伝説紀行 玖珠の山姥  玖珠町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第225話 2005年09月18日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

玖珠の山姥
(くすのやまんば)


07.05.13

大分県玖珠町


玖珠立羽田の絶景

「山姥(やまんば)」とは、むかしから日本全国で語り継がれてきた深山に棲む妖怪である。伝説紀行では、144話「ポーン太の森」163話「星丸の山姥」で筑紫山地を本拠とする山姥を紹介した。今回は、大川(筑後川)を遡った豊後に伝わるお話しである。玖珠盆地から耶馬溪にかけての山岳地帯も、むかしから天狗や山姥(やまんば)など妖怪が闊歩する世界であったみたい。

山中で老婆に声をかけられ

 時は江戸時代の蒸し暑い梅雨どきのことだった。日田の住人平三郎は安心院(あじむ=大分県宇佐郡)にある親類の家を目指していた。道筋は、大太郎峠を越えて玖珠の城下町を通り、大岩扇山を横目に見て、日出生(ひじゅう)台を越えていくことになる。
 日田の街を朝早くに発って大太郎峠を越える頃、雲行きが怪しくなり、ポツポツと冷たいものが落ちてきた。早足に峠を下りて玖珠盆地の志津里にさしかかる頃、雨足は激しくなった。加えて、陽も山陰に沈み込んでしまった。草鞋(わらじ)が湿って重くなり、進むべきか穴倉を探して野宿すべきか思案にくれた。
「お困りのようじゃな」
 声をかけたのは、頭が地べたにつきそうに腰を曲げて、樫の杖を頼りの老婆であった。
「…なに、安心院まで行きたいと?こん雨じゃ、それは無理じゃ」
「……」
「心配はいらんから、わしの家に泊まっていかれ」写真:玖珠志津里の郷
 老婆はさっさと先を歩き出した。腰は曲がっていても、若者が歩くように速い。

老婆は山の物知り博士

「鍋が煮えたらたんと食べて元気を出され」
 顔中が深い皺で波打っていて、細い目も隠れて見えない。老婆は、夜長の暇つぶしにと、赤々と燃える囲炉裏端で、山での暮らしについて話した。猿や狸や猪など獣と一緒に暮らしていると、いつの間にか彼らは子分になってしまう。そうなると、山や谷を案内してくれるし、食べ物も運んでくれる。お陰で玖珠から耶馬にかけて隅々まで知らない場所はないんだと。
「一番厄介な生き物は人間じゃよ。奴らは勝手に山に入ってきて、ものは散らかすし、川をせき止めて魚も棲めなくしてしまう。だから、わしは、人間が大嫌いじゃ」
「でもお婆、あんたもれっきとした人間じゃなかですか?」
「ああ、そうじゃったな。ワハハハ」
 老婆は、皺だらけの顔をますますくちゃくちゃにして笑い飛ばした。その間も、囲炉裏にかけた鉄鍋のよだれを誘う匂いが部屋中に充満した。

鍋の中には頭蓋骨が

「よか匂いですね。まさか、まさか、子分の猪(しし)の肉ではなかでっしょう?」
「食えばわかる。さあ、そろそろ煮えたかな。ちょっくら鍋に入れる野菜を採ってくるかな。絶対に鍋の中を覗いたらでけんぞ」
「よっこらしょ」と掛け声をかけて老婆が立ち上がり、裏口から出て行った。見るなと言われれば、鍋の中の物を見たくなるのが人情というもの。平三郎は、恐る恐る囲炉裏の自在鉤(じざいかぎ)にかけられた鍋の木蓋(きぶた)を取り上げた。
「ぎゃあっ」、恐ろしさで体中が強張(こうば)ってしまった。平三郎が見た鍋の中のものとは…。
 出汁(だし)をとるために人間の頭蓋骨が鍋底に置かれ、切り刻まれたこれまた人間の手や足が頭蓋骨の周りでグツグツと煮えたぎっている。写真:日出生の連山
「見たな!」
 突然後からだみ声が飛んできた。その姿は確かに先ほどの老婆だが、あの柔和な表情は一変していた。総白髪は逆立ち、皺に隠れていたはずの目が飛び出して吊りあがり、爛々と輝いている。口は耳まで裂けて、真っ赤な唇の向こうには鋭い牙が…。

人食い山姥にも天敵が

「鍋の肉は、昨夜里から浚ってきた人間の子供じゃ。今夜のお前のほうが歯ごたえがあってうまそうじゃな」
「ヤマンバだ!祖父(じい)さまに聞いたことのある山姥(やまんば)だ」
 平三郎は、裸足(はだし)のままで飛び出した。捕まったら最後、切り刻まれて鍋の中に放り込まれる。命あっての物だねと、雪明りの山道を駆けた。「逃がしてなるものか、せっかくのご馳走を」、後から白衣の山姥が追ってくる。
「痛い!」 躓(つまづ)いて我が命ここまでと諦めたところが小川の縁。岸の岩にしがみ付いている大きなナメクジが目に入った。「山姥はナメクジが天敵」。これまた祖父さまに聞いたことを思い出した。嫌がるナメクジを岩からはがして、追ってくる山姥に投げつけた。
「ひぇーっ」、ナメクジをいただいた山姥は、悲鳴を上げて今来た道を戻っていった。途端に平三郎の気持ちも切れて、その場で気を失ってしまった。

 翌朝気がつくと、何事もなかったように静かな山間の景色の中に自分がいた。昨夜の出来事のどこまでが夢なのか現(うつつ)なのか、平三郎には咄嗟の判断がつかなかった。
 親類に持っていく土産の入った包みを肩にかけて、歩き出そうとした。「これは何だ?」。血痕が点々と繋がっている。辿ってみたが、どこにも山姥の家も姿も見えなかった。(完)

 山姥伝説は、大自然の中の山を神格化するところから始まっているような気がする。「悪さをすると山姥に浚われる」または「山の神に差し出すよ」と言って脅された経験の持ち主も多かろう。
 伝説のルーツは、信濃の善光寺参りに出かけた都の白拍子
(しらびょうし)にあるらしい。白拍子が越後まで来て、「上道(うわみち)」「下道(したみち)」「上路(あげろ)」の三つのうち、仏の心が通う上路を選んだ。途中出会った女に「自分は山姥」だと打ち明けられる。
 山姥は、白拍子の歌にあわせて髪を振り乱して踊りまくった。この話、室町中期の一休禅師の原作を謡曲化したものだそうな。上路には今も「山姥社」が祀られていると聞いた。そのほか、土地土地によって、山姥は神になったり人食い悪魔に化けたり、山の支配者になったり、さまざまに変化する。
 筑後川の源流でも下流でも、山姥やカッパや天狗など妖怪どもは、みんな筑紫次郎の大の仲良しである。食べられるのは嫌だが、一度だけでいいから山姥に会ってみたい。

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