伝説紀行 巨瀬川の尼御前カッパ  久留米市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第219話 2005年07月31日版
再編:2019.08.04
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

巨瀬川の尼御前カッパ

第217話 巨瀬川の平家カッパ 続編

福岡県久留米市


庄前神社のご祭神・左から清盛・幼帝・二位の尼

 九十瀬入道(こせにゅうどう)は、平清盛(たいらのきよもり)の生まれ変りで、巨勢川(こせがわ=昔は巨瀬川を巨勢川と書いた)に棲むカッパ3000匹を束ねる頭領である。
 時は壇ノ浦で平家が滅亡してから100年以上も経った鎌倉時代のこと。朝田村(現福岡県浮羽町朝田)の名主(なぬし)徳兵衛は、巨瀬川の水量が不安定な原因が上流にあると睨んで、芋川村(現浮羽町妹川)に出かけた。そこで御年150歳を数える九十瀬入道に会い、彼が年に一度だけ、ある場所で好きな女と逢引きをしていると聞かされた。その時刻に人間が水泳ぎでもしようものなら、たちまちカッパの餌食になって溺れ死ぬとも忠告された。
 入道が逢引きする月日と相手さえわかれば村民の生命を守れると考える徳兵衛は、今度は巨勢川を下ることに。

巨勢川カッパが続々陸地に

 川と並行して連なる耳納の山が視界から消える頃、巨勢川が千歳川(筑後川の旧名)本流に流れ込む辺りの庄前(しょうのまえ)、現常持という村落に出た。
 すると前方で、水中から躍り出た生き物が陸地に上がり、次々に岸辺の社(やしろ)の中に入っていくのが見えた。その数100は下らない。彼らは、人間の子供くらいの背格好で、背中に甲羅みたいなものを担ぎ、頭の中央が禿げた状態で凹んでいる変な生き物たちである。濃い緑色の皮膚がヌペヌペと光っていて気味が悪い。
「カッパじゃよ、あれは・・・」、近づいてきた総白髪の農夫に声をかけられた。
「へえ、あれがカッパ?」
 徳兵衛は、生まれて初めてお目にかかる、カッパという生き物の残像が瞼から消えなくて困った。

入道の相手は尼御前だった

「あのお社(やしろ)は?」、「庄前大明神(しょうのまえだいみょうじん)が住んでおられるところ」、「カッパが、大明神に何の用事で?」、「九十瀬入道の逢引きの日を伺いに来たんじゃろうて」と、老人は徳兵衛の問いかけに面倒くさそうに答えた。


庄前神社そばを流れる巨瀬川

 目の前の老人なら、九十瀬入道の逢引きの日と場所がわかるかもしれない。
「わしは忙しいんでな、カッパどもを待たせておるで」
 老人は、徳兵衛の気持ちなど知らぬげにさっさと泥橋を渡っていった。橋の中央まできて振り向きざまに、「明日の昼頃、日比生(ひるお)の丘に行ってみなされ」と言い残した。
 入れ替わりに今度は、腰が90度に曲がった老婆が、背丈より長い樫の棒を杖にして現われた。
「九十瀬入道の威力は、支流の巨勢川だけにしか及びまっせんけんな。入道が大川に出るには、ここの大明神のお許しが絶対にいるとですたい」
 老婆は、徳兵衛が訊きたがっていることを先回りして答えた。そうなのか、入道の逢引き場所は巨勢川ではなくて、本流の千歳川(筑後川)だったのか。
「ところで・・・、九十瀬入道の逢引きのお相手はどなたですな?」、徳兵衛は意を決して一番知りたいことを尋ねた。
「尼御前(あまごぜ)さんですたい。千歳川を仕切っておられるカッパの女将族の・・・。ほら、平清盛さんの奥方の時子さまって知っとろうもん。壇ノ浦で幼い天皇さんを抱いて海に飛び込みなさった、あの。お祖母さまの二位の尼が生まれ変わられなさった、その、尼御前カッパさんですたい」

年に一度の逢引きは?

 老婆の話だと、壇ノ浦で入水したはずの二位の尼は実は生きていて、逃げてきた千歳川右岸の鷺野原(さぎのはら=現鳥栖市下野/久留米水天宮の対岸)で源氏に追い詰められ、身を投げて女帝カッパに生まれ変ったのだそうな。清盛入道の生まれ変わりである九十瀬入道が、年に一度の逢瀬を重ねていた相手は、実は100年以上も前に死に別れたはずの最愛の妻だったのである。


庄前神社のある常持から眺める耳納連山


 翌日徳兵衛は、巨勢川が千歳川に合流する日比生(ひるお)の丘で、入道と尼御前が会う瞬間を待った。やがて、穏やかだった天候が一転掻き曇り、屏風のように居座る耳納の山が、すっぽり雲の中に包み込まれてしまった。直後に天空を強烈な稲妻が駆け巡り、どか〜んと落雷が大地を揺るがせた。
 ぼんやり霞む巨勢川の彼方から、緑一色の異様なカッパの大群に担がれた九十瀬入道が庄前神社の前を通過して本流に向かった。一方千歳川の下流では、これまた数千匹のカッパに護られて神輿(みこし)に乗った尼御前が、日比生の淵に上ってくるのが見える。

人はカッパの善行を知るべし

 前世からの因縁で結ばれる入道と尼御前がぶっつかる瞬間である。強烈な光と音に動転した徳兵衛は、不覚にも気を失ってしまった。気がついたとき、入道と尼御前は、目的を果たして東と西に別れたあとで、元の波静かな千歳川に戻っていた。
 徳兵衛は、朝田村へ帰る途中、もう一度庄前神社に立ち寄った。これからも村の者が平和で暮らせますようにと、破格の寄進までしてお願いした。
 その時、社(やしろ)の裏手から昨日の老人が野良着姿で現われた。後にはこれまた老婆が曲がった腰を更に曲げて立っている。


庄前神社拝殿

「入道と尼御前の逢引きはどうだったかな?」
 よく見ると、老人の顔は笑っているようで目は鋭い。
「入道カッパは、山に降る雨を少しずつ川に流す大事な役目を持っておる。百姓は、努々(ゆめゆめ)カッパの恩を忘れるでないぞ」と老人が言えば、老婆も「そうですたい。平家の清盛さんも二位の尼さんも、皆んなカッパになって子孫のために頑張っちょるとじゃけんね」と繋いだ。

 徳兵衛の頭の隅には、もう一つ解せないものがあった。
「あの白髪の老農夫と腰の曲がった老婆はいったい何者なのか?ひょっとして、庄前大明神とその奥方ではあるまいか」
 そう考えればすべての謎は解けるのだが・・・。今日の巨勢川の流れは静かで、耳納の山も優しかった。(完)

 本編の取材にあたってまず久留米の水天宮を訪れた。そこで、瓢箪お守りをいただいた。何ごとも挨拶が大事と思ったからであり、途中で水難に遭わないようにとの願いも兼ねていた。本腰を入れて巨瀬川沿いの庄前神社へ。
 神社に古くから伝わる「水神祭由来書」には次のようなことが書いてある。「主上を始め奉り、宗徒の一族西海の波濤に珍淪(ちんりん)して、骸(むくろ)は江魚(こうぎょ)の腹中に止まるといえども、霊魂ここに残りて人民牛馬の守護神となり、水難は言うに及ばず、火災病災諸々の厄難に至るまで祓い除ける霊験を著すべし」と。平家は滅びても魂は残り、神となって水難・火災・病災から人や牛馬を守ってくれるとでも解釈するのだろうか。
 また、別の古文書には、「呪符を求めて之を身におぶるものは必ずその害を免るる」とある。水天宮で求めたお守りのことで、瓢箪の中には五つ文字の護符が納めてあり、「むかしから親は子供の水難を除けるために買い求めている」と古文書には記してあった。
 庄前神社は、巨瀬川から少し村中に入った場所に建っていた。お世話をしているご婦人に断って祭壇を覗かせてもらった。いるいるカッパを模った守護神2体がしっかり祭神を護って立っていた。
写真は、久留米水天宮の本社
「この村では、大むかしからカッパは大切な水の神さまですけん」
 ご婦人は、周囲のゴミを丁寧に拾いながら、カッパのありがたさについて語ってくれた。

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