伝説紀行 ボーン太の森の山姥  東峰村(小石原村)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第144話 04年02月08日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

ボーン太の森の山姥


2007.04.22

福岡県小石原村


狸の腹に似た台山

 旧小石原村と旧宝珠山村の境に「台山」という山が聳える。その姿が寝そべっている狸の腹にに似ていることから、土地の人がつけた名前がポーン太の森。この山、正式には「でん山」と読み、標高は725bだから、そんなに高くはない。だが、ずっとむかしは、人も寄り付かぬ山深いところだった。

我が村に鬼の集団がやってくる

 もう1000年以上もむかしになろうか。小石原に住む信平が顔をこわばらせて村長(むらおさ)である弥左一の家にやってきた。
「大変でごぜえます。私の伯父きが言うには、彦山に棲む鬼どもが妙なこつば考えちょるとです」
「お前が大変と言うときは、たいがいキツネに騙されたとか、猫が鼠に噛まれたとか、馬鹿らしいこつばっかりじゃけんな」
「それが、今度ばかりは違うとです。鬼どもが彦山(むかしは『英』の字がつかなかった)の前の鬼杉のとこに数百匹集まって、新しか棲家の選定ばしょるげなです」
「ほほう、あの嫌われ者の鬼にして、少しは反省したばいね。いつまっでん神さまの屋敷にご厄介になるわけにもいかず、ほかに移ろうちいうこつじゃね」
「なんば暢気なこつば言うとですか。鬼が家移り先の候補に上げたつが、でん山ですたい」
 そこでようやく村長の顔色が引きつった。写真は、台山中腹のキャンプ場
「そりゃ大変だ。あげん近かとこに鬼が棲んだら、わしらは夜もおちおち眠れんじゃなかか」
「でっしょう、だから大変だち言いに来たつですよ」

鬼の棲家に必要な条件

 信平が、彦山の麓に住む伯父から聞いた鬼どもの企みとは…。神社の前の鬼杉の根元に集合した約500匹の鬼が、大将を囲んで何やら小声で相談ごと。
「最近、人間どもが鬼の集団を嫌がって、棲みにくい世の中になったもんだ。それに、彦山大明神からも、居住の契約期限が切れたから出て行けち言われとる。いつまでも居座っていて、これ以上神さまに睨まれても得なことはないし。そこでお前ら、新しか場所を探してこい」
 鬼の大将は、眼つき鋭く子分どもに言いつけた。
「わかりやした。それで、大将の気に入る場所の条件は?」
 若頭が、二本の角をピクピクさせながら質問した。写真:鬼の棲家になっていたという英彦山の山岳
「大むかしから鬼が棲める山の条件は決まっとる。まず第一は、七峰・七谷が揃っていること。それに、山の近くに人間が住んどること」
「七峰・七谷はわかりやすが、人間が近くにとは…?」
 若頭が、またまた角をピクつかせて訊いた。
「馬鹿もん、お前ら、何年鬼ばやっとるか。人間がそばにいなけりゃ、農作物ば黙っていただくことがでけんじゃなかか。それに、時々は若い娘と何ばしとうなるじゃろう。若い奴らの精力のはけ口も考えてやらにゃならんし。大将の勤めもちっとやそっとじゃなかぞ(大変だぞ)」
 やっと納得した子分どもが、新しい棲家探しに散らばった。そして見つけたのが、弥左一や信平らがいつも見上げるでん山(台山)であった。

300歳のヤマンバにご登場を

 村長の弥左一の呼びかけで、村中の者がボーン太の森に集結した。鬼どもがでん山に棲みつかない工夫はないものかと、ない知恵を絞りまくった。そこで、村の長老が手を上げた。
「鬼どもに、それなりの圧力ばかけらるのは、あの方以外にはおらん」
「して、あの方とは?」
 集まった村の衆の目が長老の口元に集まった。
「ヤマンバ(山姥)たい。あのお方は、いつでも人が住まん山奥で暮らしておられる。何ば食うて生きておられるか誰も知らんが、今年で御歳確か300歳のはずたい。あのお婆なら何でもご存知で、いかなる怪物でもすぐ降参するげなたい」
「して、そのヤマンバさんな、いまどこにおられるかな?」
 弥左一も、ここは長老の言うお方におすがりするしかないと考えた。写真:鼓の里
「何でも、鼓の滝のあたりにおられるちゅうこつげな。いつも狸ば100匹ばかり連れて、山の中を走り回っておられると聞いたがな」

鼓の滝の山中に

 話は決まった。弥左一と信平が代表になって、草木を掻き分けながら鼓の滝にやってきた。
「留守のようじゃな。何日か待っておれば戻ってこられるじゃろう」
 のんびりした話に聞こえるが、ここは何度も出直しできるような生易しい場所ではない。三日三晩待って、顔中皺だらけで前歯が3本、頭は真っ白の老婆が戻ってきた。ヤマンバの身を守るようにして、貫禄ある太鼓腹を突き出した狸が5匹ついている。
「わー、すごか、あの狸の金玉!}
 思わず信平が感嘆の声を発したから、弥左一が慌てて口をふさいだ。
「何事かな、わしに用事とは?」
 しわがれ声のヤマンバが、二人の顔を舐めるように見渡しながら、滝の飛沫(しぶき)が飛び散る大きな岩に腰をかけた。弥左一が一部始終を話し、何とか鬼どもがでん山に移り棲まないよう、力を貸して欲しいと願い出た。
「彦山の鬼か…。あいつらは、いかなわしとて思うようにいかぬ相手じゃわい。じゃが、あんたら人間世界には日頃からわしが怖がられちょるち言うから…」
 ここはひとまず、弥左一らを里に帰した。

神の託宣を得て

 ヤマンバは滝に打たれながら、山の神さまのご託宣を仰ぐことにした。生まれて300年、否何千年もの間、山姥(やまんば)一族の知恵袋は鼓の滝に宿る神だったのである。滝に打たれて三日目の朝、飛沫の中に神さまが立たれた。
「ありがとうございます。これで私も、人間世界から絶大なる信頼を得ることができます」
 ヤマンバは、神さまからのご託宣を受けて、意気揚々と彦山鬼の大将と対面した。
「わしは、鼓の滝に住むヤマンバなるぞ。そなたらが、人間が来て欲しくないと願うでん山に、こだわるわけは?」と切り出した。
「わかっておろうに。あそこには、わしら鬼が棲む七峰・七谷が揃っているからじゃ」
「それなら、でん山は無理じゃ」
「どうして?」
「そなたたち鬼の目は、節穴か。でん山には確かに峰は七つある。だが、谷の数は七つはないはずじゃ」
 そんなことはないと、怒った大将が子分を走らせて確かめさせた。
「おかしいです、親方。前に数えたときは確かに谷が七つありました。それなのに、今日は六つしかありません」
「仕方なか。たまには鬼の目にも狂いが生じるもの。よいか、子分ども。ほかの候補地を探すのだ。三日以内にな」

鬼は人間より諦めが早い

 人間の誰かさんと違って、鬼の決断は早くて、諦めも潔い。鬼どもは、それまでに準備した礎石や材木などを彦山の山奥に隠して、さっさと次なる行動に移った。そのとき鬼どもが南岳の斜面に積み上げた材木が化石になって、「材木石」だとか。
 呼び出されて鼓の滝に出かけた弥左一と信平に、ヤマンバは黄色く汚れた3本の前歯を遠慮なく見せながら、鬼との交渉の結末を報告した。
「ありがとうごぜえました。ところででごぜえますよ、ヤマンバさま。どうして七つあった谷が、突然六つに減ったとです?」写真は、行者が修行を積んだ英彦山の山岳
「ハハハ・・・。大したことじゃなか。山姥一族は、人間には考えられない術を心得ておる。山や谷の一つ二つ懐に隠すくらい、朝飯前じゃよ、ハハハ・・・」
「……」
 二人にはヤマンバが言う術の意味がわからないまま、持参した酒樽と海の幸を奉納すると、急ぎ里に帰って村の衆に嬉しい結果を報告したそうな。(完)

 物語の頃の小石原村は、人里から孤立した所だった。そんな山の中だから、迷信や信仰が欠かせなくなる。「山姥(やまんば)」とは、深山に住む怪力を持った伝説上の老婆で、村人は彼女(?)の出現に恐れおののいていた。山を荒らしたりすると、山姥が里に現われて人間社会に災害をもたらすと言われていたからである。この村には、そんな古代の匂いが今も漂っている。

科学的検証の材木石:玄武岩が柱状にはがれてできたもの。

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