第146話 「”国防戦”」
ワポルの部下であるチェスとクロマーリモだが、どうも他の敵キャラと比べて印象が薄い。その理由を考えて見る。
キャラクターを印象付けるためには、ストーリーないの性格描写やキャラデザインもそうだが、
「他のなにかに関連付ける」というのも重要なポイントである。
例えばバロックワークスはそれぞれが数字の名前がつけられていて覚えやすいし、
どのキャラがMr何だったかも、それぞれの数字のイメージとキャラを関連付けている。
また、魚人海賊団も、それぞれ魚介類と関連づけて、全部で一つのイメージを共有している。
しかし、このワポル海賊団は、それぞれに寒い国っぽい格好はしているものの、特に一貫したテーマのようなものがない。
せめてクロマーリモとシロマーリモとか、チェスとショーギとイゴ、みたいな名前のつけ方と、
それに関連したキャラ描写をすれば、印象がもっと深まったのではないかと思うのだが。
第147話 「”ウソッパチ”」
まず、表紙のイラストが秀逸である。各キャラクターの性格までもその一枚の絵の中の動きで以って描写している。
また、飛び上がるナミやサンジの動きの描写も見事であり、極めつけに後ろに巨大鳥をさしはさむことによって、
激しい動きの絵に、落ちつきを持たせ、一枚のイラストとして完成させる効果を出している。
さて、本編ではドルトンの決意やルフィの海賊旗の主張も見所だが、着目すべきはイッシー20の演出である。
冒頭でイッシー20はドルトンの治療を任せろ、と言い出し、ワポルの支配から逃れる意思を見せるわけだが、
その際に全員帽子やサングラスを外しにかかっている。
ワポルの部下=イッシー20 という関係をあらわすコスチューム=帽子とサングラス を、さりげなく外させることで、
この関係を脱しようとしている医師たちの決意を隠喩的に表現している。
このさりげない演出も、ワンピの魅力の一つであると言えよう。
ちなみにこの回のあとについているSBSにて、
チョッパーの正式名は「トニー・トニー」ではなく「トニートニー」であると表明されるのであるが、
個人的には無意味にセカンドネームが入っている「トニー・トニー」の方が好きだったので、ちょっと残念。
ただし、ここで「トニー・トニーでもいっか」、とならず、ワザワザ修正するということは、
「作中ではセカンドネームに特別な意味を持たせている故に、どうしても認められなかった」のではないかと推測される。
「D」の設定がいかに大きな意味を持つのか、さらに期待が高まるところである。
第148話 「”折れない”」
サンジにドクターストップがかかり、クロオビ戦以来おあずけ状態の戦闘の見せ場はまたも奪われてしまった。
サンジ暗黒時代はまだ続く…(笑)
さて、クロマーリモとチェスの合体・チェスマーリモが、セリフを二人同時に喋ってると言うことで文字を重ねて表記する演出は、
面白いことは面白いのだが、却って読みづらくなってしまっている。
読むことでストレスを感じるためにチェスマーリモが憎らしく感じてくる=チョッパーが倒すときのカタルシス増大、
という効果もないこともないが、チェスマーリモが大したキャラで無い為、単にイライラするだけで終わってしまっている。
ちょっと悲しい結果である。
第149話 「”RUMBLE!!”」
チョッパー大活躍の回。ランブルボールによって7段変形を見せてくれる。
とはいえ7段階全部を見せず、敢えて6段階におさえる所が憎い演出といえよう。
また、それぞれの形態の特徴を、デザイン的にも強調することで、読むものに非常に分かりやすく印象づけてくれている。
また、「桜」の後のシルエットで決めるシーンが非常にうまく決まっている。
これでチェスマーリモのセリフの読みづらさがなければ、結構すがすがしく読める話になったかも知れない。
第150話 「”ロイヤルドラムクラウン7連散弾ブリキング大砲”」
サブタイトルが異様に長いのはご愛嬌だろう。
臨機応変・キャラ全開で喋りまくるナミと、変幻自在に表情を変え暴れ回るワポルが魅力の回。
素直に楽しめば良し。
第151話 「”ドラムの空”」
ちょっとした回想が入り、ワポルに逆らったドルトンが何故生きていたのか判明する。
ドルトンの有する国民からの信頼を利用する、というワポルの発想は、
単純な「力さえあれば何でも出来る」という世界観ではないことが再び強調し、作品にさらなるリアリティを増している。
ただ、一つ気になる点が一つ。
ルフィがワポルに仕掛ける「ゴムゴムのボーガン」であるが、このやり方では、
どうやってもワポルをボーガンのごとく撃ち出すことが出来るようには見えない。
P120の1コマ目で、ルフィは「セット完了」の体勢になっているが、まず、
1・この体勢のままではルフィは全く動くことは出来ない |
2・手を離しても、ルフィが後ろに倒れるだけでそれ以上動かない |
3・足を離すとルフィの下半身だけが反動で回転する |
で、撃ち出すどころか、ワポルを動かすことすら出来ない。
残りの可能性としては「3」の足を離すパターンで、足をどこか別のところに固定(壁や天井に打ち付ける)ことが出来れば、
ワポルを捕まえた上半身を回転させて、ボーガンで撃ち出すことが出来ないこともないように見える。(ただ、それもかなり辛いが)
4コマ目を見るとルフィの上半身は回転しているが、足は動いていないので、その方法ぽくも見えるが、
足をどこにも固定していないため、「3」のようになってしまうと思う。
ゴムゴムの技は、確かにバリエーションが多く面白いのだが、物理的に不可能では、読む者に混乱を与えてしまう。
吹き飛ばされるギリギリまで、ずっと地位と権力にしがみつき続けるワポルのセリフはキャラをうまく反映していてよい。
第152話「”満月”」
Drくれはから隠れるサンジとナミが、珍しくラブラブっぽい雰囲気を醸し出している。
サンジは登場以来一貫してナミに好意を持っているような言動が多い割には、全くと言って良いくらい二人きりのシーンもないし、
体を接近しているシーンすら少ない。(病気のナミを背負う役目すらルフィに任せてしまう)
少年漫画故にラブコメ色を廃しようとしているのか、それとも案外ネタにしてるだけで
サンジはナミに対して本気ではないことを演出しているのか、はたまた、好意はあるけど
今一歩踏み込んで行けないサンジのちょっと臆病な性格を演出しているのか…どう取るかは、まだ確定しづらいところである。
本編の演出としては、チョッパーを説得するシーンで、直前まで小ゴマを並べながら、
ページをめくっていきなり大ゴマになるシーンの迫力が見所である。
何度も説明している、メリハリの演出である。
前ページで、下の方に持っていかれている視線を、一気に上に向かって解放するような絵の構成も見事であり、
シーンに爽快感を生み出している。
第153話 「”ヒルルクの桜”」
ヒルルクの桜で感動(涙)するのは当然の前提として(笑)、今回はこの回のコマ割り演出の妙について、見てみたい。
右→左の一貫した描写がスピード感を出す、ということについては以前説明した通りであるが、
この回はそれとはまた別の描写がキラリと光っている。
日本の漫画は右から左に向かって読んで行く。
そのため、無意識下に右=手前、左=奥、というイメージを産み出す。
そのため、戦闘シーンなどでは右に味方、左に敵をおいて演出するのが一般的だったりする。
さて、今回この法則を生かして演出されているのはチョッパーのそりの動きである。
まずP154。「ごめんドクトリーヌ!」のコマと、次のコマでは、チョッパーは左に向かって進んでいる。
これは「くれはのところから旅立っていく(出て行く)」というシチュエーションと適合している。
続いてP156の見開き。山から降りてくるシーンである。
このときは「山から村に戻って来る」わけだから、奥から手前、つまり左から右に向かうこの絵は、
まさにシチュエーションと読む目の動きを連動させていることになる。
さらにP159からは、再び右から左に向かっている。
この時はまた「ドラムから出て行く」わけだから、この動きが上の法則に適合するわけで、きちんと基本を踏襲しているわけである。
加えて注目すべきは、このように
左向き、右向き、左向き、とシチュエーション変化に合わせて絵の構成を変えているだけでなく、それぞれを自然に見せていることである。
もし、これらをただ連続して並べれば、読者の視線は左右に強引に振られて、非常に読みにくくなる。
いわば、視線の方向転換を強要しているからだ。
だが、尾田先生はこれらを自然に行う為に、ある仕掛けをしている。方向転換の前に右向きでも左向きでもない絵を置いているのだ。
P154のチョッパーは、一貫して左向きであり、P156見開きでは一貫して右向きである。
そして、その間に、P155の3コマ目で正面から見たチョッパーを置いている。
続いてP159からは左向きに戻るわけだが、その直前、P158の4コマ目にも、そりのうしろ姿を描いている。
これらの、中間に置かれた右でも左でもないコマが、
直前まで、右向きだったり左向きだったりして流れている読者の視線を、いったん和らげる。
そして、前述したシチュエーションごとの方向転換をストレスなく自然に読み進ませるのである。
このように見事なまでのコマ構成で、気分よく読み進んだ後だからこそ、
ヒルルクの桜の感動をスムーズに、かつ存分に味わうことが出来る、というわけである。
最後にもう一つ。
ルフィ達は右に向かって桜を見上げているが、
これまたドラムを出る途中に「振り返って見ている」というシチュエーションと適合しているのである。
第154話 「”アラバスタへ”」
ドラム編とアラバスタ編を繋ぐ回。さらに大きな秘密(ゴール・D・ロジャー)も判明し、ボン・クレーもその姿を明らかにする、
なにげに重要な回である。
それに伴ってか、これまで解説した、いくつもの演出技法が踏襲されている。
まず、冒頭のナレーション(?)は、「歴史もの」としてのワンピ世界を印象づける演出であるし、
ドルトン達に手配書を持って来る男達は、ドラムに入る前にルフィ達に銃を突き付けた男達であり、
「その他大勢的一般民衆を、たんなる記号で終わらせない」という、方針がここでも貫かれている。
さらに、「船は今――最高速度で――砂の王国アラバスタを目指している」という締めくくりは、
「ナミの病気を治す=最高速度でアラバスタを目指す」、という、ドラムにやって来た当初の目的と対応しており、
ドラム編の終了を中途半端にせず、綺麗にまとめている。非常に丁寧なつくりといえるだろう。
ワンピはそれぞれの伏線が縦横無尽に張り巡らされ、全体で一本の話を形成しているが、
その中でも一つ一つの話でこのようにケジメをつけていくことは、全体のストーリーにメリハリをつける効果を生む。
これによって、いよいよ気持ちも新たに"アラバスタ編"に突入できる、というわけである。
サブタイトルも、その構成に実にマッチしているのが素晴らしい。
第155話 「”海賊”サー・クロコダイル」
クロコダイルの登場と、バロックワークスの説明により、いよいよ敵の全貌が明らかになって行く。
これらハードなストーリー展開とともに、船の上の各キャラクターの動きも、また細かくて面白い。
サンジに(?)たたきのめされたウソップやチョッパーが起きあがるシーンまでがきちんと描かれている。
また、最後のコマのバロックワークス全員集結のカッコよさは、
後の展開を期待させるに十分すぎる、素晴らしい演出であるといえよう。
|