大野原の雌キツネ
福岡県うきは市(浮羽)
かつて女キツネが横行したという大野原
今回のお話は、浮羽町の大野原に棲む雌キツネと人間の化かしあい。お話の頃の大野原は、筑後川の水面から台地までの段差が極端に高かった。江戸時代より以前は農業用水を引くこともままならず、農作物が育つ環境ではなかった。そんな荒れ放題の場所が、キツネどもにとっては絶好の活躍場所だったという次第。
絶世の美女が現われて
「あのー、そこ行くよか男」
夜道が怖くて急ぎ足の平兵衛さん。呼び止められて、おっかなびっくり、声のする方に顔を向けた。よく見ると、未だ20歳前の小野小町のようなよい娘だった。
「今晩は、私の名前はお袖」
「あんたさん、こげな淋しか夜道ば一人で・・・」
若い娘を見ると、それまでの心細さは嘘のように元気はつらつ。
「はーい、一人で歩いていると、えずうしてどんこんこんこんなりまっせん(怖くてどうにもなりません)」
娘がべそかいた。
「そんなら、おい(俺)についてこんね」
「ありがとうございます。あなたのような強いお方と一緒なら安心でございます」
湯壷が肥壺
二人がどうでもよいような世間話を交わしながら歩いていると、目の前にとてつもない大きな屋敷が出現した。周囲を松明が照らして、まるで真昼のよう。足音を聞きつけて、中から中年の女が出てきた。
娘の母親だと言う女は、平兵衛さんを奥の座敷に案内すると、今まで口にしたことのないようなご馳走を運んできた。食事が終ると、今度は総桧作りの浴室へ。すっかりいい気分になった平兵衛さん、湯船に浸かりながらついつい鼻歌が。
「うきはよかとこ、一度はおいで〜」
そのときである。浴室の外から「ヤイヤイ」の奇声が。気がつくと、周囲に鼻がもげそうな強烈な臭いが充満している。
「臭かー、なんのこの臭いは?」
平兵衛さんが鼻をつまみながら周囲を見渡した。なんとそこは、豪華な屋敷どころか、すすきの原っぱのど真ん中である。気持ちよく浸かっていた湯船はといえば、地中に埋め込まれた肥壷ではないか。空には大きな星が輝いて、平兵衛さんの馬鹿さ加減を嘲笑っているよう。
湯壷が肥壷に
「しもうた。騙された」
気がついたときはもう遅い。平兵衛さんは具いっぱいのカレーライスに肩まで浸かって。やっとのことで抜け出すと、着物を抱えて一目散に駆け出した。それにしても、体中が臭いこと、臭いこと。
家に帰り着いた平兵衛さん。体中をたわしでこすっても臭いは取れない。三日三晩悪臭に悩まされてようやく元に戻った。
人一倍プライドの高い平兵衛さんのこと。あの雌キツネに仕返しをと決意した。商売人に変装して再び大野原へ。すると、商人の娘らしい娘が近づいてきた。平兵衛さん、すぐさま挑発に出た。
「やい、雌キツネめ。おまえもとうとうヤキが回ったか。せっかく化けるならもっと上手に化けられんもんか」
「何をおっしゃる。私は千足でばさらかおっか(大きな)呉服屋十郎衛門の娘おかるでござんすよ」だって。
「そげなすらごつ(嘘)言うても駄目たい。着物の裾から尻尾が見えちょる」
慌てた娘、すぐにキツネの姿に戻って、「あなたの眼力には恐れ入りました。どうか人間さまにも誉められるごたる化け方ば教えてくれんの」だと。
キツネが金の茶釜に
そこは素直に平兵衛さん。
「それなら試しに、金の茶釜に化けてみろ」とそそのかした。
「はーい、そんくらいなら簡単な御用」。
言うなりキツネはそばのカズラの葉っぱを頭に乗せて呪文を唱えた。するとたちまちキンピカの茶釜に早変わり。
「おい(俺)がよかちゅうまで絶対に元の姿に戻っちゃでけんぞ」
念を押して、持ってきた大風呂敷に金の茶釜を包み込んだ。行き先は村一番の分限者の屋敷。眠そうな顔をして出てきた主人の金助に憐れを乞うた。
「私の稼ぎが悪かばっかりに、かかあも子供も、もう5日もなーんも(何にも)食べておらんとです。ここにですね、ご先祖さんから絶対に手放しちゃあでけんち言われとった純金の茶釜ば持ってきました。背に腹は代えられまっせんけん、どうか買うてください」
真の勝者はどなた?
お宝鑑定では右に出るものなしと自慢する金助、鼻めがねをかけて表を見たり裏返したり。
「よーし、買うた」
商談成立して平兵衛さん。大金を懐に我が家へまっしぐら。帰るなり、なぜか顔中に白粉を塗りたくって、布団にもぐりこんだ。
一方、騙されたとは露知らない金助は、いたってご満悦。早速茶釜にたっぷり水を入れて、燃え盛る火鉢にかけた。
「ぎゃ―っ」
茶釜はたちまち本性のキツネの姿に戻って逃げ出した。騙されたと知った金助の頭から湯気がポッポッ。平兵衛さんの家に駆け込んだ。
大野原風景
「やい、平兵衛。何ちゅうこつか! こともあろうに、村一番の正直者ば騙すなんち」
しぶしぶ布団から起きだしてきた平兵衛さん。
「さて、何のことやら。見てのとおり、あたしは長の患いでここしばらくは一歩も外に出とりまっせん。大方金助さんは悪かキツネにでん騙されなさったんじゃ・・・」
なるほど、平兵衛さんの顔色といったら、病人そのもので血の気が失せている。金助はどこに怒りをぶっつけてよいものやらわからずに、その場に座り込んでしまった。(完)
キツネと人間の騙しあいとなると、何故か最後に人間が勝つようにできている。人間という生き物は勝手なもので、自分が獣よりずーっと上等にできていると信じているから始末が悪い。
お話の大野原あたりは、いまや名産の富有柿畑が連なるところ。筑後川は目の下にある。畑の雑草とりに余念がないお婆さんに話しかけた。「はい、50年前にあたしがここさん嫁にきた頃は、どこでんここでん米ば作よりました。それが今じゃ柿ばっかり。それすらも、最近は不景気で・・・」と、声を落としなさった。
「むかし、平兵衛さんが住んでいた頃は、このあたり一面草も生えない台地だったそうですよ」と突っ込んだら、「そげんむかしんこつば言うてどうすんね」と、逆襲を食らった。
このお話し、旧浮羽町役場近くに住んでおられた田中芳胤先生にご教授願った。
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