第156話 「”オカマ日和”」
ボン・クレーとルフィ達の出会いの回。
「そうよう、あちしは悪魔の実を食べたのよう」の時に背中の「おかま道」が消えてるミスはともかくとして、ここでの出会いが、
のちのちの展開に大きなカギを握り、ありとあらゆる要素が次々と絡み合って、パズルのようにストーリー構成が紡ぎ上げられて行くのは、
見事としか言いようがない。
1・ルフィ達にマネマネの実の対策を打てるようにする
2・ルフィ達の存在(特にウソッチョ組)をクロコダイルに伝えることで、あとのピンチ展開に繋げる
3・サンジだけは絡めないことで、あとのサンジによる"解放"の展開に繋げる
4・ボンクレーがナミに触れることで、あとでサンジ戦のドラマに繋げる
5・ボンクレーがルフィ達と仲良くなることでアラバスタ脱出時のドラマに繋げる
6・ボンクレーがルフィに触れることで、アラバスタ脱出時のドラマに繋げる
ざっと挙げただけでもここまで絡んでくる。
なにげない接触のようで、周到なストーリー構成に裏打ちされているのは、ワンピの凄さの一端を垣間見せてくれる。
さらに、オカマだからといって、安易に男好きに設定しないところが、素晴らしい。
また、オカマとも分け隔てなく意気投合するルフィやウソップも、結果的に器の大きさを感じさせるところでもある。
第157話 「”エース登場”」
以前説明した、仲間の法則「○○登場」である。
ただ、今まで登場して来た仲間たちと違い、エースは第233話現在においても、ルフィの仲間になる気配がない。
これをどう解釈するか。
私の予想は「エース死後、形見をルフィが手に入れ、仲間入り(のような感じ)になる」、であるが、
その他「実は「○○登場」は、仲間入りの証明ではなくて、物語終盤のクライマックスで、
ルフィの味方として行動している人物が初登場の際につけられる」などの説もある。
普通の漫画であれば、サブタイトル一つであれこれ先の展開を読もうなどと言うことはあり得ない。
だがワンピでは、作者が「きっとなにか考えてこの題名をつけたはずである」という信頼が、既に構築されている。
だからこそ、このような多説が生まれるような現象が起きてくる。
ここまで、作品づくりにおいて決して適当なことをしてこなかった尾田先生と、それに対する読者の信頼。
それがあって初めてこのようなサブタイトル解釈論争なんてものを楽しむ事が出来る。
こういう、本筋以外のところで真面目な謎解きを楽しめる。これもワンピの魅力の一つだろう。
第158話 「”上陸のアラバスタ”」
「おい!ル…」の瞬間、エースの頭に乗せられたのはスモーカーの左手ぽいのだが、次のコマでは右手になっている…(汗)
さて、エースとルフィが再会する回である。
一瞬美形かと思いきや、奇妙なコスチュームやソバカス、さらには食い逃げと突然睡眠でギャグも入った、おとぼけキャラ、エース。
このへんの「ただひたすらカッコいいだけのキャラ」を作らない尾田先生のセンスは、スーパーヒーローやアイドルでなく、
すぐ隣にいそうな親しみやすさ(モー娘。やSMAPなど)が好まれる、今の時代とマッチ反映していて、さすがであると言えよう。
また、この回にはチョッパーが香水に苦しむシーンがあり、一見なんてことのないエピソードに見えるが、
実はあとの展開の伏線になっていたりと、相変わらず見事なストーリー構成である。
第159話 「”来いよ”」
エースがルフィの兄だと判明する、衝撃の回。
しかし、当然ながらまともな読者であれば、素直に納得は出来ないだろう。その理由は二つある。
まず、エースについて今まで全く触れられておらず、同時にルフィの過去は今のところほとんど明かされていないというのが一つ。
本当の兄弟(で、一緒に住んでいた)のなら、第1話の時点でエースが登場しているはずだし、
それどころか1話はルフィの肉親らしき人物すらいないような描写である。
このような状況で唐突にエースが兄だと言われても、信用のしようがない。
二つ目は、これまで積み上げて来た、周到なストーリー構成によるもの である。
1話では、同じようにその時点では全くストーリー上関わって来ない、ウソップの父のヤソップが登場している。
その他、ありとあらゆる場面で読者の度肝を抜く伏線を陰に陽に張り続けられて来ている。
これほどの作品に、こんな後づけとしか思えない突然の設定変更など、ありうるであろうか?
もしこれが北斗の拳なんかであれば、ああ、そうなんだろうと納得もしよう(笑)。
しかし、これは伏線王・尾田栄一郎の描く、ワンピースである。馬鹿正直に納得などできようか。
逆に、正直に納得出来ないが故にまた一つ謎が増えてしまった事になる。
作中ではルフィが「兄ちゃん」だと明言していて、誰も疑っていないにも関わらずである。
もはや原稿上の絵と台詞と文字だけでなく、読者の想像力すらもワンピという物語の一部に吸収してしまったと言っていい。脱帽である。
最後に一つ。…白ヒゲのモチーフって、もしかして∀ガンダム?(分からない人、ゴメンナサイ)
第160話 「”スパイダーズカフェに8時”」
バロックワークス・オフィサーエージェント集結の回。
やはりいつ見てもこのような新キャラクターの登場話は、先の展開を期待させて、盛り上がる。
また、トロいMr4とセッカチなミスメリクリ、アホなボン・クレーに、一人まともに凶悪さを漂わせ、却って異質なMr1。
これらのキャラ設定も去る事ながら、繰り広げられるやりとりが秀逸であり、
たった一回でほぼキャラクターごとの性格や特徴を描き切っている。
さらに数字上は格下のはずのMr2に蹴り飛ばされるMr1の描写は、分かりやすく数字だけで序列をつけないワンピの世界観
(懸賞金≠戦闘能力という考え方に通ずる)とマッチしていてイカす上、Mr1の能力の片鱗を見せる演出は、後の展開を期待させてくれる。
かなり良質な回と言ってよいだろう。
第161話 「”緑の街エルマル”」
クンフージュゴンなど、単なるギャグ&小ネタかと思ったらやはり後への伏線となっているのはもう見事としか言いようがない。
さらにこの回はまた一つ本作の奥深さが垣間見られる。それは、ダンスパウダーである。
人工的に雨を降らすダンスパウダー。
その設定自体は別にそこまで凄いというものではないが、実はこのダンスパウダー、現実世界にも存在するのだ。
中国などで人工降雨に使われる物質として、ヨウ化銀というものがある。(化学式
AgI)
空気中に打ち出すと、ヨウ化銀は雨の核になり、生成された雨は地上に降り注ぐ。
で、このヨウ化銀、(黄)緑色をしている。対するダンスパウダーについても「緑色」と明言されている。
つまり、ダンスパウダーとはヨウ化銀であると思われるのだ。
フィクション世界のことであるからと言って適当な設定を作ってゴマかさず、きちんと現実に根ざすことで物語のリアリティを増す。
それと同時に、物語の細部についてさらに突っ込んで調べて見る、というおよそ少年漫画とは思えないような知的な楽しみまでも提供する。
もはやこの作品の凄さを説明するための言葉がみつからなくなって来た。
第162話 「”砂の国の冒険”」
仲間7人が、会話を繰り広げながら砂漠を行く、ちょっと地味めな回。
一応マツゲが初登場したり3人の合わせ必殺技が炸裂したりと見せ場はあるが、今回は少々別の話を。
巻17、ドラム編にてルフィ海賊団に仲間入りしたチョッパーであるが、
今回はサンジのときと違って、早くもメンバーになじむことに成功しているように見える。これは何故だろうか?
一つは、サンジのときと違って、ルフィだけでなく基本的に全員の承認のもとに仲間になっているというのがある。
そして二つ目として、(作者が気を使っているのか)チョッパーを出来るだけ全員と頻繁に絡ませているのが大きい。
ルフィ&ナミとは仲間入りの際に濃い信頼関係を築いていたが、さらにウソップやゾロとも、意識的に絡ませているようだ。
ウソップとはすぐ打ち解けて一緒に釣りをしたり、ウソを真に受けて騙されているし、
ゾロには今回の砂漠行で運んでもらったり、後に川渡りのときに頭に乗せてもらったり、
さらに風呂では頭を洗ってもらったりして、かなり微笑ましい。
サンジとも巻19では二人で外に残ってルフィ救出の共同作戦を取っている。
サンジのときにはケンカばかりで浮き気味だったのと比べると、堅実に仲良し描写を重ねているのが奏効しているのだろう。
また、チーム内でのポジション(マスコットキャラ)が確立しているのも、仲間と絡ませやすい要因になっているように思う。
何はともあれ、チョッパーをうまく仲間に適合させられたのは、
この後かなりハードな展開になっていくのを考えると、大きかったように思われる。
また、チョッパーが仲間となじむことで、その前からいるサンジがさらにしっかり定着して行ったようにも思える。
一度(サンジのとき)犯したミスは繰り返さない。
そういうきちんとフォローする姿勢がまた、ワンピの質を維持し、さらなる高みへと導くことになるだろう。
第163話 「”反乱軍の街ユバ”」
ビビの少女時代回想物語。でもどちらかというとコブラ国王の方が目立ってる気がするのは気のせいだろうか?(爆)
ちなみに欲を言うならば、砂砂団と遊んでいるときに女王様役をやって「オーッホッホホ」と言わせるなど、
どこかで「ミスウェンズデーぽいキャラクタ」の片鱗を見せるなどがあったら、
以前述べているミスウェンズデーとビビのキャラ的一貫性の不足を埋める事が出来たのであるが。
第164話 「”国が好き”」
少女時代回想物語後編。
「生まれた国だ」から、というだけの理由で国が好きだと言い切るコーザの言葉に、最近の日本人が失いつつある何かを感じてならない。
そのへんのメッセージも込められているのだろうか?
また、抜けているところとしっかり決めるところがメリハリのついているコブラ国王の描写が、
アラバスタ編の最後のシーンの迫力へと繋がっていくのを考えると、
やっぱりこの回想編、ビビよりもコブラの描写の方が重要な気がしたりしている。
解説と言うより感想になってしまって、すみません。
第165話 「”作戦名ユートピア”」
私としては少々不満の回。
バロックワークスのユートピア作戦通達のシーン(司令状をロウソクで燃やす)など、演出が光っていたり、
ルフィ一行の枕投げのシーンのやりとりの面白さはあるのだが、ルフィが穴を掘るシーンはちょっと頂けない。
トトが掘った穴に砂を入れてしまい、それを注意されるルフィだが、その言葉を全然理解できず「不思議穴」と断じてしまう。
また、以前(第156話)に「一万年か…俺、生きてられるかな」という発言も出ていたが、
ここに来てルフィの知能が、あまりにも退化しすぎている感じがあるのだ。
以前のルフィは、「頭はそんなに良くないが、直感が鋭く、物事の本質を見抜く」という役どころだったのに、
これでは「バカだが、直感が鋭い」になってしまう。
以前は12才くらいの頭はあったように思うのだが、これではまるで3才児以下である。
登場キャラクターがある程度確立して来ると、今度はステレオタイプになり、どんどん極端になってしまうのは分かる。
しかし、ものには限度があるし、限度を超えればそれまでの描写と違和感を生み出す。
ましてやルフィは主役である。あまりに知能を落としては、海賊王たる器量に疑問が生じてしまうのではなかろうか。
その辺のバランスを、なんとか保って欲しいものである。
第166話 「”ルフィ VS ビビ”」
Mr3が再登場の回。"戦闘のみの実力なら、Mr4のが3より上"という説明が、また、痺れる。
単純に数字で序列をつけないこのへんのセンスがまた、ワンピースの魅力であるのは何度も述べた通りである。
また、わざわざここでMr3が登場するのは、やっぱり後の展開に関係してくるのだから、恐れ入る。
さて、最後にルフィとビビが取っ組み合いのケンカになるが、
何故か打撃攻撃が効かないはずのルフィが、顔を腫らして鼻血まで出している。これは一体どういうことだろうか?
いくらドラマの盛り上がりのためとはいえ、
物語の根源たるゴムゴムの能力の設定を無視するのはやりすぎではないかと思うのだが?
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