伝説紀行 妹川の清盛カッパ  うきは市(浮羽町)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第217話 2005年07月17日版
再編:2016.10.16 2019.03.10
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
清盛入道は不滅
巨瀬川の平家カッパ …上流妹川篇

福岡県うきは市(旧浮羽町)

【関係資料:平家滅亡に至る経過】


巨瀬川源流近くの高西郷水天宮

 巨瀬川(こせがわ)は、旧浮羽郡(浮羽町・吉井町・田主丸町)を串刺し風にして流れ、筑後川に合流する全長24.8キロの中級河川である。
 この川には、やたらとカッパが出没する。旧田主丸町(現久留米市)は、JRの駅からしてカッパが占拠しているし、お隣の旧吉井町(現うきは市)でも町中にカッパ(像)がうじゃうじゃ。
 巨瀬川カッパのルーツを求めて、水源近くの妹川という集落に赴いた。水辺の小さな祠の鳥居の額には、「高西(こせ)郷水天宮」と記してある。「当地は古くは巨勢(こせ)氏の領地にて高西(こせ)と称されていた。時代とともに高西(こせ)から九十瀬(こせ)になり巨勢(こせ)と替って、現在では巨瀬(こせ)と書くようになった」と説明が施されていた。そうじゃなくてもあまり柔らかくない筆者の頭の中が、ますますこんがらがりそうな「こせ」のオンパレードであり、カッパのルーツ捜しも容易ではなさそう。


高西郷水天宮そばの巨瀬川

水不足の原因は上流に?

 時は、壇ノ浦決戦(1185年)から100年以上も経過した、鎌倉時代末期である。
 朝田村(旧浮羽町)の名主徳兵衛が悩んでいる。巨勢川の水量が少なくて、田植えもできないからだ。
 雨は適当に降っているのだが、何故か川の水位が上がらない。さらに、子供たちが深みにはまって溺れ死ぬ事故が相次いでいる。
 水源あたりで何か重大な事変が起こっているのではあるまいか。徳兵衛は農民の難儀を救うために上流を目指した。村を出て半日ほど歩くと、そこは高い山に挟み撃ちされたような迫(谷間)にある芋川村(安土桃山時代以前は妹川をそう書いた)であった。

九十瀬入道なる怪人が

 大きな銀杏の木の脇に建つ屋敷に恐る恐る近づくと、傍らから白い髭を蓄えた爺さまが現われた。
「我は巨勢川にある90の瀬を支配する神なり。90の瀬には3000の子飼いが住み、我のことを『九十瀬(こせ)入道殿下』と崇め奉る。我は神ゆえに、川と周辺の出来事ならなんでも知っておるし、子飼いどもは我が放つ命令には絶対服従する」
 そう言われても、徳兵衛には何のことだかさっぱりわからない。
「ところで、そなたの村には田植えに必要な水が流れてこないとな。このところの我は忙しくて、そんなこまかいことまで気が回らなかった」
 九十瀬入道、この時皺くちゃの顔に少しばかり紅がさした。
「我、齢(よわい)150歳にもなろうとするに、未だ三度の飯よりおなごが好きでのう。その先は訊くべからず」だって。
 巨勢川の水の供給を頼み込む徳兵衛に、九十瀬入道はある交換条件を示した。

約束を忘れたら…

 徳兵衛が朝田村に帰ると、すぐに巨勢川の水位が上がった。田んぼに水がはられ、裾をからげた娘たちが田植え唄を歌っている。
♪腰の痛さよ この田の長さ 四月五月の 日の長さ
 田植えも無事終って、農民は巨勢川の岸辺で松明を焚き、鉦(かね)や太鼓で踊りまくった。
「これで今年の豊作は間違いなし」と大喜びしたのもつかの間、一転星空が消えて南の鷹取山頂上から強烈な稲光と雷音が降り注いだ。それでも、村人たちは踊った。
 翌朝、徳兵衛が田んぼを見回って腰を抜かした。昨夜の大雨でせっかく植えた早苗が流されてしまっているではないか。落胆する徳兵衛のもとに、村人たちが追い討ちをかけた。
「昨夜の祭りの最中に、また子供が3人溺れ死にました」
 このとき、徳兵衛の赤ら顔が真っ青に急変した。
「しまった!雷が鳴ったら…」との九十瀬入道との約束を忘れていたのだ。

逢引の合図が・・・

 齢(よわい)150歳の入道が、年に一度の逢引きをする時を知らせる合図が昨夜のいかずち(雷)だった。その間、川の周辺では鳴り物や水泳ぎをしてはならぬと、あれほどきつく言われていたのに・・・。人の恋路を邪魔したツケは計りしれない。徳兵衛が考え込んでいるところに、頭のよさそうな青年が奇声をあげた。


写真:妹川上流の調音の滝

「九十瀬入道の正体はカッパだよ。死んだ祖父ちゃんが、巨勢川には3000匹のカッパが棲んでおると言っていたもん。そのカッパの頭領が九十瀬入道だよ、きっと」
 なるほど、あの入道の正体がカッパなら、恋人との逢引きの場所が巨勢川周辺であることも納得できる。徳兵衛は、さらなる難問を解決すべく再び芋川村を訪ねた。だが、大きな銀杏の木の下には、九十瀬入道の屋敷など見当たらなかった。

すべては平家の入道に・・・

 川のそばの一軒家を見つけて板戸を叩いた。出てきたのは若い農婦だった。
「九十瀬入道は、もう100年も前に亡くなられた方ですよ」と、考えてもいなかった答えが返ってきた。それでは、徳兵衛の要請で巨勢川に水を流したのは誰?
「おそらく入道の生まれ変りのでしょう」
 農婦は、九十瀬入道の由来について語り始めた。
「この芋川村は、壇ノ浦で源氏に敗れた平家の武将とその一族が隠れ住んでいたところです。かく言う私を含め、あちらこちらに見える家は皆さん平家の子孫なのですよ。生前の九十瀬入道は、平清盛さまの生まれ変わりなのです。落ち延びてきた先祖が、水神さまにお願いして都から呼んでもらったのです。水神さまは生まれ変った清盛さまに九十瀬入道という名前をくださり、巨勢川の水を管理するよう命じられました。清盛さまは不滅のお方です。九十瀬入道としての寿命が100年前に終ると、今度は3000の子飼いを率いるカッパの総大将として生まれ変られたのでございます。農民が欲しがる川の水の供給を止めたり、人が嫌がる大水を流し込むのは、みんな清盛さまの生まれ変りの九十瀬入道の、そのまた生まれ変りのカッパの大将がなす業なのです」
 農婦の話で徳兵衛の謎解きが大詰めを迎えた。入道が色恋を好むのは、生前の清盛以来一貫している。でも、入道カッパの恋の相手を含めた真相が解明できないかぎり、朝田村に真の平和は訪れない。
「それはですね・・・」
 言いかけて、農婦は口をつぐんだ。これだけは死んでも話してはいけないことだと農婦は断った。(完)

 耳納連山の尾根から小川が流れ出し、6筋の渓流が一つにまとまる場所が妹川である。源流の一つに、25bの落差が美しい「調音の滝」がある。高西郷水天宮に参る小橋を渡ろうとして、浅瀬を遊び場にしている小学6年生くらいの女の子に話しかけられた。「私たち、平家の子孫かもって。お祖父ちゃんがそう言っていた」。その子に案内してもらった水天宮は、小さな滝をなしている巨瀬川の水上に建てられていた。川いっぱいに横たわる岩にはしめ縄が張られている。いかにも、「聖なる巨瀬川の源」といった雰囲気であった。

徳兵衛さんの謎解きの旅は、なおもも続きます。219話へ

 本編の舞台となる巨瀬川上流に、このほど巨大なダムが造られた。「藤波ダム」という。住民を洪水の被害から守るためというのが、作成者の言い分である。でもですよ。写真でお分かりのように、堤防も川もすべてが強固な石とセメントです。これじゃ、いかに九十九入道が不死身といえども、3日と命は持ちませんよ。(2010年4月28日)

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