花を踏みつける
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P265
‘87・7・7
ヴァッスーラ、厳しい試練が待ち受けている、私の現存を忘れないように、そばにいる。 私の神聖な働きを信じることも 与えている恵み ♡ 私のわざは あなたの目には 伝統からはみ出したものと映ろう、しかし 私は神 誰と比べられようか? そして 私のわざを何と比べることができよう?
ヴァッスーラ、私は多くの聖職者たちが、 私の印 そしてわざを否定し、あなた方の間に私がとどまっていることを世に思い出させようとして 恵みを与えた人びとを どう扱うかを見て、深く悲しんでいる・・・この者たちはそのつもりでなくても 私のからだを傷つけている、pono!(*)
*
ギリシャ語で、「私は痛む」という意味。
この聖職者たちは私のわざを否定し、土地を肥沃にするかわりに 沙漠にしてしまっている!
主よ、もし彼らが御わざを否定するとしたら、理由があるに違いありません!
霊的に彼らは死んでいる。 彼らは自分たち自身が沙漠であって 自分たちのつくったその荒涼とした原野に花を見かけると、そこへとんで行って踏みつけ、傷めてしまう、
どうして?
どうして? それは彼らの荒野には不釣り合いだから。彼らは自分たちの沙漠が不毛のままでいるように念を押している! 彼らの中に聖らかさは見出せない、少しも、私に与えられるものが何か 彼らにはあるだろうか?
守っているのです、主よ! みことばが歪められないように守っているのでしょう!
違う、彼らは私を守ってはいない、神としての私を否定している、我が無限の富を否定し、私の全能を否定している、私と自分たちとを比較しているのです。 彼らが何をしているか知っているか? 無神論を助長している。 私を鞭打つ人を倍加し、霊的に耳の聞こえない人びとを増やしている、彼らは私を守ってはいない、嘲笑しているのです! 私は彼らの否認にもかかわらず、助けることを望んだ。 その分、私の子羊たちを助け 養うように。 私を愛しなさい ヴァッスーラ、決して拒まないことによって 名誉を与えなさい ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P50
‘88・10・11
我が子よ、あなたと私、私とあなたは この荒野、合理主義によってもたらされた 死に至る荒野を渡っている、それは不信仰、愛の欠如、無差別、自己陶酔、虚栄と 聖霊から降る全てに対する 敵意の荒野でもある、彼らは聞こうとしない頑なな態度によって 非とされている、我が聖霊による御わざを拒む者は誰であっても 私を拒んでいる、聖霊と私は一つであり、同じであるからだ! ・・・この人びとは砂漠を押しひろめ そこには何も育たないように念を押す。 花を見ると、踏みにじり つぶしてしまうか、わざと無視して水を与えずに 枯れさせ 捨ててしまう・・・ 我が義の杯が溢れ出し 彼らはすでに 義の最初の雫を感じ始めている。 この人びと、特に仕えていながら、聖霊の御わざをまた拒む僕たちに、求めるのはただ一つ 光と さらに強い信仰が与えられるように 祈り、祈り、祈り求めること。来なさい我が子よ、我が聖なる現存を 常に思い出し 私を喜ばせなさい、
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P138
‘89・3・8
私自身の者たちの殆どが 我が霊のわざを拒み、否定し押しつぶしていながら、どうして心安らかに 使徒信経を祈り:「聖霊を信ず」と唱えられようか? 真に言う、彼らのうちには 聖さが見当たらない、闇の中で やましい行為を続け 光に曝されないですむように、この暗やみに、小さな炎を見い出すなら、吹き消そうとして、疾風のように飛んで来る、そう ヴァッスーラ、彼らは光の中では 生きたくないようだ、
主よ、わが光、世の光、あなたを礼拝します(*)。
*
「この世の光」と書きながら、躊躇し、「この」という言葉を消しました。実際の世は闇に支配されていると思いましたので。イエスを微笑ませました。
さあ、あなたは私を喜ばせる、いつの日か、我が子よ、光だけが見え、光しか見えないであろう! 決して気落ちすることはない、最後まで ともにいる ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P237
‘89・8・29
何を恐れて あなた方の闇を照らす小さな炎も 必死に消そうとするか? 我が恵みによってあなた方の荒地と不毛の地に咲く花を どうして飛んで来て どれも踏みにじろうとするか? では 私が(I am)誰であるかを教え 思い出させよう:
私はみことば そしていのちがある
私は行動する