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行田馬車鉄道を歩く 前書き続き

吹上再訪

 私は、JTB『廃線跡を歩く』シリーズの第3巻の巻末地図を見ている時に、その存在を知りました。
 今回、身近なものとして調べ、歩くようになったきっかけは、吹上町のコスモス街道を訪れたことでした。事前にコスモス情報をインターネットで検索していたところ、吹上町のサイト内、元荒川にかかる橋の紹介の中で、「佐賀橋・・ここを通っていた馬車鉄道を忍ばせる風情の橋です」との説明を見つけました。それで興味を持ち、その佐賀橋だけでも見てみようと思いました。できれば、線路のひかれていた場所はわからないけれど、JR吹上駅〜秩父鉄道の行田市駅の間を歩いて
みたいと思いました(その日は結局、JR鴻巣駅〜荒川のコスモス〜吹上駅〜行田市駅と歩きました)。

 最初、地図を見ていて、馬車鉄道は吹上駅から現在の行田東松山線(ものつくり大学の脇の道路)のあたりを通って佐間方面へ向かうのかなと推測していました。そこは現在まっすぐで交通量が多そうな道路で、歩いてもつまらなそうなので(どのみち、すでに鉄道の痕跡はないでしょうから)、その西側を通る前谷地区の、旧道らしい道を歩きました。その後調べてみると、私が歩いた道が馬車鉄道のあったルートだった可能性が高くなりました。また、行田の中心部のルートがわかる地図も見つけたので、行田の中心部だけ後で再訪しました。

 現在の行田市は、埼玉の地名の由来となった「さきたま古墳群」や、忍城址を中心とした町作りに力を入れているようです。そのため、町を歩いても馬車鉄道の面影をしのぶものはほとんどありませんが、資料からわかるだけのものをここに記したいと思います。(2002年10月)

※吹上町ご出身のねこさんがメールをくださいました。地元の方ならではの情報なので、了承をいただき追記として1211ページに掲載させていただきました。(2006.5月)

吹上方面へ再訪した話はこちら→
吹上方面の詳しい地図も載せました(2010年1月)


参考文献;『鉄道廃線跡を歩く』第3巻(宮脇俊三編著・JTBキャンブックス)
     『全国軽便鉄道』(岡本憲之著・JTBキャンブックス)
     『行田市史』下巻-3
     『写真集 明治大正昭和行田 ふるさとの想い出8』
     『大日本帝国陸地測量部 大正2年発行 5万分の1地図 熊谷』

 忍城址の博物館にも、馬車鉄道関係の展示がいくらかあるようです。

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