海賊版資料
「狂気のONE PIECE全話解説」

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狂気のONE PIECE全話解説
 ・以下の文章は 某所 での29条3項様の解説をほぼ原文で掲載させて頂いております。
 29条3項様には改めて御礼申し上げます。
巻十六「”受け継がれる意志”」

第137話 「”雪崩”」

   必要最小限の描き込みで、効果的に雪崩を表現している。
   ほとんどまっ白な画面ながら、木の一本一本のしなりや、ほぼ一貫して右上→左下へ流す画面構成で、
  効果線なくしてすっきりと雪崩の迫力と動きを画面に定着させている。

   …のだが、一点だけ、コマ割り上ちょっと失敗してしまっている点がある。
   P15の1コマ目、大量のラパーン達がスノーボードの如く木に乗ってルフィ達に迫るシーンである。
   ここまで一貫していた右上→左下の動きが、一度ここで妨げられてしまっている。

   このシーンは、ルフィとサンジの配置や木の向きからいって、上から下に降りているシーンである。
   しかし、何度読んでも私は下から上に向かっているように見えてしまっていた。
  (つまり、サンジが先頭側になり、ラパーン達はルフィ達の後ろから、すでに前に回り込んでいるように解釈していた)。
   これによってずっと勢いよく続いていた滑り下り描写に水が差されてしまった。

   何故、そう見えてしまったのだろうか。以下少々分析してみる。P15は左側にあるページである。
   つまり、このコマの右下に位置するP14の3コマ目を読んだあと、読者の視線は下から「上がって」来るのである。

   「上がって」きた視線と連動するかのように、ルフィとサンジも上を向いている。
    また、ラパーン達に効果線がないため、上から来てる("!"の吹き出しから流れて来ている)ようにも、
   下から来てる("!"の吹き出しの方へ流れて行ってる)ようにも、どちらにも見えてしまうのである。

   このため、私は今回この話の解説のために何度も読み直すまで、
  ずっと下から上(ルフィもサンジもラパーンも、"!"の吹き出しの方へ流れて行ってる)だと思って読み続けていた。
   画面構成の難しさを感じる一コマである。

   ちなみにP13とP11は、「下から上がってくる」視線を、自然にまた左下へ流して行けるようにうまい構図を取っているので、
  比べて見て欲しい。

   蛇足だが、今回の(スピード感と迫力を出すための)「右→左一貫描写」は、以上のようにちょっとだけ失敗してしまっているが、
  181話「超カルガモクイズ」では見事に成功させ、高いテンションを維持し続けていることも、付け加えておく。


第138話 「”頂上”」

   今回は「ルフィの眼」の描写について一言。作中では、基本的にルフィの黒目は単なる点で描かれている。
  (もちろんサンジやその他、黒点だけで黒目を表現しているキャラはかなり沢山いるが、今回は取り敢えずルフィで説明する。
  ただし同系統の黒目キャラにもほぼ共通すると思ってもらって構わない)

   漫画の表現方法としては、黒目を描く際、その中に白い部分(いわゆる、目の中の星と呼ばれるもの)を入れるのが普通である。
   何故なら、それを入れずに完全に黒で潰してしまうと、感情のない、人形のように見えてしまうからである。
  (実際、漫画の中だけでなく本物の人間の場合でも、元気な人には目の中に光があるし、
  逆に落ち込んだり、心がすさんで無感情になってくると目の中から光が消えてくるものである)

   しかし、ルフィ(その他の黒目キャラ)は、
  特に目の中に光は描かれていないにも関わらず、感情がないとか、薄気味悪いとかを感じさせるところがない
   これは何故だろうか。

   この回のルフィが城に到着したシーン(「きれいな城だ………」)を見て欲しい。
   アップになったルフィの目だが、良く見るとただベタっと塗り潰されているのではなく、細いペンでぐるぐると中が埋められている。
   細いペンで塗ろうとすれば、必然的にあちこちに塗り切れていない隙間が出来てくる。
   それが、結局「目の中の星」と同じ効果を与えているのである。
   むしろ、直截的にそれが描かれるときよりも、自然な光に見えるので、却ってキャラクタの人間味を増しているように思える。

   必ずしも狙ってやっているとは思わないが、
  こういう細かいところにもワンピースのキャラクター達が生き生きと見える要因があるのである。


第139話 「”トニー・トニー・チョッパー登場”」

   最初3ページのウソップギャグが冴え渡る回。特に鼻を引っ張られ、引きずられるウソップの表情は衝撃的である(笑)。

   この回の題名は以前(巻五・第43話)説明した通り、物語のキーとなる「○○登場」である。
   つまり、トニー・トニー・チョッパーがルフィの仲間になるということを示唆しているわけである。
   この手法は、先の展開をいろいろと予想しながら読む、という読者の楽しみを一つ奪ってしまうようにも見える。

   が、ストーリーものには先が分からない状態で進めて「結果」を楽しませる描き方と、
  先を見せた状態で、予定調和的な「過程」を楽しませる描き方
がある。

   ワンピでは敵海賊とのバトルやアラバスタの反乱などで前者、仲間関連のイベントや回想シーンで後者、という風に、
  両方をうまくバランスさせて組み込んでいる。
   この辺もまた読者を飽きさせないワンピの魅力の一つと言えるだろう。


第140話 「”雪の住む城”」

   この回は異常に高いテンションを維持した追っかけっこも見所だが、やはり白眉はナミの
  「…あら、男を口説くのに許可が必要なの?」であろう。

   ワンピは少年向け冒険漫画らしく、恋愛要素をほとんど描写していない。
   普通ならナミをルフィとくっつける方向に描いていってもおかしくはないのだが、それすらもない。
   ゾロとくいなもとりあえず「友情」という言葉で形容されている。

   そんなストイックな空間に突如放り出されたナミのこの言葉。明らかに異質なセリフであり、それゆえに強烈な印象を残す。
   そして、この描写はナミの、普段ルフィ海賊団内では見せない一面を垣間見せる。
   そこに漂う色気は、作中たまにあるお色気シーンとは、また異質のものである。

   小学生には分からない、ある程度高年齢になってはじめて理解出来る高度な描写。
   
これもまたワンピの魅力の一つである。

   ちなみに余談。他サイトだが「伏線考察研究会」の会員名簿アンケートの一つに「ナミの名セリフは?」という質問がある。
   ほとんどは「助けて…」か、お金がらみのセリフだが、ほんの数人このセリフを選んでいる人がいる。
   そしてそれらの人達は概して年齢が高かったりするのである。(ちなみに29条3項もこのセリフを選んでいることは言うまでもない)


第141話 「”ヤブ医者”」

   入り方が異様に強引であるものの、ここから5話に渡るチョッパー回想シーンの開始である。
    しかし、ハッキリ言ってここから先は涙なしには読めない、「ONE PIECE」最大の名エピソードである。

   下手な解説やチャチャ入れで感動を損ねたくないので、申し訳ないが演出論や物語論には言及しない。
   てなわけで、そのつもりでご了承ください。


第142話「”ドクロと桜”」

   チョッパーとヒルルクの幸せな思い出期間の描写が主の回だが、ドルトン・チェス・クロマーリモの3幹部の会話も、実は結構奥が深い。

   ドルトン=善、チェス・クロマーリモ=悪、と単純に分けるのは簡単だが、チェスやクロマーリモの言うことも一理あったりする。
   強力な海賊達が跋扈する偉大なる航路で、国の体制を取ることの出来ていない人の集団など、
  アッと言う間に他の勢力に食いものにされて終わってしまうだろうことは想像に難くなく、
  ワポルのような王であっても、国民にとってはいないよりいる方が遥かに幸福(意訳)、というチェスの主張もあながち間違ってはいない。
  (もっとも黒ヒゲ来襲の際にワポルらは逃げてしまったので、ほとんど説得力はなくなってしまったが…)

   ドラム編ののち、この国は民主主義へと変化して行くと思われるが、
  民主主義が最高の政治体勢かと言うと決してそうではないのは、現在に生きている人間なら誰しもわかっていることである。

   もちろんワポルは最悪の国王であるから、彼を庇う気は全くない。
   しかしアラバスタのように心から国を思う国王と、それに信頼をよせる国民との関係を維持出来るのならば、
  実は王制が民主制に劣るとする理由の大半はなくなってしまうのだ。

   だが、当然アラバスタのようにそんな国王が何代も続くと言う方が奇跡であって、
  ワポルのようなダメ人間が王になった時にはどうなるかはこのドラム編で描かれる通りである。

   では、民主主義ではどうかと言うと、実はこの制度がきちんと働くためには、やはり人々が自分さえ良ければいいという考え方でなく、
  それなりに全体の利益を考えてしない限りうまくいかない。
   一人のワポルで王制を敷こうと、沢山のワポルで民主政を行おうと、結局は変わらないのである。

   だが、それぞれの人間がワポルになるか、コブラになるかは、たとえ教育の影響があるにしても運によるところが大きくなる。
   コブラのような人間を安定して排出し続けることは、相当に難しい。

   で、あるならば、統治者(王制ならば国王、民主制ならば国民一人一人)の人格にかかわらず
  常にある程度の安全と幸せが保証出来るようなシステムを最初から考えていかねばならない。
   そう考えた時にクロマーリモの「そうだぜ、重要なのはシステムだ」というセリフは、さらっと流されているようで、
  実は異様に深い言葉なのである。

   少年漫画で面白くストーリーを見せていながら、自然に国や政治の深い話も読ませる。これもまたワン
  ピの大人をも引きつける一つの要素となっているのだろう。


第143話 「”不器用”」

   うめぼし好き(ドルトン談)で、梅酒を飲むDrくれは。桜の海賊旗を掲げ、桜にこだわるDrヒルルク。
   なにげに梅と桜で対比しているのだろうか?

第144話 「”雪物語”」

   Dr.ヒルルクは"ヤブ医者"とされているが、よく見るとチョッパー以外に患者を治しているシーンは全くなく、
  もはや医者ですらないように見える。
  「国全体の心を治す」医者という表現もできるが、昔は大泥棒で他人のものを盗み、今はヤブ医者で病気の人々をさらに苦しめている。
   他人に迷惑ばかりで、明らかに善人ではない。にも関わらず、作中では魅力的人物として描かれている。

   また、Drくれはも治療一回で財産の半分を奪い取るという酷さである。

   善とはなにか。悪とはなにか。この作品がそういう善悪の相対化を見せているのは言うに及ばずであるが、
  それだけで終わらせないところがワンピの凄いところである。
   単にニヒリスティックに善悪を否定して終わるのでは、単なる破壊にすぎない。あとに虚しさが残るだけである。

   ワンピが単純な善悪判断を否定した代わりに用意したあらたな基準は、「意志の強さ」である。
   人間の魅力は意志の強さに比例する。その正否は別として、ワンピは明らかにこれを主張している。

   「海賊王になる」と譲らないルフィは言うに及ばず、大剣豪を目指すゾロ、一人で村を取り戻すと決めたナミ、
  全てを嘘にすると決意したウソップ、そして国を救うと決めたヒルルク。
    その行動の善悪は別として、意思の強さがヒロイズムを生み、人に感動を与える。

   善悪判断が喪失し、全ての価値観が相対化している現代において、ワンピのこの主張は、
  一つの生き方の基準を示唆しているように感じるのである。


第145話 「”受け継がれる意志”」

   ヒルルクの最期であるが、ポイントはその瞬間笑っている、というところだろうか。
   巻十一の第99話でスモーカーが、死の瞬間笑ったルフィを見て、Gロジャーを思い出していたが、
  ヒルルクもそうだし、ベルメールも笑っている。また、巻二十三 第208話”守護神”でペルも笑っている。

   誰もが特に意識していない部分にも、一貫した描写を怠らない。この辺もまたワンピの魅力を支える点であろう。


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