主が微笑んでいらっしゃいます!)

 

では来なさい ともに働こう ♡

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P300

‘87.8.20

 

♡ そうです、カインはこの世に属するあらゆる物を表している、書きなさい。 カインは私の目には疎ましいすべてのものを代表している、この時代の非道、物質主義、革命、憎しみ、偶像崇拝、私が祝福した者たちを弾圧するもの、不道徳を。 カインは私の似姿に造ったアベルを理解することはなかった、アベルは私からのもの、私の種子です。

 

ということは アベルは霊的で主を愛しているのですね?

 

まさに、そしてこの違いのためにカインに襲われた ♡ 私は知者が霊から来るものを理解しないであろうと言った ♡

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P349

‘87.9.29

 

♡ ああヴァッスーラ、私の指示に従う多くの人たちがいる、自分を生けにえとして、謙遜に慎ましく生き、互いに愛し合い、我が仔羊たちを養っている、この人たちは地の塩、我が霊魂に愛された者、私のアベルたちです ♡

この人びとは我が傷の香油であり、痛みを和らげてくれる ♡ 悲しいことに、中にはカインもいる、私のからだにとって矢となり、危険で、虚栄に満ちていて、眼が見えなく、悪意に満ち、そして卑しい傾向を持っている、この者たちは頭の棘となっている、その罪は無数で中心に偽善があり、我が聖なる義はこの者たちに対して燃え上がる ♡ 手を取りなさい、娘よ、そばにいなさい そうしたらそれらの棘を指し示す。あなたを神聖な力をもって我がからだの一番奥まで連れていき、槍の刃を見分けるようにする ♡ 私はカインを容赦しない、ヴァッスーラ、彼らは与えるものが何もない。 その手は空であって 我が仔羊たちに与えるものが何もない、公の場で自分を見せびらかすことを好み、丁重に挨拶されることを愛している、この者たちは味を失った塩のようだ、まことに言う、娘よ、この者たちは今日のファリサイ人です!

 

ああ、神よ、これは恐ろしいことです。

 

♡ ヴァッスーラ、それゆえに、隠されていたものはすべて明るみに出て 覆われていたものの覆いが取り除かれる、これが私の意思なるがゆえ ♡ さあ来なさい、我が現存を忘れないように。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P79

‘87・12・21

 

わが神よ、正義なる方、無にひとしい 全く非力な私ですが、そうであってもこの望みはあなたが植えられました。あなたのお望みなのです。 み名が讃えられ、仔羊たちが再び集められ あなたを認め、聖なる御母を認め、悪魔に打ち勝って、その支配が永遠に続きますようにという望みです。私はあなたの利益だけを求めます。

 

♡ そう ヴァッスーラ、私の利益だけを求めなさい、本物であって ある人たちのように聖なるものの単なる見せかけとはならないように、主である私には分かっている、どのようにアベルを装っても、私を騙せない、面を付けようが自分たちを隠す手立てにはならない、真に言う、このたびは欺く者を指摘し、思いがけない時に訪れる、私の家にカインはいらないであろう? 私のでなく自身の利益しか求めないで? 神聖な力で仮面をはがし、隠れているものの覆いをとる、怖れることはない 愛する者よ、私が教会を掃き清める、聖なる愛への道を塞ぎ、私の聖心へ入るのを妨げる者たち全てを取り除く、♡ 分かったであろう ヴァッスーラ、私の杯は味が苦い、僕ジェームズ神父にもこの杯を味わせよう、世は私に背いている 愛する者よ、♡ あのカインたちが道を塞ぎ、巨大な岩を置いて、仔羊たちが私のもとに来る邪魔をしている、空の手で、もう何も、仔羊たちに与えるものがない、ヴァッスーラ、我が霊に祝された者よ、私について来なさい、あなたを導く、絶望しないように、今さら見捨てることがあろうか?

 

はい、主よ、しっかりとつかまっています、愛するお父さま。

 

さあ 手を取り、決して離さないように ♡ 私から来るすべてを 受け入れなさい ♡♡♡

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P236

‘88・6・4

 

♡♡ 教えてほしい ヴァッスーラ、聖書は切り離し ばらばらにすることができようか?

 

いいえ、主よ、それは不可能です。

 

私のからだでも 同じことだ。 私のからだも切り離すことができない、それなのに、彼らはそれを引き裂いてしまった・・・反逆が我が教会の最も奥深い中心に侵入していった、まず何人かの司祭たち、司教と枢機卿は、サタンに吹き込まれた、反抗心が心に染み込んで、視力を奪われ、サタンの翼に覆われて、罠にはまった、今や彼らの間にあるこの反逆は、私の聖心を引き裂いている。 初めにサタンから反逆の種を吸収したこの聖職者たちは これを育て、悪の企てをたくらみ、陰謀をめぐらし、反逆を引き起こし、ペトロの後継者、私の選んだ 仔羊たちの−ペトロとは反対の主張をした。 この反逆の種は今や完全に育ち、彼らは公に反逆を宣言する力を得て、私の教会に毒矢を投げ、再び分裂させようとしている・・・ 彼らは私を裏切った(*)・・・ゲッセマネでユダがしたと同じように、この愛に−満ちた−心を裏切った・・・鞭打たせに 私を引いて行く・・・今鞭を打っている、ああ ヴァッスーラ なんと苦しいか・・・

    イエスは「裏切った」と言われたとき、大変苦渋をこめて仰いました。

 

ああ 主よ、何ということ! (内的に、わが主が、鞭打たれているのが見えたのです、柱にしばられて、お体を引き裂く一撃ごとに体は打ち震え、あえぎながら 息が切れ、そのお体は一つの大きな傷そのものでした。) ああ 主よ、いつやめるでしょう。

 

♡ 彼らはやめるつもりがない、虚栄と不従順に酔いしれ、私の敵にだけは忠実に従い、残酷に鞭打つ! 私の基礎を台無しにし、羊たちを散らし、ペトロの足を踏みにじって端に追いやり、沈黙させようとして、・・・カインが私のアベルを理解したことはなかった、ああ アベル・・・見捨てはしない、あなたの神は近くにいる、あなたの神は天使の軍団を引き連れ あなたを護り あなたの敵である私の敵を屈伏させに来る、私は天使たちを準備させている、そしてカインがあなたを打つことはない、カインは彼の神である私に手を挙げねばならなくなる、主である私は彼を驚かせよう ♡ 我が教会は私の聖心と聖なる御母の汚れなき御心によって一致する、私たちの心が互いに一致しているように私の教会も一致し、教会は一つとなる ♡♡

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P111

‘89.1.30

 

♡ その考え方は 私のとは違う。 我が都市の略奪と 破壊を目指している ♡ ああ カイン! カイン? あなたに与えた霊はどうしたか? 再び自らの破滅に向ってはいないか? 生まれた日から乱暴だった、それに私にとって初めてでないと知っていて、ここに大祭司として仮装し 着飾ってやって来た、金銀の、我が祭服で身を纏い、暗黒の野獣に与えられた、暗い衣装を隠して着ている、あなたのうちには光がない、そして身の毛もよだつ顔を隠すために、仮面をつけ、忌むべき顔を隠した、その外観は我が正しい者たちでさえ、すっかり騙し通せるが、その仮面で 私は騙せない、仔羊の仮面の裏に、広大な破壊を覆い隠しているのが、私の眼には分かる、あなたは悪のよろいに すっかり身を固めた! そして今は 世界を征服し、わずかに残る光を かき消そうと、企てている。 その意図は不法状態を広げ 聖なるもの全てを根絶し、力ある人びとを排斥し 我が聖所を独占すること。この人びとが 我が子よ 幻視によって示した毒蛇で、我が聖なる秘跡と 聖櫃の周りを這い回っている ♡ 彼は多くを欺き 人びとは眼をくらまされる、詐欺師の衣装にまどわされて。 この気の毒な霊魂たちは まさに彼らの時代に 目の当りにしているのが、大祭司そのものだと思い込むであろう! 栄えある変装によって、我が教会全体に 大いなる背教をもたらし、荒廃を招くが、全ては奇跡や、大空に現れる 前兆と印によって覆われ 見えなくさせられよう。 我が永遠の生けにえを 彼は踏みつけ 廃止するが、全ては覆い隠されたまま、悪意をもって行われ、我が聖なる都は カインの力に屈する、私の警告を拒んだからだ、私は思いがけない時に、素足で、訪れた、しかし彼らは私を 嘲笑した。祈りながら 自らを犠牲にして、贖う 我が愛する霊魂たちにより、 カインの力はほんのわずかな期間で終わる。 この全てを、私は考慮し あなた方の犠牲は無駄とはならなかった ♡ あなた方の祈りによって 罪と悪を押しとどめることができよう。

 

主よ、あなたの聖なる方がたはどうなるでしょう?

 

大変悲しいかな、仔羊の仮面をつけた、その外観ゆえに、多くは騙され、彼に組みしよう、しかし彼の中身の実態がどうであるかを、あなたが見るのを許した、それは毒蛇であり、死にいたらしめる・・・ヴァッスーラ、私は大いなる雷鳴 そして我が火によって この反逆者と手下どもを打ち倒す、偽りで造り上げられたその隠れ家を踏みつけ、基礎が虚偽で出来ている その避難所は塵の山となろう。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P250

‘89・9・13

 

その話と説教は霊性に欠け、みことばと我が金言にたいする忠実さに欠ける、我が面前で奥義に否を唱え、信心を軽蔑する、先祖カインの行為を覚えているであろう? その語り口を継いで徳の代わりに悪徳、純潔の代わりに不道徳を主人とし、無条件に罪の奴隷となっている。 このカインたちは罪に生きているが、真理の霊にたいしてはいのちがない。 我が日の訪れた時は私に釈明し 彼らの牧者の伝統を守らなかったわけを説明しなければなるまい ♡ 今日、彼らを自分たちの口が責めている そして自らの唇が証言し 否としよう ♡ それが彼らの背教の実である。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P196

‘01.11.13

 

*3 まさにこの瞬間、この簡単な文面ではあまりはっきりと現われていませんが、ご自分の羊飼いたちすべてへの焦がれるような神の愛と、だからこそ たしなめられておられるのだと分からせていただきました。そして主は、高まる愛と 感じやすいお心きわまって 震えておられるのでした。それからまるで 不正な扱いを受けた子どものように、嘆きながら、こう仰いました。「私の体は鞭打たれ、友人たちより受けた傷で 見るべくもない姿となった。上着を取り上げ、我が家を守る役の彼らは、私と会話するのをやめてしまった それでも再生の香油を彼らが受け取れたのは 蜂蜜したたる、我が唇からだった。彼らを失うのではと 私は存在の内奥までもおののく。私の手足をねじって、傷を負わせ、試されるとなるや 私の気を損なう。そしてよい生き方を示し、謙虚さと 私への聖なる愛を冠とする、知恵ある人や 聖なる人が、彼らの間にいるのを見るや、飛んで行って 猛り狂う狼のように 引き裂いてしまう。ちょうど悪霊に属するカインが 弟の喉を切り裂いたように、同じように この者たちも扱われる・・・」