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祈祷AB 投稿者:大森嘉彦 投稿日:2025/06/18(Wed) 10:53 No.424   
天の父なる神さま。

奇跡の御手で病める者を癒やして下さい。

信仰の光で道を照らして下さい。

昨日と変わらないように、今日の糧をお与えください。

確執から確信に、争いから隣人愛に、涙から歓びに導いて下さい。

私たちが信仰により、分別を憶える力をお与えください。

イオカステのユダがいなければ、十字架の尊い贖いは完成しませんでした。

オッペンハイマーの恐怖の矢が、空から地上に注ぐ時。

お約束された人の子の再臨と審判があるのでしょう。

その時まで私たちは聖書の聖心の聖を、神の礎として守りますので、どうか私たちをお守り下さい。

この祈りを、罪の贖い主、イエスキリストの尊い御名により祈ります。

思う事つれづれ書いていきます。 投稿者:大森嘉彦 投稿日:2025/06/18(Wed) 08:30 No.423   
私の事について書きます。人には運命と宿命があって、運命は努力次第で変わっていくものだけれど、最終的に、人は宿命に収斂されて行くものだと言う意味ですが、私には、蒙昧に思われるかも知れませんが、天使さまが付いていて下さり、経済的な事や、物質的な要求や事柄を、バックアップされている様に思えます。ただ思うだけなら、精神医学的な範疇に入る個人の妄想なのでしょうが、私かそう取らないよう、私に賜物を下さった折に、天使の形のあるものや、天使が、また、象徴として鷲の様な鳥が描かれた物を、暗示的にそれに加えたり、経済的な苦境の面倒を見ていただいた時も、やはりそうされます。こういうのは、精神医学的には、パラノイアや統合失調症が第一に疑われるのですが、都合の悪い事に、天使さまの残されたものという物証があるので、医学では証明出来ませんし、医師も否定は出来ませんでした。画像で見せたからで、これは否定のしようがありません。

天使は被造物であり、三位一体の神には含まれませんので、キリスト教の直接的な信仰対象ではありません。

しかし、天使は、天の父からのメッセージを人に伝えたり、時にイエスさまはどれくらいの天使に招集を掛けるなんて言う御言葉を仰られた事が記憶にあります。天使は地上での神さまの実力部隊であり、人とコンタクトを取るメッセンジャーなのです。

私にとっては運命の領分は、大天使さまに本当にお世話になっています。

でも、わたしの宿命をお決めになるのは、主イエスさまだと思っています。宿命と言う語彙をネガティブに捉える必要はないのでしょう。でも、予定調和で、必ず結果は収斂されて行く。キリストさまが十字架に掛けられた様に。

父が死んだ日私は遠く離れた都内で十字架を買いました。勿論父の死の事も知らず、それを思わせる変調も有りませんでした。その十字架は、天の父、聖霊の御業か、主のお力か、天使さまか?
クリスチャンを続けるうちに、解ける謎なのでしょうか? 答えは出ないでしょうが、ゆっくり待ちたいと思います。

地の塩の箱レスポンスです。 投稿者:大森嘉彦 投稿日:2025/06/16(Mon) 10:18 No.422   
地の塩の箱のリアクションについて
私は、パトグラフィーに興味があって、精神医学用語でパトグラフィーと言う言葉が有るのですが、通常の精神医学では患者の事は、プライバシーの規制があり、知りもしない人物の分析は第三者にとっては殆ど意味のない事なのですが、例えば、有名人、芥川、太宰、川端、三島等、日本の文学者には特筆すべき、性格があったり、皆自死されてるんですけど、その性格形成とそれに至る道程を辿ると大変興味深い事実に触れる事が多いんです。

江口氏はいわゆる大家ではないのですが、キリスト者の文筆家として人生を模索しながら執筆活動を続けていたのですけど、ある日友人が娘をお金の為に青線に売り飛ばした事に大変心を痛め、聖書の御言葉である地の塩からインスピレーションを受けて、地の塩の箱に行き着いたんです。それは返済の義務のないお金を地の塩の箱から取り出して使う事により、受益者は無償の精神を体得して、地上天国の実現を期すと言うものでした。これは、私の考えですが、不幸(貧しい事も入る)の原因は人間の原罪の結果であって、その罪は、イエスさまが贖っても、完全に贖いきれず、もはや自分(江口氏)が贖うしか無いと考えていたのではないでしょうか?江口氏は出版物で、自分の理想の死に方について、【初期キリスト教徒の多くが、捕らわれて猛獣のえじきになり死んだ死に方、それと本質的に同じくするところの死に方】と語っています。自身の死が贖うつもりだったのかは本人から聞くことが出来ませんが、私も同じような精神構造を、教会に通い出した頃までしており、信仰告白に記載したので、牧師さまから注意を受けました。

また、80年代のロックの尾崎豊にも、最後の頃のアルバムの表紙に、芝に尾崎が横たわり、芝目が十字に象られ、尾崎の死も音楽関係の裏勢力の人になぶり殺しにされるという、江口氏の猛獣を思わせる部分があり、若いファンは、彼の詩の世界を信仰し、その尊敬の態度をマスコミは皮肉って、彼を教祖と呼んでもいました。

江口氏の話にもどりますが、もし私の推論通りの信仰なら、どだいこの考えは正統なクリスチャンではありません。贖いは主のみに与えられた御業であり、人の子であっても、主は神なのです。主は十字架につけられるために生身で生まれ、陰府に下り、ご復活なされました。自分に主と同じ構造が働くと、信仰していたとすれば、そこに自死を招く異端があったのでしょう。でも、他人の事をどうでも良かったなら、彼は死ぬ必要が無かった訳で、自分の命より他人が大事と言う考えには主の生き様を感じざるお得ません。そういった面では、同じキリスト者として深く考えさせられます。

地区内教会一信徒さま。 私の投... 投稿者:大森嘉彦 投稿日:2025/06/15(Sun) 19:28 No.421   
私の過去の書き込みについてお話します。
以前書いたテーマは昨年10月より教会へ通うようになった私が教会で感じた事が一つ、センテンスの最後に【願います】と付けた項目は、私は願うだけたけど、もし同感するなら、是非あなたが祈って欲しいというメッセージだったのが一つ。あれは切実な祈りだったのです。私が切実に思うのなら、この世界【教団】にも同じセンサーを持つ信徒がパラパラとはいるのかも知れません。ならば同じ祈りを祈れば天に届くのかもしれない。そういったことなのであれは祈祷として紡いだ言葉を書き込んだもので、中には実際には教会の祈祷で用いなかったものもあった筈です。あと、過去に書き込んた文書に問題が有りましたので、報告します。過去に聖餐式を聖餐会と書きましたが、聖餐式を初めて教会で見た当時の文書をノーチェックでコピペしたのが原因です。私は睡眠異常があり、頭が十分起きていない時、能動性に駆られてやった事なので、そういった事は今後は、無いシステムにしたいと思います。私は目が悪く、スマホはかなり苦手なのに、経済的な理由でPCでインターネットが出来ません。なので、フラストレーションが溜まる文字変換と、小さなスマホ画面では文章のリズムが読めない為、Macにテキストで打ち込んで、それをスマホに入力しているため、手間が人様の数倍掛かっています。誰も読まないんならと、暫くこちらでの書き込みを辞めていましたが、私のような駄文でも、ちゃんと読んで下さる方がいると、私の師伯で牧師の先生が、教えて下さったので、書き込みました。
追伸 地区内教会一信徒さま
地の塩と義についてリアクションを頂きありがとうございます。私と致しましてはどのようなレスポンスの返し方をして頂いてもいいです。ただし、状況によってはレスポンスに気が付かない事もあろうかと思います。返事が無い場合は気が付かないだけですので、お気を悪くしないで下さい。
地の塩と義について、私の内省に従って、お返事をしますが、上記の様な無様な環境なので、日を改めてさせて頂きます。宜しくお願い致します。

以前の書込みへの返信A 投稿者:地区内教会一信徒 投稿日:2025/06/14(Sat) 21:07 No.420   
(1)「地の塩の箱」(393)への返信
江口榛一氏の名前も、地の塩の箱という名称も初めて知りました。
ただ、同じような趣旨の箱がJR(当時は国鉄)錦糸町駅の券売機近くに設置されていたのは知っています。約半世紀前のことです。
好奇心に駆られて箱の中を覗いてみたら、多少の小銭が入っていたような、そんな記憶があります。
掲示板Uの書込みを読んでからも、私が見たその箱は地の塩の箱とは別なものだと思っていました。
けれども最近になって、錦糸町駅のその箱が地の塩の箱そのものに違いないことがわかりました。また、江口氏がキリスト教徒だったことも知りました。
詳細はわかりません。地の塩の箱は、慈善的な活動というよりも、
「無償の愛」(400)による行為だったのではないかと想像します。

(2)義(394)への返信
 「歩く事を諦めた人に杖を、立ち疲れた人に椅子を、悲しみに泣き崩れた人にハンカチをお与え下さい」
その文章を読んで、『讃美歌21』567番が思い浮かびました(2〜3節)。
 弱い人に力を、暗い世には光を、わけあうため この私をささげます、主イエスよ。
 嘆く人に望みを 涙の地に平和を、告げるために この私をささげます、主イエスよ。

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