伝説紀行 尼の長者 うきは市(浮羽町)
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
尼の長者と一朝堀 福岡県うきは市(浮羽町)
日本有数の穀倉地帯である筑紫平野の全域は、筑後川が運んできた土砂が積もってできたもの(沖積平野)。気が遠くなるほどの歳月をかけて造り上げられた平野の最東端は、福岡県浮羽町(現うきは市)山北地区あたりにあたる。「道の駅うきは」の裏手から見下ろすと、平野の生い立ちがはっきり見て取れる。 栄耀栄華の長者にも悩み事が 時は江戸時代よりずっと以前の頃である。男子島(現うきは市)に、周辺の山と田んぼと漁業権を独占する男がいた。人呼んで「尼の長者」は栄耀栄華の生活を送っている。 仏が「民のためになることをせよ」と 観音さまが指摘なさる肥前の長者の来訪の一件とは・・・ 役立たずの台地を水田に変えられないか 将来にわたって百姓が喜ぶこととはどんなことなのか。長者は、大野原の原野を歩きながら千歳川(筑後川)に出た。そこで踵(きびす)を返して今来た原野を眺めてみる。見渡すかぎりの乾いた土と、糞の役にもたたない小松や雑竹ばかりが目に入る。この土地を米の取れる田んぼに変えられないものか。観音さまは「ゆっくりと計画を立てて」とおっしゃるが、そんな悠長なことは言っておれない。今すぐに我が子が欲しいのだ。
「水路さえできれば、あとはお前たちが水を汲んで流せばいいではないか!」 でも、…短気が災いして 突貫工事が開始されたが、水路はなかなか伸びない。そのうちに工事現場から1人、2人と人夫が姿を消していった。気がつけば、作業する人夫は幾人も残っていない。これでは、水路を作ることは不可能である。 町村合併後の「うきは市浮羽庁舎」を訪ねた。一朝堀や古賀の土手の所在を教えてもらうためである。応対してくれた若い職員は、現存する地名はわかってもそれ以上のことは見当もつかないと答えた。奥にいた課長風の人が出てきて、「その後の農地整理などで、そんなものはとっくに消えてなくなりました」とそっけない。 |