葬儀について一考 本文へジャンプ

 ここ近年、葬儀の行われ方や、さらに葬儀自体の存在意義に至るまで、様々な疑問・意見が各種メディアに載ったり、また、ともすれば行き過ぎた商業主義に対して批判がなされたりしております。
 
 一方、冠婚葬祭という同じカテゴリーの中でも、結婚式に関しては、随分とオリジナル化・簡素化の傾向が進んでいるように思われ、以前は当たり前のように存在していた仲人も、今では希少となっているのが現状ではないでしょうか。

 
 葬儀に関しても、概念的あるいは漠然とでも個性化・簡素化を考え望む人も増えてきていると推察しますが、現実としてはそれほど大きく具体化していないように見受けられます。それは、結婚式と異なり、葬儀というものは必ずしも事前に綿密な計画が立てられるものではなく、また御目出度いことではないために積極的に立案し周到に準備することが憚られることも一因でしょうし、地域による慣例や因習に縛られるという事情もあるかも知れません。
 
 しかしながら、現在のありかたに疑問をもたれ、独自の希望に沿った実施法を希望される方も多くなってきていることも事実です。上述の結婚に関しては、当事者二人だけの事柄であることもさることながら、婚姻関係を結んで世帯を形成するということは有形無形で社会と関連しているため、これを世間(友人・知人・仕事関係者)に披露して認知・祝ってもらうことは、ある意味パブリックなことであるかも知れません。翻って死というものは、相続や戸籍・社会保険の問題などの社会性を有する面もありますが、その告知や周知という点においては多分にプライベートなことでもあります(以下の参考文献参照)。そのような観点から、現状からのさらなるオリジナル化(簡素化や、希望によっては華美化)が進んでもよいとも言えましょう。
 
 もちろん、既存の方法に不満のない方は従来通りで良いでしょうし、広く社会に告知(告別)する必要のあるような地位や職業にあった方には相応の仕方が求められる場合もあるでしょう。また、葬儀の際には、火葬場や車等の各種の手配や、公的機関からの種々の許可の取得など、諸々の手続きが必要となり、これらすべてを滞りなく行うことは悲しみの渦中にいる者にとって大変なことであるため、これら諸事を一定のルーチン作業として葬儀業者に代行してもらうことで供養に専念できるという現状の形式にも利点がありましょう。
 
 ただ、そのような点も勘案した上で希望の葬儀を執り行いたいと思われる方がおられましたら、ご一緒に考えていければと思っています。身内や親しい知人だけを集め、簡素だけれども濃密に告別したいと思われる場合や、なるべく質素に費用をかけずに執り行いたいと考えておられる場合などには、相談に乗らせていただきます。


参考文献
柏木哲夫:ターミナルケアの話(10). 最新医学56巻,1238-1240頁(2001年)より
「死は徹底的に個人的(private)なものである。決して公的(public)なものではない。人は最終的には家族に見守られながら一人で死んでいくのであるから、死を前にした人の心配は、まわりの家族と自分の苦しみに絞られるのが当然なのである。そこに公の仕事が入り込む余地はないのである。」